第4回 NHK (4)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。
シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

1月24日(火)

富士本さんから連絡が来た。「今度は東京での金川さんの普段の生活の様子が撮れたらと思っています。お仕事をされているところや、お家で作業をしているところなんかを見せていただくことはできますか」とのこと。自分がやっている校正の仕事の現場にカメラを入れることはできないので、それは丁重にお断りをした。自分の部屋を見られるのは恥部を見られるようで若干抵抗があったが、断るほどのことでもないので来てもらうことにした。

 

2月1日(水)

明日の自宅での撮影に備えて、一日かけて部屋を片づけた。私の部屋はすぐに散らかってしまう。自分は片づけが下手だということを、私はここ数年でやっと自覚をした。なぜ散らかるのかはわかっている。元にあった場所にきちんと戻さないからだ。

本棚も整理しようかと思ったが、やり始めてすぐに挫折した。

 

2月2日(木)

この日は富士本さん、丘山さんに加え、音声の森高千里さんもやって来た。森高千里というのは当然だが本名とのこと。とりあえず富士本さんたちを撮影しようとすると、富士本さんが「森高さんは写真に撮られるのが苦手だそうです」と言った。本人に理由を聞いても、「小さいころからなんとなく苦手で」と言うだけではっきりした理由があるわけではなかった。私は「そういう人はたくさんいる。自分もかつてはそうだった」と思い、森高さんを説得しようとした。

「それは思い込みだと思います。少しきつめの言葉を使うなら、惰性だと思います。人生のどこかのタイミングで一度嫌だなと思って、それがなんとなく今まで続いているだけなんだと思います」

「僕もかつてはあまり撮られるのが好きじゃなかったんです。自分の姿を見ることに抵抗があったんだと思います。でも、ここ5年ほどのあいだに、自分の姿が写真に残るというのはやっぱりいいものだなと思うようになりました。当たり前ですが、写真は撮っておかないと残らないんですよね。残っていないより、残っているほうがいいと思うんです。こんなふうに思うようになったのは年齢も関係しているかもしれませんが」

「別にわざわざ嫌がるほどのことではないと思うんです。嫌がるというか怖がるですね。怖がっているんだと思うんです、写真に撮られることを。でも、写真を撮られることは怖がるほどのことではないんです」

重ねた私の言葉に森高さんはまったく感じるものがないようだった(何の根拠もなくただ自分の実感を喋っているだけなのでそれは当然だろう)。丘山さんはすでにカメラを回して私を撮影していた。私はカメラの前で写真家を演じているような気持ちになっていた。自分が何かうさんくさい人間になっているように思えたが、それはけっこう楽しかった。

苦笑いを浮かべながらじっと黙って聞いていた森高さんだったが、つぶやくように「でも、写真を撮られることに、何かメリットってあるんでしょうか」と言った。「あるかないかで言えばメリットはある」と思ったので、私はとっさに「ある」と答えた。「ある」と答えたからには何か言わなければいけないと思ったが、「写真はないよりもあったほうがいいんじゃないか」というさっきと同じ漠然とした実感を述べることしかできなかった。

今の自分には森高さんを納得させることは無理だと思ったので、「写真を撮ったとしても、それを使うかどうかはまだわからないです。それはテレビと同じです。なので、とりあえず撮ってみましょう。もし何かに使う場合は必ず森高さんに確認をとるので、そのとき考えることにしましょう」と言って、とりあえず撮影してしまおうとした。森高さんは抵抗するのが面倒くさくなったようで、撮影に応じてくれた。ただ、ポートレートだけは勘弁してくれと言われた。

いざ撮影をしようとすると、PENTAX 67はフィルムの巻上げ部分が壊れていてフィルムが装填できなくなっていた。1月に富士本さんに撮影してもらったときにどうやら故障してしまったようだ。富士本さんは「私が触ると壊れるということがときどきあるんです」と言った。私は「そういうことじゃないと思いますよ」と言ったが、そういうことが起こりやすい人というのはいるのかもしれないと思った(後日、修理に出してみると経年劣化による故障だと言われた)。仕方がないので、35mmフィルムの一眼レフCONTAX RXで撮影した。

 

私の普段の作業の様子を見たいということなので、フィルムをスキャンして、データのゴミ取りをして、プリントするという一連の作業をやって見せた。とても地味な作業だ。「こんなところを撮ってどうするんだ」と思ったが、これは私が父に繰り返し言われていることでもあった。ただ、父が口にするとき、そこには非難はふくまれていない。少なくとも私はそれをまったく感じていない。今の私の思いには非難がふくまれている。

「こうやって撮影されることに、一体何のメリットがあるんだ」と私は思った。ついさっき森高さんが自分に向けた問いだ。こうやって自分が「メリット」とか言い出すのは、何かを怖がっているからだ。でも一体何を怖がっているのか。自分のことを他人に預けるのが怖いのか。自分のことが他人にどう扱われるのかわからないのが怖いのか。

作業をしている私にカメラが向けられる。カメラを向けられじっと待たれていると、何かを話さないといけないと思う。だが、とくに話したいことはない。いや、話したいことは本当はいろいろとあるのだが、それはわざわざカメラに向かって話すべきことなのかと考えてしまう。

自分について話していると、自分の話に整合性をもたせようとしてしまう。そして、その反動で、でたらめなことも言いたくなる。でも、自分がこの場ででたらめなことを言っても、たいしておもしろいことは言えないし、他人を混乱させるだけなので、結局はそんなことはしない。というか、できない。

 

富士本さんが「この前撮影させてもらって思ったことなんですが、金川さんがお父さんを撮るのは『復讐』でもあるのかなと思いました」と言った。私は富士本さんが言うことはある意味では的確だと思った(先日、展覧会に合わせてやった批評家の竹内万里子さんとのトークイベントでも「復讐」という言葉は出てきた)。でも、自分としては「復讐」ではないということはちゃんと言わないといけないと思った。

「たしかに、父を撮り始めたときにはそういうものがなかったわけではないかもしれません。ただ、今の私としては復讐ではないと思っていますし、見る人に復讐だと思われてしまってはいけないと思っています。いけないというのは、復讐ということになってしまうとそういうものとして了解されてしまうというか、とても個人的なものに還元されてしまうというか。それは私が望んでいることではないです。写真を撮るということは、自分でも何をやっているのかよくわからないようなところがあって、何かもっと開かれたものだと思っています。こういうことは私が撮った写真にあらわれていると思っているのですが、それがうまく伝わっていないのであれば、私はもう少し見せ方を考えないといけないのかもしれません」

自分は作品について喋りすぎていると思った。ドキュメンタリーを撮られるというのは作品にとって過剰なことで、自分は余計なことをしているのかもしれないと思った。だが、こうやって向こうからやってくるものを切り捨てたくはないとも思った。

「『復讐』という言葉は、金川さんが撮った写真からではなくて、この前の撮影を見せてもらったときの印象から出てきました。でも、金川さんがおしゃっていることはわかります。一度お父様ご自身の思いをもお聞きしたほうがよさそうですね」と富士本さんは言った。

「私たちだけでお父さんのところにお邪魔しても大丈夫ですか」と富士本さんが訊いてきたので、私は「全然いいですよ」と言った。ついでに「もし父の家に行くのであれば何でもいいので、できれば父だけでなく何か気になるものを適当に写真に撮って来てください」というお願いもした。カメラはどうしようか迷ったが、カメラを預けるのも富士本さんたちの負担になってしまうので、いつも父が自撮りをしているカメラを使ってもらうことにした。具体的な次の撮影の予定は決めずに、「また連絡します」と言って富士本さんたちは帰っていった。

 

2月15日(火)

今日はまた改めて私の部屋でインタビューをしたいとのこと。先日、富士本さんたちは父の家にも行って来たらしい。そのときに撮ったフィルムを富士本さんから受け取った。

富士本さん、丘山さんに加えて、今日は蟹江可南子さんという音声さんがやってきた。蟹江さんは写真に撮られることをすんなりと了承してくれた。

今日は富士本さんのポートレートを撮るのに時間をかけた。丘山さんに比べて、富士本さんは私に撮られることに抵抗があるように見える。私も富士本さんをどういうふうに撮ればいいのか、撮りたいと思っているのか、正直よくわかっていない。とりあえず私は富士本さんをただ正面から撮ることにした。今の自分にはそれ以外に撮る方法がないような気がした(撮った写真を見返すと、もう少し何かやりようがあったんじゃないのか、何でもいいのでもっといろいろと試しておくべきだったと思う)。

私が富士本さんたちを撮り終えると、丘山さんはカメラを三脚で固定し、富士本さんは私にその前に座るように指示をした。いつもよりも改まった感じがあった。富士本さんは言った。

「これまでいろいろと撮影させていただいて感じるところはたくさんあったのですが、今の私の興味は、これからお父さんと金川さんの関係がどうなっていくのかということなんです。金川さんはこれからお父さんとの関係をどうしていきたいとお考えなのでしょうか。これからも写真を撮っていくとか、どういう写真を撮っていきたいかとかいうことではなくて」

 

「これからどうしていきたいか(写真どうこう抜きにして)」

そんなこと私はこれまでちゃんと考えたことがなかった。

「写真を撮ることは続けたいと思っています。というか、父が自撮りを続けてくれているので、父がやめないかぎり、私が撮らなくても勝手に撮影は続いていくことになりますよね。自撮りは続けてほしいので、私から父に続けるように働きかけることはしていくと思いますが。でも、富士本さんが聞きたいのはそういう写真のことじゃないんですよね」

答えあぐねている私を見て、富士本さんは「では、今のお父さんとの関係をどのように感じていらっしゃいますか」と質問を変えてくれたが、それでも同じことだった。

私はそんなことをちゃんと考えたことがなかった。「そういう種類の考えるべきことがあるのだ」と、質問されることで初めて気がついた。これまでちゃんと考えたことはなかったにしろ、何か漠然と感じていることはあるはずなので、それを何とか言葉にしてみようとしてみるのだが、結局うまくいかずに、「あまり考えたことがないですね」とか「よくわからないです」とか言ってしまうことになった。

 

私が父を撮り始めた2008年ごろ、「何が理由で家を出たのか」「今、どういう気持ちなのか。何を考えているのか」「これからどうするつもりなのか」と問いかける私に対して、父は「わからない」「考えたことがない」「考えていない」「考えられない」をくり返していたが、私はそのときの父の気持ちがわかるような気がした。自分のことだけれど考えていない、考えたことがない。だから、質問されても答えられない。

「写真を撮られて、お父さんはどういうお気持ちなんでしょうね」と富士本さんは言った。そんなことは私にはわからないし、父自身もうまく答えられないだろうと思った。富士本さんは続けた。

「これまで取材させてもらって、私には撮られているときのお父さんが辛そうに見えたんですね。なので、そのことを金川さんがどう思っているのか、お聞きしたかったんです」

私はそんなふうにはまったく考えていなかった。

私は父は撮影されることを別に嫌がってはいないだろうと漠然と思っていた(面倒くさいと思うことはあったとしても)。父が苦痛を感じていないということを前提にして、私は父の撮影をつづけていた。私は富士本さんの指摘に釈然としなかったが、丘山さんに訊いてみても、「そういうふうに見える部分はありました」と言われた。

父が苦痛を感じていないからこそ、私が撮っているようなああいう写真にはなっていると自分では思っていた。でも、富士本さんにも丘山さんにもそう見えたのなら、そういう部分はあるのかもしれないと思った(父自身も自覚していないかもしれないが)。とりあえず、もう一度みんなで京都の父の家に行って、私が父を撮影するところを富士本さんたちに見てもらって、それから改めて考えてみようということになった。

 

 

1981年、京都府生まれ。2006年、神戸大学発達科学部人間発達科学科卒業。2015年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞。著書に写真集『father』(青幻舎)。近年の主な展覧会「悪い予感のかけらもないさ展」あざみ野市民ギャラリー(2016年)、「STANCE or DSTANCE?わたしと世界をつなぐ『距離』」熊本市現代美術館(2015年)など。
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