第6回 NHK(6)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。
シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

 

4月22日(火)

テレビでの放送は見逃したので、富士本さんが送ってくれたDVDで番組を見た。一人で見るのは怖かったので友人を呼んで一緒に見ることにした。

番組はナレーションや派手な音楽をつけることをせず、映像を淡々とつないでいくような抑制されたものになっていた。父や私のことを説明したり、解釈したり、意味づけたりすることをできるだけ回避しようという作り手の意志が感じられた。私の作品のことをまったく知らずにこの番組を見た人は、なんだかよくわからないままに番組が始まり、なんだかよくわからないままに番組が終わってしまうのではないかと思った。でもそれは私としてはありがたいことだった。私自身、私が父を撮っていることや父が自撮りを続けていることが一体何であるのかは、よくわかっていない部分が多分にある。

丘山さんのカメラワークがとてもよかった。父が布団で目覚め、カーテンを開け、隣の部屋で体重を測り、コンパクトのフィルムカメラで自撮りをするところまでをワンカットで撮ったシーンがとくによかった。

このシーンを撮るために、富士本さんたちと父が撮影の段取りを打ち合わせをして、撮り直しなんかも何回かしたであろうことが想像できた。そしてそれは、私が父を撮るときにやっていることでもあった。富士本さんと丘山さんが撮ったこのシーンは私が撮りたかったものであり、父の存在が媒介となって、私と富士本さんや丘山さんとのあいだで何かが伝播されたのだと、そんなことを勝手に考えたりもした。

そのワンカットのシーンのあいだに「父」、「金川優 64歳」、「離婚後、京都で一人暮らし」、「無職」というテロップが間を置きながらひとつずつ浮かんでは消えていくのだが、そのテロップもワンカットの持続した時間とあいまって妙な間を作り出していておもしろかった。テロップを使うにしても、接続詞を使わずに断片的な事実だけを並べることでこういう効果が生まれるのかと感心した。

ただ、子ども時代の私と父が映っている写真が写される場面(自分の作品では昔の写真などは見せないようにしてきた)や、自分がべらべらと喋っている場面などは、見ていてやっぱり少し恥ずかしくなった。でも、それも見ているうちにそんなに気にはならなくなったが。

父が私の子ども時代の写真を見ながら、「わりと静かな子やった」と評する場面があり、それが私にはとても新鮮だった。父が私のことをどういう子どもだと思っていたのか、そんなことを私はこれまで父に聞いたことがなく、尋ねたこともなかった(気にしたことがなかったのだと思う)。母からは私が子どもだったころの話はよく聞かされていて、その話から自分はどちらかというと活発な子どもだったと思い込んでいた。「わりと静かな子やった」という父のぼんやりした言葉は(それがぼんやりした言葉だからこそ余計になのかもしれないが)、私の自己認識を揺るがすと同時に、自分のことを受容するうえで役立つ何かを私に与えたのだった。

上野や新宿の街のなかを私がスローモーションで歩いているシーンが思いのほか多用されていたが(蕎麦屋のシーンも使われていた)、私はこれらのシーンはいらなかったんじゃないかとやっぱり思った。動物園のシーンは丸ごとカットされていて、影もかたちもなかった。それはとても賢明な判断だと思った。

父に電話をして番組の感想を訊いてみると、「感想というほどではないけど、なんかちょっと思ってたのとちがったわ。なんかえらいあっさりしてたな」と言った。「でも、いい番組やったよね」と私が言うと、「せやな。よかったと思うよ」と言った。飲み仲間からテレビに出ていたことについて何か言われなかったか訊いてみると、今のところ何の反応もないとのこと。テレビ、それもEテレとはいえNHKの20時からのドキュメンタリー番組に出たら、反響もそれなりにあって父自身の生活にも何か影響が出るのかもしれないと私は少し心配していたが、そんなことはまったくないようだった。

そして、それは私にとっても同じで、この放送の影響で写真集がたくさん売れたりするかと思ったがそういうことはなかった。高校のときのサッカー部の友人から何本か電話をもらって、十数年ぶりに飲みにいったりはした。友人たちはみな結婚をしていて子どもがいた。そのうちの一人は6000万円のマンションをローンで買っていた。子どもができたから結婚をしたのが二人いたが、二人とも「結婚なんかせんほうがいいで」「子どもができてないのに結婚するやつの気がしれん」と言っていたのがおかしかった。

 

NHKに取材され、自分についての番組が放送されたことを父がどう思っているのか、本当のところはよくわからない。テレビで「離婚後、京都で一人暮らし」「無職」とか言われるのは、やっぱり気分のいいものではないだろう。これまでにも、自分のことが写真集になることや、マスコミに取材されることについてどう思うのか、何度か父に訊いてみたことがあったが、「まあたしかにそんなにうれしくはないけどな」「ただ、それはほんまのことやし、隠してもしょうがないしな」「お前がやりたいならやったらいいんとちがうか」と言うだけで、それ以上のことは父の口からは出てこないのだった。

かつてはその言葉の奥にあるものは何なのか考えたこともあったが、そんなことを考えてもしょうがないのだろうと思うようになった。「そんなにうれしくはない」のかもしれないが、すごく嫌がっているわけではなく、ともすると楽しんでいるようにさえ私には見えるので、自然とあまり考えなくなった。そして今回のことを経て、その思いはより強まった。もうわざわざ「本当はどう思っているのか」と父に訊こうとは思わなくなった。

8月22日(火)

待ち合わせ時間の19時半に渋谷の居酒屋「酒処十徳」に行くと、富士本さん、丘山さん、そして番組のデスクをしているという峰田さんはもう店内で座って待っていた。峰田さんとは初対面なので簡単に挨拶を交わす。デスクというのは機材の手配などのもろもろの雑務をこなす仕事なのだが、今回の番組の編集の手伝いも少ししてくれたとのこと。

「お会いできてうれしいですが、初めてお会いするような気がしないです」と峰田さんは言った。峰田さんも全然業界人っぽくなく、仕事帰りの公務員という感じだった。というか今回のNHKの人たちだけでなく、自分がこれまで出会ったテレビ業界の人たちで、業界人っぽいと思った人はいないので、自分のイメージがおそらく間違っているのだろう。

富士本さんや丘山さんとも会うのは撮影以来だった。ひさしぶりに会えたのはうれしかったが、この会わなかった数ヶ月の間、自分は一方的に富士本さんや丘山さんのことを文章に書いていたので、2人の顔を直視しづらくもあった。お酒を頼んでいると、音声さんの蟹江さんと日暮さんもやって来た。2人とも大きなリュックを背負っていて、おそらく現場帰りなのだろうと思った。

全員がそろったので乾杯をして飲み始めると、富士本さんが携帯を取り出し、「森高さんから伝言を預かっているのでちょっと読みますね」と言った。「今日は打ち上げに行けなくて本当に残念です。金川さんには撮影中大変失礼なことを言って申し訳ありませんでした。金川さんの今後の益々のご活躍を祈念いたします」と言って富士本さんは笑った。その伝言を聞いた丘山さん、蟹江さん、日暮さんたちは「絶対適当」「絶対そんなこと思っていない」と口々に文句を言って盛り上がっていた。

日暮さんは森高さんとは学生時代からの付き合いらしく、「私は昔から知っていますが、あいつはそんなこと思うタマじゃないっす」と言った。そもそも日暮さんは森高さんが写真に撮られるのを嫌がっているのをこれまでは見たことがなかったので、森高さんが写真に撮られることを頑なに拒否していたことが不可解だったらしい。「そういうこだわりみたいなのは森高にはないと思います。もしかしたら、ただ私が知らなかっただけかもしれませんが」と日暮さんは言った。

この場面については、富士本さんと丘山さんとのあいだでもひと悶着というか、よくわからないやりとりがあったらしかった。撮影が終わって私と別れてから、丘山さんがその日の感想として「森高と金川さんのやり取りがよかった」ということを富士本さんに伝えると、富士本さんは「私はそれほどでもなかった」と答えたので、丘山さんは「あれを面白がれないのは制作者としてちょっとどうかと思う」という具合に言い返し、そこから番組の制作方針についてまで言い合うような議論に発展することがあったそうだ。

だが、その日撮った映像を後で見てみると、私と森高さんが言い合いをしている最中、丘山さんは私たちにはカメラを向けずに、部屋に置いてあった首のない仏像や部屋の隅っこの埃などを執拗に撮っていたのだった。「面白いと言っていたのに全然撮っていないじゃないですか」と富士本さんが咎めると、丘山さんは「撮りたくなったんだから仕方がないだろう」と悪びれることなく開き直っていたらしかった(もしかしたら「撮りたくなかったんだから仕方がないだろう」だったかもしれない)。

その話を聞いて、私は丘山さんの気持ちはなんとなく想像できたが、とりあえず丘山さんに「なんで撮らなかったんですか」と訊いてみた。丘山さんは「金川さんたちのやり取りは面白いなあと思っていたんですけどね。そう思いながら仏像を撮っていました」と言った。何の説明にもなっていなかったが、それ以上訊きようがないし、訊いてもしょうがないだろうなと思った。

丘山さんは晶文社での連載を読んでくれていて「とても面白く読ませてもらっています。私たちのことは全然気にせず、あることないことおもしろく書いてください」と言ってくれた。富士本さんも「うんうんうん」とうなずきながら、「書いてください」と言った。私はとてもありがたいと思った。ないことは書いていないつもりだったが、書いているうちに実際の富士本さんや丘山さんとは別の何かになっていくような不安があり、またその一方で実際のことを書いていることへの不安(書かれた人が実際に何らかのデメリットを被ってしまうのではないか、気分を害しているのではないか、等々)もあったので、私は富士本さんや丘山さんがどう思っているのかがずっと気になっていたのだ(ただ、こう言ってもらったからといっても、本当に富士本さんたちがどう思っているのかは誰にもわからないので、完全に不安がなくなることはないのだが)。

丘山さんは連載第1回の冒頭部分、富士本さんから取材の依頼を受けて、私が「富士本さんは福祉関係の番組で仕事をしているらしい。「福祉」という言葉にもまた少し不安を感じたが、自分の作品が「福祉」という領域で語られるのは真っ当であるというか、適切なことでもあるような気がした」と書いていたことに対して、ひっかかりというか、何か思うところがあったらしく、その部分について私の思いをもう少し詳しく聞かせてもらいたいと言ってきた。私はこの丘山さんの問いかけには自分にとっても何か重要なことが含まれていると思ったので、ちゃんと答えたいと思った。

あれを書いたときには、書いた以上のことはとくに思っていなかったというか、この「father」という作品は写真や美術などの表現の領域だけではなく、いろんな領域で語ることができるものだと思っていたので、福祉という領域から興味をもってもらえたのはうれしかったし、自然なことだと思ったというだけだった。ただそうは言っても、福祉の領域で語られるときに、父の蒸発や借金という部分が社会的な「問題」としてクローズアップされてしまうことに対する不安が一方ではあったのだが、実際に富士本さんに会っていくなかで、この人は父のことを「問題」だとは思っていない、この人はもっと別の部分で私や父やこの「father」という作品を面白がってくれているのだろうと思えるようになったのだった。富士本さんへの期待というか信頼感のようなものがどこかで生まれてきていたので、私はあんなふうに書くことができたのだと思う。

実際に番組として放送されたものは、何か特別な能力を持った表現者としての写真家の存在がまず前提とされていて、その写真家がどのような点において特別であるのかを語っていくような表現者ありきの番組ではなく、かと言って被写体となっている父の蒸発や借金などを社会的な問題として取り上げるのでもない、これが一体何についての番組なのかはっきりしないものになっていた。私はそれが本当によかったと思っている。そして、こういうことが可能になったのは、いわゆる表現や表現者を取り上げるための番組ではなく、福祉番組という枠組みのなかにおいて、福祉という言葉をより広い意味で捉えなおすことのできる制作者によってつくられたからだと思っていて、そういう意味において、福祉番組で取り上げてもらえてよかったと自分は思っている。

以上のようなことを私はなんとか言葉にしようとした。だが、もうだいぶ酔っ払っていたこともあって考えはまとまらず、はっきりしないことを酒の勢いにまかせてダラダラと喋り続けることになってしまった。同じく酔っ払っている丘山さんは「わかる、わかりますよ」と相槌を打ちながら、私の話を辛抱強く聞いてくれていたのだが、「いや、でも金川さんには本当はもっと別の思いがあるんじゃないかと、俺は思っていますけどね」と最後につぶやいたのだった。「どういうことですか」と訊き返すと、丘山さんは「金川さんにはもっと野心があるんだと思うんです。その野心にもっと忠実になるべきだと俺は思うんです」と言った。私は何か言い当てられたような、と同時にどこか腑に落ちないような気持ちになり、「俺の野心って何ですか」と訊き返したが、丘山さんは「それは自分で考えなきゃだめよ」と優しい口調で私を諭した。富士本さん曰く、丘山さんは酔っ払ってくると喋り方が優しくなるというか女性的になることがままあるらしかった。

 

実際に取材を受けている間は、富士本さんたちと私とのあいだには撮影者と被写体という関係性ゆえの越えられない溝のようなものがあり、富士本さんたちがどういうテンションで撮影をおこなっていたのかいまいちよくわからなかったのだが、この飲み会でいろいろと後日談が聞くことができたのがよかった。富士本さんたちは京都のロケの間、お寺を見に行ったり焼き肉を食べたり銭湯に入り浸ったり、旅行気分を楽しんでもいたらしかった。そして、私のいないところでは、当たり前と言えば当たり前なのだが、私のことや父のことについて繰り返し話し合っていたらしかった。

また、丘山さんはロケの間、富士本さんがその日の撮影の狙いや目的などを私や父に対してあまり説明をしないことや、その日の撮影の感想を伝えたりしないことに、ずっとやきもきしていたらしかった。また、そうやって丘山さんがやきもきしていることは、音声さんたちには伝わっていて、音声さんたちも同じくやきもきしていたらしかった。私にはそれがよくわかっていなかったので、富士本さんの説明のしなさ具合には違和感や不安をたびたび感じていたが、他との比較のしようもないので、そういうものなのだろうと思っていた。「他のディレクターはあんなんじゃない」と聞いて私はホッとしたというか、腑に落ちたのだが、そんな富士本さんだから、ああいう番組を作ることができたのだろうとも思った。

「やっぱり意識的に説明しなかったり、感想を伝えないようにしてるんですか」と私が訊くと、「いや、そうしないようにしているというか、何て言ったらいいのかがあんまりわからないんですよね」と富士本さんは言った。私も撮影をするときに自分がこれから何をやろうとしているのかあまりわかっていないことが多々あるので、富士本さんの気持ちはわかる気がした。酔っ払ってご機嫌になっていたせいもあると思うが、富士本さんはさらに言葉を続け、「というか私、基本的にあんまり何も考えていないんですね」と言った。私も「自分は何も考えていない」と口にしてしまうことは多々あるので、「何も考えていない」と言ったからといって、その人が本当にまったく何も考えていなくて頭のなかが空っぽになっているのではないということはわかってはいるのだが、富士本さんの口から出てくると何か凄みのようなものを感じた。

 

22時過ぎに店を出た。もう一軒行ける時間ではあったが、丘山さんは明日も仕事で早いらしく、他の人たちも明日は仕事なので、自然とそのまま解散になった。飲み会の終わりはどうしても名残惜しくなるので、「また飲みに行きましょう」「また展覧会見に来てください」「また連絡します」と「また」という言葉が飛び交っていた。

私はかなり酔っ払っていた。まっすぐ家には帰りたくない気分だったので、前から気になっていたお店に行ってみようと、代々木公園のほうに向かってフラフラと歩きだした。私はイヤフォンで音楽を聴き、目の焦点が合わないようにして自分の意識をぼんやりとさせていた。渋谷の街には光り輝くたくさんの看板があった。多種多様なサービスを提供してくれる店が並んでいて、一体どういうサービスを提供してくれるのか、看板だけでは理解しきれないものもあった。私は店の前を通り過ぎるとき、そのなかにいるお客や従業員たちに思いを馳せた。

今まさにそれぞれの店のなかではそれぞれのサービスが提供されている。そして、その店のなかにいるお客が他ならぬ自分であっても全然いいのかもしれない。さっきまで富士本さんたちと飲んでいたのに、数分後には雑居ビルの薄暗い部屋のベッドで横になっている自分がいる。そういうことが自分にも起こりうるのだ。そんなことを思いながら歩いていると、吉本興業の劇場の前の角を曲がって来る丘山さんに出くわした。丘山さんはお札数枚を財布のなかにしまいながら歩いていた。

私は何か見てはいけないものを見てしまったような気がした。

また、丘山さんに「何をしているのですか」と訊かれたら、なんて答えればいいのだろうとも思った。

私はそのまま気づかないふりして通り過ぎようとしたが、顔を上げた丘山さんと目が合ってしまった。丘山さんは私のことがすぐには認識できなかったのか、ほんの一瞬だが私の顔をじっと見たあとに、「ああ、金川さん。今日は本当にありがとうございました。こんなところでまたお会いするなんて」と言った。丘山さんはまだだいぶ酒が残っているようだった。私は「自分が今ここにいることをなんて説明しようか」と一人で勝手にどぎまぎしていたが、丘山さんは何も訊いてはこなかった。「仕事のことで忘れ物をして、NHKに戻っていたんです」そう言いながら、丘山さんはカードを財布にしまおうとしていたが、私の顔を見て話をしていたため手元がおぼつかなく、逆に財布の中のカードをボロボロと地面に落してしまった。丘山さんはカードを拾いながら「ほんと、だらしがなくて、すいません」と言った。

私は丘山さんのことをだらしがないと思ったことはそれまで一度もなかった。丘山さんの顔には笑顔があった。丘山さんの言い方には、自分のだらしなさと長年付き合ってきたこと、そしてこれからも付き合っていかなければならないことに対するうんざりとした気持ちと、このだらしなさこそが自分なのだという諦めが含まれているような気がして、私は丘山さんに強いシンパシーを感じた。

「それじゃあもう少し飲みますかと言いたいんですが、別の呼び出しがあってこれからそっちに行かないといけないんです」と言いながら、丘山さんは再びカードをボロボロと落した。丘山さんは今度は「はははははは」と声を出して笑った。そして、「ほんと、すいません」と言って再びカードを拾い始めた。私はカードを拾う手伝いはせずに、カードを拾っている丘山さんをじっと見ていた。

「金川さんはこれからどうするんですか」とカードを拾い終わった丘山さんに訊かれたので、「行ってみたいお店があったので、そこに行ってみようと思っています」と答えると、丘山さんはまたもや私の顔をじっくりと見て、「今から行くところがあまりおもしろくなかったら、そっちに行ってもいいですか」と言った。

終電では帰るつもりなのでそんなに長くいることはできないですが、もし来れそうならぜひ連絡くださいと言って、私は丘山さんと別れた。目当ての店はその日は弾き語りライブをやっていてなかに入りにくかったので、私は来た道を引き返して家に帰ることにした。

丘山さんからの連絡はなかった。

 

 

 

1981年、京都府生まれ。2006年、神戸大学発達科学部人間発達科学科卒業。2015年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞。著書に写真集『father』(青幻舎)。近年の主な展覧会「悪い予感のかけらもないさ展」あざみ野市民ギャラリー(2016年)、「STANCE or DSTANCE?わたしと世界をつなぐ『距離』」熊本市現代美術館(2015年)など。
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