第1回 精神病院の病棟から

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

21歳の夏、私は自殺を図った。ブラック会社での過剰な仕事量と低賃金が原因だった。400錠近い薬を飲んだのち、友人に発見されて、病院に救急搬送された。身体中管だらけになり、全身に回った薬まみれの血液をキレイにするため、人工透析を繰り返した。

実家から両親が心配して駆けつけた。意識を取り戻してうっすらと目を開けると、看護師たちがどよめく。後から聞いた話だが、本当に死にかけていたらしく、両親は「娘が死んだり障害が残ったりしても、この病院を訴えません」という念書を書かされたそうだ。

生き返った私は、これから先もこの地獄の人生を生きなければいけないのか、という絶望感に苛まれていた。毎日続く処置は鈍い痛みと不快感が長時間続き、耐えるのに必死だった。私は生まれて初めてオムツをして尿道に管を通された。屈辱的な気持ちが起きるほどの元気もなかった。1日が一週間くらいの長さに感じる。食事を取ることもできず、点滴ばかり何本も打ち続けた。一週間経って退院することが決まった。ベッドから起き上がると体がズシンと重たい。筋肉が落ちてしまったのだろう。背中を屈めて、老人のようにゆっくりと歩く。母が会計を済ますのをソファに座って眺めた。

明日から何をして生きればいいのだろう。仕事にはいつ戻れるのか。職場の人は私が自殺未遂をしたことを知っているのだろうか。一人暮らしのアパートはどうなっているのか。頭の中がたくさんの疑問符でいっぱいになる。所在なく目を動かし、ふと自分の腕を見た。入院中についた点滴のあとがたくさんあった。腕が幾分細くなったように思われる。自分の腕ながら頼りない。

タクシーを待ちながら母に声をかける。

「お母さん、これからどっちの家に帰るの?東京の私のアパート?それとも実家?」

母の横顔は不安そうだった。

「これから精神病院に入院するのよ。主治医の先生がそうしなさいって」

私は目を丸くして母を見た。母は続けた。

「エリコちゃんが入院している間、いろんな精神病院を見学したんだけど、どこもひどくて入れられないところばかりだった。でも、これから入院するところはかなりいいところだから」

母は私に言いながら、まるで自分に言い聞かせているようだった。

「私は精神病院に入院するのは嫌だな……。どうしても入院しなきゃダメなの?」

私がそういうと、母は答えた。

「先生が入院したほうがいいですって言っているのよ」

これ以上何も言うなという母の無言の圧力を感じて私は口をつぐんだ。

私たちの前にタクシーがやっと到着した。後部座席で母とともに車に揺られながら、窓の外をぼんやり眺めた。9月になっているがまだ残暑が厳しい。濃い緑の葉が、強い日差しを浴びてキラキラと輝いている。東京なのにそこいらじゅう緑だらけだ。ここは東京のどの辺りなのだろう。まとまらない頭のまま、そっと目を閉じた。

総合病院でなく、精神科の単科でとても大きい病院だった。受付を通って看護師に案内されながら、自分が入院する病棟に向かう。病院の中は古くてボロボロで、壁には茶色のシミがたくさんあり、病棟内に置かれたソファからは中のワタが飛び出していた。ナースルームに到着すると荷物検査が行われて、バックの中のものを全て確認された。私は下着まで見られたらどうしようとハラハラしていた。看護師はバックの中から糸ようじを取り出した。

「これは持ち込み禁止です。逆の部分、先がとんがっているでしょ。危ないからこちらで預かります」

何が危ないのかさっぱりわからない。人が死ぬような凶器なら理解できるのだが。けれど、口答えをするのもバカバカしいので、わかりました、とだけ言った。

その後はボディチェックが行われた。飛行機に乗るときに行われるやつだ。体を上から下までパンパン叩かれる。軽く適当に、という感じじゃなく、かなりしっかりしていて、ふくらはぎの下の方まで叩かれた。その完璧さが、このボディチェックは形骸的なものでなくあなたを疑っているのです、というメッセージに取れた。私は何か悪いものを持ち込もうとしている容疑者なのだろうか。

病棟内を案内してもらう。リビングには卓球台がおかれている。病院になぜ卓球台があるのか不思議だった。私が目をやっていると看護師さんが、患者さん同士でたまに卓球をやっていると教えてくれた。食堂の場所を教えてもらうと、閉まった扉の前に患者さんがたくさん並んでいた。もうすぐ12時だからだろう。ずっと扉の前に並んでいるけれど、立っているのが辛くないのだろうか。時間になって扉が開くと一斉に患者さんたちが食堂になだれ込む。もしかしたら、お昼ご飯が待ちきれなくて、並んでいたのかもしれない。

看護師に促されて自分の部屋に入る。部屋にはベッドが一つと簡単なロッカーがあるだけだった。看護師と母は入院の手続きのため出て行ってしまった。私は何もすることがなくて、ベッドに横になった。サラサラのシーツに顔を埋める。目を瞑るが眠れない。一週間も前の病院で寝ていたので当たり前だ。徐々に不安な気持ちに支配される。ここに入ったらいつでられるのか。精神病院の生活とはどんなものなのか。嫌な思いをするんじゃないだろうか。知らない患者さんたちとうまくやっていけるんだろうか。そういう不安で頭がいっぱいになってしまい、気を紛らわせようと天井を見た。見慣れたアパートの天井ではない、病院の天井は私を不安にさせた。天井から横に目をそらすと壁のシミが目に入った。それが徐々に人の顔が溶けた形に見えてきた。恐怖心というのは普段見えないものを見せる。私は目を瞑ったが一層怖くなってきて、胸がドキドキしてきて、不安でいても立ってもいられなくなった。

「看護師さーん!看護師さーん!」

大きな声で呼んでも誰も来てくれない。

それがより不安をよんで、一層大きな声で呼び続けた。

「看護師さーん!看護師さーん!看護師さーん!」

目に涙が溜まってくる。どんなに叫んでも誰も来てくれない。私は諦めて口を閉ざした。時々思い返して看護師を呼ぶがくる気配がない。看護師を呼ぶのを諦めた頃、やっと母と看護師が現れた。母は何事もなかったかのような顔をして「入院の手続きが済んだから」と言った。私はそれを遮るかのように

「1秒でも早く、ここから出して!」

と母に懇願した。

「今、入院の手続きをとってきたばかりなのに」

母は困っている。看護師は

「そのうち慣れますよ」

と人ごとのように言った。

病室でもめていると入院患者が覗き込んで来た。

そして、

「そんなに悪い病院じゃないですよ」

とあっさりと言った。

入院している人に言われてしまうと納得するしかない。それに、入院患者の前で駄々をこねるのも恥ずかしい。私は東京の隅っこの精神病院に入院することにした。

精神病院に入院したが、体は元気なので、これと言った治療はない。点滴もないし、注射もない。食後の服薬があるくらいだ。朝は6時起床、夜は9時就寝。食事は1日に3回で、お風呂は週に3回。それ以外は自由に過ごしていいことになっている。けれど、外出や散歩は許可制になっていて自由に外に出られない。一日中病棟の中にいるのはとても退屈で私は話し相手を探した。

年齢が近そうな女の子に話しかける。その子は入院した理由はマリッジブルーだと言った。マリッジブルーって精神病ではなさそうだが、本人にとってはそれくらいの大きさを占めるものなのだろう。その子はミュージカルが好きらしく、自分が好きな劇団のブロマイドや雑誌を見せてくれた。とりとめのない会話をした後、その子は唐突に

「散歩しよう」

と、笑顔で言ってきた。

「外には出られないんでしょ」

私は不思議に思って返すと、

「病棟内を散歩するの」

その子は当たり前のように言った。

私は意味が飲み込めないまま、その子と歩いた。病棟の端から端までは5分くらいで終わってしまう。端っこにつくと、くるりと回ってまた元来た道を歩き出す。しかし、歩いているうちに私たちと同じように歩いている人がいることに気がつく。

「外に出られないでしょ。体力が落ちるから、こうやって歩いているの」

そうだったのか。みんな長い入院生活のなかで自分なりに工夫をしていたのだ。まるで回遊魚のように病棟内をぐるぐる回る私たち。水族館の魚たちと同じように私たちは外に出られないでいた。そして、廊下を歩いていると、閉ざされたドアの向こう側で叫んでいる人がいた。

「ここのドアは開かないの」

それを聞いて私はびっくりした。鍵を掛けられていると言うことなのだろう。びっくりしてなんども聞き返した。

「鍵がかかっているの?開かないの? なんで?」

その子は

「そういう部屋もあるんだよ」

と呟いた。ドアの向こうから大きな声が聞こえる。

「私は女優になるの!女優になってトニー・レオンと結婚するの!」

ドアの向こうで叫んでいる。中の女性は誰に向かって宣言しているのだろう。続けざまに発声練習が始まった。

「あ・え・い・う・え・お・あ・お!」

しっかりとした声だった。

「真面目だよね」

その子の言葉に私も頷いた。精神病院に入るくらいまで頑張ったのだから、もう休んでもいいのに。私たちは何にもできなくて、また散歩を続けた。

あんなに嫌がっていた精神病院の生活にも三日目くらいで慣れて来た。タバコを吸っている人たちを見つけて、私も仲間に入りたくて吸い始めた。タバコを吸っていれば、会話に参加できなくても仲間の感じがするし、ここにいてもいいという安心感がある。ただ、タバコを吸っていると、いろんな人から「タバコちょうだい」と言われてあげなければならなかった。それどころか、「100円あげるからタバコ3本ちょうだい」という人まで現れてさながら刑務所のようである。刑務所ではないが、タバコを吸うときのライターがナースルームにチェーンで取り付けられているのには閉口した。自分のライターを持ってはいけないほど、私たちの頭は狂っているのだろうか。

病棟内に公衆電話があるのだが、そこの目の前の壁に、人権団体の連絡先一覧表が貼ってあるのも嫌な気持ちになる。必要なことなのだろうけれど、人権団体を必要としなければならない病院というのも問題なのではないだろうか。

お昼過ぎ、体がぴくぴくと痙攣した。何かおかしい。ベッドに横になるが体が痙攣してしまって落ち着かない。次第に顔の皮膚が後ろに引っ張られるようになり、口をあんぐり大きく開けた。体がこわばってきていうことを聞かない。足や腕が突っ張る。なんとか、自分でナースルームまで行き訴えるとなんの説明もなく注射をされた。私の肩に注射針が刺さり、わからない薬が投入される。

「お薬が効くまで寝ていてください」

そういって看護師は去って行った。

顔や体の引きつりに耐えて横になっているが、薬が効いてくる感じがしない。あんぐりと口を開けたまま、どうにかして欲しくて、またナースルームに行く。「あー。あうあー。」

すでに言葉すら喋ることができない。そんな非常事態の私を見ても看護師は「薬が効くまで待ちなさい」の一点張りだ。

徐々に全身の引きつりと硬直が増してきて、耐えられないものになっていった。よだれが頬を伝う。耐えられず叫ぶと、部屋に鍵が閉められた。苦しい、苦しい、苦しい。身体中が謎の力で引きちぎられそうだ。部屋のドアを叩く音がする。視線をそちらにやるとタバコの仲間たちとマリッジブルーの子が私のことを心配して見に来てくれていた。扉の覗き窓から3人の顔がチラチラ見えた。

「エリコ、大丈夫!」

そう言ってドアをドンドン叩く。励ましてもらって嬉しいが、お願いだから看護師を呼んできてほしい。しばらくして、母がお見舞いにきたのだが、私の姿を見てひどく動揺した。母が看護師を呼びに行ったので、助かるかと思ったが、母も「薬が効くまで待ってください」と言われてしまい、結局何もしてもらえなかった。そのうち面会時間が終わってしまい、母は不安そうな顔をして帰っていった。

「治ったら電話ちょうだいね」

という母の言葉を聞いても返事すらできなかった。それから2時間くらい経っただろうか、運よく今日は回診の日だったらしく、医者が来てくれた。医者は私の様子を見て

「何をやっているんだ! このままじゃまずいじゃないか! 早く点滴を打て!」

と叫んだ。

その医者の言葉で、今まで私の訴えに動かなかった看護師たちは一斉に動き始め、点滴の準備に入る。私は足と腕と胴体を白いベルトで固定され、腕に点滴をされた。ベッドにはりつけられて、まるで現代のイエス・キリストみたいだ。

「点滴が効くまで待つように」

と医者に言われたが、注射の前例があるため信頼できない。しかし、なぜか点滴は効いてきて、徐々に筋肉の緊張がほぐれてきた。体は元のように柔らかくなり、口も閉じることができた。もう夕方になっていた。

精神病院に入院するということの意味が初めてわかった気がする。ここには患者としての権利は通用しない。きちんとした治療の説明を受けたりプランを立ててもらうことはないのだ。精神科には特例があり、看護師の数は他の科よりも少なくていいそうだ。その結果起こることは、患者の放置であり、私たちは死んでも構わない存在に成り下がるのだ。

 

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)