第2回 私たちは弱さゆえにここにいる

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神病院の入院生活はタバコを吸いに行くことから始まる。

「おはよう~」

先にタバコを吸っているみんなに朝の挨拶をする。

「エリコ、おはよう~」

軽く挨拶を交わしながら、ナースルームに取り付けられたライターでタバコに火をつける。煙を大きく肺まで吸い込んでゆっくり吐き出す。他の人たちも私と同じようにタバコの煙をくゆらせていた。一人、ものすごいスピードで吸って吐いてを繰り返している人がいるが、誰も気に留めない。

「今日のお昼ご飯は何かなあ」

仲良しのゆみちゃんが言う。ここでタバコを吸いながら、話しているうちに仲良くなったのだ。ゆみちゃんは摂食障害で、菓子パンを大量に食べてから、全て吐き出すそうだ。過食の最中に母親に止められてこの病院に入院してきた。ゆみちゃんは食堂でみんなと食事ができなくて、看護師付きの個室で食べている。

私がゆみちゃんのために献立表を見に行ったら、生姜焼きとあったので、私は喫煙所に戻り、

「今日のお昼、生姜焼きだよ!」

と明るい声で言った。

「マジー!」

「やったー!」

ゆみちゃん以外のみんなも歓喜の声を上げる。

「肉なんて久しぶりだね」

「楽しみすぎる」

みんな口々に喜びを表す。

ここの食事は病院だからというせいもあるのだろうが、野菜を煮た物や白身魚が主で、味付けが非常に薄いのだ。

7時になったので、みんなで食堂へ移動する。8枚切りのパンが2枚。マーガリン、イチゴジャム。きゅうりとキャベツのサラダ。パックの牛乳。自分で配膳して席に着く。

パンにジャムを塗っていると目の前の女性が牛乳パックにストローをうまく刺せないでいた。しばらくして、

「開けて!」

と言って私の目の前に牛乳パックをドンッと置いたので、私は黙って開けてあげた。外の世界では知らない人の牛乳パックなんて開けてあげないけれど、ここでは頼まれたら開ける。知らない人だけど同じ病人なので助け合わなければならない。

ここに入院してから食べることだけが楽しみになった。献立表を1日に何回も眺める。患者さん同士では食べ物の話が尽きない。ポテトチップスが食べたいとかケーキが食べたいとかそんなことばかり話す。外に出たら何をするかという話ばかりしていると、私たちは囚人のようにも思える。もしかしたら、囚人とあまり変わらないのかもしれない。

朝食が終わって、タバコを吸いに行くと雑談が始まる。

「ねえ、みんなどれくらい入院してるの? 私はまだ1週間とちょっと」

私はみんなを見回す。

「私は2ヶ月」

ゆみちゃんは答えながら、タバコの煙を吐き出す。

「俺、5年」

ゆみちゃんの隣に座っている男の子が言う。

「5年!?」

私は素っ頓狂な声をあげた。

「1週間からしたら長いよね」

ぼんやりとした表情で男の子は呟く。

「5年じゃあね……」

私も否定できない。

「この間さ、母親と外出してきたんだよ。そうしたら、自動改札をうまく通ることができなくて、なんだかものすごく社会から取り残された気がしたよ」

遠い目をしながら彼は話した。

「そうか、そうなんだ」

私はそう答えることしかできなかった。

私は彼が5年間も入院しなければならない理由が見つからなかった。普通に話せるし、特に変な行動も見当たらない。彼をここに留めているものはなんなのだろう。

私は入院当時、社会で精神病院での長期入院が問題になっているということを知らなかった。退院してから色々な本を読んで、日本の精神病院は患者を何十年も入院させていると知った。自宅の住所が病院の住所になっている人もいるそうだ。長期入院は患者が外の世界で生活するための力を奪っていくし、本人の気力や希望も奪っていく。そして、私も、もしかしたら同じようになっていたのかもしれないと思うと背筋が冷たくなった。

「小林さん、郵便がきています」

看護師から呼ばれた。手紙と小包だった。手紙は短大時代の友人からで、小包は短大の時、お世話になった教授からだった。急いで封筒の封を切る。慌てているせいか指が震える。中身は、私の安否を気遣う内容で、とても不安で、悲しくて心配だったとあった。正直、叱ってやりたい、とまで書かれていた。私の目に熱いものが溢れてくる。続けて教授からの小包を開ける。中身は畑中純の版画集で私宛のサインが書かれていた。きっと、私のためにもらってきてくれたのだろう。それと、寺山修司の歌集と草野心平の詩集。短い手紙には「退院したら、また会いましょう」と綺麗な字で書かれていた。みんなの気遣いと、自分の不義理さに心が折れてしまいそうだった。

私は自殺を試みたことを後悔はしてない。あの時の私はそうするしかなかったのだ。私の側には誰もいなくて、お金もなく、頼るものもなかった。けれど、本当にそうだったのか。私は人を信じることができなくなっていたのではないか。人に相談すればなんとかなったのかもしれない。全く解決策がないと思っていたけれど、それは自分一人で考えて出した結論なのだ。私は手紙を丁寧にしまった。教授からもらった本をパラパラと開く。難しい文章は頭には入ってこないが、短い詩や短歌はすっと頭に入ってくる。

わが夏帽どこまで転べども故郷

私が好きな寺山修司の俳句だ。私は実家が、故郷が嫌で、東京に逃げてきた。けれど、東京で失敗した。私はどこまで走っても故郷から逃げることができない。

気がついたら時計が12時近くなっていた。私は食堂に向かった。食堂の扉の前でゆみちゃんに会う。

「今日は生姜焼きだね」

ゆみちゃんはニコニコしている。

私も笑顔で

「楽しみだね」

と答えた。

12時になって食堂のドアが開く。ゆみちゃんは看護師のいる個室の方へと入って行った。ゆみちゃんの背中を見送りながら、いつまでここにいなければならないのだろうと暗澹とした気持ちになった。

楽しみにしていた生姜焼きは鯖の生姜焼きだった。生姜焼きには違いないが、生姜焼きと言ったら豚肉だと思うのが普通だと思う。パサパサした鯖を噛み締めながら、早くここから出たいと願った。

食堂を出て、暇なので、タバコを吸おうかと悩んだが、リビングに顔を出した。リビングにはテレビとソファがある。そして、本が数冊置いてあって、オセロや将棋などが置いてある。卓球台もあり、たまに卓球大会が自主的に開催される。

リビングで30代くらいの男性に話しかけられた。

「将棋やらない?」

ひょろりと背が高いが威圧感はなく、穏やかそうな人だ。話したことはないけれど、病棟内で見かけたことはある。

「将棋、やったことがないんだけど、教えてくれるならやりたい」

私は彼を見上げながら言った。

「いいよ。教えてあげる」

そう言って彼はテーブルのそばの椅子に腰掛けた。

私はその人と一緒に将棋盤と駒を出した。駒の動かし方を一個一個丁寧に教えてもらう。

「歩は一つしか前に進めない。裏になると金になるんだ」

私はふんふんと頷きながら駒の動かし方を覚える。しかし、数が多くて全て覚えきれないので、実際にやりながら覚えようということになった。

将棋なんて全く興味がなくて、死ぬまでやることはないと思ったけれど、精神病院で初めてやることになるなんて人生は不思議だ。私が駒を変なところに指すと、

「こっちの方がいいよ」

と教えてくれる。優しい人だな、と思った。彼からは何かの異常なものは全く感じない。思えば、ここに入院して、みんなどこがおかしいのかさっぱり分からない。話せばきちんと会話が成り立つし、変なことを言ったり、やったりする人はいない。みんな落ち着いていた。もちろん、ドアの中で叫んでいる人のようにちょっとおかしな人もいるが、そう数は多くない。

パチリ、パチリと駒を指しているうちに、初めての将棋は私が勝ってしまった。私は笑顔で「やったー!」

と勝利を叫んだ。彼はニコニコして、

「もう一回やろう」

と言いながら、駒を置き始めた。

正直、私に教えながら打っている彼のほうが強いのは当たり前だった。しかし、彼は私に5回も負けた。彼は、私にわざと負けてくれたんだと思う。私は彼の優しさを思うと、ここにいることがとても寂しく思えた。わざと5回も負ける彼は外の世界では生きていけないのだろうか。彼のような優しい人が生きていけない世の中なんて、おかしいのではないだろうか。

突然、ものすごい音がした。ガッシャン!と何かが壁に当たる音だった。見に行くと、一人の患者がうなだれていた。目は爛々として正気ではない様子がうかがえる。病棟内にはいつでも誰でも飲めるようにほうじ茶が入った大きなやかんがおいてあるのだが、それが床に転がっている。きっと彼女が投げたのだろう。看護師たちが集まり始める。

やかんを投げた女の子が看護師たちに取り押さえられる。その子は感情を高ぶらせて叫んだ。

「何回も呼んだのに、ナースルームから出てきてくれないじゃん! 今更出てきたって遅いんだよ! なんで、私の話を聞いてくれないの! 看護師なら私の話を聞いてくれたっていいじゃん!」

その子は目に涙を溜めながら訴えた。彼女は鍵をかけてくれと自ら看護師にお願いして、自分の部屋に入って行った。

その後、部屋からは激しい打撲音が聞こえた。彼女が自分で壁を叩いているらしい。聞いたところによると、彼女は時々感情が抑えられなくなるので、そういう時は自分からお願いして部屋に鍵をかけてもらって籠もるそうだ。

思えば、私たちの病は人とのつながりの病だ。私たちはうまく人とつながることができない。自分の感情をうまくコントロールできず、時に爆発させてしまう。しかし、その爆発は人と繋がりたいという強烈な欲求なのだ。なぜなら、爆発すると必ず人が集まってくる。ものを壊したり、自分を傷つけることで、医療者や家族、友人がよってくる。もちろん、爆発という手段を取らなくても、人と繋がれることが一番いいのだが、病気になってしまうと、正しいコミュニケーションの取り方が分からなくなる。

私は自殺をして、未遂に終わったが、そのおかげで、やっと医療者や家族とつながることができた。運ばれた病院でたくさんの看護師たちに囲まれ、ひとりぼっちのアパートから脱出できた。私は自殺未遂によって、結果的に救われたのだし、自分が危機的状況であると伝えることができたのだ。だが、自殺未遂という手段は副作用が多すぎる。多額の医療費、体への負担。私はもっとうまくSOSを出せるようにならなければならない。

夕食を食堂で食べる。味の薄いほうれん草のおひたし。味の薄いサワラの煮付け。まだハタチそこそこの自分としては物足りない。食堂から出るとリビングに人が集まっていた。テレビは壊れているのだが、奇跡的に8チャンネルだけ映るのだ。放送されているのは人気の歌番組。日本を代表する司会者がトップアーティストを紹介している。人気男子アイドルグループの出演に女の子たちが湧いている。壊れかけたテレビからは私たちの世界のことなど知る由も無いかっこいいアイドルたちが登場した。

「きゃー!!」

あられもなく、女の子たちが叫ぶ。司会者が曲の紹介を始めると歌が始まった。誰でも知っているヒット曲。女の子たちは輪になって歌い始めた。私もなんだかウキウキして輪に入って一緒に歌った。

私はアイドルなんて全く好きじゃないけれど、みんなと一緒に合唱できることが嬉しかった。お互い、肩を抱きながら、テレビの前で合唱する。私たちは、弱さゆえに、ここにいる。この世界で生きることが困難で、精神病院という世界に閉じ込められた。それは一見悲惨な出来事だけれど、ここで肩を寄せ合ってともに歌うことができる。

学校に行っているときは、いじめにあっていて、人と一緒にいて安心するという感覚を味わうことはできなかった。家でも父が酒を飲んで暴れていたので、小さくなって過ごしていた。今、私は心から安心して、歌を歌っている。東京の片隅の精神病院で、私は初めて安心できる夜を過ごした。

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)