第7回 自殺の七つの型(3)

精神科医、春日武彦さんによる、きわめて不謹慎な自殺をめぐる論考である。

自殺は私たちに特別な感情をいだかせる。もちろん、近親者が死を選んだならば、「なぜ、止められなかったのか」、深い後悔に苛まれることだろう。でも、どこかで、覗き見的な欲求があることを否定できない。

「自分のことが分からないのと、自殺に至る精神の動きがわからないのとは、ほぼ同じ文脈にある」というように、春日さんの筆は、自殺というものが抱える深い溝へと分け入っていく。自身の患者さんとの体験、さまざまな文学作品などを下敷きに、評論ともエッセイとも小説ともいえない独特の春日ワールドが展開していきます。

【気まぐれや衝動としての自殺】

ことさら理由など思い当たらないし、当人が悩んだり困っていた様子などないのに、唐突に自殺をして周囲を困惑させるケースは珍しくない。せいぜい「気まぐれ」ないしは「衝動的」な(そして致命的な)振る舞いとでも表現するしかあるまい。あるいは「魔が差した」のか。そうした一例は第二回【石鹼体験】でも紹介した。常識の範囲内で想像するとしたら、まああのあたりがもっとも説得力がありそうだ。

でも、もう少し別な機序はないものか。

いきなり話が飛躍するが、北原白秋と同時代の詩人で山村暮鳥(一八八四〜一九二四)という人物がいた。大正四年(一九一五)に出版した未来派的前衛詩集『聖三稜玻璃』が有名で、知人には私信の中で「小生は今の文壇乃至思想界のためにばくれつだんを製造してゐる」と大言壮語したうえでの発表だった。が、それほどの自負にもかかわらず狂人の書と嘲笑ないしは黙殺され、生前はまったく評価されなかった。すっかり意気消沈したものの、以後、スイッチでも切り替えたかのように田園詩人的な作風に変わり、またキリスト教の牧師として活躍したが、肺結核で不惑にして亡くなっている。

そんな彼が大正七年に発表した〈朝あけ〉という詩がある。

朝だ

朝霧の中の畑だ
蜀黍(とうもろこし)とかぼちゃ、豆、芋
――そして
わたしは神を信ずる――
まだ誰も通らないのか
此の畑のなかの径(こみち)を
わたしの顔にひつかかり
ひつかかる蜘蛛の巣
その巣をうつくしく飾る朝露
此のさわやかさはどうだ――いまこそ
わたしは神を信ずる

未来派の面影はすっかりなくなり、妙に肯定的でいかにも牧師然とした作品だ。たしかに朝の田園風景の爽やかさに心躍ることはあるが、そこでいきなり「いまこそわたしは神を信ずる」などと言われても正直なところ苦笑しか浮かばない。返す言葉が出てこない。でもこうした詩を作る人もいるだろうなとは思うわけである。

このような詩が成立するとしたら、いわばその正反対の心のありようとして、この世界に顔を背けつつ「いまこそわたしは自らの命を絶つ」といきなり自殺をする人がいてもよさそうな気がしてくるのである。

でも、果たして本当にそんな人間がいるだろうか。いきなり神を信じてしまう者がいるように、いきなり死の扉を叩いてしまう者が。

神の啓示だか悪魔の囁きかはともかくとして、突如死のうと思いついてそのまま自殺をしてしまうケースは存在するのか。精神科医の立場としては、そうした症例があるとは考えない。ただし周囲が気付かぬまま当人は精神が追い詰められ、「最後の藁一本が駱駝の背を折る」といった形で些細なエピソードが決定的な作用を及ぼす場合はあるだろう――そのように想像はする。そして自殺準備状態としての精神の追い詰められ加減には、案外さまざまなバリエーションがあるようなのだ。

 

【青春の気まぐれ】

まだ高校生の頃、明け方に国鉄・武蔵五日市線(当時は単線だった)の線路に横たわってみたことがある。十一月の最初の週であった。別に本気で鉄道自殺をしようと考えたわけではない。思春期なんてある意味では四六時中精神が妙な具合に追い詰められているのであり、その捌け口として、線路に身を横たえるなんて芝居がかったことをしてみただけだ。そうしてみることで、本当に鉄道自殺をした人間の気持ちの幾分かが分かるかもしれないなどとも期待した。

夜明け直前の、濃紺が濁ったオレンジ色に侵食されかけている空が、驚くほど広く見えた。空はまぎれもなく広大な円蓋としてわたしの上に覆い被さっていた。線路は冷たくごつごつとして背中に違和感を与え、ささやかな背徳を実行している気分が非現実感を強調した。ちっとも眠くなかったけれど、もしこのまま眠ってしまったら、一番電車によって睡眠から死へと滑らかに移行してしまうだろうかと思った。移行すると認めるなら、わざわざ眠らなくても手っ取り早く走行してくる電車に飛び込んでしまうのも面白いじゃないか。そんな具合に、いやに性急な発想が頭の中に渦巻いていた。本物の自殺者は、死への恐怖よりも性急さが突出した人たちなのだろうと自分なりに納得したのを覚えている。

今になってこうして書き綴ってみると阿呆の極みであるが、若い時期には気まぐれも衝動も事故も、三者がすべて輪郭を曖昧にしたまま不穏に接していた気がする。

グレアム・グリーンの『自伝』(田中西二郎訳、早川書房、一九七四年)を読むと、十八歳から19歳にかけて、彼は家の戸棚から見つけ出した古いリボルバー式拳銃を使って計五回のロシアン・ルーレットを試みている。誰も見ていない所で、たった一人で。動機は「倦怠」だ。

……慎重にわたしは決行の場をえらんだが、そこに本当の恐怖はなかったと思う――おそらくそれは幾度も企てた半自殺行為が今回のもっと危険な企ての背景にあったためであったろう。これらの行為を親や兄たちは神経衰弱的とみていたようだが、わたしはむしろいまでも当時の状況のもとでは高度に理由のある行為だったと考えている。

そして「目にみえる世界を全的に失う危険を冒すことによってその世界をふたたび享受することが可能だという発見、これはわたしが遅かれ早かれ運命づけられていた発見であった」と述べる。

つまり命をポーカーチップの代わりにすることでこそ、生きているという実感を鮮烈に味わえるというわけだ。実際、最初のロシアン・ルーレットが成功した(つまり弾丸が発射されなかった)あとの気分をグリーンはこのように記している。

まるで暗い単調な街にパッとカーニヴァルの灯がついたように、すばらしい祝祭のような歓喜の情が湧いたのを憶えている。心臓が檻のなかで衝き動かされ、人生は無限数の可能性を含むものとなった。それは若者のはじめての上首尾な性の経験に似ていた――まるでアシュリッジのブナ林のなかで男性としてのテストをパスしたかのようだった。わたしは家に帰り、拳銃を隅の戸棚に戻した。

だがこの無謀な試みも、すぐに形骸化してしまう。カーニヴァルはたちまち終わってしまう。回数を重ねるうちに歓喜は「粗雑な興奮の衝撃」に取って代わり、そこで彼はもうこれ以上拳銃でゲームを続けることを断念する。ロシアン・ルーレットを卒業したのだ。にもかかわらず、それで心に収まりがつくというわけにはいかない。

一種のロシア・ルレットもまたわたしの後年の生活の一因子として残っており、それがためアフリカについての予備的経験もなしに突飛で無鉄砲なリベリア縦断旅行に出かけたりした。宗教的迫害のさなかのタバスコへ、コンゴの癩(ママ)療養所(レプロゼリー)へ、マウ・マウ団叛乱中のキクユー保有地へ、また非常事態のマラヤや対フランス戦争中のヴェトナムへ――それらへわたしを連れて行ったものは倦怠への恐怖にほかならなかった。

確かにこういったタイプの人間は存在する。よりエッジの利いた、あざといほどに鮮やかな人生を希求するがために、コントラストとして死の危険を味わいたがる人間が。

そんな彼らが本当に死んでしまったとき、それは不注意ないし不運が理由だったかもしれないし、わずかな気の迷いや取るに足らないほどちっぽけな雑念(それを意識下の自殺願望と呼ぶ人もいるだろう)が決定的要素となってしまったのかもしれない。

事故よりは自殺を疑いたくなるケースとして結実することもあるだろう。積極的な動機が見つからないからと、あえて事故として処理される場合もあろう。いくらでも深読みが可能だし、どんなに深読みをしても決して本当のところは分かるまい。十中八九、本人でさえも。

 

【フィロバットについて】

ことに若い時期においては、命をポーカーチップにしてみせるのはそれが優越感につながりがちということもあるだろう。凡庸ゆえの倦怠感、倦怠に名を借りた無力感といったものを払拭すべく、死に限りなく近づいてみせる。世間に向かって「お前らには、こんな剛胆なことは出来まい」と嘯くために。つまり若さゆえの傲慢さの一形態というわけである。

でもそうした心性をいつまでも引きずる人たちがいる。彼らには何らかのネーミングがなされているのだろうか。

マイクル・バリント(一八九六〜一九七〇)という英国の精神科医がいた。精神分析が専門領域である。彼はスリルにのめり込んだ

夢中になるタイプの人たちを、アクロバットに因んだ造語でフィロバット philobat と命名した。またその反対に危険を嫌悪し安全賢固なものに執着する人たちをオクノフィル ocnophil と名づけた(ひるむ、しがみつくを意味するギリシャ語からの造語)。

フィロバットは冒険家や探検家、軽業師、戦場カメラマン、レーサーなどをその典型とし、おそらく芸能人や水商売、ギャンブラー、起業家、芸術家、職業的犯罪者、傭兵、爆発物処理班、救急救命医師、消防士なども含まれる筈だ。作家で飛行士でもあったサン=テグジュペリ、開高健などもそうだったし、もちろんグレアム・グリーンもフィロバットの一員だったと思われる。先日『妻を帽子と間違えた男』の作者であるオリヴァー・サックスの自伝を読んだが、彼もまさにフィロバットであった。

漠然と思っていたことをきちんと言葉にしてくれた(しかも造語まで持ち出して!)ということで、バリントの論は少しばかり自殺の理解に寄与してくれているようである。ただしそれ以上の突っ込んだ話になるとさすがに精神分析家だけあって、正直なところ「あんたは、いったい何を言っているんだ?」と愚痴をこぼしたくなる。難しくてよく分からないのである。少なくともあまり役に立ちそうなことは言っていない。まあそれはさて置き、フィロバットが命をポーカーチップにしたがる傾向にあるのは間違いあるまい。

そしてわたしたちは、おしなべてオクノフィルをどこか胸の奥で軽んじ、フィロバットにばかり興味や関心を示しがちのようである。オクノフィルは堅実かもしれないが退屈、日和見主義の保守党支持者で、因習に固執する「分からず屋」。いっぽうフィロバットはユング心理学における「永遠の少年」と重なるところもあり、ちょっと心を騒がせるところがある。そのあたりを敷衍すると、夭折とか自殺への文学的関心とリンクしてくるように思われる。

太宰治はまぎれもなくフィロバットであった。彼の作品では「黄金風景」や「佐渡」をわたしは好むが、これらはつまりフィロバットがオクノフィル的なものへ憧れるところに滋味がある。庄野潤三はオクノフィル系作家の典型のように映るかもしれないが、家庭小説みたいな形に至るまでの軌跡を眺めると「贖罪にのめり込んでいるフィロバット」とでも言いたなる。気の利いた二分法は、用心しないと人を惑わせるようだ。

フィロバットというフィルターを透すと、自殺も事故もどこかロマンチックな感触に包まれてくる。死への憧憬などと気取ってみたくなったりもする。老いぼれたフィロバットを想像すると、何やら切なくなってくる。老いるくらいなら死んだほうがマシというのが、おそらくピュアで先鋭的なフィロバットなのだろう。

 

【事故傾性】

妙に事故に巻き込まれたりケガを負いがちな人物がいる。もちろん本人は痛みや後遺症を嫌がる。少なくとも狂言で負傷しているとは思えない。でも事故や負傷との遭遇があまりにも多過ぎる。たんに運が悪いとか勘が鈍い、運動神経が鈍いというだけでは説明がつかない。

中学校の同級生で、事故傾性ないしは事故頻発人格といった精神医学用語に該当しそうな人物がいた。Sという男で、可愛げのないウサギみたいな顔をしていた。勉強もスポーツも「残念」な奴で、特技もない。遊び友達もいなかった。イジメを受けていた気配はない。いかにもイジメの標的にされそうではあったけれど、Sには事故傾性ゆえの危うさがうっすらと漂っていて、うっかり「ちょっかい」を出すと面倒な結果を招きかねないといった認識が周囲にあったからだろうと思う。

技術家庭の実習中に、教諭が「刃物の扱いには気をつけろよ」と注意を促したその直後に、ノミでざっくりと指のつけ根を切って大出血したりする。いっそ警告を受けなかったらケガはしていなかったのではないか――そんなふうに疑わせるようなところがあった。廊下で派手に滑って転び、クラス全員に配布すべきプリントをそれこそ花吹雪のようにまき散らしたこともあった。雪の日には、級友たちの期待に応えるかの如く転倒して頭を打ち、学校までたどり着けなかった。もしかしてわざと間抜けなことをして注目を集めようとしているのではないかと疑い、わたしは理科の授業の準備(これは生徒が行うことになっていた)に際して、あえて彼がビーカーやフラスコやアルコールランプを入れた箱を抱えて運ぶように仕組んだことがあった。こちらの予想としては、おそらくSは箱を落としてガラス製の実験器具をすべて割ってしまうだろう、と。

だが、なぜか彼は滞りなく器具を運び終えた。余裕に満ちた顔をしていたのが小憎らしい。せっかく「呪われた運命」が具現化するところを見届けようと目論んでいたのに、フェイントを掛けられたようで腹が立った(立腹するなんてずいぶん自分勝手な話だが、好奇心には勝てなかったのである)。

千葉の海岸へ潮干狩りに行ったときには、今度はまさに案の定というべきだろうか、コンクリートの堤防とテトラポッドの隙間に落ちて足に大きなケガをした。携帯電話やスマートフォンなんかない時代だったので、救急車を呼ぶのも容易ではなかった。担架で運ばれていくSの表情は、何だかくしゃくしゃに丸めた紙くずのようで、わたしたち生徒は互いに顔を見合わせたまま誰も言葉を発しなかった。いや、発する気にもなれなかった。馬鹿馬鹿しい気分のほうが先に立っていたのである。

事故傾性といった概念は、第一次世界大戦の直前あたりから、工場で事故を起こしがちな工員についての調査に端を発している。だが考察においては自己懲罰やマゾヒズムなどの無意識的意図が取り沙汰されがちで、いまひとつ精神分析家の夢想のようにも思えてしまう。わたし個人としては、強迫性障害の「〜せずにはいられない」といった心性と、事故がもたらすであろう鮮やかで明快なイメージとが結びついて気の迷いを生じさせているのではないかと疑っている。分かりやすさというものは、ことに精神的に抑圧された情況下では、心のブレーキを軽々と超越しかねないと常々考えているのである。

おそらく事故傾性の人たちが巻き込まれる事故は、必ずや「絵に描いたような」一目瞭然の事故現場を現出させる種類のものである筈だ。悲惨さよりも明快さが優先されがちなところに、闇の深さと気味の悪さがある。そして彼らは、ときに自殺なのか無意識に誘導された事故の延長としての死なのか判然としない死に方をするものなのかもしれない。

というわけで、いったい今、Sは生きながらえているものなのか、五体満足なのだろうかと気になってしまうのだけれどその結果は恐ろしくて知りたくない。

 

【死の欲動】

フロイトが唱えた「死の欲動」(死の本能、とも訳される)はどうであろうか。それは事故傾性にも通底しそうだし、気まぐれや衝動としての自殺を実行させる根源的な動機ともなるだろう。

ユングはフィロバットに、フロイトはオクノフィルに親和性があると精神科医の中井久夫は指摘している。確かに伝記を読むとそう思えてくる。そうなるとオクノフィル人間であるフロイトにとって、安定・不変・確実といったあたりが人の営みにおける目標になってくるだろう。でもその考えが極端になるとどうであろう。生きることそのものが不安定で流動的で不確定なのである。究極の安定・不変・確実とは生命活動が停止しなければ訪れないといった極論に結びついてしまわないか。

そのような(生きる者にとって)本末転倒の思考が「死の欲動」の背後には横たわっているようだ。またフロイトは、第一次世界大戦による人類史上初の大量死と、自身が喉頭癌を宣告されるといった二つの陰鬱な事態に直面している。戦争や自殺の理由を説明するために、彼としては比較的自然な成り行きとして「死の欲動」という発想(一九二〇年)が湧いてきたのかもしれない。

しかしこうした概念は、あまりにも便利な説明装置となってしまいかねない。これさえあれば、人間の愚行の大部分は説明可能になってしまう(万引きだとか痴漢行為も、それが社会的な死につながりかねないという意味で死の欲動に支配された結果である、とか)。もはやそれは何も説明していないのと同じことだろう。

個人的見解としては、あらゆる変態性欲の可能性が人間の心には秘められているのと同じように、自殺や自傷、殺人や破壊などを含むあらゆる攻撃性が人間の心には秘められているというだけの話だと思う。つまり節操がない。節操がないので、状況次第で戦争を起こしたり自殺をしてしまうだけではないのか。

「死の欲動」について考えていると、なぜか思考が深まらない。言葉を表面的に弄ぶだけで終わってしまいそうな物足らなさがつきまとう。さきほど「死の欲動」は「気まぐれや衝動としての自殺を実行させる根源的な動機ともなるだろう」と書いたが、実はこの箇所には誤魔化しが潜んでいないだろうか。

それこそ機会さえあれば自死を決行してしまいかねない人間がいたとして、その人物にとって死はどのような位置づけがなされているかを推測してみる。ひとつには、①死に過剰な思い入れを抱いているパターンだろう。死に憧れや救いを夢見る態度であり、自己愛の変形みたいにも見えかねない。

もうひとつには、②死に対する極端な無頓着さ、あるいは鈍感さが際立つパターンだろう。生に執着せず、死を特別視しない。食事をすることも死ぬことも同じレベルの事象であると考えている。自殺を平然と日常生活の中の選択肢に紛れ込ませられる。そういった虚無的な姿勢が考えられる。

では「死の欲動」はそれら二つのパターンに共通して作用しているのか。欲動と名乗るからには、積極的に本人を自殺へと駆動しなければなるまい。そうなると、「死の欲動」は①の「死への過剰な思い入れ」に重なるのだろうか。いや、そんな騒がしく自意識過剰な精神のありようとは違うだろう。「死の欲動」はもっと静謐で無意識的で根深いものではないのか。

でも②には積極的なニュアンスがない。むしろ感情面における欠落しか意味していないように思えてくる。

結局のところ、「死の欲動」というものがあったとして、しかしそれは自殺決行に対して多少はハードルを下げるものの実際にはさほどの影響力などないような気がしてくるのである。いきなりおかしな喩えを持ち出して恐縮だが、かつて惑星直列という現象がとんでもなく大規模な地異天変をもたらすという通俗的イメージが、世間に流布していた。惑星が一直線に並ぶことで重力が強く影響を受けるからである、と。なんとなく説得力に富んだ説だとわたしも思っていた。

一九八二年三月一〇日だとか、二〇一五年一月五日午前二時四七分などにそれが起きるとされていたが、いざその日を迎えてみると、結局は何もなかった。いつもと変わらない一日であった。

わたしとしては、「死の欲動」という自虐的かつ魅惑的なイメージは、所詮、惑星直列に似た空想の産物に思えてしまうのである。そんなオカルトめいたものと一緒にするな! とフロイトに叱られてしまいそうだが。

 

【群発自殺】

自殺へのハードルを下げるという点では、群発自殺のほうが重要であろう。

高橋祥友『群発自殺』(中公新書、一九九八年)によれば、

(1)ある人物の自殺や自殺未遂が何らかの誘因となって、複数の人々が引き続き自殺していく現象(連鎖自殺)。
(2)複数の人々がほぼ同時に自殺する現象(集団自殺)。
(3)ある特定の場所で自殺が多発する現象(自殺の名所での自殺)。

とされ、狭義には(1)の連鎖自殺のみを指す。

有名人や、それとは逆に身近な人物が自殺を行うことによって、自殺が誘発され連鎖するといった事例は珍しくない。この手の話題で必ず取り沙汰されるのはアイドル岡田有希子の自殺であろう(一九八六年四月八日、所属事務所のビルの屋上から投身自殺。享年一八)。彼女が自殺してから二週間のあいだに全国で二十五人の未成年が自殺しており、そのすべてが連鎖自殺ではなかろうが影響の大きさは見当がつく(通称、ユッコ・シンドローム)。

自死への準備状態が整った者にとって、「特別な人物」の自殺(その人物との関連が周囲に分からないと、まったく動機が不明の唐突な自殺と映るだろう)が一気に自死へのハードルを下げるであろうことは容易に想像がつく。「あの人だって自殺したんだから」というロジックは、自死へのゴー・サイン以前にある種の開放感や安堵感をもたらしたのではあるまいか。もちろん悲しみのあまりの後追い自殺だってあるだろうが。

自殺には、疚しさや気まずさが伴う。死の恐ろしさ、禍々しさが付きまとう。わたしは自分自身の自殺の可能性について考えるとき、必ずそこには針の山や血の池、無間地獄や阿鼻地獄といった土俗的で迷信そのもののイメージが立ち上がってきて心を脅かす。いい歳をして、子どもと変わらない。こういったものがなければ、とうに自殺していたのではないかと思いたくなるくらいだ。

が、「特別な人物」の自殺はそのようなマイナス・イメージを(一時的に)払拭してくれる。それが結果的には悪く作用するわけだが。

ショックや悲しみと同時に、不意に暗闇の向こうに不思議な明かりが見えたような気分になるのだろう、「特別な人物」の自殺は。あるいは思いがけないところに抜け道があるのを発見したような気分に。もちろんそれは錯覚であり罠なのだろうが。

しかし――その錯覚ないしは罠は、あたかも救い(に似たもの)が突如もたらされたかのような高揚感を伴っているのも事実だろう。そんな気分を味わうことなんて、人生で何度もあるわけではない。連鎖自殺を肯定する気はないが、当人の主観においては意外にもハッピー・エンドなのかもしれないと考えてみたくなる。

(2)の集団自殺は第九回に譲り、(3)の「自殺の名所」はどうだろう。

自殺を企むほどに追い詰められている人間には、適当な死に場所を吟味するだけの余裕はあるまい。そうなれば、自殺に関して「定評のある」場所を躊躇せずに選んでしまう。多くの先行者がいたとなれば、それは自殺の成功率が高い場所であるのを保証しているわけで、なおさら選択の対象にされやすくなる。当方としては、死ぬときくらい独自性を発揮しろよと言いたくなるものの、独自性にこだわるような精神状態ではまだまだ本気の自殺には程遠いのだろう。

風光明媚な場所、「あやかりたく」なるような人物が自殺した場所(華厳の滝とかサン・ミュージックの事務所があるビルとか)、たんに確実な死が約束されそうな場所(高島平団地とか)などさまざまな条件がありそうだ。風水だの地縛霊だのを持ち出したい気すら起きてくる。

昭和初期には、モダン文化の象徴であるデパートの窓からの投身自殺が流行ったらしく、山名正太郎が『自殺に關する研究』(大同館書店、昭和八年)でその理由について突飛な説を記している。現代仮名遣いに直して引用してみよう。

いったい人が高いところに登ると、下へ飛んでみたいと思うのが常である。これは高くなるほど不安定であり、不安定から安定への思慕である。なお自殺者が百貨店に対しては、二つの誘惑が補足をなしている。一つは窓の誘惑である。並列する窓、窓。灯。垂直の柱。見るからに軽快明朗な近代感覚をもった建物の窓。もとより建築は普遍的に美しく、人々をして愉快ならしめることは、建築の効果というよりも、むしろその任務である。そうして窓の多いのは活気に富んで見える。牢獄には窓はない。実際、窓は展望と採光のためにあるのであるが、全くそうした意味で装飾のためにつけられてあるように思われる。
もう一つはその窓下にある並木と散歩道とスピードを生命とする自動車道の誘惑である。ただ道路ばかりでは飛降りを誘致する力も弱いが、脚下に展開する軽快な足どり、自動車のスピード、そうしたものが確かに誘因となるものである。

モダンなデパート建築におけるその高さとリズミカルな窓の配列がもたらす落下への誘惑、さらに眼下を疾走する自動車のスピードが、酩酊のようにして飛び降り自殺を決行させるという説明である。なんだか未来派的自殺論といった趣である。日本では一九二〇年あたりから未来派が広く知られるようになったから(マリネッティの未来主義創立宣言は一九〇九年)、時期的にも該当する。

ちょっと胸をときめかせるね。

 

【再び、気まぐれや衝動としての自殺について】

気まぐれや衝動、そうした不連続な要素によるものではないかとしか推断出来ない種類の自殺は、たぶん複数の要因の「合わせ技」で出来すると思われる。それぞれの要因は特異ではない。驚くべき真相が隠されていた、なんてケースは滅多にないのだろう。

手品のタネを教えてもらっても、それが名作本格推理小説のトリックのようなカタルシスをもたらすことは稀である。大概はちょっとした盲点を衝いたメイン・アイディアを、巧みな手捌きや先入観を利用して補強しているだけである。少なくとも宇宙を司る秘密みたいなものが降臨しているわけではない。

周囲が動機について首を捻るような自殺であっても、そこに大いなる人生の秘密を見て取れる場合は稀だと思うのである。しかしそれをわたしたちはなかなか受け入れられない。生きることと死ぬこと、そこに深い意味が潜在していなければ、まるで侮辱されたような気分に陥ってしまうのだろう。

だが仕方がない。そもそも自殺とは、世界をあっさりと見捨てて残された者たちを侮辱する――そうした劇的効果の別名なのだから。

SIGN_07KASUGA1951年京都生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医を経て精神科医に。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院部長、都立墨東病院精神科部長などを経て、現在も臨床に携わる。著書に『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)、『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』(朝日新聞出版)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)等多数。