第4回 世界に色彩が戻った

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神病院では、毎日ラジオ体操がある。めんどくさがってやらない人が多いけれど、私は真面目に参加していた。やることがないので、退屈なのもあるし、体を動かしていないと体力が落ちてしまうからだ。

今日は月曜日なので、外出や散歩の張り紙が張り出される。私はゆみちゃんと一緒に張り紙をリビングまで見に行った。外出、散歩、退院、などの文字の下に、該当者の名前が並んでいる。私は目を凝らして自分の名前を探した。

「小林……、小林……。あ、あった!」

「散歩」の下に「小林エリコ」と、書かれていた。

「よかったね、エリコ。散歩に行けるね」

ゆみちゃんが私の肩を叩きながら言った。

「うん、本当に良かった! 外に出るの久しぶりだよ!」

私は顔をほころばせた。

今日は散歩の日だ。ナースルームの前に、散歩に行く人が集まっている。ゆみちゃんは散歩ができないので、タバコを吸いに喫煙所に行ってしまった。私はコートを着て散歩に行く準備をする。季節はもう10月をすぎていて、精神病院の窓から外を眺めると外来患者はコートを着て歩いているのが見える。それを見て、季節の移り変わりを知ることができた。病棟にいると今の時期が暑いのか寒いのかがわからない。きちんと管理された室内の温度は私から季節を奪い去った。

看護師がナースルームの鍵を開ける。私たち患者はナースルームを通って玄関に行くために、ぞろぞろと廊下を歩く。玄関のドアを看護師が開けると、冷たい風が吹いて来た。ひんやりとした空気が心地よい。私は久しぶりに身震いした。

眼前に広がる緑。頭上には抜けるような青空。どこかでスズメのなく声が聞こえる。私は3週間ぶりに外に出た。久しぶりの世界は美しくて、自分が初めてこの世界に降り立ったような気持ちになる。私は入院する前に、なぜこの世界の美しさに気がつかなかったのだろう。思えば、自殺を考えていた時は、朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきていた。街灯が灯る道をトボトボとうつむきながら歩いた。今から食事を作るのは面倒だけれど、コンビニでお弁当を買うお金もない。私は駅前のスーパーで買った特売の大根と鶏胸肉をぶら下げていた。昼間、原稿の受け取りの時に、ペットボトルのジュースを買いたいと思ったけれど、買うお金がなくて我慢した。私は貧乏でひもじく、すべての力が失せていた。空を見上げたり、草花を見る余裕なんて一ミリもなくて、私の見る世界はモノクロだった。精神病院に入院して、初めて外に出て、やっと私の世界に色彩が戻った。私は自殺を考えていた頃より、元気になったらしい。

看護師はみんなに向かって、説明を始めた。

「これから散歩に出かけます。私の後ろを歩いて、列を乱さないようにしてください。買い物に行くのは禁止です」

そして、散歩が始まった。私はキョロキョロと辺りを見回しながら前の人について歩いた。

10月の風が頬を撫ぜる。枯れ草がそよぎ、木々の緑も茶色に変わろうとしていた。

私は短大生の時の卒業旅行をふと思い出した。短大で一番仲が良かった友達とバリ島に行くためにバイトを必死にしてお金を溜めた。バリ島はカラリとした暑さで、海も空もどこまでも青く、地上には緑がどこまでも広がっていた。時折、真っ赤なブーゲンビレアの群生に出会った。白い砂浜で寝ていると現地の子供が私たちの爪に綺麗なマニュキュアを施してくれた。お金を払って友達と笑い合う。マーケットで友達とお揃いの絞り染めの服を買って早速着た。二人で歩いていると現地の男の人に声をかけられて、誘われるがまま、バイクの後ろに乗せてもらい、長い海沿いの道路を走った。なんの苦悩も不安もない、天国みたいな場所だった。それから、一年も経たないうちに、私は今、ここにいる。人生は転落するとあっという間なのだ。私はもう一度、バリ島に行けるのだろうか。

目を前にやると、看護師たちは白衣の上にコートを着ていた。入院患者もみんなコートを着ているので、看護師がコートを着ると、入院患者との区別がつかなくなる。そうしていると、誰が患者で、誰が看護師なのかわからなくなった。もしかしたらみんな患者なのかもしれない。誰が狂っていて、誰が正常かなんて、誰にもわからない。

私は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。この病院の周りには生い茂った森があり、周りには他の建物もたいして見当たらない。なんで、こんな辺鄙なところに病院があるのだろうと不思議に思いながら歩いた。

後で知ったことだが、精神病院というのは不便なところに建てられることが多いという。それは、住民が近所に精神病院が建てられるのを嫌がるからだそうだ。今でも、障害者の作業所やグループホームの建設の時に、地域住民から反対が起こるという。私の母も、精神障害者の家族会に入っていて、作業所の建設に関わったそうだが、地域住民からの反対に遭い、諦めたそうだ。私たちは社会から疎まれる存在らしい。精神病院や作業所やグループホームを自分たちの地域から追い出したとしても、私たちの存在は消えない。むしろ、社会に偏見という痕跡が赤々と残るだけだ。

散歩をしている途中で、突然、一人の男性が列を離れて、道路に向かって走り出した。びっくりして彼を見ると、道路を横切ってかなり遠くの方まで走って行った。これはもしかして、脱走なのだろうか。なんだかワクワクする。そして、彼がいなくなったのを知った看護師たちはものすごいスピードで彼を追いかけ始めた。私は逃げる彼を見つめながら応援していた。頑張れ、頑張れ。しかし、彼は徐々に走るスピードが落ちて行く。やはり、長い入院生活で体力が落ちているのだろう。彼は薬局に逃げ込んだが、その後、看護師に両脇をがっしりと掴まれてズルズルと連れ戻された。彼はもう、散歩には出してもらえないだろうし、退院も伸びそうだ。しかし、私は逃げ出したくなる彼の気持ちは痛いほど良くわかる。自由がない、あの病院に私だっていたくない。

散歩を終えて病棟に帰って来た。ゆみちゃんに今日の散歩で脱走をしようとした人がいたのを話す。ゆみちゃんは「へえー」と驚いていた。そして「まあ、気持ちはわかるけどね」とちょっと笑いながら言った。

私は数日前から相部屋に変更になった。相部屋の人は躁うつ病のおばさんだ。相部屋ということで、特に困ったことは起きなかったが、おばさんは躁の状態になると突然、会話に英語が入る。「イエース、イエース、アンダースターン」などと言うのだ。私は面白かったけど笑ったら失礼な気がして笑うのを我慢した。そして、躁うつ病のおばさんは「躁状態になると、自分がなんでもできる気持ちになっちゃうのよねえ」と言っていて、常に鬱で自分が無能だと思っている私は、ちょっと躁病に憧れた。

最近、盗難事件が増えていた。部屋に置いておいたお金がなくなるとか、タバコがなくなったとか、そういったことが多発していた。そして、それが増えたのは、相沢さんという女性が入院して来てからだった。

盗難事件が増えたのは相沢さんが来てからということはみんなの共通認識なので、みんな相沢さんと距離をとっていた。小柄で甲高い声で喋る相沢さんはいつも、公衆電話で恋人に電話をかけていた。私たち入院患者は、洗濯機や公衆電話を使うため、週に270円、自分たちの入院費から生活費として、病院から渡される。270円といえど、ここの中では大金である。洗濯は一回100円だし、電話も長く話すとあっという間にお金がなくなってしまう。だから、いつも長電話をしている相沢さんにはみんな苛立っていた。

ある日、ゆみちゃんのコップがなくなった。ミッキーマウスが描かれたコップで、大ぶりの使い勝手の良いものだった。私たちは真っ先に相沢さんを疑った。そして、二人で相沢さんに話しかけた。

「相沢さんの部屋に入ってみたいんだけど、いいかな。」

私たちは盗まれたコップがあるかどうかを確認したかったのだけれど、相沢さんは友達になれると思ったためか、

「嬉しい! 私の部屋、まだ、誰も来たことがないの!」

と喜んでいた。

相沢さんの部屋はベッドが二つあって、空いている方のベッドに几帳面に浜田省吾や中島みゆきのCDが並べられていた。そして、ジーンズが置いてあったのだけれど、そのジーンズは股の部分が赤く汚れていた。どうやら、生理の時についたものらしい。私は恐る恐る聞いた。

「ねえ、このジーンズ洗わないの?」

相沢さんは笑顔で教えてくれた。

「このジーンズを見せて、看護師さんに余計に洗濯するお金をもらうの。そう言ってもらったお金で恋人に電話してるんだ」

私は相沢さんのお金をもらうやり方に若干引いたが、もしかしたら、盗難事件は相沢さんが原因じゃないのかも、と思った。そして、ゆみちゃんのコップは相沢さんの部屋にはなかった。コップは数日経ったら、洗面台のところに置かれていた。誰が盗んだのか、それとも、誰かが間違って使っていたのか、結局はよくわからないままだった。

私たちはよくこんな狭い空間で生活し続けていると思う。精神病院というところは、これといった治療はない。治療と言えば、せいぜい服薬をしているくらいだ。たまに、アートセラピーと言って絵を書いたりするが効果のほどはわからない。朝から晩まで、ひとところに押し込められ、文句すら言えない。小さな盗みや諍いも、まるで大事件のように感じる。そうやって、日々の退屈を紛らわすほかないのだ。

ある日、噂を聞いた。ある男性の患者さんと女性の患者さんが、病室で肉体関係を持ったらしい。そんな噂を聞いて、驚きながらも、全く不思議ではなかった。私たちだって欲望はあるのだ。何年間も入院をしていて、それを我慢できている方がおかしい。

精神病の患者さんといってもいろいろな人がいる。穏やかそうな人もいれば、強面の人もいる。最近入って来たのはパンチパーマの大柄なおじさんで、私はかなり怖かった。何でここに入って来たのだろうか。まさか薬物ではなかろうか。

おじさんはナースルームで看護師に喧嘩を売っていた。

「おい! なんで俺が外に出られないんだ! 散歩ぐらい行かせてくれてもいいだろう!」

男性の看護師はナースルームの奥から窓越しに、おじさんに答えていた。

「あなたは、入って来たばかりだから、散歩はまだ無理です」

おじさんはその言葉にカチンときたらしく

「おい、なんだ、ふざけんな! お前、そこからここに出てこい!」

看護師は鍵のかかったナースルームにいるので、おじさんからは絶対に手が出せないのだ。

「出ていったらどうなるんですか?」

看護師が平然として問うと、

「お前の首をなあ、こうしてやるんだああああ!」

と言って、首を締める真似をした。

怖い。アッパー系精神病患者である。しかし、看護師さんは全く動じず、ナースルームの奥に引っ込んでしまった。その近くで、相沢さんが恋人に電話をかけていた。床に寝っ転がってダラダラとおしゃべりをしている。それを見たおじさんは、

「こんなところで、寝てるんじゃねえ、ボケ!!」

と怒鳴った。相沢さんはガバリと上体を起こし、

「いやあ! 怖い!」

と叫んだ。私はそんなやりとりを平和な気持ちで見ていた。

ここは問題だらけだと思う。しかし、看護師たちはその問題には正面から取り組んでいない。散歩中に逃げ出す人、続けて起きる盗難、怒鳴る人。看護師たちはそういったことには自分から積極的に関わろうとしない。私は看護師たちが何を仕事にしているのかわからない。彼らの出番は私たちの口に薬を入れることと、夜中の見回りくらいだ。血圧を測ったり、検査の時に誘導してくれたりするが、それ以外にこれといった関わりはない。

私たち患者が求めているのは、もっと、患者をサポートして欲しいということだ。私たちだって、自分の治療のミーティングに参加したいし、退院に向けた計画を立てたり、退院した後に、社会に戻っていくプランを一緒に考えたい。そしてその時は、上から押さえつけ、指示的になるのでなく、私の隣にいて一緒に考えてくれたらどんなにいいかと思う。一緒に人生を歩む人のように私の人生に寄り添って欲しい。私たちが望む看護とはそういうものだ。

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)