第6回 「私」ではなく「問題」が問題なのだーー多量服薬の当事者研究

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神病院を退院してから、東京のアパートを引き払い、茨城の実家に戻った。身辺整理が落ち着いてから、私は本棚からある本を取り出した。「べてるの家の本」という自費出版で出された本だ。この本は私が短大生の時に、教授からもらったものだ。「私よりも、あなたが持っていた方がいいから」そう言って教授は一冊しか手元にないその本を私にくれた。

私はペラペラとその本をめくる。北海道の過疎地、浦河町にあるべてるの家では精神障害を持つ人たちが毎日、問題を起こしながら、生きて暮らしている。読み進めるうちに自分の心が穏やかになってくるのを感じた。そして、べてるの家の本を買い集めて読みふけるようになった。

べてるの本の中に、「精神疾患の当事者は周囲から問題のある人として扱われることが多い。しかし、その人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」とあった。私はその箇所を読んで、ハッとした。私はたくさんの薬を飲み、自殺未遂をする「問題のある人」だと思っていたし、周囲もそういう扱いをしてきたけれど、「私」が問題なのではなくて、「多量服薬」が問題なのかもしれない。

私はべてるの家の本を読むだけでは飽き足らなくなり、関東地方で行われているべてるの家の集まりに参加した。精神病院を退院してからも、私は多量服薬をして自殺を図り、何回か入院した。職にもつけず、実家で過ごしている状況の中、私は自分のことを研究して、自分の問題についてまとめることができた。以下で紹介するのは、当時の体験をもとに当事者研究としてまとめた記録です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

当事者研究「多量服薬という魔球の研究」

*当事者研究について

当事者研究とは北海道の浦河町にある「べてるの家」で取り組まれている実践です。病気をもっている人は問題のある人、と見なされがちですが、「人」と「問題」を分けて考え、その「問題」にどうやって対処していけばいいのかということを当事者、仲間、支援者で考えます。その当事者が研究したことは、同じ苦労をしている当事者の助けになります。

当事者研究で大切にされているのは「弱さの情報公開」です。個人情報保護が叫ばれる現在ですが、本当に隠しておかなければならないことは数少ないのではないでしょうか。自分の弱さや苦労をみんなの前で公開すると、その場は和やかになります。それは、弱さや苦労がその人だけのものでなく、みんなが抱えているもので、弱さによって、人は安心して繋がれるのです。

当事者はこれまで、病気の治療において、「治してもらう」という立ち位置でした。けれど、当事者研究では「自分が自分自身の専門家」になります。周りの人の手を借りながら、問題を眺め、今までの自分の助け方(自傷や暴力など)よりも、もっと良い助け方をみんなで考える。そういう取り組みです。

*はじめに

私は20歳の時に初めて多量服薬をしました。友人が発見してくれて、病院に救急搬送され、ICU(集中治療室)で一週間治療を受けて、その後は精神病院に入院しました。退院して実家に戻ってからも3回多量服薬をしました。10錠くらいの少ない数も入れたら回数はもっと上がります。最高で400錠以上飲みました。10年以上に渡って多量服薬を繰り返し、もうこんなことはしたくない、という思いから研究することにしました。

*苦労のプロフィール

私の家庭は典型的なDV家庭でした。父はお酒を飲んで暴れるし、お金も給料の半分しか入れていませんでした。そんなこともあって、うちはとても貧しかったです。学校の教材で裁縫箱を買わなければならなかったのですが、買ってもらえず、母親が用意したのはお菓子の空き缶でした。そんな状態なのに、父は毎日タクシーで家まで帰ってきていました。

小学校ではいじめに遭っていて学校に通うのが苦痛でした。その一方でおしゃべりがなかなか止められない子供で、授業中もうるさくしてしまって、あるクラスメイトが私のことを先生に「迷惑」だと言ったらしく、放課後に担任に呼び出され「小林、お前はクラスのみんなに嫌われている」と言われました。絶望的な気持ちになり、学級崩壊を起こしました。生徒指導室にもよく呼ばれましたし、校長先生に目をつけられるくらい荒れた生徒になりました。

高校は第一志望の高校に行きましたが、友達を誰1人作らないと決めて、行動していたので、毎日孤独でした。この頃から眠れなくなり、精神科に通うようになります。自殺を考え始めたのもこの頃です。大学は美大に行きたかったのですが、親に反対され、美大にいけないなら、フリーターになると言っていましたが、「とにかく大学へ行け」と家族に説得されて、全く行きたくない短大に進学しました。就活は一社も受からず、就職浪人しました。実家にしばらくいたけれど、朝から酒を飲んでばかりで、友人の勧めもあり、東京で一人暮らしを始めました。求人雑誌で編集プロダクションの仕事を見つけ、働き始めたのですが、月給12万のブラックな会社で、自殺を図って退職しました。

その後、実家に戻りますが、再就職しようとしても、どこも受からず、落ち込み大量に薬を飲むのを繰り返していました。精神科のデイケアに通ったりしていたけれど、多量服薬はやめられませんでした。その後、生活保護を受けましたが、ここでも多量服薬をしました。現在はNPO法人で働いています。

*研究の目的

私と同じように多量服薬を繰り返している人は多いと思うので、同じ苦労をしている人たちの助けになればという思いから研究することにしました。また、自分自身、多量服薬でかなりのお金がかかっているのと、体への負担が大きく、もうこの行為をやめたいという気持ちから研究することにしました。

*研究の仕方

東京近郊で行われている当事者研究の集まりで、支援者や当事者の人たちと一緒に行いました。

*研究の内容

<「死にたい」ということ>

「死にたい」には色々な意味があります。「仕事でミスをした」「人から嫌われている気がする」「寂しい」「眠れない」「お腹が減った」「暇すぎる」「疲れた」「社会の役に立っていない気がする」など。このようなことを全て「死にたい」の一言で表します。「死にたい」は魔法の言葉でありとあらゆる苦痛を表現できる言葉だと思っています。

<なぜ、薬をたくさん飲むのか>

薬を飲むということの裏には意図があって、「自分はこんなに苦しんでいる」という周囲へのアピールになります。そのため、ビタミン剤をたくさん飲んでも意味がありません。自分の体を害するような薬でなければダメです。そして、数が多ければ多いほど、自分の本気度が伝わるので、多いほうが好ましいです。

<多量服薬のサイクル>

昼間にどこにも行くあてがないとき、バイトの面接に落ちたとき、特に何もないけど、暇でイライラしているとき、「死にたい」という言葉で周囲に表現します。周りの人たちは「死にたい」と聞いて慌てます。苦しい状態から逃れられない時、自分の苦痛を多量服薬という「魔球」で表現します。私が伝えたいのは「昼間暇で寂しい、バイトに落ちて悲しい」ということなのに、相手の人は「多量服薬」という「魔球」で投げ返されるので、どう対応していいかわかりません。

多量服薬をすると、救急車で運ばれて入院することになります。そうすると、今までやることのなかった私は「患者」になることができて、目的ができます。病院では看護師さんたちが私についてくれて、優しく接してくれるので、嬉しくなります。胃洗浄や人工透析などもありますが、自宅に1人でいるよりはずっとましです。

一週間くらいで、治療は終わってしまい、そのあとは精神病院に入院することになります。精神病院に入院すると「退院」という目標ができます。目標のために、真面目に入院生活をこなします。

退院して、自宅に戻りますが、自殺未遂により、主治医や家族、友人からの信頼を失います。入院中にはたくさん周りに人がいたのに、退院するといなくなってしまって孤独に陥ります。そして、「人生の目標」がない状態に再度置かれます。やるべきことや、行くべき場所が見つからず、イライラしてしまって、また多量服薬を繰り返してしまいます。

<自分の助け方>

「死にたい」が口癖になってくると、「なぜ、死にたいのか」をあまり考えなくなってきます。一度、支援者の人に、「死にたい」と電話をした時に、「お腹が減っているんじゃないの」と言われ、作り置きしていたカレーを温めて食べたら死にたい気持ちがなくなったことがあります。私の体が空腹により、誤作動を起こしていました。

今までは、いつも、自分1人で苦労を抱え込んでいました。相談することもできず、困り果てたのちに、「多量服薬」という「魔球」を使って、SOSを発信していました。しかし、多量服薬で人と繋がったり、SOSを出すのはお金もかかるし、体もボロボロになります。これからは、言葉で人に自分の苦しみを伝え、信頼できる支援者を見つけることが大切になってくると思います。

私は現実の苦労から逃げて、病気の苦労に依存していました。現実の苦労はボリュームがあり、対応するのが困難なのです。仕事を探すこと、仕事を続けること、人間関係、そのほかに、暮らしを維持するためには、掃除をしたり、ゴミ出しをしたり、そういった細かな問題もあります。そういった現実の苦労のことを考えると、処理しきれなくなって病気の世界に逃げます。しかし、病気の苦労ばかりを背負わずに、現実の苦労と向き合い、恐れずに他者とつながることが大事だと思います。

人と共に生きること、孤立しないようにすること、暇な時間をうまくやり過ごす術を持つことが肝要です。

<この研究を振り返ってみて>

この研究は私が33歳くらいの時に行った研究です。この研究をしてからは、多量服薬をしていません。現在、仕事をしており、昼間に暇になることが減ったせいか、「死にたい」という気持ちは昔に比べたら随分減りました。今、当時を思い返して思うのは、私にとって、生き延びるために多量服薬は必要なものだったということです。それくらい、私は人生において、することがなく、社会に居場所がありませんでした。私は、多量服薬する精神疾患の患者としてでもこの社会での立場を得たかったのだと思います。

今は仕事を持ち、文章の仕事ももらえているので、随分と状況は良くなりました。この良い状態が長い間持つようにと祈るばかりです。そして、ダメになってしまった時には、この研究を思い出そうと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

忘れられがちだが、病気を治す主体は当事者である。だが、病気は医者が治すものだと思っている人は多い。浦河べてるの家の医者、川村敏明医師は「治せない医師」を標榜しているそうで、とても好感が持てる。

病気というものはきちんと意味を持っている。栄養が取れてなくて疲れているときに、風邪を引いてしまうということは、体が「休ませてくれ」と言っているのだ。そして、うつ病や統合失調症にも意味がある。私の多量服薬にも漫然と意味があった。病気を嫌なものとして、排除しようと躍起になっていたが、病気が語りかける言葉に耳を傾けることは大切なのだと最近実感している。

当事者研究は最近、広がりをみせていて、べてるの家以外の場所でも取り組まれるようになってきた。研究という言葉はワクワクする。あらゆる権利や未来を奪われてきた当事者がもう一度言葉を取り戻す手段として、もっと広まりを見せて欲しいと願う。