第7回 エロ表現は規制しなくていい

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

女性として生きていると、辛いことがたくさん起こる。私は短大生の時、ひどい痴漢にあっていた。満員電車の中で、私の太ももの間に手を入れてきたり、背中に熱いペニスを押し付けられたりした。電車が空いてきてから、私が他の車両に移動しても追いかけてきて、ペニスを背中に押し付けてくるのだ。私は背後の男性の顔を見ることもできず、ただ、震えていた。今思えば、安全ピンを持ち歩くようにして、ペニスに刺してやればよかったと思う。私は今だに、痴漢に遭っていたあの電車に乗ると動悸がするので、乗るのを極力避けている。

短大生の頃、飲み会の後に、夜道を歩いていたら、足音が近づいてきた。同じ方向に向かっているのだろうと思って気に留めていなかった。しかし、その男性は周囲に人がいなくなったら、走って私に近づいてきて、後ろから抱きつき、私の口を塞ぎ押し倒してきた。私は驚きと恐怖で腹から声を出したが、口を塞がれているので、誰にも届かない。このままレイプされるんだろうか。ひょっとしたら殺されるかもしれない。男は私のスカートの中に手を入れて、下着の上から性器を触った。その瞬間、近くの一戸建ての人が騒ぎに気がついて出てきた。男は一目散に走り去った。一戸建てに住んでいる人は「警察を呼びましょうか」と言ったが、私は体に力が入らなかったのと、早く家に帰りたかったので「いいです」といって、ふらふらと家に帰った。なんとか家について横になったものの、やはり、このことは警察に届けたほうが良いのではないか?と思い、次の日に警察に行った。

駅前の交番で昨日あったことを話す。男の警官に自分の暴行被害を話すのは苦しかった。そして、男は何をしてきたか、と執拗に聞いてきた。具体的に話してくださいと促され、とても困った。「スカートの中に手を入れられました」くらいしか言えなかった。どこらへんで痴漢に遭ったのかと聞かれ、地図を出されて指し示すように言われる。「この辺りです」というと、「あー、最近よく出るんだよね」と他人事のように言った。結局そのまま帰された。私は警察に行かなければよかったと思った。

所属している大学のサークルの人たちにこの話をしたら、「夜遅くに1人で歩いているのがいけない」と言われて、「防犯ブザーを買ったらどうか」と言われた。私は量販店で防犯ブザーを買い、1年間、毎日防犯ブザーを手にして家まで全速力で走って帰宅した。息をゼイゼイ切らし、被害者の自分がこんな思いをしているのが悔しかった。

街中を歩いていると、若い男性にたくさん声をかけられる。それはキャッチセールや何かだと思う。ついて行ったら何をされるのかは知らない。私はそれを全て無視していたが、無視しても、ずっと追いかけてくる人もいる。しまいには道を通せんぼしてきて、行かせないようにするのだ。私はその男の手を払いのけた。男は私に向かって「なんだよ!この豚!」と罵った。道を歩けば、安物の風俗店のティッシュが勝手にバックの中にバンバン入れられる。

私がまだ二十歳そこそこのころ、私はずいぶん男から嫌な目にあっていた。私は自分の姿が女に見えないように努力をしていて、髪を短く切り、なるべくズボンを履いた。それでも被害は減らなかった。

漫画が好き、という理由でエロ漫画の編集プロダクションに入社した。私は男性向けエロ漫画を真剣に読んだことがない。父や兄が持っているのを覗き見している程度だった。

この職場で私は表現規制という問題にぶち当たる。私は企画会議で女子高生を出したいと提案した。自分としては男の人たちは女子高生というアイコンが大好きだからという軽い気持ちだった。しかし、私が編集していた雑誌では女子高生を登場させてはいけないというのだ。多分、未成年という理由だと思う。しかし、男性が未成年の女子高生に欲情しているのは周知の事実である。そのくせ、編集長は「制服を出せ」というのだ。私は散々悩んで、メイドさんを主人公にする案を提案した。年齢は明かしていないものの、10代に見える女の子がメイド服を着てセックスをする漫画を担当した。

私の担当していた漫画はコンビニ流通系だったため、規制が随分かかっていた。仕事のために、よその漫画雑誌を見ると、相手が義母だったり、血の繋がっていない妹だったりという設定もある。男性が家族に欲情するというのは驚きだ。他にも、電車の中で痴漢をしたら、女は痴漢されるのを喜んでいた、というような描写があったりする。「女は男にエロいことをして欲しがっている」という間違った信念があるのだろう。女にも性欲があるのは間違いではないが、正直、電車の中の知らない人には欲情しない。こういう漫画を読むと男の気持ちがわかってくる。あの電車の痴漢たちは私が痴漢されるのを望んでいたと思っていたのだろう。

時々、エロ表現の規制が話題になるが、私はエロ表現を規制しなくていいと思っている。表現を規制することにより、過激な作品が少なくなれば、犯罪は減るのだろうか。私はそうは思わない。すでに、現実の方でおぞましい事件が起こっているのだ。小学生の女の子をレイプして殺害する事件が最近も起こった。妻と子供がいる男性ですら、そういう欲望を抱えているのだ。私の友人は「PTA会長があんな事件を起こして、どうやって子供に説明すればいいかわからない」と嘆いていた。

私はむしろ、漫画家たちに書いてもらいたいと思う。幼い子をレイプしたいという欲望や、実の妹や姉、母に欲情する感情を。男の考えを読み取るために、エロ漫画が必要だ。どれだけ、おぞましいことを考えているのかを書いて欲しい。そうしなければ、私たち女は自衛できない。

それに、私は物書きとしても、表現の規制に反対だ。筒井康隆の「断筆宣言への軌跡」の中に「タブー(禁忌)の多い国ほど未開の国である社会学的事実を思い出さずにはいられない」とあった。

先ほど、自衛と書いたが、私はこれをとても悲しいことだと思っている。自衛はなんとなく、悲しい。相手の暴力を容認しているからだ。それに、女の人は男の人よりも、体力的に劣る。学校の授業で女性にも空手や柔道を習わせた方がよいのだろか。本当は、暴力のない世の中が良いのだが、流石にそれは理想論なのだろう。心ある男性が増えてくれるように願うしかない。

もちろん、全ての男性がおぞましい欲望を持っているとは限らないし、欲望を持っていてもコントロールできている人もいる。その欲望を表に出してしまうのは、男性の中には根っこの部分に女性蔑視があるからだと思う。この社会全体が女性を第二の性として扱っている以上、こういった犯罪は消えないだろう。

しかし、最近の若い人は考えが変わってきている。仕事をしている20代の編集者の男性は自ら料理を取り分けるし、ファミレスで私の分まで水を汲んで持ってくる。「私がしないといけないと思っていた」というと、「小林さんはジェンダーを内面化しすぎです」と言われた。彼のような男性はもっと増えるべきだと思う。それに、私がプライベートで会っている男性たちはとても優しい人たちばかりだ。まだ、私は男性に希望を捨ててはいない。