第8回 精神障害者に雇用を

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

私は現在、週5日で事務のパートをしている。勤めて数年経つが正社員の話は出てこない。

事務局長から「小林さんは仕事ができるんだから、うちの職場より、もっと条件がいいところに就職した方がいい。障害者手帳を持っているんだし、障害者雇用枠で仕事を探してみたらどうか」と何度か言われた。

障害者雇用とは企業や自治体に課せられた制度で、常勤の従業員のうち一定割合の障害者を雇用することが義務付けられている。しかし、雇用しなかった時の罰則はなく、一定額の納付金さえ払えば行政からのお咎めはないとされている。逆に一定比率以上の障害者を雇えばお金が国から支給されるのだ。

私も一生パートで暮らすのは心もとない。生活するので精一杯で、貯金もあまりできていない。特に、アパートの更新料が厳しい。ボーナスがもらえない生活というのは余裕が生まれない。10年使い続けたバスタオルを買い換えるのも躊躇してしまうくらいだ。私は転職を考え始めた。年齢的に厳しいかもしれないけれど、障害者枠で正社員になれないものだろうか。

職場から、そう離れていないところにハローワークがある。私は仕事が終わってから、ハローワークに通い出した。ハローワークカードを作ってもらい、障害者の求人を探す。障害者だと、通常の求人よりも給料が安いと聞いていたが、確かに月給18万くらいのところはなかなかみつからない。転職するなら今よりも条件がいいところに行きたいと思うのが人間だ。2箇所だけ条件のあうところを見つけた。求人票をプリントアウトする。窓口で履歴書の書き方の冊子をもらう。書き終わったら見せてくださいといわれ、帰途についた。

自宅で、冊子を見ながら履歴書を作成する。自分の履歴書を書くのは久しぶりだ。資格の欄に何も書けないのが情けない。職歴も空白が目立つ。しかし、今働いている職場を書くことができたのは誇らしく感じた。職務経歴書も見本を見ながら書き始める。自分に自信がないので、こういった類のものを書くのはとても苦手だ。それでもなんとか、立派な言葉を並べ立てる。

次の日に、ハローワークに行って履歴書と職務経歴書を見てもらう。何箇所か直してもらう。今までハローワークに来たことがなかったけれど、こういう風に指導してくれるのは本当にありがたい。短大生の時の就活は学校が何もしてくれなくて、自分の就活があっているのか間違っているのか、わからなかった。ハローワークの職員が直した履歴書と職務経歴書を読み返すと自分はとても立派で、どこにでも受かりそうな気がした。

希望の会社に書類を送るが送り方にも気を使う。プリントアウトした書類を止めるホチキスが曲がらないように気をつけたり、書類をクリアファイルに入れたりした。書類だけでも通りますように、とポストに投函しながら願ったが、一週間後にお断りの手紙がきた。その後も、何社か書類を提出したが、一向に受からず、転職の意思が揺らいだ。

それでもめげずに、ハローワークで求人を探していた時に、障害者専門の合同面接会の情報を職員の人が教えてくれた。一社ずつ書類を送るよりも、一気に面接した方が効率はいい。これなら可能性があるのではないかと思い、私は古いリクルートスーツを引っ張り出して、勇んで会場に出かけた。

朝早く電車に乗り、会場に向かう。会場の前には、私と同じようにリクルートスーツを着た人たちがたくさん並んでいた。これがみんな障害者なのだと思うと、ちょっとびっくりした。傍目にはどこに障害があるのかさっぱりわからない。まあ、私も同じように他の人からは見えているのだろう。

合同面接会の開会式が始まった。

司会者が放送で、

「どのような障害を持っていても、差別は許されません。企業の方も障害の種類によって差別をしないようにしてください」

という注意を会場に流していた。

私はあらかじめ目星をつけていた会社の面接チケットを取りに行った。月給が18万円の特例子会社だ。特例子会社とは企業が作った障害者だけの会社で、障害に配慮してもらえると言われている。私は急いで面接のカードを取りに行ったけれど、もうすでに一枚も残っていなかった。めげそうになるが、他にも気になる会社があるので、そこに向かう。まだ、カードを配布していたので、ホッとする。列に並び、面接に挑む。志望動機を聞かれ、あらかじめ用意していた言葉を口にする。私は背筋をピンと伸ばし、目線を相手の鼻のあたりに向けて、堂々と喋った。面接官は私の履歴書を見ても、あまり質問をしてこなかった。あっという間に面接が終わってしまい、私は物足りなさを感じた。

「何か質問はありますか?」

面接官にそう問われ、私は言った。

「御社では、精神障害者を雇用した経験はありますか?」

面接官は間髪入れず、

「ありません」

と答えた。私はやっと理解した。面接官があまり質問してこなかった理由を。私が精神障害者だからだ。私はお辞儀をしてその場を離れた。

私はバカだと思う。なぜ、もっと早く気がつかなかったのだろう。障害者といっても種類があり、その種類の中で、精神障害者は一番下だということに。企業が欲しいのは定期的に通勤ができて、仕事をそつなくこなす障害者なのだ。身体障害の人は企業のニーズに応えることができる障害者だ。メンタル面で問題もないし、パソコンの技術にも問題がない。もちろん、身体障害の人は、職場のインフラを整えないといけないが、きっと、インフラを整えてもそれ以上の働きが精神障害者よりもできるのだろう。もちろん、どの障害を抱えている人にも、それによって様々な苦しみがあるのだが、就職では精神障害者は不利だ。

それに、最近、障害者雇用の義務に、精神障害者が加わったのだが、これは裏を返せば、今まで、企業は精神障害者を雇用するのを避けていたということに取れる。国が雇用を義務付けなければ、企業は取ろうとしないのが、精神障害者だ。

精神障害者は、調子に波があり、休みがちになることもあり、どう対応したらいいのかわからないという企業の人がほとんどだ。精神疾患の正しい知識はメディアから与えられず、入ってくるのは凶悪事件が起きた時の精神鑑定という情報なのだから恐れるのも仕方がない。ネットでは精神疾患に理解のある記事を見かけるが、読みにいく人はもともと興味があり、好感を持っている人なので、そうでない人はクリックしないと思う。

私はなんだか、落ち込んでしまって、会場をウロウロした。全く面接の人がきていない企業があって、気になって、なんの会社か調べてみた。有名な会社だけれど、月給が11万とあった。11万と言ったら生活保護費以下だ。どうやって暮らすのだろうか。障害者雇用枠の会社はどこも給料が15万とかそれくらいのところが多くて、私はうんざりしていた。15万では生きるだけでやっとだ。障害者年金があれば余裕で生活できるけれど、働くと年金が切れると耳にするので、できれば、年金がなくても、生活できる給料のところに行きたい。

しかし、そんな企業など見つからないし、精神障害の自分は不利だ。ただ、精神障害者には一つ手があって、病気を隠しての就職という手もある。クローズと呼ばれている。けれど、私は、健常者と同じくらい働ける自信がないし、主治医は平日しか診ていないので、早々に諦めた。

私は現在、障害を持って働いている。パートタイムで短い時間だけれど、勤続年数も増えてきて、5年以上は経っている。毎日の仕事は単調だけれど、嫌いではない。毎日お弁当を作っているし、休日は銭湯に出かけたり、市営プールに泳ぎに行ったり、好きな映画を見たりしている。

思えば、実家で母と引きこもっていた時や、デイケアしか行く場所がなかった時に比べて信じられないくらい元気になった。昔は、一生、母と死ぬまで暮らさなければならないことに絶望して、多量服薬を繰り返していた。生活保護を受けて一人暮らしをしていた時でさえ、デイケアしか行く場所がないことが嫌で、逃げるように薬を大量に口に放り込んでいた。

自分の回復を思うと、障害者にこそ、労働が必要なのだと思う。仕事をすることによって社会とコミットし、孤独という病に襲われないですむのだ。そして何より、仕事をしてお金を得るということは尊いことだ。

精神障害者は働けないのではなく、働く力が健常者より少ないのだと思う。健常者の働く力が10だとしたら、5とか3くらいなのだ。それくらいしか働けないのなら、働かなくていいというのは国にとっては損失だと思う。今まで0だった労働力が5や3になるなら、働いてもらった方がいいのではないだろうか。当事者にとっても、引きこもったりすることなく、仕事ができるようになるのは、誇りにもなり、良い効果が生まれると思う。

だからと言って、賃金を安くするのは当事者から自立の機会を奪うことになる。やはりここは、国が一定の収入を保証するべきではないだろうか。賃金では足りない分の一人暮らしのお金を福祉で保証することによって、地域で暮らせる障害者は増えてくる。それが、難しいのなら、公的な住宅をもっと増やすことだ。日本の住宅はあまりに高い。市営住宅や県営住宅は倍率も高く、不便なところにある。私も県営住宅にずっと応募していたが、倍率が100倍なので、何年経っても受からず、諦めた。

貧困に陥りやすい障害者にこそ、住宅を含めた手厚いサービスが必要不可欠であり、親殺し、子殺しなどの凄惨な事件を防ぐ一歩なのだと私は考えている。