第14回 兄の結婚

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

私には兄がいる。年は3つほど離れていて、仲はあまり良くない。他の兄弟がどのようなものか知らないが、私と兄はお互いの趣味が全く違うし、性格も違う。私は内向的であるのに対し、兄は社交的だ。友達も多く、高校生の頃は車に乗って友達とスノーボードによく行っていた。私はその頃、家で、ドフトエフスキーなんかを読んだりしていた。

兄は学校では目立つタイプだった。昔でいうところのヤンキーというやつで、短ランといって短い丈の学ランを着て、ボンタンという幅の広いズボンを履いていた。短ランの裏地は紫で、先輩に譲ってもらったと兄が自慢して見せてきたが、私は「ダサいなあ」という感想しか生まれなかった。それを言ったら怒られるので、「かっこいいね」と心にもないことを言った。

私は兄のことが嫌いである。なぜかというと、兄は私が小さい頃、私のことをずいぶん酷くいじめたからである。一番ひどかったのは、私が小学生の頃で、無言でなんども激しく叩いた末に、裸足のまま家の外に出されて鍵をかけられたことである。私は声が枯れるまで泣き、たまたま来ていた保険のおばさんの助力でなんとか家に入れてもらえた。兄がなぜ私のことが気に入らなかったのかはよく分からないが、心当たりとしては私がいじめられっ子だったからだと思う。人気者の兄にとっては妹がいじめにあっているというのは恥だったのだろう。私は家に遊びに来ている兄の友達からも、私がトイレに入っている時間が長いという理由で「ゲリオ」(下痢をしていると思われた)というあだ名を付けられて、兄も妹の私のことを「ゲリオ」と呼んで笑った。

兄と遊んだことと言えば、家にあったスーファミでゲームを一緒にしたことくらいだ。兄はゲームが好きで、いろんな種類のハードやソフトを持っていた。ゲームは兄の所有物なので、あまりやらせてもらえず、ゲームをやるために兄のご機嫌を取らねばならなかった。兄に「お前にもやらせてやるからソフトのお金を出せ」と言われて、五千円くらい出したのだが、ゲームを買った痕跡もなく、やらせてもらえることもなかった。兄は兄として私を搾取し、私は力の強い兄の下、ただ、平伏するのみであった。

そんな兄だが、高校生になってから、急に兄貴風を吹かせたくなってきたらしく、欲しいものはないかと聞いてきて、私が適当に言った文房具のセットを買ってくれたことがある。他にも、私が自殺未遂をして、実家に戻ってきたときにくれた手紙には「病気で辛いと思う。えりこが働けるような店を作ろうと俺は考えている」と言ったような内容の手紙をくれたりした。兄は年をとってからようやく兄になったのだけれど、私は過去の陰惨ないじめを忘れることができず、その手紙をまともに読めなかった。私はどちらかというと心が狭く、過去に罪を犯した人を許すことができない性格だった。

そんな兄が結婚することになった。結婚相手は仕事先の人で、兄より4歳年下だった。兄が結婚すると聞いて、私はああやっぱりか、と思った。兄はいつでも道の真ん中を歩いているような人だから、結婚ができないわけがない。妹を殴り、短ランを着て、仲間とスノーボードに行ける人間は結婚できる。そして、私はこの頃、自宅に引きこもって自殺未遂と入退院を繰り返していた。病気を治すためにと飲んでいる薬は1日で30錠を超え、薬の副作用で体はぶくぶくと太っていた。兄は結婚できるけれど、私は一生できないだろうと直感的に考えて、私は悲しくなった。陰と陽のような私たち兄弟。

兄の結婚が決まってから、母は何度か相手のご両親たちと会ったりして、忙しくなっていた。私は家でただぼーっとして過ごしていた。

そんな日々がしばらく続いたある日、母が突然私に切り出した。

「エリちゃん、お兄ちゃんの結婚の話がなくなるかもしれないの。エリちゃんの病気のことで、相手のご両親が心配しているのよ」

私はびっくりした。今の時代に、親戚に精神疾患の患者がいるからと言って、結婚がなくなるなんてことがあると思わなかったからだ。兄のことは嫌いだが、結婚がなくなるのは流石にかわいそうだ。兄を思いやると同時に深く傷ついている自分もいた。自分は今、差別を受けているという実感が後から少しずつ湧いてきて、胸のあたりにジワリと影を落とした。

「それでね、相手のご両親がエリちゃんと会ってみたいっていうの。お食事をしようと思うんだけど、一緒に来てくれる?」

母は少し申し訳なさそうに続けた。私は断る理由などなく、快諾した。

相手のご両親との食事は和食料理屋で行われた。私はこの日のために綺麗な洋服を買った。席に着き、兄の結婚相手のご両親と挨拶をする。兄も、兄の嫁になる人もいない。私と、母と、結婚相手のご両親だけ。少し奇妙な食事会は私のために執り行われている。母は相手のご両親とちょっとしたことを話したりしている。その横で私はただ、黙々と箸を動かしているだけだった。けれど、とても慎重に箸を動かし、咀嚼し、水を飲んだ。私の一挙手一投足が兄の結婚の行く末を決めるのだ。汚く食べたり、変なことを口走ったりしてはいけない。私は緊張しながら1時間半に及ぶ食事会を終えた。家に着くとぐったりして、すぐに布団に横になった。しばらくして、兄の結婚が無事に執り行われることを母から聞いた。私は自分の役目を果たしてホッとした。

結婚式はチャペルで行われた。兄と花嫁がしずしずと牧師の前に行く。誓いのキスをする二人。兄のキスシーンを見るのは変な気持ちだ。満面の笑みをこぼす兄と花嫁。それを見ていると自分が精神疾患で、この二人が別れることになるかもしれなかったことが、申し訳なく感じてしまう。

披露宴会場に移動した。父は出てきたワインを何回もお代わりしてすでにベロベロに酔っ払っていたが、母は綺麗な着物を着てシャキッとしていた。私は太った体でぼんやりとワインをぐびぐびと飲んでいた。会ったことのない兄の友達が祝辞を述べ、お祝いの歌を歌う。花嫁の友人も出てきて祝いの言葉を述べる。目の前で盛大に行われている披露宴がなんだか茶番のように思えてしまう。本当にこれは必要なものなのだろうか、そう自分に問いかけながら、どこかで憧れている自分がいた。

私が誰かと結婚をする可能性は極めて低い。私は精神障害者なのだから。人間は持っていないものが欲しくなる。昔は結婚なんて絶対にしたくないと思っていたが、徐々に考えが変わっていった。花嫁がお色直しで着た赤のドレスは派手で下品だが、美しかった。燦然と幸福を輝き放ち、人生の最高潮である今を映し出していた。私にはあのような瞬間がくることはないのだということを噛みしめるとますますドレスの輝きは激しくなり、私は気分が悪くなった。涙が出るのを必死にこらえる。私はなんでここにいるのだろう。私は拒まれた人間なのだから欠席した方が良かったのではないか。意識を飛ばすためにワインをお代わりして、ぐいと飲み干し、目を瞑る。早く時間がすぎてくれればいい。私は感情が爆発するのを必死にこらえた。結婚式を汚してはいけない。

披露宴が終わって、二次会のカラオケ店に移動した。私の家系は親戚付き合いをしないのだが、結婚式には流石に現れるようだ。けれど、ほとんどが知らない顔ばかりだった。母親の元にくる年賀状に写っている従兄弟たちの顔を思い出すが、小さなハガキに印刷された顔では判別がつかない。陽気に歌う従兄弟の歌を聴いていると、徐々に呼吸が苦しくなり、居ても立ってもいられなくなって、母に訴えた。

「お母さん、具合が悪い。家に帰りたい」

結婚式が始まってからもう5時間以上経っていた。私は十分頑張ったと思う。母はタクシーを呼んでくれて、一緒に乗り込んだ。私はヒューヒューと息をする。発作が出ないか心配だ。よろよろと母に抱えられながら、自宅に着く。私はワンピースを脱ぎ捨てて、声を上げて泣いた。涙が出るたびに、私はものすごく我慢をしていたのだとわかった。しゃくりあげて肩を震わせてなく私を母はただ眺めるだけだった。私は自分が惨めで仕方なく、消えて無くなりたいと願った。兄は結婚したけれど、きっと、結婚後は、大した交流を持たせてはもらえないだろうし、私も持ちたくない。私を差別し、拒否した人と分かりあいたくもない。私はぎゅっと体を屈めて自分の体を抱きしめた。自分を守れる人は自分しかいないのだから。