1 コントロールという敵――バロウズの愛したキツネザルたち

新反動主義も加速主義もミームも等しくハイプ(Hype)でしかない。だが、そうしたハイプはハイパースティション(Hyperstition)として世界に介入し、この現実を改変していく。というのも、畢竟この世界それ自体がハイプでありハイパースティションに他ならないからである。

ハイプ(Hype)、意味は「誇大な広告」、「詐欺」。だがもう一つ、(hypodermicの短縮形として)「皮下注射針」、「麻薬常用者」といった俗語的な意味もある[1]

ならば、ウィリアム・バロウズこそはハイプの、いや、ハイパースティションの帝王であると言えよう。もちろん、90年代のCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)はそのことに気づいていた。『Ccru: Writings 1997-2003』に収められたバロウズ論「キツネザルたちの時間戦争(Lemurian Time War)」では、ウィリアム・バロウズはラブクラフトと並んでハイパースティションの先駆者として特権的な地位を与えられている。

Hyperstition。Hyper(超える)とSupersititon(迷信)の合成語(もちろんそこにはHypeの木霊も反響している)。それ自体を現実化させるフィクション。ある種の予言として。ある種の現実を書き換えるために記号を操る魔術的実践として。

「キツネザルたちの時間戦争」は、ウィリアム・ケイ(William Kaye)という偽名の人物による一種のバロウズ講義を軸に展開していく。ケイは、ポストモダン文学論に収まらない、ハイパースティションの次元を探索した作家としてのバロウズを顕揚する。

ケイは、バロウズにおける現実とフィクションの等式が、ほぼそのネガティブな側面しか受け入れられなかったことは決して偶然ではないと主張する。すなわち、ポストモダン的な存在論的懐疑主義という側面である。だがそうではないポジティブな側面がある。それは顕示と呪文の魔力への探査――すなわち潜在的なものの効能。[2]

ポストモダニズムが示すテクスト論にあっては、端的にテクストの外部は存在しないものとみなされる。記号(シニフィアン)が示す対象は、現実の世界に存在する具体的な対象ではなく、常にすでに他の記号(シニフィアン)に差し戻される。シニフィアン連鎖は記号から成る鏡地獄を形成する。よって、ポストモダニストによるテクスト相対主義では表象的リアリズム(Representative realism)から一歩も抜け出すことができない。

表象的リアリズムの転覆を構成することから遠く離れて、ポストモダン的な指示対象なきテクストの賛美は、ただ表象的リアリズムが開始されるプロセスを完成させるだけでしかない。表象的リアリズムは、書くことをいかなる活動的(active)な作用からも切り離す。そして書くことを、世界への介在ではなく、世界の再現という役割に引き渡す。そこから無垢なテクスト性という次元まではほんの数歩だ。そこにおいては、ディスコースから独立した世界は完全に否定されるのである。[3]

ハイパースティションはまさしくこの表象的リアリズムの構造を転覆させる。それ自体を現実化させるフィクションとしてのハイパースティションは、「書くこと」を受動的な再表象に使役させるのではなく、「変容を司るアクティブな行為者として、すなわち存在がそこから立ち顕れるゲートウェイとして作動させる」[4]。「真理は存在しない。なぜならすべては生産の下にあるからである」。[5]

バロウズはポストモダニズムにおける表象的リアリズムからどこまでも逸脱していくだろう。というのも、彼はテクストではなく武器を作っていたのだから。テクスト内の物語に武器が現れるということではない。それは武器の表象であって武器それ自体ではない。そうではなく、バロウズはまさしく武器それ自体をタイプライターを用いて製造していたのだ。それは世界に介在し、そして世界を変容させる。変容させることができなければ、武器に意味などない。バロウズはどこまでもプラグマティックな作家だった。

また、バロウズはあるときそれを正確にも「魔術」と言い換えるだろう。バロウズは、すべての芸術は起源において魔術的なものだったと述べる。

そして、魔術的というのは、きわめて具体的な効果をもたらすことを意図している、という意味だ。書くことと描くことが不可分な状態にあったのが洞窟画だが、それは狩りの成功を目的としていた。芸術は芸術自体を目的とするものではなく、本来は機能をもったもの、何かを起こすことを意図するものだった……。[6]

「表象」ではなく「効果」を志向すること。「何かを起こす」ために書くこと。バロウズにとって、もう敵を殺すという目的を果たしていないヴードゥー人形のお土産は無価値でしかないのだ。

バロウズがもっとも標的とした敵は、彼が「コントロール」[7]と呼ぶものだった。バロウズは「コントロール」の図式を麻薬の密売人と常習者との関係として当初は捉えていた。密売人は買い手を徐々にアディクト(中毒)させていくことでコントロール下に置く、等々。しかし、バロウズによるこのコントロールの図式は次第に様々な事象に敷衍化されていき、しまいには官僚と市民の関係、または人間と言語の関係といったスケールのでかい抽象的な話になっていく。たとえば、バロウズによれば言語とは地球外から送られてきたウィルスであって、それは人間という宿主に寄生して言語ウィルスのコントロール下に置くのだという。もちろんバロウズは、そこからの解放を目指していた。

バロウズは、アレン・ギンズバークに宛てた手紙の中で、「事実を変更する」ための何らかの「利用可能な技術」へのアプローチを強調している。この点、「超越的な変化」を志向していたビート作家やそれに続くヒッピーらとはバロウズは一線を画している。バロウズにとって焦眉の問題であったのは、「超越的な変化」ではなくどこまでもこの世界における「実際的な変化」だったのだ。[8]

それでは、バロウズによる「利用可能な技術」とは、言い換えれば「コントロール」という自由の敵を打ち砕くための実践的な武器(あるいはテクノロジー)とは一体なんだったのだろうか。それがいわゆるカットアップと呼ばれるものである。バラバラに切り刻まれたテクストは、単線的な言葉の流れにランダムな要素を導入することで文法や意味のコントロールから解放される。ランダム化によって、作者の意図も言葉の意味も超えたところに未知の隠された意味の次元が発生するのではないか。少なくともバロウズはそのように考えた。[9]

その未知の隠された意味とは、「コントロール」側の手先が暗号のように埋め込んだものであるかもしれない。「コントロール」側の勢力は、テクストに隠された暗号の次元を介して膨大な量のコミュニケーションを行っているのだという。そうであるならば、サブリミナル的暗号を暴露するカットアップの技術=テクノロジーは、そのような「コントロール」側の勢力の意図を暴くことによって、抵抗の拠点となりうる。それは翻せば、暗号化したメッセージを伝達することで敵をくじく武器としても使えるということでもある。[10]敵の武器を「我有化」すること。敵の武器の照準を、そのまま敵の方向に向け変えること。

だから当然、カットアップは単なる小説技法になりえようがなかった。60年代、カットアップをしきりに行っていたバロウズは、一方でテープレコーダーを使った音声のカットアップといった数々の実験をはじめる。そのテクノロジーは、「コントロール」に抵抗するためのサブリミナルな武器として想定されていた。[11]

だが70年代に入ると、バロウズは「コントロール」からの解放というテーマを自身だけのものに限定しなくなるように見える。言い換えれば、バロウズは個人主義を捨て去るように見える。「コントロール」の一般モデルを破棄するためには、局所戦ではなく、社会全体を取り込んだ改変が要請される。すべての人間が脱コントロールを果たすことで、現在の社会を支配するコントロールのヘゲモニーは瓦解する。いまや「コントロール」はさながらヘゲモニー闘争の様相を呈してくるのだ。そして、その際にバロウズが利用を想定していたのが新聞やテレビといったマスメディア、あるいはテープレコーダーのようなテクノロジーだった[12]

一九六六年、まず「IT」に、それから「ロサンゼルス・フリープレス」に載せた私のエッセイ「見えない世代」の中で、こういうことができるのではないかと考えた。つまり、何千もの人々が録音再生機器――携帯用であれ定置用であれ――を使ってメッセージを、合図の太鼓のように伝達できるのではないかと。大統領の演説のパロディーの音声をバルコニーに、公園やサッカーグラウンドに、開け放たれた窓に、壁越しに、中庭に流し、その音声の中に犬の吠え声、くだらぬたわごと、音楽、風の吹く道を行き交う人や車の音を混ぜたりして。幻想や錯覚は革命の武器である。あらかじめ録音しておいたカットアップのテープを革命の武器として、路上でプレイバックさせる方法もあると指摘したい。[13]

上に引いたのは、バロウズの「電子革命」(The Electronic Revolution)という短編の冒頭である。ここでバロウズが示しているのは、ノイズによる社会=世界への介入である。体制側の「コントロール」によるコミュニケーションを逆利用し、かつそれを歪めつつ別の方向に差し向けること。テープを違う速度で再生し、切り刻み、テキストやテープを再結合させ、録音した音を公の場で流しサブリミナル効果を発生させる。[14]こうした手法はのちにキャバレー・ヴォルテールといったインダストリアル・ミュージシャンによって取り入れられていくことになるのだが、それはともかく。[15]

言語をウィルスとして唯物論的に捉えていたバロウズは、「電子革命」の中でも言語を単に人間間を媒介し意識に一定の作用を及ぼすものとして捉えていた。たとえば、噂を拡散させる武器としての言語ウィルス。

念入りに録音したテープを持った十名の工作員をラッシュアワーに放ち、そのテープをプレイバックさせると、いかに速く噂が広がるかがわかる。どこでそれを聞いたのかわからないが、聞いたという事実は残る。[16]

さらに、バロウズはテクノロジーによって我有化した言語ウィルスを、暴動を起こし、暴動をエスカレートさせるための最前線用武器としても利用できると見抜いていた。

この武器を利用する作戦にはなんら秘儀めいた要素はない。音響効果が暴動的状況を伝えれば、本当の暴動を引き起こすことは必至である。警官の鳴らす録音されたホイッスルが警官を呼び集める。録音された銃声を聞いて警官は拳銃を抜く。[17]

他にも、テレビやラジオ、新聞といったマスメディアに介入を行うことによって、マスメディアの敷く連想ラインを混乱させ、サブリミナルを混入させ、無力化させる長距離用武器としてのカットアップが提唱される。

バロウズの「コントロール」に対するカウンター・ヘゲモニーは、現実を混沌に陥れるだけではない。そこではすべての過去の事実――歴史も消え去っていく。あるいは書き換えられていく。

虚構から成る日刊紙は過去をさかのぼってサンフランシスコ大地震やハリファックス大爆発を、ジャーナリズムの捏造だとして抹殺できる。不信感が広がり、あげくのはてに歴史上の事実をことごとく消滅させてしまう。[18]

バロウズにとって、事実とは記録されたものの総体であり、それ以上のものを意味していない。記録を書き換えれば、事実もまた書き換わり、それは未来を改変させる結果となるかもしれない。あるいは記録を抹消すれば、事実もまたこの宇宙から永遠に消え去るはずであった。

「Nothing is true. Everything is permitted」(真実などない。なにもかも許されている)――このバロウズの座右の銘はしかし、ポスト・トゥルースと呼ばれる現在でこそより重要な意味を持って木霊する。あるいは、バロウズは現在インターネット上で蔓延しているフェイク・ニュースやミームの台頭を予見していたと言えるだろうか。

もちろん、「コントロール」のヘゲモニーを奪取したのは、必ずしも自由を求める闘士ではなかったことを現在生きる私達は知っている。今やオルタナ右翼はフェイク・ニュースを操り、イデオロギーを伝達するミームをウィルスのように拡散させている。革命は起こらず、代わりにトランプを戴く新たな反動の時代が訪れていた。

ニック・ランドは2017年のインタビューの中で、オルタナ右翼が生み出したミーム宗教「Kekカルト」についてやや興奮気味に語っている。

それ(Kekカルト:訳者注)は非常に面白く、かつ私がまだ充分に考えていなかった何かです。それはあまりに多くの奇妙でランダムな要素の星座を含んでおり、それは信じがたい自律的な自己組織化のプロセスにおいて立ち現れていたのです。

(中略)

そして出来事が起こり、すべてのトロールたち(ここではさしあたり4chanの住人たちを指す:訳者注)は「Kekを讃えよ」と叫んだのです。しかし、それは単なるジョークではない。人はそれについてのすべてを考えないことで、真の強度、あのラブクラフトの怪物から心理的に身を守っているのです。狂った何かがこの自己志向的な巨大なKekカルトとともに起こっていたのです。それは時間を太古にまで連れ戻す。すべての宗教的な反乱はこのようなものであったに違いなく、そしてまた、すべての宗教はここからやってくるに違いないのです。[19]

そして、ランドはこのオルタナ右翼の疑似宗教を「ハイパースティション的な出来事のモデルである」とまで断言する。

Kekカルトの起源は2016年頃にまで遡る。匿名画像掲示板4chanの/pol/(いわゆる政治板)、そこではスレッドに書き込みをした際、8桁の通し番号が識別子として用いられる。キリ番の際には寿ぐ意味で「Kek」というスラングが使われた。この「Kek」、もともとはオンラインゲーム『World of Warcraft』で韓国人プレイヤーが「笑」を表すネットスラングであったという。

その「出来事」は2016年6月19日に起こった。そのとき「77777777」という、/pol/創設以来の大きなキリ番が迫っていた。そして、そのキリ番を獲った者の書き込み内容が「トランプは勝利するだろう」というものだったのだ。さらに、キリ番を寿ぐ「Kek」という言葉の意味を住人がウィキペディアで調べたところ、まったく同名の古代エジプト神、それも「混沌」を司る神が発見されたのだ。偶然はそれだけではなく、おそるべきことにそのエジプト神は蛙の頭を持つ神だった。当時の4chanではカエルのペペという蛙のカートゥーン・キャラクターのミームが覇権を握っていた。カエルのペペ、Kek、ドナルド・トランプ、これらの要素が77777777というランダムな数字の羅列と蛙の頭部を持つ古代エジプトの混沌神Kekの浮上によって、まったく別の相貌を帯びてくるだろう。

すなわち、「ドナルド・トランプの勝利」という自己成就予言(あるいはそれ自体を現実化させるフィクション)を内に含みこむ疑似宗教Kekの誕生。それはさながらハイパースティションの如く、ミームの形でオンライン上を席巻し、予言の自己実現のために不断の自己組織化を行っていく。予言の形を取った選挙運動。未来はすでに決定されている。私達はただそこに赴くだろう。2017年1月20日へ向けて。

***

バロウズは、1995年(ということは死の数年前)に『ゴースト』(Ghost of Chance )という中編小説を上梓している。激しいカットアップもすっかり影を潜め、反対にある静寂さが作品を包み込んでいるようにすら見える。この作品では、バロウズ作品おなじみのミッション船長とマダガスカル島のキツネザルたちとの交流が描かれている。

キツネザル人[20]たちはホモ・サピエンスより古い。それもずっと。一億六千万年前、マダガスカル島がアフリカ本土とつながっていた頃にまでさかのぼる。かれらの考えや感じ方は、基本的にわれわれのと異なっていて、時間や連続性や因果律を指向していない。かれらにとっては、こうした概念は不快でわかりにくいものなのだ。[21]

時間は人間の苦悩である。人間の発明品ではなく、人間の監獄だ。時間がなければ一億六千万年というものに何の意味があるのか? そして食べ物をあさるキツネザルたちにとって、時間に何の意味があるというのか?[22]

一億六千万年前、人間よりも古くからこの地にいるキツネザルたち。ところで、キツネザル(lemur)は現地語で「亡霊」という意味を含んでいる。カットアップを捨て、武器を捨て、道具を捨て、ハイパースティションを捨てたバロウズは、マダガスカル島というこの地で、亡霊というハイパースティションのもうひとつの側面に図らずも辿り着いていた。

この人体の両半身の間の溝と、マダガスカル島をアフリカ本土から隔てる溝には類似性があることを指摘しよう。溝の片方は、魔法にかかったような時間の無垢性へと漂う。もう片方は、どうしようもないまでに言語や時間、道具の使用、戦争、収奪、奴隷制へと向かっていった。[23]

バロウズは、この魔法にかかったような時間の無垢性の中で、多くの亡霊、そしてキツネザルたちと戯れる。言語や時間、収奪といった現代における「コントロール」の戦争から背を向けたバロウズが最後に至ったのはこのような境地だった。一億六千万年前にアフリカ本土から分離されたのを境に一切の時間が凝結してしまったこの島で、彼はキツネザルたちの姿にかつて死んでいった人々の亡霊を見る。

バロウズは時間から抜け出したかった。時間にはすべてが前もって書かれてしまっている。彼がかつて実践したカットアップによる「書き換え」という儚い抵抗は、しかし無限に伸びる時間の流れの中にやがて霧散していくだろう。ならばすべきことは、この時間の流れを止め、一点に凝結させることだ。そうして混沌はやがて終わりを告げ、時間はもう一度その始原へと立ち戻っていく。

黙示録の四騎士が廃墟と化した都市や、放棄されて雑草の生い茂る畑のなかを乗り回す。百万単位で犠牲者が死に、ウィルスは自滅しつつある。

世界の人々はようやく霊的起源に立ち返りつつある。木や葉や流れや岩や空のキツネザル人たちのもとへ。やがて、戦争や狂気の記憶はすべて、夢の痕跡のように消え失せる。[24]

【了】

[1]Weblio 辞書  https://ejje.weblio.jp/content/hype

[2] Ccru: Writings 1997-2003

[3] 同上

[4] 同上

[5] 同上

[6] Burroughs and Gysin (旦敬介『ライティング・マシーン――ウィリアム・S・バロウズ』からの孫引き)

[7] のちにジル・ドゥルーズはバロウズから霊感を受けて「管理社会」というタームを作った。

[8] 旦敬介『ライティング・マシーン――ウィリアム・S・バロウズ』

[9] 同上

[10] 同上

[11] 同上

[12] 山形浩生『たかがバロウズ本』

[13] バロウズ『ア・プーク イズ ヒア』飯田 隆昭 (翻訳)

[14] ポール・ヘガティ『ノイズ/ミュージック』

[15] https://en.wikipedia.org/wiki/The_Electronic_Revolution

[16] バロウズ『ア・プーク イズ ヒア』飯田 隆昭 (翻訳)

[17] 同上

[18] 同上

[19] https://syntheticzero.net/2017/06/19/the-only-thing-i-would-impose-is-fragmentation-an-interview-with-nick-land/

[20] 山形氏の翻訳ではメガネザルとなっているが、明らかな間違いなので修正した。そもそもメガネザルはマダガスカル島に生息していない。

[21] バロウズ『ゴースト』山形浩生(翻訳)

[22] 同上

[23] 同上

[24] 同上

1988年生まれ。中央大学経済学部国際経済学科卒。ブロガー、文筆家。インターネット文化、思想など複数の領域に跨った執筆活動を行う。サブカルチャー批評ZINE『Merca』などに寄稿。また、kzwmn名義で『シックスサマナ』にて「ダークウェブの歩き方」を連載。著書に『ダークウェブ・アンダーグラウンド』(イースト・プレス)、『ニック・ランドと新反動主義』(星海社新書)がある。web