第2回 脂肪よりも筋肉が欲しい

精神疾患、自殺未遂、貧困、機能不全家族など、いくつもの困難を生き抜いてきた著者は、あるとき気がついた。じぶんの生きづらさは、女であることでより深刻化させられてきたのではないか。かつて一ミリも疑ったこともなかった「男女平等」は、すべてまちがいだったのではないか。女であることは、生きにくさにつながるのか? ジェンダーの視点を得ていま語る、体験的エッセイ。

生理が来て、子供時代が終わると、すぐに中学生がやってきた。中学校の制服のサイズを測るため、保健室で一列になってウエストや身長を測る。しばらくすると制服が届いた。私たちの小学校は卒業式を中学の制服で迎える。女子はセーラー服。男子は学ラン。届いたばかりの深い紺色のセーラ服を着てみた。赤いネクタイを胸元で縛る。少し大人になった気持ちがして嬉しかった。

この頃、街中にはコンビニが増え始めた。私たちの日常は急速に便利になった。そして、コンビニの本棚には私と同じセーラー服を着た女の子が表紙にいた。卑猥な言葉とともに、スカートを捲り上げ、ブルマーを見せていた。私は自分の着ている制服がこんな意味を持っているということに驚いた。中学生や高校生はどう考えても子供だ。子供に欲情するこの国の男はおかしいのではないか。しかし、その考えを誰にもいうことなく、ただ、その雑誌の持つ意味を自分の中にしまった。私は気をつけなければいけないということだ。

紺色のセーラー服に袖を通し、白いネクタイを結ぶ。行事の時は赤のネクタイでなく、白のネクタイを結ぶのがしきたりだった。4月を迎えて、黒の学生カバンを持ち、入学式に向かう。校庭の桜は満開で、学校が嫌いな私でも少し嬉しくなってしまう。一陣の風がそよぐと弱々しい桜の花びらがふわりと宙を舞う。体育館に集まり校長先生の話を聞く。新しい制服、新しい学校、新しいクラスメイト。けれど、私の胸はあまりときめいていなかった。小学校からの人が全てなだれ込んでくるので、そんな新鮮な気持ちになれない。ただ、いじめられなければ良いと願っていた。

私は小学校高学年の頃から激しく胸が痛くなった。第二次性徴というもので、胸が膨らみ始めていたのだと思う。時々机に胸をぶつけると、あまりの痛さに動くことすらままならない。じんじん痛む小さな胸。痛むわりには私の胸は大きくならなかった。

初夏になり、夏服に変わった。ジャンパースカートに白いシャツを着て、制服も爽やかになった。体育の時間になると、うっすら女の子たちの下着が透けて見えた。私はこの頃、まだ、ブラジャーをつけておらず、タンクトップの上に体操着を着ていた。しかし、そんなのは私ぐらいで、そろそろブラジャーをつけなければならないと思うと少し憂鬱だった。私は自分からブラジャーをつけたいと母に言わなかったのだが、母の方から「ブラジャー買いに行きましょうか」と言われた。

母と一緒に駅前のイトーヨーカドーへ向かう。下着売り場にはたくさんのブラジャーが花畑みたいに並んでいた。ピンク、水色、白。レースやリボンで飾られたそれらは綺麗だけれど、私とは無関係な感じがした。母は店員さんを呼んで私の胸を測った。私の胸はブラジャーが必要だと思われる大きさではなくて、ほんの少しだけふっくらしているだけだった。母は大人向けでない子供向けのブラジャーから一番小さなブラを店員さんと話しながら選んだ。私は促されるままブラジャーをつけた。胸を締め付けられるようで少し痛むし、アンダーバストの感触がごわごわして気持ち悪い。そんな私の考えをよそに母は「これがちょうどいいわね」と言って、そのブラジャーを買った。

私はそのブラジャーを一度つけて学校に行ったけれど、ブラジャーの違和感が気持ち悪くて勉強に集中できなくなり、つけるのをやめた。それに、女子が男子からブラジャーの紐を引っ張られてからかわれているのを見て、怖くなってしまった。あんな風に馬鹿にされたくない。それに、胸の大きな子には必要な下着だと思うけれど、私には必要ない。私の体は大きいけれど、痩せ気味で体に肉感が全くなかった。

クラスの男子が女子を性的な話題でからかうようになった。

「セックスって知っているか」

ニヤニヤしながら女子に聞いてくる男子。何が楽しいのかわからない。女の子はシカトするか、ぶっきらぼうに「知らない」と言った。そうすると男子は「本当に知らないのかよ!」と言ってゲラゲラ笑う。私は聞かれたらどうしようと怖かった。私はセックスを知っていた。小学生の時、兄にアダルトビデオを見せられていた。その時はあれがなんなのか分からなかったのだが、最近になってあれが何を意味していたのかがわかるようになってきた。父が隠し持っていたエロ本、兄が持っているエロ漫画。その中で行われていることの意味がはっきりわかってきていた。

クラスでは目立たない私にもその順番が回ってきた。

「小林、セックスって知っているか?」

下品な顔をした男子が私の顔を覗き込んで聞いてきた。

「知らない」

私は毅然として答えた。なんでこんな下品なことを聞くことができるのだろう。そして、なぜ、私はこんなにも嫌な目に遭わされても相手を非難することができないのだろう。一発ぶん殴ってやりたいとも考えたが、中学生になって、男子の体つきは男らしくなってきた。女子の方が成長は早いが、女の体は大人になると筋肉でなくて脂肪がつく。私は脂肪よりも筋肉が欲しかった。強い体の方に憧れた。

中学二年生になって、母に塾に行ったらどうだと言われた。地元に根付いた学習塾があり、そこには兄も長いこと通っていた。勉強は学校のだけで十分じゃないかと思っていたのだが、私は数学が全くできなかった。数学や英語は基礎の積み重ねが重要で、基礎がなっていない私は落ちこぼれだった。

塾に通い始めると、禿げた数学の教師から声をかけられた。

「勉強を特別にみてやる。授業が終わったら教室に来い」

私は行こうと思ったのだが、なんとなく気が進まなくて、約束の時間に少し遅れた。そうしたら、教室はしまっていた。家に帰ると兄が話しかけてきた。

「数学のハゲ先生、あいつに嫌われたら終わりだぞ」

私はビクッとした。私はしばらくして、ハゲ先生に謝りに行った。ハゲ先生は「俺のアパートで生徒を教えているから空いている日に来い」と行った。私は塾のない放課後、ハゲ先生の家に教科書とノートを持って訪れるようになった。

ハゲ先生の家は部屋が三つほどあり、独身にしては広いところに住んでいた。私以外にもハゲ先生に勉強を教わっている子達がたくさんいた。私も教科書を広げて勉強を始める。

「どうした、わからないのか」そう言って笑顔で女の子の胸を触りながら声を掛けるハゲ先生。よく見ると、この部屋には女の子しかいなかった。そして、何人もの女の子が胸を触られていた。女の子は「やめてよー」とケラケラ笑いながらハゲ先生をいなす。そんな状態で勉強が行われていた。私もハゲ先生に胸を触られたが、他の子と同じように笑いながら「やめて〜」と言った。そうするのがここでは正しい気がした。そして、ハゲ先生の勉強の教え方はうまかったので、学校で最下位の方だった私の数学の成績は上がり始めた。

同じ塾で、一緒にハゲ先生に教わっている同じ中学の紀子ちゃんと仲良くなった。紀子ちゃんはテニス部だった。学校でたまに会うと、おしゃべりするようになった。紀子ちゃんはテニス部の顧問が厳しくて嫌だとこぼしていた。ある日、嫌な噂が耳に入った。紀子ちゃんが顧問に殴られて耳の鼓膜が破けたというのだ。テニスの試合で負けたことが原因らしい。

「あの顧問、マジで最悪」

紀子ちゃんと同じテニス部の子が口にした。

「そうだね、マジで最悪」

私もそう口にしながら、心の中はぐちゃぐちゃしていた。耳の鼓膜が破れるほど殴るなんてよっぽどのことであるし、これが学校の外で行われたら大きな事件だ。大の大人が中学生女子を殴って怪我を負わせたのだから。しかし、学校の外に出ない限りはおおごとにはならない。私は「マジで最悪」と心の中でもう一度呟いた。紺色のセーラー服は私たちから権利や力を奪う呪いの衣装みたいだった。

学校が終わると塾がない日はハゲ先生のアパートに向かった。ハゲ先生が作った教材をコピーしてみんなに渡してくれる。わら半紙に向かってシャーペンを走らせる。子供である私たちの仕事は勉強だった。ハゲ先生の家は楽しかった。そこいら辺にあるスナック菓子を食べても怒られないし、冷蔵庫の中のジュースを開けても怒られなかった。中学生女子である私たちは勉強に疲れると、お菓子を食べて雑談をした。ハゲ先生は用事があって家にいないことも多かったので、鍵をもらった生徒が勝手に入ったりもしていた。

私と紀子ちゃんは二人でよくハゲ先生の家に行った。勉強もしたしおしゃべりもたくさんした。ハゲ先生は胸の大きい紀子ちゃんがお気に入りで、よく胸を触っていた。四十過ぎのおっさんが中学生の胸を触って笑っている。今思うと恐ろしい光景だと思う。だけど、中学生の私たちは笑って先生を許していた。私たちは子供だけど大人にならないといけなかった。男の人のすけべな行いを笑って許せるのが大人の女なのだ。だけど、私は次第にハゲ先生が許せなくなっていった。本当は胸なんて触らせたくない。これは私の体なのに、なぜ、好きでもない男の人に勝手に触られなければならないのだろう。

「エリコさんの胸はちっさいですねえ」

ハゲ先生が笑いながら私の胸を触った。

「やめて!!」

私はハゲ先生の手を振り払った。ハゲ先生はビクッとして手を離す。

「おー怖い。どうしたんですか」

ハゲ先生は笑いながら、私を見る。私は何も言わなかった。そして、ノートにシャーペンを走らせた。思えば、私は早く、ハゲ先生のアパートから出たかった。けれど、学校の勉強だけでは追いつかなくて、仕方なく、ハゲ先生に教えてもらっていた。塾は有料だが、ハゲ先生の家で教えてもらう分にはお金はかかっていない。私は体を差し出す代わりに勉強を教えてもらっていたのだと思う。ハゲ先生の家通いが長くなると、ハゲ先生の行為はエスカレートした。

「実物、見たことないだろ」

と言ってコンドームを渡してきた。私と紀子ちゃんは驚きながら、笑いあって、袋を開けた。コンドームはベトベトしていて気持ち悪かった。クラスで男子が笑いながらコンドームの話なんかをしていたけれど、それとはまた違う気持ち悪さだった。まだ私たちには遠いものである避妊具を目の前に晒されるのは恐ろしかった。

他にも映画の中のセックスシーンを見せてきたり、春画を見せてきたりした。ある日、ハゲ先生と私しか、家にいない時、ハゲ先生に聞かれた。

「エリコさんはオナニーしてるんですか?」

私は嫌悪感を感じながら答えた。

「してないです」

ハゲ先生は笑いながら

「じゃあ、エリコさんのお●んこは綺麗なピンク色なんですね」

ニヤニヤと笑うハゲ先生。私はしばらくしてその場を立ち去った。男から性的な言葉を投げられても耐えなければいけない。それは中学生であろうが当然のことなのだ。

ある日、ひどい腹痛に襲われ、母に訴えた。

「お腹が痛い、すごい痛い」

私は中学生の時、謎の腹痛によく襲われていた。思えばストレスが原因だと思う。母がタクシーを呼んでくれて、大きな総合病院に連れていってくれた。脂汗を流し、呻く私を看護師はベッドに運んでくれた。しばらく横になっていると、医者がたくさんの看護師を連れて診察に来た。頭髪が薄い、中年の医者は私の腹部を触った。腹部を押した後、すっと私の下着の中に手を入れ、私の陰部に手を忍ばせた。私は身体中の血液が凍ったように感じた。

え? なに? 何が起こったの? 頭の中がたくさんのクエスチョンマークでいっぱいになる。たくさん看護師もいたし、そばには母もいる。なのに、なんであの医者はこんなことをするの? それとも、下着の中に手を入れたのは何かの検査? 私は生まれてくる疑問符を処理できない。そばにいる母にも聞くことができなかった。私は仕方がないから、このことは私の思い違いで、きっと触診の一環なのだと思うことにした。陰部と腹部は全く違うものであると分かりながら、触診なのだと信じ込んだ。下腹部はじんじん傷んだままだった。

 

1977年生まれ。茨城県出身。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』『生きながら十代に葬られ』(共にイースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、最新刊『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)が5月10日より発売。

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