第三書簡 トルコ、クルド問題をめぐって

日本人は、身近な隣人となりつつあるムスリムの論理を理解しているか? そこに西洋文明中心視点の誤ったイスラーム解釈はないか? 世界のイスラームに関連するトピックを題材に、より深いイスラーム理解にたどり着くための往復書簡。イスラーム教徒でイスラーム法学者である中田考、非イスラーム教徒でイスラーム思想研究者の飯山陽、専門を同じくしつつも互いに異なる立場の2人による、火花を散らす対話。  

トルコの「平和の泉」作戦の背景を読む 中田考

今回のテーマは、トルコ対クルドの問題と誤って報じられているトルコのシリア進攻「平和の泉」作戦についてです。この問題には複雑な歴史的経緯と国際政治の背景がありますが、まずは、「平和の泉」作戦自体について概説しましょう。

「平和の泉」作戦とは、トルコ国内で殺人、傷害、誘拐、強盗などの犯罪を重ねてきた「テロ組織」PKK(クルディスタン労働者党)のシリアにおけるフロント組織YPG(クルディスタン人民防衛隊)を中核とするシリア民主軍をトルコ/シリア国境から30kmにわたって排除して緩衝地帯を設置するために、トルコ軍によって行われたものです。

私自身は、いやしくも客観性を標榜する社会科学者であれば、「テロ」という言葉は価値中立的、客観的に「政治的目標を達成するための暴力による威嚇」の意味で使うべきであり、トルコであれ日本であれアメリカであれ、あらゆる国家を軍隊と警察という暴力装置を中核とする「テロ組織」と呼ばなければならないと考え、常々啓蒙に努めていますが、今回はその話には踏み込みません。本稿でPKKを「テロ組織」と呼ぶのは、欧米の政府やメディアの用法にならってであり、他意はありません。日本でもPKKは公安調査庁が発行している『国際テロリズム要覧』にテロ組織として記載されています。

話を戻しましょう。エルドアン大統領もトルコ政府も、「掃討の対象となるのはクルド人ではなくテロ組織(PKK‐YPG)である」と繰り返し述べているにもかかわらず、欧米でも日本でも未だに、トルコ人とクルド人が敵対している、エルドアン政権がクルド人を迫害している、といった論調の記事が跡を絶ちません。なぜそれが間違いで、どうしてそのような誤った言説が罷り通るのかを順に説明していきましょう。

しかし、その前にまず「クルド人とは何か」からお話ししないといけないでしょう。おそらく日本人の殆どはクルド人に一度も会ったことがないか、あるいは会っていてもクルド人だと認識できないでしょうから。もっとも、クルド人だけでなく、「トルコ人(Türk)とは何か」でさえ実は大問題で私も含めて日本人でちゃんと説明できる人は殆どいないのですが、その話は取りあえず後に回しましょう。

クルド人とは何か

クルド人とは、インド・ヨーロッパ語族イラン語派に属するクルド語を話し、トルコ、イラク、シリア、イランにまたがって住む山岳民で、2500万~3000万人の人口を擁する民族です。ちなみにクルド人が「国家を持たない最大の民族」などというプロパガンダがまことしやかに囁かれていますが、真っ赤な嘘です。そもそも「民族が国家を持たなければならない」などという愚かなイデオロギーは、アジア・アフリカを植民地化した西欧が世界中に広めた病弊ですが、欧米以外では全くと言ってよいほど機能していません。たとえばジャワ人は約1億人で、インドネシアの総人口の半分弱を占めていますが、インドネシアはジャワ語を公用語とせず、ヌサントラのリンガフランカであったマレー語を国語としました。ジャワ人はジャワ人の国ではなく多民族国家インドネシアに生きることを選んだのです。またパンジャーブ人はパキスタンの最大の民族で9000万人以上が住んでいますが、パキスタンはパンジャーブ語ではなくウルドゥー語を国語とし、パンジャーブ人の国ではありません。またインドにも3000万人以上が住んでおり、パンジャーブ語は22の公用語のひとつですが、言うまでもなく、13億人のインドの中では取るに足らないマイノリティーです。つまりクルド人より1億人多いパンジャーブ人でさえも、国など持っていないにもかかわらず、独立運動なども起こさず他民族と共存しているのです。

3000万人程度の国家を持たない民族は、たとえばアフリカのナイジェリアやニジェールなどに住むハウサ人など世界にいくらでもあります。欧米や日本でトルコとクルドの対立をあおっているクルド人活動家たちが、欧米人や日本人の中東に対する無知につけこみ「クルド人は国家をもたない最大民族」などという大嘘を平気でつく厚顔無恥なデマゴーグであり、それに騙されて「悲劇のクルド人」などというお涙頂戴のお伽噺を捏造してまき散らしているメディアや人権団体などは頭の弱い無知なお人好しであることは知っておいた方が良いでしょう。

クルドとトルコの民族対立はあるか?

クルド人の話に戻ると、「クルド人」という言葉は、私が読んでいるイブン・タイミーヤ(1328年没)の著作の中にも出てきますし、中東では古くから知られた山岳民族です。十字軍戦争で寛大な騎士として敵の西欧人からも称賛されたサラディン(1193年没)もイラクのティクリート出身のクルド人でした。サラディンは1171年にアッバース朝のカリフに忠誠を誓い、エジプトにアイユーブ朝という王朝を建てますが、アイユーブ朝がクルド人の国家だったわけではありません。そもそも西欧の民族主義のイデオロギーに汚染される以前には多民族、多宗教、多言語、多文化であることがデフォルトだったムスリム世界では、「特定の民族の国家」を語ることには殆ど意味がありませんでした。16世紀には、中東からインド亜大陸にかけて、オスマン朝、サファビー朝、ムガール朝の3つの帝国が鼎立します。この3つの帝国の創始者は全てトルコ系ですが、サファビー朝はすぐにイラン化され、ムガール朝は宮廷言語としてはペルシャ語が話されましたが、民衆はヒンドゥー語とペルシャ語が融合したウルドゥー語を話すようになります。オスマン帝国でさえ、「オスマン人」たちは、帝国を多民族国家だと考えており、トルコ人の国だとは考えていませんでした。オスマン帝国をトルコ人の国と考えたのは西欧の誤解でした。私などはその影響で中学高校で「オスマン・トルコ」と習ったので、私の世代にはまだ「オスマン・トルコ」と呼ぶ者が多いですが、中東史家やイスラーム学者にはもう「オスマン・トルコ」の名称を使う者はいません。

「トルコ人」の国が出来るのは、西欧の影響を受けた「青年トルコ人(統一と進歩員会)」らトルコ民族主義者たちによって1922年にスルタン‐カリフ制オスマン帝国を滅ぼされ、1923年にトルコ共和国が樹立されてからです。スンナ派ムスリムの盟主として、カリフの下に多民族、多宗教の共同体が緩やかに共存するイスラーム法の法治空間であったオスマン帝国(カリフ国)は、西欧的な世俗国家、トルコ人の領域国民国家トルコ共和国に生まれ変わりました。1924年には儀礼的なカリフも廃位、追放されます。

冒頭から、エルドアン政権のシリア進攻をトルコ対クルドの民族対立の図式に落とし込むことを批判してきましたが、かといってトルコ対クルドの民族対立が過去に全く存在しなかったというわけではありません。オスマン帝国からトルコ共和国の転換によって、構造的なトルコ人とクルド人の民族対立が生み出されたからです。

勿論、今も昔も、トルコ人とクルド人の間に個人的な対立は存在します。それはトルコ人同士、クルド人同士であれ、他のどんな人間同士でも同じで、性格、素行、言動が悪い人間は「民族」の帰属が何であれ嫌われるのは人の世の常です。「構造的なトルコ人とクルド人の民族対立」というのは、性格や素行や言動が悪いわけではなく、単にクルド人であるというだけで、トルコ人に敵対する存在とみなされて抑圧、迫害されることを指します。

西欧列強による分割植民地化

第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国は、1920年のセーブル条約によって連合国の民族自決のイデオロギーを口実に解体され、アナトリアを中心とする「トルコ人」の土地以外の広大な領土の全てをフランス、イギリス、イタリア、ギリシャなどに奪われ、「トルコ人」の領域国民国家に切り詰められました。この時、アラブの地も奪われましたが、アラブ民族の独立が認められたわけではなく、委任統治などの美名の下に、西欧列強の都合によって恣意的に分割植民地化されることになったのでした。これが今日にまでいたるアラブの分裂の根源ですが、それはまた別の問題です。

しかしこのセーブル条約に不満なケマル・パシャらは大国民会議(アンカラ政府)を組織し、さらなる領土を求めて攻め入ってきたギリシャ軍を破り、セーブル条約を破棄させ、新たにローザンヌ条約を結び直し、失地をある程度回復します。このセーブル条約で列強がクルド人の自治区を作る約束をしていましたが、1923年のローザンヌ条約ではその条項は廃棄され、クルド人は、トルコ、仏領シリア、英領イラク、イランに分かれて住むようになりました。このクルド人に独立を与えると約束した──といっても本当はアラブ諸国が第二次世界大戦後になっても独立を許されなかったことからも分かるようにただの空手形だったのですが──セーブル条約が、クルド人の分離独立運動に火をつけたのでした。

1920年から、トルコ領でクルド人の独立運動と呼ばれる反乱が起きます。しかしクルド人にはまとまりがなく全て失敗に終わりました。そうした反乱の中で最大のものが1925年のシャイフ・サイードの反乱です。シャイフ・サイードは、ナクシュバンディー教団の導師でスルタン・カリフ制の再興のためのトルコ共和国との戦いを許すファトワーを発し、反乱の指導者に担がれましたが、反乱が失敗すると反逆罪で処刑され、スーフィー教団は禁止され、公的な場でクルド語を使うことも禁止されます。

国民国家としてのトルコ共和国が成立したことで、トルコとクルドの民族対立の構図が準備されましたが、特に1925年以降、クルド人への構造的弾圧が現実化します。クルド語の使用が公的な場で禁じられただけでなく、クルド人はトルコ人の一種である「山岳トルコ人」と呼び変えられ、その存在さえ否定されることになったのでした。

1970年代にトルコでフィールワークを行った言語学者小島剛一は『トルコのもう一つの顔』(1991年)の中で以下のように書いています。

歴代のトルコ政府は一貫して「クルド民族というものは存在しない」と主張してきた。「『クルド人』というのは『山岳トルコ人』のことである」などと言う。しかし、トルコの官憲はしょっちゅうクルド人に──他の少数民族に対しても同様であるが──「お前はクルド人か、トルコ人か」という落とし穴の質問をする。「クルド人だ」と答えれば、公務員なら失職する。

1982年に東大のイスラム学研究室に入った私も、クルド人が「山岳トルコ人」と呼ばれていた時代のことを覚えています。この世俗主義、民族主義のケマリズムが支配的だった時代には、確かに「クルド人がクルド人であるというだけでトルコ人に敵対するとみなされる」という意味でのクルド人とトルコ人の対立は確かに存在しました。しかし、変化はトルコにおける「イスラーム主義」の台頭によってもたらされます。もっとも、他に言葉がないのでカッコ付きの「イスラーム主義」と言っていますが、トルコは世俗主義が国是であるため、公式にはカリフ制復興は言うまでもなく、イスラーム法の施行やスーフィー教団への帰属も口にすることは許されませんので、本当のイスラームとは似て非なるものです。しかしこの問題には本稿では深入りしません。

左右の過激派の対立の激化

トルコにおけるクルド問題に話を戻すと、こうした状況下で1978年に結成されたのが「テロ組織」PKKです。現在の若い人たちはもう実感がないと思いますが、当時はまだ東西冷戦期で、人類は共産主義(民主集中制)と資本主義(自由民主主義)のいずれかに収斂すると考えられていました。トルコは、東側(ソ連・東欧)の共産主義と西側(アメリカ・西欧)が対峙する最前線に位置し、共産主義に対する西側の防波堤の役割を負わされていました。トルコが唯一のムスリム・マジョリティー国家として欧米の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)の加盟国であるのも、この冷戦期におけるトルコの地政学的な特殊事情によるものでした。

東西冷戦の前線国家トルコでは「左右の過激派」の対立の激化、テロの頻発により政党政治が機能不全に陥り、軍が介入しクーデターが起きます。冷戦の文脈における「左」の代表的組織の一つがPKKであり、「右」の代表は「極右」MHP(民族主義者行動党)とエルバカンのMSP(国民救済党)でした。このクーデターで「右」のMHPとMSPは非合法化され、エルバカンは逮捕され政治活動を禁じられましたが、PKKも弾圧を蒙り多くのメンバーが逮捕され、党首のアブドゥッラー・オジャランはシリアに亡命します。

実はこの時期は、世界を理解するには共産主義と資本主義だけではなく、イスラームを理解する必要であることが明らかになりつつある時期でした。そのきっかけは1979年のイラン革命です。私はイラン・イスラーム革命をきっかけにイスラーム研究を志しましたので、私自身は、トルコ政治のダイナミズムを最初からイスラームと世俗主義の対立とみなしていましたが、冷戦の構図では、イスラーム主義と民族主義は区別されず「右」の保守勢力、共産主義、独立派「左」の革命勢力とみなされ、世俗主義の砦である軍部は、中立のバランサーとみなされていました。

1980年の軍部のクーデターは、世俗主義を否定するエルバカンを逮捕し政治活動を禁止すると同時にクルド人の独立を目指しトルコの一体性を脅かすPKKへの弾圧を強め、クルド語の公的な使用ばかりでなく、私的な使用も禁止しました。それに対して、PKKは1984年から本格的な武装闘争路線を開始します。このPKKの武装闘争の過程で市民を含む4万人弱の死者が出ただけでなく、約4000のクルド人の村が破壊され100万のクルド人が家を追われ10万人以上が逮捕されたと言われています。

一方で「イスラーム主義者」は何度も政党を解散させられ、政治活動を禁止されながらも、合法路線で勢力を拡大していきました。そしてトルコの「イスラーム主義」の台頭の立役者は、生前は公言しませんでしたが──公言すると世俗主義に反し逮捕されるので──ナクシュバンディー・スーフィー教団員であったトルグト・オザル(第45、46代首相、第8代大統領、1993年没)とネジュメティン・エルバカン(第54代首相、2011年没)の二人でした。エルドアンの師匠でもあり、トルコのイスラーム主義の発展における重要性はエルバカンの方が優りますが、トルコ・クルド問題に関してより重要なのはオザルです。というのは、オザル自身がクルド人であり、1990年代にカミングアウトし自分がクルド人であることを公言したからです。

トルコとクルドの複雑な関係

ここからしばらくはイスラーム学の話をします。実は、オザルも、エルバカンもナクシュバンディー教団員です。ナクシュバンディー教団には多くの支教団がありますが、トルコのナクシュバンディー教団はほぼ百パーセントがハーリディー支教団です。ハーリディー支教団とは、ハーリド・バグダーディを名祖としています。ハーリド・バグダーディーは1827年に死んだナクシュバンディー教団の30代目の導師ですが、先ほど名前を挙げたシャイフ・サイードもハーリド・バグダーディーの弟子アリー・セブディーの弟子マフムード・ファウズィー・ムハンマド・サイード・エフェンディーの弟子アリー・エフェンディの弟子になります。本稿で重要なのはハーリド・バグダーディーがイラクのクルド人であり、その弟子のアリー・サブディーはディアルバクル(現在はトルコ領)のクルド人であり、そこからは全て現トルコ領のクルド人だったことです。

つまり、世俗主義者のトルコ人とは違い、トルコのナクシュバンディー教団員は全て「クルド人」ハーリド・バグダーディーを大導師と仰いでいるのであり、「クルド人」を「クルド人であるから」という理由で見下すことはカテゴリカリーに有りえないのです。

実は、私が同志社大学の一神教学際研究センターの幹事だった時にMOU(基本合意書)を結んでいたシリアのクフタロー財団の創立者の故アフマド・クフタロー(2004年没)はシリアの共和国最高ムフティー(教義諮問官)でしたが、彼もクルド人でナクシュバンディー教団ハーリドー支教団のシャイフでした。アフマド師の息子のサラーフッデイーン博士には来日して講演もしてもらいましたが、兄のムスタファーはクルド反乱の容疑をかけられ故ハーフィズ・アサド大統領(2000年没)に暗殺されたそうです。ただしサラーフッデイーン博士はクルド語は話せずクルド人のアイデンティティーは殆ど持っていませんでした。私も何度かアフマド・クフタロー師の弟子たちがダマスカスの山中のハーリド・バグダーディー廟で催した瞑想(ズィクル)会に参加させてもらいました。シリアでもイスラーム学者、特にハーリディー支教団員の間では、アラブ人、クルド人を問わず、尊敬の基準はイスラーム学の知識と霊性だけであり、クルド人かどうかなど気にする者はいませんでした。

トルコではアタチュルクによって伝統的なイスラーム教育は制度的に破壊されたとされてきましたが、トルコのイスラームとクルド人問題について調査を行ったダブリン大学のイナ・メルジャノヴァは、クルド地域では、非公認の伝統的イスラーム学校(マドラサ)の存在がずっと黙認されており、イスラーム学者(メレス)がクルド社会では尊敬を集めていたことを明らかにしています。

伝統イスラーム学とは、神学、法学、スーフィズムを実践とセットでスーフィー導師とのパーソナルな師弟関係の中で一生をかけて学んでいくものです。その意味で、ハーリド・バグダーディーの「直系」のクルド人のハリーディー支教団員たちは、スーフィズムを禁ずるケマリズムの政教分離によって徹底的に世俗化された都市のトルコ人社会の中で生きる「隠れ」ハーリディー教団員たちより「格上」なのであり、ハーリディー支教団のクルド人たちはトルコ人の支教団員たちからむしろ敬意をもって遇されています。

スウェーデンのISDP(治安開発政策研究所)所長のS.E.コーネルは「トルコのナクシュバンディー・ハーリディー教団と政治的イスラーム」の結論で以下のように述べています。少し長くなりますが引用しましょう。

伝統的にトルコ人は、イスラーム法に大きな解釈の余地を与えるハナフィー派のようなイスラームの中で比較的リベラルな思想を選ぶ傾向があった。逆にアラブ人とクルド人は、はるかに厳格で解釈の余地がずっと少ないアシュアリー派に基づくハンバリー派、シャーフィイー派の思想を選ぶ傾向があった。

19世紀半ば以降の(オスマン帝国の)世俗化の試みは、トルコのイスラームに彼らの意図と真逆の影響を与えた。それは、ナクシュバンディー・ハーリディーのさまざまな支教団がトルコ全域に急速に普及するのと並行して生じ、極めてアラブ、クルド的なイスラーム理解をもたらした。トルコ共和国の成立と教育制度における急進的世俗化はオスマン帝国のイスラームの中核をなしていたよりリベラルな宗教的アプローチからの離脱をもたらした。1950年代の選挙デモクラシーの導入によって、宗教的空白は殆ど例外なくナクシュバンディー・ハーリディー教団の伝統の産物である社会運動によって埋められることになり、その結果、トルコをより中東のイスラーム解釈に添うものにしていった。

実際、このことによって、オスマン帝国とイデオロギー性格が大きく異なるAKP政権の外交政策をかなりの程度まで説明することができる。それが示唆するのは、トルコの宗教、教育、政治がナクシュバンディー・ハーリディー教団のイデオロギーによって全面的に支配されるようになると、トルコは不可逆的に(ヨーロッパの国でなく)中東の国になっていくであろう、ということである。

つまり、ナクシュバンディー・ハーリディー教団をコアな支持層とするAKPエルドアン政権は、「クルド人」と敵対的どころか、むしろイスラーム学のレベルでクルド人のナクシュバンディー・ハーリディー教団員によって主導されている、とさえ言えるのです。事実トルコ、イラク、イランのクルド人と、トルコ、イラク、イラン、インドネシアのナクシュバンディー教団のフィールドワークを行ったオランダ人のイスラーム学者M.V.ブライネセンによると、トルコのクルド人居住地域における1970年代から80年代にかけてのエルバカンの「イスラーム主義」政党「救済党」と「福祉党」の支持率が20パーセント以上であり、全国水準を上回っていました。

情報ソースが偏っている

以上、少し専門的な話をしましたが、トルコのイスラーム学事情を少しでも知っていれば、エルドアン政権のクルド人迫害などという話は、まじめに扱うのも馬鹿馬鹿しいことが分かると思います。ではなぜ、西欧でも日本でも、そういう与太話が罷り通っているのか、を説明していきましょう。

まず異文化理解と社会調査の専門的な訓練を受けた研究者でない日本人や西欧人が得る情報ソースの偏りの問題があります。そもそもの話ですが、西欧人や日本人が接する「クルド人」とはそもそも偏った存在なのです。簡単な話です。私たちが外国に行って、自分を紹介する時に、いきなり、関西人とか、江戸っ子とか、オキナンチュとか名乗るでしょうか。普通はただジャパニーズ(日本人)としか言わないものです。つまり、西欧や日本で、「クルド人」を自称するのは、ほぼ全て分離独立主義者、つまり「テロ組織」PKKのメンバーかシンパしかいない、というわけです。「普通のクルド系トルコ人」は外国では「トルコ人」として暮らしており、クルド人を名乗ることもなく特にクルドの話などしないのです。日本でもクルドのことを知りたければクルド人に聞こう、と考えて、「クルド文化協会」とか、「日本クルド友好協会」といった名前をみつけて訪ねると、PKK関係者が待ち構えていて彼らのプロパガンダを聞かせられることになるというわけです。

トルコは一人当たりGDPが百万円ほどなのに対して失業率が14パーセントあまりと高く、クルド系に限らず外国に出たトルコ人の多くは良い仕事を求めてその国に定住して働くことを望みます。その時に最も有利なのは難民と認められることです。だから彼らはクルド人がマイノリティーとして政治的に迫害されており、帰国すると危険に晒されているというストーリーをでっちあげることになります。「テロリストなので追われている」と言ったのでは亡命が認められるどころか、強制送還されてしまいますから、マイノリティーのクルド人だから迫害されている、としか言うしかないのです。まぁ、日本の場合は先ず何を言っても難民認定はされませんが、少なくとも支援団体ぐらいは作ってもらえます。

クルド人に限らず、こうした「亡命者」は欧米の中東政策を歪めてきました。その典型が在米イラン人で、革命直後から、イランのイスラーム共和国体制が独裁制で国民の支持はなく直ぐに崩壊する、と言い続けて40年が経ちます。

トルコとトルコ移民を中心としたヨーロッパのイスラーム移民について1980年代から定点観測を続けている内藤正典先生によると、クルド地域ではPKKは十代の子たちを巧妙に騙してリクルートし山岳部のアジトに連れ出そうとし、逆らうとクルド民族の裏切り者だと威嚇し場合によると殺される危険があり、それを嫌うクルド人は都市部や海外に移住します。しかし海外に移住してもPKKはケバブ屋や商店などにみかじめ料を要求し、拒否すると店のガラスを叩き割るなどの暴力を振るうこともあるそうです。

つまり、「テロリスト」PKKの関係者は難民認定のために言葉巧みにトルコ政府による政治的迫害を言い立て、そうでないクルド人もPKKの報復を恐れ、口をつぐみ、あえて否定しないため、現地の事情に詳しくない外国人、特にリベラルな人権団体やジャーナリストはPKKのプロパガンダに容易にのせられることになります。

クルド人についての情報ソースのもう一つの問題には、日本人や欧米人は、PKKのような共産主義者、無神論者、世俗主義とは話が通じても、スーフィー教団の導師やイスラーム学者、特に観光地でないクルド地域の導師や学者たちとはそもそも会うことが難しく、仮に会うことができても世界観、価値観が違い過ぎて話が通じないため、どうしてもPKKの言い分だけを聞くことになります。しかし、この問題は、今、これを読んでくださっているイスラーム学者でない読者にはよく理解できないでしょうから、こういう問題もあるのだと指摘しておくだけにしましょう。

トルコにおけるクルドの現状と問題点

ここまでのお話しで、テロ組織PKK/YPGはクルド人を代表しておらず、エルドアンはクルド人を迫害しているのではなくテロ組織PKK/YPGとその支援者であること、そしてそれにもかかわらず欧米や日本でのメディアがその嘘に騙されている理由もだいたい納得してもらえたかと思います。

しかしだからと言って、トルコではトルコ人とクルド人が平等で仲良く暮らしており、エルドアンの対クルド政策に問題がない、ということではありません。そこで次にトルコのクルドの現状とその問題点についても概観しておきましょう。

初めに書いた通り、ケマル・アタチュルクがトルコ人の国としてのトルコ共和国を作り上げた時、クルド語の公的な場での使用を禁ずるなど、クルド人に対する構造的差別、抑圧が始まったのは事実です。つまりクルド人は、自分たちがトルコ人ではなくクルド人であると主張するだけで、トルコ人の国であるトルコ共和国には居場所を失うことになったのです。

そしてその迫害は小島剛一が報告している通り、1970年代になっても続いていました。しかし1980年代に入るとエルバカンとオザルの主導の下で、もともと民族で差別をしないイスラームの連帯を実践するナクシュバンディー・ハーリディー教団のトルコ人とクルド人のイスラーム主義者の努力により、徐々にクルド人の権利が認められるようになります。

1991年にはクルド語の禁止は解かれ、オザル大統領は自分がクルド人であることを公表しますが、クルド人との和解が本格化するのは、イスラーム政党AKP(公正発展党)を率いた新しい世代の「イスラーム主義者」エルドアンが政権を取り2003年に首相に就任してからです。2004年にはクルド語のテレビ局、ラジオ局が開局されます。これは単にクルド語の使用を解禁したというだけでなく、建国以来のクルド人の存在否定の政策の転換を示す画期的な出来事でした。80年にわたってクルド人の存在を否定してきたケマリズムの過激なトルコ民族主義に抗ってクルド人の存在を認めクルド語の使用を求めたばかりかクルド語のラジオ、テレビ局開設にまで持ち込んだのが「イスラーム主義」のAKPとエルドアンだったのです。「テロ組織」PKKではなくクルド人自体を弾圧しているとエルドアンを批判することが言いがかりでしかないこと明らかです。しかしそのことは80年にわたるケマリストの「クルド人差別」の負の遺産が解消されたことも、エルドアンとAKPによるクルド問題への対応が完全であったということも意味しません。

クルド人は歴史的に山岳民でありクルド地域はトルコの中でも経済的に「後進地帯」であり、たとえ言語的差別がなくなっても経済的不平等はなくなったわけでもなく、トルコ民族主義者たちによる社会的差別が完全になくなったわけでもありません。またもともと貧しく差別されていた上に、既に述べたように「テロ組織」PKKとの内戦で多くの無実のクルド人が巻き添えになったにもかかわらず、十分な補償がなされていないのも厳然たる事実です。「テロ組織」PKKのエルドアン批判は客観的には間違っていますが、かつてのケマリストのクルド人弾圧の被害者の主観的な怨恨は十分理解できます。しかしこの問題は私は専門外なので指摘するにとどめこれ以上は論じません。

PKKのプロパガンダに騙される日本のメディア

エルドアンとAKPの政策には、イスラーム学的により深刻な問題点があります。イスラームは人種、民族による差別はカテゴリカリーに拒否します。しかし宗教による差別は否定しません。トルコ人の宗教は99%以上がイスラームです。私自身の「イスラーム」理解は第一便で述べた通りで、一般の「ムスリム」とは全く違いますが、トルコ人の99%がイスラーム教徒、といった場合の「イスラーム」は、飯山さんが使っているような普通の用法です。イスラーム教徒であっても敬虔な人間もいればそうでない人間もおり、世俗主義者もいる点では、トルコ人もクルド人も変わりはありません。むしろ、「田舎」に住むクルド人の方が、伝統的、保守的、という意味でより「敬虔」であることは、ハーリディー教団について既に述べた通りです。しかし問題はアレヴィー派です。

「アレヴィーとは何か」、「アレヴィーはイスラームか」との問いは、神学的には難問ですが、宗教施設も、儀礼も、祭日も違い、通婚もしないので宗教社会学的には別の宗教と考える方が自然ですし、実際に法的にも社会的にもイスラームとは別の宗教として扱われています。

エルドアンとAKPの支持母体がナクシュバンディー・ハーリディー教団であることは既に述べましたが、実はナクシュバンディー教団は単にイスラーム法の実践に厳格なだけでなく、数ある主要スーフィー教団の中でも唯一アブー・バクルを第二代導師と仰ぐスンナ派正統主義の教団でもあります。つまりエルドアン、AKPのハーリディー教団的イスラームによるクルド人の同胞視政策はアレヴィーのクルド人には及ばないのです。つまりアレヴィーのクルド人は、二重の差別を蒙っているのです。そしてアレヴィーはトルコ人の間にもいますが、ハーリディー教団員も一般的にクルド人の方がトルコ人よりも宗教的であったようにアレヴィーもクルド人の方がトルコ人よりも宗教的です。そのため、クルディスタンではアレヴィーをスンナ派に「改宗」させ包摂しようとのAKPの政策は成功せず、むしろ新たな軋轢を生んでいます。

またソ連の崩壊により後ろ盾を失ったPKKも、敬虔なクルドの民衆を味方につけるため、無神論のイデオロギーを軟化させ、国家に奉仕する制度化されたスンナ派イスラームに対してアレヴィーを正義の宗教である民衆のイスラームであり、それはクルド文化に深く根差している、というレトリックを使うようになります。

2013年から2015年にかけてのハーリディー教団が支配的な宗教庁を通じてのAKPによるクルド問題解決に向けてのイニシアティブについて詳細な研究を行ったイナ・メルジャノヴァは、このイニシアティブを批判し、結論として以下のように述べています。

 国家(宗教庁)による政治利用は宗教的排他主義を悪化させた。(PKKを武装分門とする)KM(クルド運動)はイスラームについての独自のアプローチどころか、「国家主義的」制度化されたイスラームとは異なる独自のイスラーム概念を作り始めた。そしてKMはエスニック/宗教的マイノリティーの保護者面をするトルコ政府のアプローチとは非常に違う宗教多元主義についての包括主義的政策を定式化し実践し始めた。

KMのイスラームへの包括主義的アプローチなど、神学的・イスラーム学的に論ずるに足りませんが、ここで読者の皆さんが覚えておくべきことは、彼らが非ムスリムの地域研究者に受けの良いレトリックを操ることであり、それが分かればなぜ西欧や日本のメディアがPKKのプロパガンダに騙されるかを理解する助けになるかもしれません

AKPが宗教庁によってクルドとの和解を試みている間に、政治的にも2013年3月に停戦が宣言され、和平交渉がなされましたが、2015年7月にはPKKによる警官2名の暗殺に対してトルコ政府がPKKの拠点を攻撃したためPKKは休戦を破棄し和解交渉は破綻しました。実はこの間に2015年6月の総選挙でAKPが得票率を減らし258票しか取れず過半数を割りました。かわって党勢を伸ばしたのがクルド系のHDPとトルコ民族主義「極右」政党MHPで共に80議席を獲得しましたが、HDPはクルド人だけでなく反AKPの世俗派、リベラル派を糾合して大幅に議席を増やしました。クルド政党HDPがAKPと対立したため、議会で過半数を割りクルドとの和平のフリーハンドを失ったエルドアン、AKPは反クルドのMHPと連立を組まざるをえなくなり、「テロ組織」PKKとの和解の試みは最終的に挫折することになったのです。

こうした状況下で、シリア内戦に乗じ「テロ組織」PKKのフロント組織YPGがIS(イスラーム国)との戦いを口実にアメリカの支援を得てシリアのトルコ国境地帯を支配することになったのです。エルドアンとトルコ政府はアメリカに対して「テロ組織」YPGの支援を中止するよう再三にわたって要請しましたがアメリカは聞く耳を待たずそれを無視し続けました。

ようやく2019年になってトランプ米大統領はISへの勝利によるシリアからの撤兵を口にし、10月6日にエルドアン大統領との電話で2014年以来支援してきたYPGへの攻撃許可を伝え、米軍は翌日シリアからの撤兵を開始しました。これが10月9日にトルコ軍がシリアに進攻した「平和の泉」作戦の背景です。

与えられた字数をまた大幅に超えてしまいましたので、今回はここまでにしておき、「平和の泉」作戦をめぐるトルコと欧米、ロシア、イランの関係についての分析は機会があれば稿を改めて論じたいと思います。

 

偏向するメディアのもとで 飯山陽

日本のマスメディアのニュースは偏向している、とよく言われます。

しかしこれは、日本に限った話ではありません。世界中のあらゆるメディアのニュースが、日本に負けず劣らず偏向しています。ニュースには必ず制作者がおり、彼らがニュースにすべき事案を選択し彼らの視点で編集している以上、ニュースは彼らの主観や意図から決して逃れることはできません。これはニュースの宿命です。

今回中田先生が選ばれたのはイギリスBBCの記事ですが、BBCは左派的偏向で知られています。BBCは10月に、世界の人々に感動や影響を与えた「2019年の女性100人」を発表し、日本人女性としては#KuToo運動を始めた石川優実氏と立命館大学相撲部の今日和氏を選出しました。他には16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリ氏も選ばれています。どのような女性が「BBC好み」であるかは、100人の顔ぶれを見ればはっきりとわかります。

同記事のタイトルには、「トルコがシリアに進攻」とあります。私はこれを目にした瞬間に、「進攻」という語に違和感を覚えました。なぜなら私個人はこの問題について論じるとき、進攻ではなく「侵攻」という語を用いていたからです。進攻は進軍して敵を攻めるという意味ですが、侵攻には他国の領土に攻め込み侵すという意味があります。トルコはシリアという他国に攻め込んでいるわけですから、この場合「侵攻」という語を用いるのが適切だと私は考えます。にもかかわらずBBCが侵攻ではなく「進攻」を用いるのは、トルコに「配慮」しているからでしょう。

英米日に共通する左派メディアの偏向

この問題についてのBBC報道の特徴は、トランプ大統領によるシリアからの米軍撤退を批判し、シリアのクルド人武装勢力YPGをトランプ政権に見捨てられた被害者と位置づける一方、トルコを批判していると見られないよう配慮する、といった点にあります。なぜ被害者たるYPGを攻撃するトルコを糾弾しないのかというと、おそらくトルコのエルドアン大統領が、「トルコを批判するならヨーロッパにシリア難民360万人を送り込む」と脅迫まがいの宣言をしたためだろうと推測されます。難民を「道具」扱いするこの発言には、個人的に憤りを覚えます。

CNNのようなアメリカの左派メディアは、トランプ氏を批判しYPGを被害者と位置づけるところまではBBCと同様ですが、トルコも基本的には批判し、「エルドアン氏がトランプ氏からの書簡をゴミ箱に捨てた」といった「トランプ叩きに使える」ネタだけは好意的に取り上げる点が特徴です。アメリカはシリア難民を「送り込まれる」心配がないため、躊躇なくトルコを批判できるのです。アメリカの左派メディアは事実の報道よりも「トランプ叩き」に重点を置き、それに「使える」ネタを選択的に強調して報じるという傾向も認められます。

日本の国際ニュースは多くの場合、こうした英語の左派メディアのみを翻訳あるいは引用することで成り立っているため、極めて強い偏向が認められます。

メディア・リテラシーの重要性が指摘され始めてから既に20年が経過しましたが、国際ニュースに関しては今でも「ニュース制作者の意図について視聴者が自分の頭で判断し読み解く」というプロセスが省かれたまま、情報を無批判的に鵜呑みにする状況が続いているように思います。国際ニュースに対するメディア・リテラシーは、グローバル化が進む現代においては今後ますます重要になるでしょう。

自国の政策に忠実な中東メディア

他方、中東メディアにはまた異質の偏向があります。

サウジアラビアやアラブ首長国連邦、エジプトのメディアはトルコを敵視しているため、今回の件についても「トルコのシリア侵攻は国際法違反であり戦争行為だ」と強く非難しました。しかしこれら諸国は、シリアの領土的統一は守られアサド政権が支配すべきだと基本的に考えているため、トランプ氏の米軍撤退という判断は好意的に評価し、独立を画策していたYPGに対しては冷ややかでした。これはアサド政権の立場とほぼ同じです。

一方トルコとカタールのメディア(アルジャジーラが有名)は、YPGはテロ組織でありシリア北東部におけるYPGの存在はトルコにとっての脅威であるため、YPGに対する越境攻撃はあくまでも「テロとの戦い」なのだから国際法上も認められる、と主張しました。またトルコは数百万人のシリア難民を受け入れているのだから、彼らを住まわせる場所をシリア北東部に確保するためにも、YPGを同エリアから一掃しなければならないとも主張しました。

こうした主張は、トルコが今回の侵攻を「平和の泉」作戦と呼んでいることからも理解されます。しかしトルコにとっての「平和」を実現させるための軍事攻撃も、それによって死傷したり、故郷を追われ避難せざるをえなくなったりしたクルド人にとっては災禍でしかありません。こうした被害者の実態からは、「トルコが敵視しているのはYPGでありクルド人ではない」という主張は、正当性に欠ける方便にすぎないと言わざるをえません。

西洋メディアが左派に偏っているのとは対照的に、中東メディアは自国の政策に極めて忠実な、自国の利益に資する報道をするのが特徴です。私はここで、西洋には報道の自由があり中東には報道の自由がない、という議論をしたいのではありません。メディアにこうした偏向がある以上、その情報にも自ずと偏向がある、という点を指摘したいだけです。

中東問題専門家にも偏り

メディアだけではなく、中東問題について語る「専門家」の偏向についても指摘する必要があります。中田先生は第一書簡で、「トルコ研究者はトルコ大好き」と書かれていましたが、トルコ大好きな日本人トルコ研究者が、トルコ・メディアの報道に則りシリア「進攻」を日本人向けに「解説」することの妥当性について、私には大いに疑問があります。

日本人の多くは日本人トルコ研究者に対し、「トルコ事情に詳しく、事実に立脚し問題を客観的に解説してくれる権威者」たることを期待するでしょう。研究者個人がトルコ好きだからといって、トルコを好きでも嫌いもなく単に国際情勢を知りたいと思っているだけの日本人に対し、トルコの利益を代弁するような解説を流布させる妥当性が、私には全く理解できません。いずれにせよトルコは素晴らしい国であり日本人はトルコを支持すべきなのだ、と世論を誘導することによって得られる利益とは、研究者個人の自己満足以外に何があるのでしょうか。

中田先生はまた、「アラブ研究者はアラブが嫌い(か大嫌い)」とも書かれていました。昔の先生がたはよく、「シリア留学組はシリアが大好きだがエジプト留学組はエジプトが大嫌いだ」とも語っていました。実際、日本人シリア研究者はアサド政権を極度に擁護する傾向にあり、日本人エジプト研究者はシシ政権を独裁だと非難します。彼らの脳内では自分の好みに応じたストーリーが既に出来上がっているので、「解説」をする際にもそのストーリーを構成するに相応しい「証拠」をどこからか見つけてくればいいだけなのです。にもかかわらずそれは、学術的権威を付与され信頼すべき客観性をもつ「解説」として公開されます。私には、これは解説を偽装したプロパガンダに見えます。

例えば私は2011年から2015年までエジプトで暮らしていたため、ムバラク政権を打倒したいわゆる「アラブの春」と、その後のムスリム同胞団統治時代と、それを打倒した「第二革命」と、その後のシシ政権時代のそれぞれの状況と違いを体験しました。エジプト人の多くが同胞団政権打倒を自分たち民衆が成し遂げた「革命」だと誇っているのを知っているため、日本でエジプト嫌いのエジプト研究者とマスメディアが口を揃えてそれを「軍事クーデター」だと今でも批判しつづけていることに、抵抗感を覚えます。

カイロだけでも毎日数件爆弾テロや銃撃が発生するという極度に治安が悪化した時代でもあったため、政権が軍と警察を動員し強力な統治機能を発揮したからこそ、私自身があの時代のエジプトを生きぬくことができたと実感しているのも、その抵抗感の源となっています。言論の自由や報道の自由、集会の自由といった様々な「自由」は、近代の誇る守るべき価値であることには私も同意します。しかしそうした「自由」よりも、一般市民の命と生活を守るため、治安維持が最優先されるべき場面というのは、間違いなくあります。安全な場所から「自由」の重要性を声高に主張し「独裁」を非難する第三者は、市民を守るためにテロリストと戦ってなどくれません。

「民主主義は電車のようなもの」か?

私も中東情勢について語る研究者です。中田先生は第二書簡でご自身について、報道よりも「拙著の方が『客観的』、『中立的』」と書かれていました。しかし私は、私自身も特定の偏向をもって発言、執筆をしているという自覚があります。

ただし私の場合は、アラブやイスラム教が好きとか嫌いとか、そういった感情に駆動されているわけではありません。私は日本という国民国家に生まれ育った仏教徒であり、政教分離原則を支持し、西洋近代的な自由を重んじています。ですから、自分自身が慣れ親しんだ日本という国とその文化に加え、世俗主義、民主主義、国民国家、政教分離、自由といった体制、や価値、制度を脅かし破壊へと誘導するような動き、勢力は危険だと考えます。だから私は、トルコの動きを警戒するのです。

なぜならエルドアン氏は、民主主義の制度を利用してカリフ制を再興しイスラム法による統治を実現させるという「政治的イスラム」を標榜していることで知られているからです。彼はかつて、「民主主義は電車のようなもの。目的地に着いたら降りればいい」と発言しました。彼にとって民主主義は目的ではなく、世界のイスラム化を実現させるための手段にすぎません。

カリフ制下のイスラム法による統治は、民主主義体制とは全く異なります。それは神中心の政教一致体制であり、神の命令とイスラム的価値が絶対正義とされ、ムスリムだけが社会のフルメンバーシップを持つと認められます。異教徒はムスリムではない、というその理由だけで差別されます。差別されたくなければイスラム教に改宗すればいい、改宗する自由は与えられているのだから差別されるのは改宗しないあなたのせいだ、というのがイスラム教の論理です。

到底受け入れられない理想

中田先生は第二書簡で、カリフ制の基本は「ヒューマニティーと法の支配」であり「イスラム国」の理想も「ヒューマニティーと法の支配」であると記されました。しかし私はイスラム法の古典文献と「イスラム国」の資料、実態を客観的に分析した異教徒として、中田先生が理想とする「ヒューマニティーと法の支配」は、ムスリムではない一般の日本人が認識するそれとは言葉が同じでも意味内容は全く異なる、と申し上げるしかありません。少なくとも私には、到底受け入れられない理想です。

現在、中東諸国のほとんどは国民の多くがムスリムであり、社会的にもイスラム教的規範が息づいていますが、イスラム法ではなく世俗法によって統治されています。ゆえにサウジアラビアやエジプトは、「政治的イスラム」を掲げカリフ制再興を目指すムスリム同胞団をテロ組織指定し、同胞団を公然と支持するトルコとは対立関係にあります。「政治的イスラム」の拡大を危惧するという点において、私はこれらアラブ諸国と同調しますが、それは私が「アラブ好きでトルコ嫌い」だからではありません。私が自由と民主主義を尊重する世俗主義者であり、「政治的イスラム」とカリフ制は日本という国家やその文化・伝統を間違いなく破壊するという現実的な危惧を抱いているからです。

ですから、日本という国家やその文化・伝統を憎み、そうした「軛」は破壊しなければならないと考える人や、「政治的イスラム」、カリフ制再興推進者は、私の主張がきっとお気に召さないことでしょう。

しかし2019年5月にNHKが公開した第10回「日本人の意識」調査で、調査対象者の97%が「日本に生まれてよかった」と回答していることに見られるよう、体制破壊やカリフ制を支持する人々はおそらく、日本では少数派だと推定されます。ですがこうした少数派のお気に召すメディアや専門家が圧倒的多数を占めているのが、日本の現状です。

トルコのシリア「侵攻」は結局、ロシアが仲介をし、トルコの要求通りシリア北東部に安全地帯を設けそこからYPGを排除するが、その支配権はあくまでもアサド政権に属す旨で関係諸国が合意することにより、一応の解決をみました。YPGを排除したいトルコと、YPGにお灸をすえたいシリアの利害が一致したからです。YPGを被害者と位置づける西洋の報道やそれを翻訳した日本の報道だけを見ている人にとっては、何が何だかわからない解決だったことでしょう。中東は、西洋の論理とは異なる論理で動いているのです。

テロの原因は「コーラン」の悪用にある

私は中東イスラム研究を専門としているので中東に限定して語りますが、日本のメディアの中東ニュースは非常に偏っています。また日本の「専門家」や文化人が広めているのは、自分の好みや、今ある制度や秩序を全て破壊しなければならないという左派的イデオロギーに立脚したプロパガンダです。

映画監督の想田和弘氏は2019年10月28日、「イスラム国」の指導者バグダーディー死亡を受けて、「テロを減らすために有効な手段は、テロを行いたい、テロに訴えるしかない、と思わせるような社会の構図や状況をなくしていくことしかないのではないか。テロリストとして生まれる人間は、この世にいない。彼らは何らかの理由でテロリストになる。その理由をどうにかしなければ、テロはなくならない」とツイートしました。

しかし第二書簡で論じたように、「イスラム国」の行動原理は神の法たるイスラム法であり、イスラム法の第一法源は啓典『コーラン』です。「イスラム国」のようなイスラム過激派のテロの原因がこの『コーラン』の「悪用」にあるということは、アズハルという世界的に名高いイスラム学の研究・教育機関の長であるアフマド・タイイブ師が、公の場で既に何度も認めています。またそれを「改革」していかねばならないというアズハルの考えに、中東諸国の首脳陣も一様に賛同しています。この件については、拙著『イスラム2.0:SNSが変えた1400年の宗教観』(河出書房新社、11月26日発売予定)で詳述しました。

中東の当事者たちの間で、イスラム過激派の問題の源は『コーラン』の「悪用」にあると合意が成立しているにもかかわらず、第三者がイスラム過激派テロリストについて、「いやいや、あなた方は本当は社会のせいでテロリストになったのだ」と「解説」するのは荒唐無稽かつ奇妙であり、こうした発言は「すべては社会が悪いのだ」と体制を破壊する方向へと世論を誘導する手段にはなっても、イスラム過激派の実態を理解し現実的対策をとる上では何の役にも立ちません。

またフォトジャーナリストの安田菜津紀氏は2019年11月3日にTBSのサンデーモーニングに出演し、「『イスラム国』っていうのは、人々の不満だったり怒りだったり、それがあるところで力を拡大してきました」「イラクで米軍が中途半端なかたちで撤退をして、その力の空白に『イスラム国』が入り込んできた」「アメリカが今すべきは自分たちの功績を自画自賛するんではなくって、もうテロに訴えるしかないと思わせるような社会状況を本来であればなくしていくっていうこと」、と語りました。

しかし既述のように、「イスラム国」の目標はあくまでイスラムによる世界征服であり、反米左派イデオロギーなどというものを完全に超越したところにあるので、それを反米左派イデオロギーに矮小化することは、問題のすり替えにして「イスラム国」テロの被害者たちの「悪用」であり、一般視聴者のイスラム過激派に対する認識を誤らせるだけではなく、判断の誤りから人命や国益の損失にも繋がりかねません。そして繰り返しますが、イスラム過激派テロの原因は『コーラン』の「悪用」にある、という点でイスラム教の指導者や中東の政治当局者たちは合意しています。社会でも、反米イデオロギーでもありません。

正確な報道、客観的な分析を

日本に住む在留外国人は2018年末現在で273万人に達し、観光などで短期滞在した外国人は同年1年間に3100万人にのぼりました。在留外国人が増加すると、外国の問題が日本に持ち込まれるケースも増加します。今回のトルコのシリア侵攻に際しては、トルコ系移民を多く擁するドイツやカナダなどでトルコ人とクルド人が衝突し、多数の負傷者を出しました。日本でも2015年に、渋谷のトルコ大使館前でトルコ人とクルド人が乱闘騒ぎを起こした事例があります。

いま日本で求められているのは、世界中で発生している事実についての正確な報道と、その事実の網羅的な調査および客観的な分析だと私は考えます。偏向報道や解説を偽装したプロパガンダにより、日本という国家やその文化・伝統を破壊する方向へと日本人を誘導する作戦は、国益に反しているだけでなく、スマートフォンの普及により誰もがジャーナリストになりえ、SNSの普及により情報が限りなく多元化した今の時代には、すでに通用しなくなってきています。