第五書簡 中村哲氏殺害事件をめぐって

日本人は、身近な隣人となりつつあるムスリムの論理を理解しているか? そこに西洋文明中心視点の誤ったイスラーム解釈はないか? 世界のイスラームに関連するトピックを題材に、より深いイスラーム理解にたどり着くための往復書簡。イスラーム教徒でイスラーム法学者である中田考、非イスラーム教徒でイスラーム思想研究者の飯山陽、専門を同じくしつつも互いに異なる立場の2人による、火花を散らす対話。  

破綻国家アフガニスタンと中村医師の殺害 中田考

1.序

2019年12月4日アフガニスタンの東部ナンガルハル州のジャラーラーバードにおいてペシャワール会の中村哲代表が、同乗していたアフガン人の運転手や護衛と共に銃撃され死亡し、日本政府は旭日小綬章を追贈しました。今回は、このニュースに因んで主としてターリバーンとの和平の動きに焦点をしぼって破綻国家アフガニスタンについて論じてみましょう。

2.ペシャワール会と平和主義

中村哲先生はハンセン病を専門とする内科医で、1980年代からアフガニスタンで医療支援に関わってきました。しかしアフガン人の命を救うには医療支援以前に飲料水と灌漑用水が必要と考え、アフガン人の伝統と宗教を尊重し、日本とアフガニスタンの伝統の土木技術を活かした灌漑事業を行い、アフガニスタンでも広くその活動を知られ、2018年4月にはアシュラフ・ガニー大統領からガジ・ミール・マスジッド・カーン勲章を授与されていました。

中村医師は、生前、憲法9条があり日本が海外でこれまで一度も武力行使をしてこなかったこと、アフガニスタンに日本が戦闘部隊を派遣していないことが、ペシャワール会が現地で活動する上での最善の安全保障だ、と言っていました。そのため、日本での事件に対する論調は、アフガニスタンの現状とは無関係に、憲法9条の護持か改正、自衛隊の海外派遣への賛否の持論の「出しに使われている」としか言いようのないものばかりです。そういう議論がアフガニスタンの理解に役に立たないことは言うまでもありませんが、なによりも武装と非武装のどちらが安全か、などといった粗雑な抽象論は、ミクロなレベルでもマクロなレベルでもどうとでも言えて実際には何も言ったことにならないのが問題です。

先にミクロな話からすると、「非武装こそ一番の安全保障」は中村医師の持論であり信念でしたが、現実には彼は護衛と共にいたところを殺害されており、武装して殺されることで自ら自己の持論の正しさを実証したとも言えます。しかし武装していなければ安全だったかというとそうも言えません。というのも、ペシャワール会が襲われたのは中村医師が初めてではなく、2008年にメンバー伊藤和也氏がターリバーンに拉致、殺害されており、この事件をきっかけにペシャワール会は日本人は中村代表を除きアフガニスタンから撤退しており、中村医師が信念を曲げても護衛を付けざるをえなくなったのは、この事件後、日本政府、アフガニスタン政府から有形無形の圧力があったからだと推測する合理的な理由があります。アフガニスタンに行ったことのない読者の皆様には分からないと思いますが。

伊藤氏の事件も複雑です。当時のペシャワール会は中村医師の信念に則り非武装でしたが、伊藤氏はターリバーンに襲撃されており、中村医師の殺害に関してはターリバーンはいち早く事件への関与を否定していますが、当時のターリバーンのムジャーヒド報道官は「(ペシャワール会が)住民に役立っていたことは知っているが、西洋文化を住民に植え付けようとするスパイだ。我々は全ての外国人がアフガニスタンを出るまで殺し続け、日本のように軍隊を駐留していない国の援助団体でも殺害を続ける」と声明を出しており、 ミクロなレベルでも非武装の人道活動に徹し、マクロなレベルでも日本が軍隊をアフガニスタンに派遣していなくても、襲撃を防げなかったからです。とはいえ、ターリバーンは非武装の伊藤氏を誘拐しましたが、実は殺してはいませんでした。彼が殺されることになったのは、発見したアフガニスタン政府の警備隊とターリバーンと銃撃戦になったためであり、殺された原因は武力行使だとも言えます。

政府は中村哲医師の著作『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(NHK出版、2013年)を英訳し2020年度中に海外57カ国に寄贈する計画を決めました。同書の理念が現在の安倍政権の方向性とは一致しないように思われることは別として、お役所にしては機敏で日本のイメージアップになる良い広報戦略だったと思います。

3.武装と安全

私も2010年3月、2011年4月、2011年11月-2012年1月まで、2013年1月と4回アフガニスタンを訪れました。首都カブールだけでなく、ターリバーンの強いジャラーラバードやカンダハルにも行き、政府機関からバザール、モスク、難民キャンプまでいろいろな場所を訪れました。もちろん銃など携行していませんし護衛をつけたことなど一度もありませんでした。私はパシュトゥーン語はまったくできず、ダリ―語(ペルシャ語アフガニスタン方言)も片言しかしゃべれないのでたいていはアフガニスタン人の知人と一緒に行動しました。たまに一人で出歩くこともありましたが、特に襲われたりもしませんでした。といっても、統一イスラーム党の事務所に居候していた時には事務所にはカラシニコフを持った護衛が何人も常駐していましたので、非武装だから安全だったとも、武装した護衛がいるから安全だとも言えません。私のアフガニスタンでの行動の詳細を知りたい人はTwilogで@HASSANKONAKATAのその時期の過去ログを検索してみてください。一緒にアフガニスタンに行ったムスリムのジャーナリストのシャーミル常岡氏は非武装でしたが政府側の民兵組織に誘拐されました。しかし5か月後に解放されて帰国しました。事件については『常岡さん、人質になる。』(エンターブレイン、2011年)という本になっています。常岡氏も非武装だったから誘拐された、とも言えますが、武装していて抵抗していれば殺害されていた可能性が高いので、非武装だったから生きていられた、と言えなくもありません。

要するに武装していようと武装していまいと、殆どの場合には殺されませんし、殺されるのは稀ではあっても、武装していてもいなくても殺される時は殺されます。例が少なくそれぞれの個別の事情が違いすぎますので、一般化してどちらがより危険、とさえも言えません。要はケースバイケースとしか言いようがないということです。中村氏の場合、未だに「犯行声明」は出ておらず、ターリバーンは否定しています。イスラーム国関係者が殺害したなら必ず「戦果」を発表するはずですので、真相は闇の中です。私がペシャワール会の関係者から聞いたところでは、ペシャワール会の現地での渉外担当者の話では利権がらみで地元のヤクザに殺されたのだろう、ということでした。これから政府がイスラーム武装勢力の犯行だと発表してもその信憑性は薄いと私は思います。常岡さんのケースでも実は誘拐犯はアフガニスタン政府側の民兵でしたが、政府はそれを最後までターリバーンだと言っていましたので。

マクロな話も同じことで、ターリバーンの報道官が明言している通り、アフガニスタンに軍隊を送っていない国の民間人でも殺害される可能性があります。もちろん、世界最強の米軍も2001年のアフガニスタン侵攻以来2000人以上が殺されていますので、武装すれば安全などということはありません。ちなみにこの数はブラックウォーター社のような民間軍事会社の武装集団の犠牲者を含んでいません。

アフガニスタン内戦に限った話ではありません。日本では、右翼は戦争が出来る軍隊がないと国が守れないと言い、左翼は平和憲法がなければ戦争になる、と言い続けていますが、どちらも無意味な議論です。ここではそもそも軍隊とは何か、自衛隊は軍隊なのか、戦争とは何か、対テロ戦争は戦争か、などという問題には踏み込みません。「常識的」な意味での「軍隊」、「戦争」の意味で、世界にはバチカンやモナコやパナマやモーリシャスなど軍隊を持たない国が30ほどありますが、対外戦争も内戦も起きていません。一方、世界最大の軍事力を持つアメリカやアメリカに次ぐ核兵器を有するロシアは世界中で戦争に巻き込まれています。また軍隊を持ち交戦権を持つ「平和憲法」などない普通の国でも殆どの国は対外戦争を仕掛けなどしませんし、内戦に陥ってもいません。戦争になるかならないかは、軍事力の有無、多寡の問題ではありません。戦争の原因は複雑ですが、地域情勢、国際情勢などの外交や内政の方が重要で、軍事は外交や内政にとっての与件でしかありません。

ミクロな個人のレベルでもマクロな国家のレベルでも、安全保障は単に物理的暴力の問題ではなく、総合的に考える必要があります。そしてそれは中村医師の殺害を「テロ」に還元することの問題性にも関わってきます。

4.アフガニスタン内戦

ペシャワール会の灌漑事業は大きな成果をあげており、中村医師がガジ・ミール・マスジッド・カーン勲章、旭日小綬章を受賞したのも無理もありません。しかし、アフガニスタンの国政の中では彼の殺害は些末事に過ぎません。ちなみに私はアフガニスタン東部を中心に活動していたペシャワール会ではなく、南部のカンダハルで医療活動を行っているカレーズの会を通してアフガニスタンと関わっていましたので、中村医師の著作には親しんでいましたが、同氏とは個人的面識はなく、ペシャワール会とはたまたま、アフガニスタン国内で長年渉外を担当していたペシャワール会の会員の方が私の拳法の先生の弟子なため、時々裏話を聞くだけで直接の関係はありませんでした。

アフガニスタンは日本の外務省が全土に退避勧告を出しているので読者の中でも知っている人は少ないと思います。アフガニスタンは人口3000万人、一人当たりGDPは2000ドルほどの中規模の貧しい国ですが、国際的には極めて重要です。歴史的背景は複雑なので後ほど説明します。まず、なぜアフガニスタンに退避勧告が出ているのかというと、アフガニスタンがFund for Peaceのリストによると世界でワースト9の破綻国家だからです。最近ではfragile state(脆弱国家)と言うそうですが、「破綻国家」と呼ぶ方がアフガニスタンのろくでもなさがよく伝わると思うので「破綻国家」でよいでしょう。まぁ、「国家」など支配者たちが愚民を隷属させるために架空に映し出した幻影ですので、「破綻国家」であることは、かならずしも悪いことではありません。『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社、2013年)を読むとそれがよく分りますが、話を元に戻しましょう。

アフガニスタンが破綻国家になった直接の原因は、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以来の内戦を収め2000年には国土の90%を実効支配していたアフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)を2001年にアメリカが崩壊させ、腐敗、不正と内紛、相互殺戮で人心を失っていた北部連合に傀儡政権を作らせたことです。その後、20年が経ちますが、政府の腐敗も治安も一向に改善されないどころかむしろ悪化の傾向を示しています。

ベルリンに本部を置く国際透明性機構の2017年のインデクスによるとアフガニスタン調査対象国180か国中腐敗度177位(下から数えて)の腐りきった国です。また国連アフガニスタン支援団(UNAMA)によると、2019年7~9月には市民1174人が死亡、3139人が負傷しており、死傷者4313人は四半期の記録として過去10年で最悪になります。国連(UN)もアフガニスタンでは過去10年間に戦闘による民間人の死傷者が10万人以上になると報告し紛争の終結を求めています。

2019年12月には『ワシントン・ポスト』が米政府の監査機関のインタビューに基づき、1兆ドルを投じたアフガニスタンの戦争が失敗であったことを報じています。ブッシュ、オバマ両政権のアフガニスタン担当特別代表ジェームズ・ドビンズ氏は「我々は暴力が絶えない国家に平和をもたらそうとして侵攻したが、アフガニスタンでは明らかに失敗した」と述べています。現場の声としては、オバマ政権現地部隊顧問ボブ・クローリー元陸軍大佐が「みんな、良い報告ばかり聞きたがっていたので、悪い報告はしばしば抑えられた」「すべてのデータの要素は、最も良い状況を見せるために変更された」と述べています。私が自分の目で見たアフガニスタンの腐敗の現状については後で改めて述べることにします。

5.ターリバーンとアフガニスタン和平

実は2017年に米大統領に就任したトランプは前任者たちのアフガニスタン政策の失敗を認め2018年7月にターリバーン(アフガニスタン・イスラーム首長国)との直接和平交渉を国防省に指示し、2019年1月にはアメリカは完全撤退でターリバーンと合意に至った、と報じられました。とは言え、トランプがアフガニスタンからの撤兵を決めても、アフガニスタンに累計1兆ドルにも達した利権を有する軍産複合体が強硬に反対しているため紆余曲折があり、順調には進んでいません。9月5日にカブールで起きた米兵を含む12名が死亡したターリバーンによる自爆攻撃のために、9月7日トランプ米大統領は、キャンプデービッドで開催を予定されていたアフガニスタンのターリバーンとの極秘会談をキャンセルし、1年に及ぶ「和平交渉」の突然の中止を発表しました。しかしその3日後の9月10日にはトランプはこの会談に強硬に反対していたボルトン安全保障担当大統領補佐官を解任しました。タリバンとの交渉の障害であったボルトンがいなくなったことでトランプが交渉を再開するのではないか、との憶測が飛び交う中、9月12日にはカタールのターリバーン報道官はトランプに和平協議の再開を呼び掛けました。その後、12月29日にAPなどがターリバーンが全土で一時的な停戦に応じると報じましたが、31日にターリバーンは停戦報道を否定しました。これが本稿執筆時点でのアフガニスタンの状況です。

世界の動きにはいくつものレイヤーがあります。このアフガニスタンの例では、2019年29日のターリバーンの一時的停戦報道と31日のその否定報道などは超短期の動きですが、トランプ政権成立以来のターリバーンとアメリカの和平交渉の進展などの短期の動きは、主として政治家などのアクターの個人的行動によるものです。ターリバーン代表部との和平交渉を主として担ってきたのは米国籍を持つアフガニスタン人で米国アフガ二スタン和平担当特別代表ハリルザードであり、それに反対していたのがボルトンでした。そしてハリルザードとボルトンの対立の背景には、アフガニスタン経由でトルクメニスタンの石油天然ガスなどの中央アジアの資源にアクセスするためにターリバーンとの和平を進めてきた米国の石油産業の利益を代表するハリルザードとアフガニスタン内戦で得た権益を守ろうとする産軍複合体の利益を代表するネオコンのボルトンの対立という、米国内政の経済政治的要因がありました。

ターリバーンとアメリカの戦いの原因はアメリカがアフガニスタンに侵攻しタリバン政権を瓦解させたからであり、アメリカの侵攻の原因は2001年の9・11アメリカ同時多発攻撃を計画したビン・ラーディンが率いるアルカーイダがターリバーン政権の庇護下にあったからです。しかしそもそもビン・ラーディンがアメリカを攻撃したのは、1990年のイラクによるクウェート侵攻を口実にアメリカが多国籍軍を組織しイスラームの聖地であるアラビア半島に軍を送り1991年にイスラームの同胞の国イラクを武力で蹂躙したからです。アフガニスタンの例では過去30年のこれぐらいの経緯が中期のレイヤーです。

この間1993年にアメリカの国際政治学者サミュエル・ハンチントンが『フォーリン・アフェアーズ』に発表した 「文明の衝突?」は、長期的スパンを有する文明的要因の国際政治における重要性を指摘し、冷戦終了後の世界では、西欧文明とイスラーム文明と中国文明の衝突がこれからの世界の不安定要因であると予言したものでした。

国際政治における長期的なレイヤーにはこの文明的要因と地政学的要因があります。アフガニスタンにターリバーン政権が誕生したのは、1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連軍をジハード(武装闘争)によって撤退させたムジャーヒディーン同士の内戦を収拾させたためでした。そしてビン・ラーディンはムジャーヒディーンたちの対ソ連ジハードに義勇兵として参加していたのであり、アルカーイダの母体はその時の彼の同志たちであり、彼らは現在では敵となったアメリカのCIAによって資金と武器の援助を受けていました。なぜなら当時はアメリカとソ連は東西冷戦によって対立していたからであり、アメリカはソ連との戦いにビン・ラーディンたちを利用したのであり、結果的にアフガニスタン侵攻の失敗によりソ連は崩壊への道を辿ることになったのです。

ソ連のアフガニスタン侵攻に対するCIAのムジャーヒディーンに対する資金、武器援助は当時の文脈から冷戦の枠組で解釈されるのが常です。しかしこの戦いは、19世紀から20世紀にかけての英露両国によるアフガニスタン争奪戦争「グレート・ゲーム」の延長ともみなされます。「グレート・ゲーム」とは地政学上、大陸国家(ランド・パワー)ロシアと海洋国家(シー・パワー)イギリスとの抗争と分析されるものです。「東欧を支配するものがハートランドを支配し、ハートランドを支配するものがワールドアイランドを支配し、ワールドアイランドを支配するものが世界を支配する」と述べたのはイギリスの地政学者ハルフォード・マッキンダーでした。19-20世紀において「ハートランド」とは、なによりもコーカサス、中央アジアであり、その支配をめぐって、ロシアとイギリスがアフガニスタンを主戦場の舞台として「グレートゲーム」を繰り広げていたのです。ですからロシア帝国の継承国家である大陸国家ソ連とイギリスの地位に取って代わった海洋国家アメリカによるアフガニスタンをめぐる戦いは「新グレート・ゲーム」とも呼ばれています。

実はかつてのソ連時代にアフガニスタンに侵攻し現在の内戦の原因を作ったロシアは2018年にアフガニスタン政府とターリバーンの代表をモスクワに招いて国際会議を開いていましたが、2019年9月7日にトランプがターリバーンとの交渉中止を発表すると、9月13日にロシア外務省は、ターリバーンの代表がモスクワを訪れ、アメリカとの交渉再開が必要と述べたと発表しました。また11月26日イラン外相ザリーフがテヘランでターリバーンの公式代表団と会談を行いアメリカに代わってアフガニスタン和平のイニシアティブを取る意欲を示しています。これらの展開は、ターリバーンと米国の和平が単なる二国間関係ではなく、地政学的問題であることを示しています。

まとめると、アメリカとターリバーンの和平には、長期的なイスラーム文明と西欧文明の対立という文明論的要因、大陸国家と海洋国家の覇権争いという地政学的要因の層、アフガニスタンの内戦の継続による権益の維持を望む米国軍産複合体とアフガニスタン和平による石油天然ガス新規開発を狙う石油産業による対立のような中期的な政治経済要因の層、短期的なトランプ政権の登場による政治的アクターの思惑や動機のようなコンティンジェント(偶発的、不測、条件依存的)な層のような、それぞれ異なるタイムスパンと別の力学、論理で動く重層的な背景があり、その意味と今後の展開を予想するには、それらの要因を考えあわせ総合的に判断する必要があるということです。

トランプ政権やターリバーン首脳部のアクターたちの決断というコンティンジェントな短期的要因に関する言説は、中長期的な研究を本務とする大学や研究機関などの研究者は言うまでもなく、中短期的な動きを対象とするシンクタンクやマスメディアの調査員、分析者なども全く予想もできず、事実を報告するだけか、後出しじゃんけんのような説明に終始しました。短期的な動きが研究、分析の対象にならないのは構造的な問題です。あたかも分析、予想ができると述べる者たちは、占い師の類に過ぎず、短期的な安全保障、治安対策の議論は御神籤以上の物ではありません。というのは、こうしたパーソナルなコンティンジェントな情報は当事者にしか分からず憶測を述べることしかできず、たとえ彼らがリークしたとしてもそれは特定の政治的目的を達成するためのポジショントークだからです。しかし本当の問題は、短期的な分析は、アメリカの社会学者マートンの言う自己成就予言(あるいは自己破壊予言)という形で現実に影響を与えてしまうからです。特にネットで情報があっという間に拡散する現代においてはです。「黒人は問題を起こす」といった白人の差別的言説が黒人を社会から締め出し実際に問題行為を起こさせてしまう、というのがマートンが挙げる有名な自己成就予言の例の一つです。

ですから、短期的な動きについて研究者に出来ることは、事後的にいかに事実を幅広く取材し丹念に調べ上げ、それを詳細かつ正確に報告、報道することだけであり、それによってはじめて中長期的研究、分析が可能になります。もちろん、客観的な研究ではなく、特定の政治的目的をもって自己成就予言、自己破壊予言を行いたいなら話は別ですが。

6.ターリバーンの復活

アメリカ軍は18年にわたって1兆ドルも蕩尽しながらターリバーンを軍事的に打倒できませんでした。それどころかむしろターリバーンは勢力を伸ばしており2018年には一時的にファラフ州とガズニ州の州都を占拠しています。

実はターリバーン自体には勢力を伸長する要因はありません。むしろ弱体化してもおかしくないのです。というのは指導者アミール・アルムゥミニーン(信徒の長)ムッラー・ウマルが2013年4月に死亡し、そのことを隠蔽していたことが2015年7月に暴露され、指導部の支配の正当性が揺らぎ、後継者となったアフタル・ムハンマド・マンスールも2016年に米軍の爆撃で死亡しているからです。それだけではありません。2015年には一部が離反しイスラーム国(ISIS)に合流しました(ホラサーン州)。また2016年9月にはアフガニスタン・イスラーム共和国成立以来、共和国政府と外国駐留軍との武装闘争を続けていたイスラーム党(Hizb-I Islami)(ヒクマチヤル派)が政府と和解したため、アフガニスタン政府軍の内戦の負担は軽減しているはずです。

にもかかわらずターリバーンの勢力が伸びているのは、ISAF(国際治安支援部隊、多国籍軍)が2014年末に解散し、治安権限をアフガニスタン政府に委譲したせいであると考えざるを得ません。そして本来であればISAFの解体と同時に「外国軍」は全て撤退すべきであり、そうすればアフガニスタン・イスラーム共和国は既に崩壊し、ターリバーン政権が復活していた可能性が高いと私は思っています。そうなっていないのは米軍がアフガニスタンに居残っているからです。ピークだった10万人よりは大幅に減っていますが、現在も約1万4千人の米軍が残っています。北部同盟の故アフマド・シャー・マスード(2001年没)元国防相の息子の政治家アフマド・マスードも「アフガニスタン政府にはタリバンとの戦闘を続ける能力がない」と述べ、米軍が撤退すれば腐敗し統率力のないアフガニスタンの治安部隊は崩壊すると警告しています。

2008年6月12日パリでアフガニスタン復興支援国会議が開かれました。当時のカルザイ大統領は、拡大する貧困とターリバーンに対抗するためとして5年間で500億ドル(約5兆4千億円)の支援が必要である、と訴えました。日本は5億5千万ドル(約590億円)の支援を表明しましたが、支援国は援助が本当に必要な人々に届くかについて懸念を表明し、カルザイに対し汚職撤廃と法の順守の強化を求めました。しかし実際にはアフガニスタンへの支援は政府の腐敗と汚職の温床となったに過ぎませんでした。その結果が、今日のターリバーンの復活です。

私がアフガニスタンを訪問したのは、日本の5億5千万ドルをはじめとする巨額の資金援助がアフガニスタンに流れ込んでいた時期でした。アフガニスタンのような破綻国家で生きていくには、立ち位置をはっきりさせ誰かの客分になるしかありません。私が選んだのはイスラーム党(Hizb-i Islami)の分派の統一イスラーム党(Hizb-I Muttahid-Islami)の食客となることでした。イスラーム党とは思想的にはアラブのムスリム同胞団、インド亜大陸のジャマーアテ・イスラーミーに近いスンナ派イスラーム改革主義を奉ずる全国政党でした。しかし同じスンナ派イスラーム改革主義を取るイスラーム協会(Jama‛at-i Islami)がタジク人を主体としているのに対しパシュトゥーン人を主体とし、党首のグルブッディーン・ヒクマチヤールとタジク人主体のイスラーム協会の党首ブルハーヌディーン・ラッバーニーが犬猿の仲であったため、ソ連進駐軍の撃退、1992年の共産主義政権の打倒後、ムジャーヒディーン政権の主導権を巡り、大統領のラッバーニーと首相のヒクマチヤールが内戦に突入しました。ターリバーンの台頭、政権獲得は、この内戦の結果でした。

ターリバーン政権時代、イスラーム党は民族的に同じパシュトゥーン人を主体としていることもあり、ターリバーン政権に服従していました。その頃ターリバーン政権の支配を拒みイスラーム党から袂を分ったワヒードゥッディーン・サバーウーンは宿敵のイスラーム協会と手を組み北部同盟に参加しターリバーン政権と戦っていました。ところがアメリカ軍の空爆に支援され北部同盟が首都カブールに入りアメリカの傀儡政権の中核となったため、サバーウーンは統一イスラーム党を組織しカルザイ政権に参加しました。私がアフガニスタンを訪れた時にはサバーウーンはカルザイの部族問題担当国務大臣(大統領顧問)でした。

7.アフガニスタンで目にした腐敗の実態

私がアフガニスタンに行ったのは、本来のアフガニスタンの正当政権であるターリバーン政権(アフガニスタン・イスラーム首長国)がカルザイ政権を平和的に承認する形でアフガニスタンに和平を実現する糸口を見つけるためでした。ただしターリバーンは国際的にテロリストに指定されていただけでなく、現実にカルザイ政権と血で血を洗う内戦を戦っていましたので、アフガニスタンでターリバーンと接触することは簡単ではありませんでした。そこでイスラーム学者としてとりあえず、民族的にパシュトゥーン人を中心とし、比較的ターリバーンと関係の良かったイスラーム党の分派の統一イスラーム党の食客になる、という道を選んだのでした。したがってアフガニスタンで現場を見たと言っても、私が接触したのは、殆どが統一イスラーム党のスンナ派イスラーム改革主義のパシュトゥーン人でした。といっても、最初に書いたように、私はパシュトゥーン語は全く話せませんので、コミュニケーションは片言のペルシャ語とアラビア語と英語でしたので、バイアスがかかっているのは自覚しなければなりません。

しかし、訪問を重ねるうちに、サバーウーン党首の公的な立場は別として、個々人のレベルでは統一イスラーム党のメンバーはカルザイ政権と戦っているヒクマチヤールのイスラーム党は言うまでもなく、パシュトゥーン人つながりでターリバーンのムジャーヒドとも裏でコンタクトを取り合っていることが分かってきました。またパシュトゥーン人が主体であるにしても統一イスラーム党にはウズベク人やタジク人もおり、シーア派のタジク人で選挙に立候補したメンバーまでいました。アフガニスタンは多民族社会ですが、イスラーム党、イスラーム協会、ターリバーンなどの組織、地方や街区もまた多民族、多宗教の入れ子構造になっていることが彼らの間で暮らしていると実感されました。

アフガニスタン訪問の目的は和平の仲介でしたが、実務的に行っていたのは教育、医療、人道援助でした。日本のムスリムの同胞からの募金でアフガニスタンでテント、薬品、毛布などを買って必要な人の許に届けるのです。国連のような援助ビジネスとは違い、私自身は寄付することはあっても、そこからは必要経費も含めて1円も受け取らず、アフガニスタンへの渡航費もアフガニスタンでの生活費も全て自弁でした。

ちなみにアフガニスタンを訪問したのは2010年が初めてでしたが、私は実はサウジアラビアの日本大使館で専門調査員をしていた1992~1994年からアフガニスタンウォッチャーでした。というのは、当時はソ連の侵略者を追放したムジャーヒディーンが政権を握り内戦を始めた時期であり、サウジアラビアのワッハーブ派がアフガニスタン・イスラーム解放同盟議長のアブドッラスール・サイヤーフを中心にアフガニスタンのスンナ派ムジャーヒディーンを支援していたからです。私はリヤドのイスラーム党の代表で当時イマーム・ムハンマド・ブン・サウード大学のシャリーア学部の学生だったサイイド・ハビーブッラー君に個人的にペルシャ語(アフガニスタン・ペルシャ語=ダリー語)会話を教わり、イスラーム党が行っていた戦災孤児支援プログラムで孤児を支援していました。当時まだターリバーンは結成されておらず私はムジャーヒディーンの中でイスラーム党を支持していました。アフガニスタン訪問にあたってイスラーム党に接触しようと考えたのもその時からの因縁でもありました。

人道援助の詳細は上記のTwilogを見てもらえば分かりますが、難民キャンプを訪問して分かったことは、国連のロゴの入ったテントでも、実はそのテントは国連職員が横流ししたものを買ったもので、実際には国連の援助は入っていないこともある、といった驚くべき実態でした。私自身、テントを買うためにバザールに行き、国連から横流しされた品が格安で売られているのを確認し、安かったのでそれを買って困窮者に届けました。私がそうした市井でのミクロなレベルの腐敗を自分の目で見て知っていることが分かると、統一イスラーム党のメンバーたちが国際機関と政府の腐敗の実体を教えてくれました。そして彼らが口々に言うのは、我々アフガニスタン政府は確かに腐敗しているが本当に腐敗しているのはアメリカでありアフガン人の政治家はそのおこぼれを少しもらっているだけだ、ということでした。

既に述べたように、私がカブールを訪れた時期は、日本だけでも5年間で約590億円、莫大な支援金がアフガニスタンに流れ込んでいた時期でしたが、私が居候していた首都カブールの政権与党の政党本部でさえ、一日の殆ど停電、断水しており、ガスはそもそも来ていませんでした。アフガニスタンには工業は殆どなく、農産物も周辺国も農業が豊かなため、殆ど外貨獲得の手段がありません。しかし前の道さえ舗装されていなくても、政治家たちはお城のような豪邸に住んでいました。外国からの支援金が必要なところにまわっておらず、金持ちたちがISAF(米軍)や外国の支援団体から甘い汁を吸って私腹を肥やしていることは、誰の目にも明らかでした。

8.反ターリバーン・プロパガンダとターリバーンの実像

既に述べたようにカルザイはターリバーンと戦うため、との口実で、支援国からの援助を引き出しました。支援金のピンハネや支援物資の横流しはアフガニスタンに限らずよくある手口ですが、実はアフガニスタン独自の方法があります。女子教育支援の援助金を横領し女子高を建設するとの名目で建材を買ったことにし領収書を偽造し実際には二束三文で張りぼての建物を作り完成間際で放火し、ターリバーンが燃やしたことにするのです。

誹謗中傷でターリバーンを悪役に仕立てあげて、その悪役と戦っている、ということで自分たちを正義の味方に見せて「国際社会」から支援を引き出す、というのはターリバーンに限らずムスリム社会によくある手口ですが、「ターリバーンが女子教育を禁じている」などという妄言はその典型です。私はカブール大学学長などカブール大学の教官たちとも会って直接話を聞いて確認しましたが、ターリバーン政権時代も、カブール大学は男子学生と同じく女子学生を教え続けていました。また私はカブールで実際に元アフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)在パキスタン大使アブドッサラーム・ダイーフ師が理事長を務めるアフガン・ファウンデーションが運営し、元同外相アフマド・ムタワッキル師が校長を務める女子校を見学し女性教師とも話をしターリバーンが女子教育を禁じていないことを確認しました。

もちろん、ターリバーンが乏しい予算の中で男性教育への投資を女性教育への投資に優先していることは確かです。しかしそれは女子教育を禁じていることにはなりません。灘育英会が男子校灘中学校・高校しか設立しなかったからといって女子教育を禁じていることになっていることにならないのと同じです。また違法行為を行ったり、反社会的行為を教えている女子高を閉鎖してもそれは女子教育を禁じることにはなりません。イスラーム共和国であれ、イスラーム首長国であれ、イスラームに反する教育を行う女子高を閉鎖してもそれは当然であって、女子教育の禁止にはなりません。日本で売春や麻薬売買をしている女子高をつぶしても女子教育の禁止にならないのと同じことです。

「ターリバーン」とは「イスラーム学徒(複数)」を意味するダリー語、パシュトゥーン語で、もともと彼らがパキスタンのデオバンディー学派のマドラサ(イスラーム学校)の学徒たちの世直し運動であったからそのように呼ばれるようになりました。ダイーフ師やムタワッキル師はターリバーン運動のメンバーであり、アフガニスタン・イスラーム首長国の政治家でしたが、イスラーム首長国の崩壊後、米軍の捕虜になりました。その後釈放されてアフガニスタンに送還され現在は自由の身ですが、アフガニスタン政府の監視下にあります。

アメリカ軍の捕虜になりアフガニスタンに送還されたターリバーンには二種類あります。第一はアフガニスタン(イスラーム共和国)政府に帰順した者で、カルザイ政権で上院議員になった元首長国巡礼大臣ラフマーニー師などであり、彼らはもはやターリバーンではなく、むしろ裏切り者として暗殺対象となっています。第二がアフガニスタン政府の支配下で監視下にあって暮らしているものの、イスラーム首長国の指導者に忠誠を誓っている者で、彼らはまだターリバーン運動のメンバーではありますが、敵の監視下にあり自由がないため捕虜に準ずる扱いになり、ターリバーン運動の意思決定、執行機関であるイスラーム首長国のメンバーではなく、イスラーム首長国の代表として発言、行動する資格は有りません。ダイーフ師やムタワッキル師はこの第二のカテゴリーに入ります。

9.ターリバーンの来日

私はイスラーム学者としてアフガニスタン国内でダイーフ師やムタワッキル師と面談し意見交換を重ね、2011年3月2日にはムタワッキル師を同志社大学に招いて、アフガニスタン和平について「アフガニスタン支援の現在と未来~大学はどのように貢献可能か~ 」と題して会議を行いました。この時はムタワッキル師と金閣寺で茶を楽しみましたが、もちろん、ムタワッキル師は金閣寺で仏像を壊したりしませんでした。ちなみにムタワッキル師からは、直後の東北大震災に際して「東京近郊の地震と津波の死傷者と難民の悲劇、福島原発事故の悲劇の悲報に大きなショックを受けました。国連や人道組織の救援により日本の被害が抑えられることを願い、回復を心からお祈りしていることを日本の皆様にお伝え下さい。― アフガニスタン・イスラーム首長国元外相 アフマド・ムタワッキル」とのメッセージをいただきました。

金閣寺でムタワッキル師と

ともあれ、この会議で同志社のアフガニスタン和平に対する誠実で偏見のない態度が評価されるようになりました。そしてちょうど2011年にアメリカが、ターリバーンとの和平交渉のために、ターリバーンの公式代表が暗殺や逮捕、拘束から安全に行動できることが保証される場所として代表部を設置することを認め、2012年にはカタールに代表部が開設されました。私はカタールのイスラーム首長国の代表事務所で政治局のメンバーと会うことができるようになりました。こうして国際的な干渉、妨害が起きないように秘密に日本の外務省、法務省、カルザイ政権とも調整の上で、2012年6月27日同志社大学で、カルザイ政権の代表とイスラーム首長国政治局の代表が世界で初めて公開の場で顔を合わせる国際会議が開催されることになったのでした。

会議の内容自体については、同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)のウェブサイトで見ていただくとして、ここでは今までどこにも書いていない秘話を披露しましょう。この会議に来日したアフガン政府の代表スタネクザイはアフガニスタン和平高等委員会の事務局長でしたが、彼は2001年9月11日、同委員会の議長ブルハーヌッディーン・ラッバーニー元大統領と他の4人がターリバーンの刺客の自爆攻撃で暗殺された時に側にいて重傷を負い危うく一命を取り留めており、足を引きずっての参加でした。しかしもちろん、会議の席上で、ターリバーンの代表がスタネクザイを襲うようなことはありませんでした。たとえイデオロギー的に不倶戴天の敵である暗殺の対象であっても、誠実で公平なホストの面子をつぶすような信義にもとるまねはターリバーンは決してしないのです。それだけではありません。会議の後でムスリムの参加者は全員が集まって、その場で最も学識があるアブドッサラーム・ダイーフ師が先導し、イスラーム首長国の政治局代表、スタネクザイが一緒に集団礼拝を捧げました。現世ではたとえ敵味方に別れて殺し合っていても、神の前では政治的立場や地位などは関係なく、学識だけが評価され、共に祈るイスラームにおける「政教分離」の形が鮮やかに具象化された瞬間でもありました。もっとも逆に、共に一つの神に額づきながらも、殺し合うのがイスラームだ、とも言えますが。どんなことにも光と闇の両面があるものです。

会議が終わった後、ターリバーンたちの希望で広島の原爆記念館を見学に行きました。アフガニスタンで多くの民間人を含む犠牲者を出したアメリカ軍の空爆を経験したターリバーンたちは、原爆の資料を見て、「広島もアフガニスタンも同じだ。21世紀になってもアメリカは変わらない」と、空爆の悲惨さに思いを馳せ、アメリカの非人道性を再確認していました。ちなみに広島はイスラーム首長国の代表団とザイーフ師をそろって案内しましたが、京都案内は二手に分かれ、私は首長国代表団を彼らが希望するビックカメラに案内し、ザイーフ師は二条城を観光しました。ザイーフ師は鴬張りの廊下と水堀に感銘を受けていたそうですが、首長国代表はビックカメラで孫への土産のおもちゃを買って帰りました。

10.ターリバーンとの真の和平に向けて

現在のターリバーンは、昔の田舎の神学生集団ではありません。20年にわたり過酷なジハードの中でイスラーム学の研鑽を積み信仰の理解を深めつつ、世界に対する見聞を広めてきた「話が通じる」 相手です。そして今やアフガニスタンは「新グレート・ゲーム」の舞台であり、イスラーム首長国時代から良好な関係にあった中国、パキスタンだけでなく、仇敵、ロシア、イラン、アメリカまでもが、ターリバーンとの和解の道を模索しています。

しかし、ターリバーンを悪役に仕立て上げ、ターリバーンと戦うという名目で私腹を肥やすアメリカのアフガニスタンにおける利権屋たちがターリバーンとの和平を妨げています。アフガニスタン政府(イスラーム共和国)とは対話しない、というのがターリバーンの立場ですが、同志社大学は、民間の一大学でありながら、世界で初めて、アフガニスタンのイスラーム首長国とイスラーム共和国の代表が同席する、という快挙を成し遂げました。金も力もない民間の大学になぜそれができたのか、というと理由は簡単です。それは仲裁の基本である中立、公正の原則を護ったからです。それは先ず第一に同志社大学がアフガニスタンに関するいかなる利権のしがらみもなかったことですが、それだけではありません。より重要だったのは、招聘の時点から公開会議の席上まで、一貫して、ターリバーンをアフガニスタン・イスラーム首長国として遇したことです。ターリバーンはイスラーム首長国こそアフガニスタンの正当政府だと自任し、カルザイ政権をアメリカの傀儡として認めていませんでした。ですから、ターリバーンとカルザイ政権の和平は、政府と武装集団の対話の枠組を設定してはそもそも始まりません。それでは和平交渉ではなく、降伏と恩赦の交渉にしかならないからです。

会議が始まる直前、スタネクザイからアフガニスタン・イスラーム首長国の名称の使用に対する抗議がありました。外務省が主催であれば、イスラーム首長国を国家承認したともみなされかねないので、そのような扱いは難しいかもしれません。しかし同志社大学は私立の学術機関なので、政治的には中立であると、要求を拒否しました。スタネクザイも一度は抗議しないと帰国後カルザイ大統領に言い訳できなかったのでしょう、一度は抗議しましたが、同志社が拒否しても席を立つことはなく、会議は終始理性的に行われました。

ターリバーンとの和平は、イスラーム首長国とイスラーム共和国という二つの正当性を争う「国家」の間の和平、という枠組を設定することでしか始まらず、逆にその枠組さえ設定できれば、交渉自体は始めることができることを同志社の会議は世界に示すことが出来ました。また公的なレベルでは国家と国家の代表の立場でしか会わないということは、私人としての立場であれば必ずしも同席を拒否しないということでもあります。会議後ターリバーンとスタネクザイが私的に共に集団礼拝をしたことは既に述べましたが、礼拝の後では和やかに鍋を囲みました。その時の様子とその意味は会議を主宰した内藤正典先生が『イスラム戦争』(集英社新書、2015年)の中で写真入りで論じていますので是非お読みください。

公式な場で筋を通すことも重要ですが、それ以前に私的な関係でパーソナルな信頼関係を築くことも重要です。公式に筋を通すこと、私的に信頼関係を築くことを両輪としてはじめて健全な和平交渉を進めることができます。月並みですが、「原理主義」や「過激派」などのレッテルを貼られステレオタイプで異質な他者であるとの先入見を持たれるアフガニスタンのターリバーンとの和平でも同じことが言えます。特にそのようなラベルが、相手を貶めるステグマである場合、それと戦うことで自己を正義の側に位置付け利権を引き出そうとする政治闘争の手段として用いられている場合はそうです。そういう場合に既得権を握った側が用いる常套句が「テロリストとは交渉しない」です。そうした敵対関係の当事者である治安当局が「テロリストとは交渉しない」との建前を取るのは、理解できますが、利害関係のない第三者、特に研究者はそのような言説に惑わされずに、まず相手方の論理と言葉遣いと行動の語用論を学ばねばなりません。そして言葉遣いと行動の語用論は参与観察による相互作用によってしか知ることが出来ません。

ターリバーンは、スンナ派イスラーム主義運動の主流であるサラフィー主義と違うイスラーム伝統主義に立脚し、イスラーム学者のジハードによって正統カリフの理想的統治を現代に再現しようとするイスラーム政治思想史上も極めてユニークな運動です。しかし実はターリバーンの思想に関しては日本語は言うに及ばず、欧米語でもその基本文献をイスラーム学的に分析した研究は拙著『ターリバーンの政治思想と組織』(現代政治経済研究社、2018年)しか存在しませんので、ターリバーンの思想の基本とその思想史的特徴について知りたい人は同書をお読みください。またターリバーンの実体とイメージと理解の問題点は、レイベリング論やシンボリックインターラクション論などの社会学の理論を用いて分析すべきなのですが、残念ながらイスラーム地域研究では、先駆的なサイードの『オリエンタリズム』の総論的研究の後にはそういう視点から書かれたイスラーム運動の個別的なモノグラフは殆どなく、ターリバーン研究にもそのような理論的考察は存在しません。

書きたいことは尽きませんが、既に与えられた字数を大幅にオーバーしているので、また機会があれば、ターリバーンだけではなくイスラーム国、アルカーイダなど、ステグマを押されたイスラーム運動についてまとめて論じたいと思いますが、今日はこの辺で。

 

 

中村哲氏銃撃事件とイスラモフォビア 飯山陽

年末に起きた二つのテロ事件

2019年末は、イスラム関連の深刻な事件が続き、世界的にも大きく報じられました。

11月29日にはイギリスのロンドン橋でパキスタン系イスラム教徒ウスマーン・カーンがナイフによるテロ攻撃を実行し2人が死亡、12月6日にはアメリカのフロリダ州ペンサコーラ基地で、飛行訓練を受けていたサウジアラビア空軍将校ムハンマド・シャムラーニーが銃撃を行い3人が死亡しました。

アフガニスタンで人道支援を行なっていた中村哲氏が銃撃され死亡したのは、12月4日のことです(https://www.afpbb.com/articles/-/3258044?cx_part=search)。

ロンドン橋のテロについては、「イスラム国」が犯行声明を出しました。ペンサコーラ基地で銃撃をしたサウジ人将校シャムラーニーは犯行前に、ツイッターにアメリカを批判する書き込みをし、ウサマ・ビンラディンの言葉を引用していました。中村氏の銃撃犯人は未だ特定されていません。

長きにわたりアフガニスタン復興に貢献してきた中村氏は、アフガニスタン大統領から国家勲章を受け、名誉市民権も授与されていました。氏は多くのアフガニスタン人に愛されてきましたが、彼を憎む人もいたという現実をこの銃撃事件は明示しています。

イスラム教徒に心を寄せ、粉骨砕身尽くしてきた人がイスラム過激派の犠牲になったという点において、ロンドン橋のテロは中村氏銃撃事件と共通しています。カーン容疑者がまず刺殺したのは、彼の社会復帰を支援するためにその場にいたイギリス人でした。

カーン容疑者は2012年に、ボリス・ジョンソン氏暗殺とロンドン証券取引所を爆破するテロ計画を立てていたとして実刑判決を受けました。裁判ではアルカイダと関係していたことが明らかとなり、公開された録音では、「兄弟よ、こいつら汚れた不信仰者どもをやっちまう必要がある」などと語っていました。異教徒に対し明らかな殺意を持つジハード主義者であることが認定されIPP (Imprisonment for Public Protection)、すなわち裁判官がもはや社会にとって危険ではないと判断するまで服役するという判決を受けました。

しかし翌年、まだ若いのにIPPは厳しすぎると控訴し禁錮16年の減刑判決を獲得、そして実際には7年後の2018年12月に釈放され、それから約1年後にテロ実行に及びました。

消えなかった異教徒への敵意

カーン容疑者は足に電子タグがつけられ、行動制限も課されていましたが、犯行当日は「共に学ぶ」と題されたケンブリッジ大学主催の元受刑者のための更生プログラムに招待されおり、それを理由にその日1日だけロンドン市内に入ることが認められました。当局によって彼は「更生した」と見なされたからです。

しかしカーン容疑者はその機会を利用し、そのセミナーの開催中に、受刑者更生プログラムに協力している専門家らを次々と刺し、二人を死に至らしめました。

殺害された二人はともにイギリス人で、ケンブリッジ大学を卒業し、元受刑者の社会復帰支援事業に取り組んでいた23歳の女性と、25歳の男性でした。

イギリスの司法も、そして社会も、最初の過ちを犯したカーン容疑者に対して非常に寛大でした。彼自身も、刑務所内や出所後に「更生した」と見なされるような振る舞いを意図的にしていた、と周囲の人々は語っています。しかし実際は、彼の中から異教徒への強い嫌悪と敵意は消えず、それは彼を支援しようとしていた異教徒を殺害するという最悪のかたちで表出しました。

事件後イギリスでは、カーン容疑者の早期の釈放は不適切だったのではないかという批判が噴出しました。イギリスでは2012年から2019年までに353人の元テロリストが釈放されており、ロンドンに拠点をおく汎アラブ紙『シャルクルアウサト』は刑期の長さと釈放条件には疑念があると指摘しました。

イスラモフォビアというロジック

同事件の発生を受け、奇妙な反応を示したのがマレーシアです。マレーシア国防相は12月、ロンドンのテロのような事件が発生するたびに世界ではイスラモフォビア(イスラム教やムスリムへの嫌悪や恐怖)が発生する、だから我々イスラム諸国はそのイスラモフォビアと戦っていかなければならない、と述べました。

イスラモフォビアというのは、「ムスリムは被害者だ」と主張するロジックの中で近年特に多用されるようになった言葉です。テロを実行した加害者がムスリムであるにも関わらず、テロ行為やテロ実行者を非難するのではなく、ムスリムやイスラム教を嫌悪したり恐怖したりする「異教徒」を非難するのが特徴です。

このイスラモフォビアを国際法で禁じ、罰則を課すべきだという活動を盛んに行なっているのがマレーシアとトルコ、それにパキスタンです。この三カ国は共同で、世界のイスラモフォビアを監視し、それを報道するためのメディアを立ち上げる計画を立てていると発表しています。

一方イギリス国内で、イスラモフォビアを法制化せよと強く働きかけているのがトルコの強力な支援を受けるムスリム同胞団系組織、英国ムスリム評議会(MCB)と左派の労働党です。人口に占めるムスリムの割合が顕著に増加しつつある中、イスラム系ロビーの力は確実に増大しつつあり、イギリスでもイスラモフォビアこそがテロの原因だとする認識が広まりつつあります。

今回テロが発生したロンドン橋では、2017年6月にもイスラム過激派によるテロが発生し8人が死亡しました。この時、3人の容疑者と格闘し、何度も刺されつつ応戦したロイ・ラーナー氏というイギリス人男性がいました。ラーナー氏は一般に「ロンドン橋のライオン」と称えられましたが、イギリス当局は彼を「イスラモフォビアの懸念がある」として「監視すべき過激派」のリストに加え、「脱過激思想プログラム」を受けるよう命じました。

イスラム過激派テロリストに寛大な措置がとられる一方、身を挺してイスラム過激派テロリストに立ち向かったイギリス人には「反イスラム的なテロリストの可能性がある」というレッテルが当局によって貼られる。これが今のイギリスです。

今回のテロを受け、イギリス政府は服役囚と既に釈放された元囚人について治安リスクを見直すと発表しました。今回のテロでも複数の市民が容疑者の取り押さえに貢献し、大きく報じられましたが、今のところ、彼らがイスラモフォビアの懸念があるとして当局の監視リストに入れられたという報道はありません。

イギリスが今後テロに毅然と立ち向かうのか、それともイスラモフォビアというロジックに絡め取られひたすらテロリストに寛大であり続けるのか、当局の対応に市民の注目が集まっています。

新たな分断を引き起こすおそれ

他方アメリカでは、ペンサコーラ基地でのテロを受け、米軍で受け入れている外国人訓練生の審査を全面的に見直すよう国防省が指令を出しました。フロリダ州で飛行訓練を受けている300人以上のサウジアラビア人訓練生については訓練を一時停止し、治安上のリスクがないかどうかについての人物審査を再度行うよう命じました。

サウジアラビアはアメリカにとって重要な同盟国です。だからこそ、多くのサウジ人兵士を米軍で受け入れ訓練をしているのです。しかしそのことと、サウジ人が実際に米軍施設内でテロを実行したこととは分けて考えなければなりません。テロのリスクのある個人はいくら同盟国の人間であったとしても受け入れるわけにはいかないというのは、極めて合理的な判断です。これは「イスラモフォビアだ」、などと批判されるような措置では決してありません。

中村氏の祖国である我が日本でも近年、メディアでイスラモフォビアという言葉を見かけるようになりました。2017年7月には東海大学国際教育センター准教授であるアルモーメン・アブドーラ氏が『ニューズウィーク日本版』に、「『共謀罪』がイスラモフォビアを生まないか」という記事を寄稿しています。

同氏は改正組織犯罪処罰法、いわゆる「共謀罪法」の施行をうけ、「これでいよいよ捜査機関が日本のイスラム教徒を堂々と監視できるようになる」「これまで陰で行われていたイスラム教徒に対する警察の監視捜査にお墨付きを与えることになる」と懸念を示します。そして2010年に警視庁公安部の捜査情報がネット上に流出し、ムスリムを監視していたことが明らかになった事例を挙げ、そうした捜査が拡大すれば「他の国と同じように、イスラモフォビアの広がりに伴うヘイトスピーチやヘイトクライムなどに拍車をかけることにもなりかねない」と主張しています。

この監視の問題については2011年、在日ムスリムらが、監視は「信教の自由」やプライバシーの侵害であり違憲であるとして東京都を告訴しましたが、最高裁判所は2016年、東京都に9020万円の損害賠償の支払いを命じたものの、情報収集自体は違憲ではないという判断を下し、原告の上告を棄却しました。

アブドーラ氏は「私が日本に来てから今年で21年目になる。その間、イスラム教徒という理由で嫌な思いをさせられたことは一度もない。多様性を認める寛容な日本社会のおかげである」と記し、現在日本にはイスラモフォビアはないと指摘しています。そうであるならば尚更、イスラモフォビアなどという「新語」をことさらに多用し、日本の一般大衆に「あなた方はイスラムを嫌う悪者だ」というレッテルを貼って罪悪感を植え付け、ムスリムをその被害者だと定式化し、日本の社会に新しい分断を引き起こすようなことは厳に慎むべきです。

テロの原因はイスラム過激派自身の中にある

中村氏も、ロンドンやペンサコーラ基地のテロの犠牲者たちも、イスラモフォビアなどというものから最も遠いところにいた人々でした。彼らはイスラム教やムスリムを嫌ったり恐れたりするどころか、ムスリムに尽くし、あるいはムスリムを仲間として受け入れてきた人々でした。

彼らはイスラモフォビアだったからイスラム過激派の標的となったわけでありません。またイスラム過激派も、イスラモフォビアが原因でテロ攻撃を行なっているわけでは全くありません。

イスラム過激派テロの原因はイスラム過激派自身の中にあります。彼らは自ら、『コーラン』の様々な章句を引用し、自分たちはイスラムによる世界征服が実現されるまで神の道においてジハードを続けるのだ、と常に主張しています。

にもかかわらずメディアや「専門家」、文化人などは、イスラム過激派テロは欧米のせいだ、貧困のせいだ、あるいはムスリムを怖がるあなた方のイスラモフォビアのせいだ、などと論理をすり替えます。

2019年12月にサウジアラビアを訪れた国連のグテーレス事務総長は記者会見で、「テロの原因のひとつは、世界の一部地域で行われているイスラモフォビア的な感情表現と、イスラモフォビア的な政策と、イスラモフォビア的なヘイトスピーチだ」と述べました。「イスラモフォビアこそがテロの原因」論は、国連まで侵食しています。

イスラム過激派が自ら、これはイスラム教の大義のためのジハードなのだと常に主張しているにも関わらず、親切を装った外野が「あなた方は本当は、アメリカ帝国主義や、貧困やイスラモフォビアなどのせいで愚かな行動に走ってしまった社会の犠牲者なのだ」と説明することほど、滑稽なことはありません。彼らは、テロそのものには本当は関心などないのです。彼らはテロを利用し、反米イデオロギーを主張したいだけなのです。

私たちが憎むべきはテロという卑劣な行為、テロを奨励する過激派イデオロギーそのものであるはずです。犠牲者はテロリストではなく、テロリストの銃弾に倒れた人々の方です。私たちはテロの原因を作り出す悪者などではなく、テロリストのターゲットです。

テロと戦うためには、イスラモフォビアという新奇な言葉や、メディアや「専門家」、国際機関などの巧みな印象操作、プロパガンダに惑わされることなく、現実を見つめることが何よりも大切です。

 

中田考(なかた・こう)
1960年生まれ。イスラーム法学者。灘中学校、灘高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(Ph.D)。1983年にイスラーム入信、ムスリム名ハサン。現職は同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー。『イスラーム国訪問記』『みんなちがって、みんなダメ』『カリフ制再興 ―― 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来』など著作多数。最新刊『13歳からの世界征服』(百万年書房)。

飯山陽(いいやま・あかり)
1976年生まれ。イスラーム思想研究者。アラビア語通訳。上智大学アジア文化研究所客員所員。上智大学文学部史学科卒。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野単位取得退学。博士(東京大学)。現在はメディア向けに中東情勢やイスラムに関係する世界情勢のモニタリング、リサーチなどを請け負いつつ、調査・研究を続けている。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、最新刊『イスラム2.0』(河出新書)。