第7回 男より弱いものになるということ

精神疾患、自殺未遂、貧困、機能不全家族など、いくつもの困難を生き抜いてきた著者は、あるとき気がついた。じぶんの生きづらさは、女であることでより深刻化させられてきたのではないか。かつて一ミリも疑ったこともなかった「男女平等」は、すべてまちがいだったのではないか。女であることは、生きにくさにつながるのか? ジェンダーの視点を得ていま語る、体験的エッセイ。

行きたくない短大が終わった後は、早稲田大学の美術サークルに通うという日々を過ごしていた。短大では友達がいないので、誰とも話さずに過ごしていたが、その分、サークルでの私は饒舌だった。

「この間、道で暴漢にあったんですよ! 抱きつかれて、体を触られて、死ぬかと思いました!」

サークルの仲間に私はテンション高めに話した。それを聞いた男性たちは、

「防犯ブザーを持って歩けばいいんじゃない?」

とアドバイスしてくれた。

「防犯ブザーってどこに売ってるの?」

私はものを知らない。

「家電量販店とか、そういうところじゃない?」

女の子が答える。

「そうか、そういうところにあるのか」

私は独り言のように答えた。そして、暴漢から身を守るためには女が自衛しなければならないという事実が悲しかった。私の体がもっと大きくて、筋肉がたくさんついていて、男を投げ飛ばせるくらいだったら、防犯ブザーはいらないかもしれない。そんなことを考えながら、男の人は防犯ブザーなど持たなくても安心して街を歩けるのだと気がついた。

安心して電車に乗り、足音を恐れることもなく夜に帰宅できる。男たちはそんな毎日を送っているのだ。不公平、そういう言葉が自分の中に生まれた。学校ではずっと、男女平等だと教わってきたけれど、そんなことはないではないか。

サークルが終わって、帰りの電車に乗り込むと、ぎゅうぎゅうだった。知らない人たちと体を密着させながら一時間近く電車に乗らなければならない。その時、ズボンを履いている私の股間に手が忍び込んだ。私は股間の異物に気がついて身を固くする。

満員電車だから何かの拍子で手が入ってしまったのだ、そうやってやり過ごそうとするが、手はゆっくりと私の股間を撫でる。体を移動したくても、ドアに押し付けられている形で動くことができない。私はなるべく気にしないようにした。自分の意識を飛ばし、自分の体がここにないのだと思い込もうとする。私の最寄駅は終点なので、まだまだ先が長い。私は股間を弄られながら、自分の肉体はこれではないのだと思い込むことに努力した。

家に帰宅して、シャワーを浴びる。風呂場の鏡にはショートヘアの冴えない自分が映っていた。なんで私は痴漢に遭うのだろう。ショートヘアでも女に見えるからだろうか。もっと、醜くなりたい。男が痴漢したくないと思う女になりたい。いや、もう女でいたくない。

私は濡れた体のまま、居間に向かい、ハサミを取ってきて、再度風呂場に向かう。シャワーを浴びながら、ザクザクと髪を切った。バカな私は痴漢から逃れるためには醜くなるしかないと思い込んでいた。母から買ってもらったワンピースは次第に着なくなっていった。地味な変な柄のシャツばかり着て、学校に通った。それでも私は痴漢に遭い続けた。

ずいぶん大人になってから、痴漢が狙うのはおとなしそうで地味な女性だと記事で読んだ。確かに、髪の毛を茶色にして化粧をバッチリしている派手な女は痴漢に遭ったら犯人をしっかり捕まえそうだ。化粧を一切せず、地味で変な服を着ている私は痴漢の格好な餌食だった。

短大生になってから、高田馬場のコンビニでバイトを始めた。バイトがない時は早稲田大学の美術サークルに行って作品を作った。美術サークルでは作品を作る人があんまりいなくて、だいたい飲み会になることが多かった。飲み会になると、私はサークルの部長と話し込むことが増えた。私は子供の頃から父親に映画をたくさん見せられていて、かなり映画に詳しい人間になっていたのだけれど、部長も映画が好きでたくさん見ていたのだ。

サークルのボロボロのソファに座り、大好きな映画の話をするのは楽しかった。そして、私は次第に映画の話をするのが好きなんじゃなくて、部長のことが好きなのだということに気がついた。ふと、気を許すと、部長のことばかり目で追ってしまう。私は人生で初めて男の人を好きになった。しかし、好きになっても、どうやってアプローチすればいいのかさっぱりわからない。それに、自分が男の人を好きになるということもなんだか恥ずかしかった。

それでも、私はなんとかして部長に近づきたくて、サークルの連絡帳を引っ張り出して部長の家に電話をした。部長は油絵を描いているので、油絵の道具を買いに行くのを付き合ってもらえないかと考えたのだ。当時はまだ携帯がなくて、自宅にかけなければならないというハードルの高い時代だった。電話の呼び出しがなると、部長の母親が出た。サークルの後輩だと告げて、部長を出してもらえるようにお願いをする。

「あ、あの。小林です」

緊張して声が上ずる。

「あ、小林さん、どうしたの?」

部長はなんともない感じで答える。

「あの、私も油絵を描いてみたくて、でも、道具を持っていないので、買いに行くのを付き合ってもらえないかなと思って。今度の日曜って空いてますか?」

必死にあらかじめ考えておいたことを話す。

「うん、いいよ。じゃあ、2時に新宿で待ち合わせようか」

部長はあっけなくオーケーしてくれた。私は嬉しくて飛び上がりたい気持ちだった。

日曜日の新宿で待ち合わせ場所に向かう。部長は茶色と白のボーダーのTシャツを着て、ジーンズを履いていた。部長の姿を捉えると私はホッとした。一緒に世界堂まで向かって歩く。サークルで会うときはいつも夜なので、なんだか変な感じだった。

「世界堂カードは入ったほうがいいよ。絶対にお得だから」

部長の言うがまま、私は世界堂のカードに入会した。油絵のセットは一万円近くしたので、カードで買うとたくさんポイントがついてお得だった。あっという間に買い物が終わってしまって、世界堂を出る。まだ一時間しか経っていない。私は別れるのが名残惜しいなと思いながら、何も言えない。

「ちょっとお茶していこうか」

そういって世界堂の近くにあるベローチェに行こうと誘ってくれた。私は弾む気持ちで部長の後を追う。いつもと違ってお酒は入っていないけれど、部長と話すのはやっぱり楽しかった。それは友達と話すのとは違った、なんとも言えない感触だった。

一杯のコーヒーを一時間かけて飲み干し、会計をするとき、部長は「ここは僕が払うから」と言ってコーヒー代を払った。私はびっくりして慌てて「いや、いいです! 自分で払います!」と言ったのだけれど、部長はスマートに支払いを済ませてしまう。私は男の人から奢られるのが初めてで、とても戸惑った。友達同士ではきっかり割り勘なのに、なぜ、部長はコーヒー代を払うのだろう。かと言って、コーヒー代を部長に押し付けるのも失礼な気がして、私は深々と頭を下げてお礼を言った。

夏になり、サークルで合宿が行われることになった。かなりの数の部員が参加するし、もちろん部長も参加する。私もバイト代を捻出して参加することにした。場所は長野の民宿で、みんなでバーベキューをしたり、夜はお酒を飲んだりする。短大で友達がいないので、私はなんとなくテンションが高くなり、いろんな人に話しかける。

夕方ごろに宿について、みんながお風呂に入ったあと、大広間で宴会が始まった。私は部長の近くに座りたいなと思ったのだけれど、部長は少し離れた席に座ってしまった。少し残念に思いつつ、お酒を飲みながら近くにいる人とおしゃべりをする。私はお酒が好きなので、つい飲み過ぎてしまった。ふらふらとしながら、トイレに向かう。トイレから出ると、部長が民宿の入り口に立っていた。

「あ! 部長!」

酔っ払ってご機嫌の私は、部長に話しかける。

「小林さん、ちょっと散歩しない?」

部長の突然の誘いにびっくりしたが、私はオーケーした。靴を履こうとするが、うまく履けないでいると、

「スリッパのまま行こう」

と部長が提案してくれた。

スリッパのままペタペタと民宿の前の道路を歩く。

「うわー! 星が綺麗!」

部長と二人きりだなんて、いつもなら緊張してしまうのに、酔っているので、あまり気にならない。部長は私の後を追ってきて、人気のない木陰に誘った。私が木陰近くの石壁に寄っかかると、突然、部長は私の肩をグイと引き寄せた。私はハッとした。そして、私はその時、負けたのだ、と思った。あっけなく、体を引き寄せられ、されるがままになってしまう自分は部長に敗北したのだ。しかし、その敗北は官能的な敗北だった。

私は負けたことが嬉しかった。決して部長に敵わないことが喜びだった。それは、私が女で部長が男であると言う証なのだ。私はずっと男に勝ちたかった。兄よりも強くなりたかったし、痴漢が寄り付かないくらいの人間になりたかった。しかし、好きな人の前では負けていたい自分がいた。私は部長にされるがまま、体を任せた。部長が力強く、肩を抱くので、少し痛い。

「部長、私、死にたいです」

当時、私はひどいうつ病に侵されていて、いつも死にたかった。けれど、それを誰にも言えないでいた。私は初めて、人の前で弱音を吐いた。

「人間の生き死にを、自分で決めるのは良くないよ」

部長は、そう言って私を諭した。私の目からはボロボロと涙が流れ落ち、それを部長は拭ってくれた。私は心地よい気持ちで涙を流し続けた。部長のことが異性として好きだという気持ちがあるのに、なぜ、「死にたい」などと言ってしまったのか分からない。部長からしたらロマンチックな雰囲気をぶち壊しにした変な女と映ったかもしれない。

私は部長のことが好きだったけれど、他にももっと大きな何かを求めていた。私の家では幼い頃から、父親が暴君のように君臨し、酒を飲んで暴れ、母を殴っていた。私の中にはずっと優しい父親が存在しなかった。自分よりたくましく、力があるが、それを妻や子供に振るうのでなく、守るために使う、そういう父親がいなかった。私は部長の中に父なるものを求めていた。弱さを許し、他者から守ってくれる、そんな存在になって欲しかった。

長野の夜空は東京よりも澄んでいて、何倍もの星がきらめいていた。星だけが私たち二人を照らしていた。

1977年生まれ。茨城県出身。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』『生きながら十代に葬られ』(共にイースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、最新刊『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)が5月10日より発売。

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