第1回 わたしたち、とても大きなハムスター

「ムーミンはふたつ前の誕生日の前日、とつぜんうちにやってきた。身ひとつで。インターホンを鳴らして」……。水があふれる寸前のコップの如く、あやういバランスで保たれていた日常が、突然の訪問者でさざ波がたちはじめる。歌人にして国語科教員、初の著書『せいいっぱいの悪口』で注目を集める著者による、希望と不安、孤独と安堵が交錯する日々を綴るエッセイ。「カバでも妖精でもなく、今ここにこうして生きているもの」  

春はあけぼの

「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎわ少しあかりて」と生徒たちの前で音読するとき、目の前には明け方の空ではなく、なぜかまだ暗くなる前の、白っぽいパステルカラーの大きな夕焼けが見えてくる。これは、いつの記憶の空だろう。

「山ぎわ」と「山の端」の違いを説明するために、黒板になだらかな山をいくつも連ねて、その稜線を黄色いチョークで太くゆっくりなぞっていく。ふと生徒たちのほうを見ると、全員机に突っ伏して眠りこけている。おかしいな。

春だから、みんな眠いのかもしれない。

春だから、学校の前の通りを過ぎる車の音が、目線をやるまでもなくゆっくりと滑らかに去ってゆく。それを聞きながら、わたしもどうしたってねむくなってくる。

ずっと一緒にいると決めてもいいのだろうか春はトラックのんびり走る

という短歌をかつて作ったことがあるが、春はそういうエフェクトをかけたようにいつもより少しぼんやりと映る。ひかりは強いが、やわらかい。眠気がそれをいや増すように、わたしを包む空気はほんわかしている。けれどピントを合わせて見つめる一つひとつの解像度はこんなにも高い。東京では目にしたことのなかった地方特有の、ひと回り小さなポストはいよいよ色褪せてその朱色が目に迫る。とおく見遣る、忙しない鳥のしかしくっきりと、たしかにスローモーションの羽ばたき。

そんなような気がする、ですまされているあらゆることが、ほんとうのこととしてわたしに訴えかけてくる。

かと思えばいきなり連発でくしゃみが出て鼻もつまるが、匂いだって春だからと思えば記憶と結びついてわたしを離さない。

リプトンの水出しアイスティー

今、冷蔵庫から取り出したリプトンの水出しアイスティーはハムスター飼育用のあたらしいおがくずの匂いがする。匂いさえそこにフォーカスすればこんなにあかるくわたしを覗きこむのか。

小学生のころ、ハムスターを飼っていた。小脇に抱えるほどの大きさの、細長いビニルのパックにぱんぱんに詰められた大量のおがくず。袋の端を破って、ゆびで掻きだしてゲージのなかに敷きつめてゆく。ゲージの、メリットシャンプーみたいなあかるいみどり色。

全部あたらしいものに替えてしまうと落ち着かないだろうから、すこしだけ、今までの自分の匂いの染みついたおがくずも残しておいてあたらしいものと混ぜてやるといい。小屋の掃除のために小さな箱に入れておいたはずのハムスターは、しかしどこにも見当たらない。おがくずをせっせと詰めていた、自分の手が気づけばピンク色。そして四本になっている。しかも毛が生えて…見上げるとゲージの扉が閉められている。

「わ、なんか固まってこっち見上げてる」
「きょとん、て感じやね」
「かわいい」
「というよりかアホっぽい」

しばらく訳もわからず、ぼうっとしていたわたしはハッとしてそれからせっせとゲージのなかの匂いを嗅ぎまくる。自分のものじゃない匂いに落ち着かず、そこら辺を手でかき分けかき分け進んでゆく。おがくずが、ゲージを越えて散らばってゆく。部屋が暗くなって、ドアが閉まる――。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの    池田澄子

という句を取り出してあたまのなかでくり返しつぶやくことがある。遊び尽くしたスライムのように、わたしの引き出しにおさまっているこの俳句は、埃やチリや食べもののカスやらが付着してにごっている。もともとはきれいなみず色だったのに。じゃんけんで負けて、わたしは。そのあとがわからない。じゃんけんで負けて(勝って・あいこで)蛍に(人間に・鹿に・カーテンレールに・ハムスターに・先の尖った電信柱に) 生まれたの(生まれなかったの・生まれていたかもしれないの)。

東京にいたころは蛍など見たことがなかったが、この本州の最西端に越してきてから二度見ることがかなった。これが自然の生きものであることが驚きだった。呼吸のように鋭く暗やみに映る、ひかりそのもの。蛍を見ているときに、この俳句をしかしわたしは思いださずにいた。

カバでも妖精でもなく今ここにいるもの

ふと、友人からLINEで「自分は前からわりと死にたいほうだと思ってたけど、それがもしかして本当に迫ってくるかもしれないとなると死にたくないと思うものだね」と言われたことを思い出す。「今回のことに限らず、ずっと病気になるのを待ってるみたいでやだよ」とわたしは返したのだった。「やだね」「こわいね」「手洗いうがいだよ」「マスクもだよ」「でもあんま売ってないよね」「そうだね」「やだね」「こわいね」

未知のウイルスが世界的に広がるさまを半分人ごとのように二人でいつまでもこわがっていた。

とつぜんだけれど、うちにはひとりのムーミンがいる。ムーミンていうのはあの、ムーミン谷のムーミンだ。ムーミントロール。決してカバの妖精ではない。「えっカバじゃなかったの?」と大仰に驚いて見せると、ムーミンは怒る。そして、「ちがいますよ、わたしはムーミントロール。カバでも妖精でもなく、今ここにこうして生きているもの――」そう、静かに言うのだ。

ムーミンはふたつ前の誕生日の前日、とつぜんうちにやってきた。身ひとつで。インターホンを鳴らして。昼寝から覚めでぼんやりしたままドアを開けて、そこに所在なく立っていたのがムーミンだった。

北欧っぽいテイストのものはもともと好きだがムーミンの熱狂的なファンだったわけでは正直ない。だから大きくて真っ白なそのからだに驚いて、しかしせっかくはるばる訪ねてきてくれたのだから、わたしはムーミンを部屋のなかへ招き入れた。ムーミンは「どうもすみません」と言った。

どうやら夫に頼まれて、うちにやってきたらしい。しかし夫は、ほんとうはムーミンとぼのぼのを間違えていた(わたしは昔からいがらしみきおの『ぼのぼの』が好きだ)。色も国も違うふたつのキャラクター。間違えられてやってきたもう片方の、そのひとり。もちろん、ムーミンにそのことは話していない。

それから、三人の暮らしが始まった。

夫はそんな風にときどき間違える。人の名前を間違えるし、年号や日づけを間違える。間違えたことでこうして始まった暮らし。そのことはもうだれも気にしない。夫は温厚でやさしく、そしてよくものを考える。わたしが考えることを放棄してしまったあとも、そのよくわからないモノを拾っていろんな角度から眺めてひとりで根気づよく考えつづけている。でも、「ゲロ吐きそうになるくらいなら、そのことについては考えなくていい」と言う。

もしかしたらいつの日か、わたしたち夫婦のもとに生まれてくるかもしれないそのひとりの、有限かつ無限の可能性のことを話していたとき、夫ははじめてそう言った。「もうゲロ吐きそうになるくらいなら考えないほうがいいよ」と。

うつむいてたから、知らなかった

「おんなじ待合室だったんだね」
と、その後くだんのLINEのやりとりをしていた友人からはそういう返事が来たのだった。わたしは「今回のことに限らずに、ほんとはずっと病気になるの待ってるみたいだ、やだな」と返した。

病気になることそのことが、イコール死をあらわすわけではないが、わたしはいつか自分の名前が呼ばれてしまうのが昔からずっとこわい。小説やドラマに出てくる主人公が罹る病に自分も罹っていると思いこんで、こころのなかで、わたしはずっと何かしらの重い病気であるという設定でいる。設定というよりそれをほんとうだと今も思っている。母はそんなわたしを見て、ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』の主人公のようだとよく言っていた。一種のこれも病気なんだろうと思う。

わたしたち、今までおんなじ待合室で、うつむいて座っていたんだ。うつむいてたから、知らなかったね。

「てかその待合室が人生じゃんね、やだなあ」
「でも、みんなで待ってたらそこが死への待合室でも、マシかもよ」

「だから、毎日大事に生きないといけないね、っていうすごい真面目な結論に着地しそうになってるんだけどそれはどうなの」と友人は言う。

でもほんとうはそんな風に、帰着するはずはないのだ。今を大切に生きようと思ったその決心は、明日にはたいてい消えている。灰色のいくつもの小さな竜巻によって、日常がさらわれるように。

「絶望先生だねえ」と友人は続ける。絶望して、忘れてふりだしに戻る。その繰り返しは早送りすればハムスターの回し車のようだ。一生懸命絶望しながら日常を生きる。たまに嫌気がさして、あるいはなにもかもがわからなくなって、その手足をぴたりと止める。

「わ、回し車やめてこっち見上げてる」
「かわいい」
「かわいいけどやっぱりアホっぽい」

わたしは、そんな自分のことを自分でかわいがってやることができない。絶望先生まっ最中のわたしは、だってこんなにも絶望に忙しい。自分を可能なかぎりのちからで抱きしめて、その両手は、背中に回しても届かない。届かないことがもどかしくて、自分で自分を抱きしめたって仕方ない。

ムーミンが、心配そうにこちらを覗く。

そのときひとりの死は、祝祭だ

「100日後に死ぬワニ」がおめでたいのは、さながら結婚式の要領で死ぬ日がぱんぱかぱーんと定められて、その日までのカウントダウンをあんなに多くの人たちによって小刻みに祝福されるからだ。「死ぬ時が決まってるなんて羨ましすぎない? そんなの人生が輝いて見えるに決まってない??」というSNSの知人のツイートを思い出す。そのときひとりの死は、祝祭だ。

「もっともかけがえのないものとは、『私たち』にとってすら、そもそもはじめから与えられていないものであり、失われることも断ち切られることもなく、知られることも、思い浮かべられることも、いかなる感情を呼び起こされることもないような何かである」(「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」『断片的なものの社会学』岸政彦)

「ワニ、明日死んじゃうのかー」や「ほんとに死んじゃったじゃんか」と思うとき置き去りにされる「わたしの死」に気づくことさえない。もし「待ってわたしだっていつか死んじゃうんじゃん」とハッとしたとしても、その気づきおよび「だから限られたかけがえのない毎日を大切に、ていねいに生きないとね」は持続しない。持続不可能だからこそ、日常生活が可能だとも言えるのかもしれない。

そうだわたしたちは、とても大きなハムスター。

「ムーミンはさ、妖精なんだよね」
「ムーミントロールとは、まあそういうような意味ですね」
「妖精は死ぬの?不死身なの?」
「それは、わたしにも分かりません」

そう言って、ムーミンはお茶をすする。
コト、とカップを置く音がひとつ、部屋は静かだ。

わたしたちは、ふり返るまでもなくまぎれもなく、ひとり一人がかけがえのない生を生きている。生きているはずである。病気に怯えて、目の前のタスクに追われて、上司が転べばいいと思ったり、酔っ払った夜中のカラオケでぶ厚い角ハイボールのジョッキを何度もぶつけ合ってしまいに割る。なにごともなくすべり落ちていったすべての怠惰な日。家に持ち帰ったとたん、すぐに元気をなくしていったミモザ。茶しぶのとれないカップの内側の輪っか。今ゆっくりととおざかる、トラックのなめらかな音。

大事に抱えておかないと、手元からこぼれ落ちてバラバラになってしまうであろう、一つひとつ。ほんとうは気づかないうちに、ぽとぽとと落としていっている。そのひとつに気がついて、声をかけてくれる人がいるかもしれない。

「あのこれ」「え」「落ちてました」「わ、すみませんありがとうございます」「この上に乗せたらいいですかね」「はい、でもすでに落ちそう」「じゃあこれは、わたしがもらっておきましょうか」「え」「それがいい」「えっこんなのいります?」「はい」

書写の授業でいつか、「自分の好きな字を書いてみましょう」という時間を設けたい。わたしはそのときお手本で、「メメント・モリ」と書いて生徒の前にその半紙をにっこりと掲げる。「さあ、みなさんも好きな言葉を、書きましょう。うまく書けない人はお手本を書いてあげますよ」そう言って、ゆっくり机間巡視する。
後日、教室のうしろには「友情」「博愛」「あつまれどうぶつの森」「ぴえん」「アルフォート」「バスケ魂」「定言命法」「恋人募集」「お小遣い」「切磋琢磨」にまじって「メメント・モリ」も貼ってもらっているのを眺める。担任の先生に頼んでおいたのだ。

このクラスに来るときだけは、思い出せるかもしれない。かけがえのない、この一瞬。この、まばたきの呼吸。

ああ、やだなあ。毎日が。こんなの毎日がエブリデイじゃん、って言って失笑された高校生のころ。こんなの、なんでもなくって重大で、痛いのに痛くないって強がって、腕をさすって。でもそうか、同じ待合室なんだよな。ずっとうつむいていた顔をすこしだけ上げてみる。

「どうしたんですか、さっきから」と言って、ムーミンがこちらをやっぱり覗きこむ。

風の日の待合室で向かい合う行くあてもなく見えただろうか   榊原紘