第2回 山を手に入れた!

連載第2回目は、実際に山を手にれるまでのお話。売りに出ている山の数自体すくないのに、理想とする条件の山(自宅から通える等)をイシタカさんはどのように見つけたのでしょうか。山という資産はその人達が地域の中で暮らしてきた長い歴史を反映するものでもあり、どうしても処分したいという山主さんはそう多くはないようです。  

「こんな木は燃し木にしかならねえ。」

前回の内容とも少し重複いたしますが、私が生まれ育ち、現在も暮らしている神奈川県の山北町は、面積の9割が森林でできています。神奈川県下広域の水源地域となっており、ここを源流とする酒匂川(さかわがわ)の水は遠く離れた横浜市や川崎市でも利用されています。

いま、山北町には1000人ぐらいの山主さんがいます。私はふだん、山主さんがお金を出し合ってつくった森林組合という組織で雇われの職員をしている関係で、地域の山主さんと関わる機会がそこそこ多いです。

意外に思われるかもしれませんが、ほとんどの山主さんは自分が所有している山にあまり関心がありません。なぜなら、この時代に林業経営をやって上手に稼いでいくことの難しさを皆知っているからです。実際に今、日本で取引されている丸太の価格はピーク時の3分の1~4分の1ぐらいになってしまいました。

この状況で林業をやって稼いでいくのは簡単なことではありません。一部の意欲ある人でさえ、林業でがっちり稼げているかというと必ずしもそうではなく、意欲があるがゆえのジレンマを抱えては歯がゆい思いをされています。

憤りと諦めの気持ちをいっぺんに吐き捨てるように、「こんな木は燃し木にしかならねえ。」と言う山主さんもいます。それは、カミキリムシが巣食ったことで空洞ができ、建築の材料としての値打ちが著しく下がってしまった木を指してのことで、口ぐせのようになってしまっているのです。「燃し木」というのは薪のことです。その少々ぶっきらぼうな表現は、燃やせばパーッと消えてなくなってしまう薪の儚さを言い得ていると思います。

 

山を買おうと思ったわけ

山主さんがそのように嘆きの言葉を吐く一方で、でも私には「それでも薪にはなるんだよな・・・?」というシンプルな疑問が湧いてきます。そもそも、薪がいかにも値打ちのないものとして扱われている気がしますが、よく考えてみると馬鹿にならないことがわかります。

例えば、1㎥のスギ丸太から作り出せる薪の数は、規格にもよりますがだいたい80~100束で、仮に一束500円で売ったとしたら4万円から5万円の売り上げになりますよね?

これは今、上等なスギ丸太1㎥が取引される金額の3倍以上にあたり、並以下のスギ丸太と比較すれば場合によっては10倍以上にもなる金額です。もちろん、薪を作るにはコストがかかりますが、山主自身が「時間」と「労力」をかければ人件費をかけなくても作ることは可能です。だから、薪にしかならない木をはじめから値打ちのないものとみなしてしまうのは単純に機会損失だと思うのです。

それから、そもそも虫に食われた木が「本当に薪にしかならないのか?」という疑問は、山主である以上は常に持っておいた方がいいような気がします。木材産業は木の存在無くして成り立ちません。その木を所有しているのは紛れもなく山主ですから、自分の山の木にどのような価値があるのかを知らなければ、誰かに使ってもらえるチャンスを逃してしまうかもしれません。

私が林業の世界に飛び込んだ理由は単純に、木を伐ってみたかったからであり額に汗して働きたかったからです。今となってはその願いも叶い、好きなことを仕事にできているので本当にありがたいことだと思っています。

一方で、それまで知識としてはなんとなく理解していた日本の森林・林業が抱える問題が、より身近なものとして感じられるようになりました。先の「燃し木」の話からも、今日本の山主さんは、自分が所有している山を愛することができていない状態なのだと知りました

そして、山主さんが発信するネガティブな情報を聞くにつけ、「自分がその立場だったらどのようなふるまいをするだろうか?」と考えるようになりました。また、山主さんが自分の山を愛している状態があちこちでできれば日本の森林・林業が抱える問題の大部分は解決できるはずだとも考えました。

山主さんが自分で木を育てて、伐って、売ることを地道にやっていけば、生業としての林業は十分成り立ち、結果として自分の山を愛することができるのではないか、という仮説を思いつき、この時に私はもう完全に山がほしくなっていました。

では、どうすれば山が手に入るのでしょうか。

 

コンビニには売ってない

当時の僕はそれがコンビニには売ってないってことぐらいしか知らず、マジでそのレベルからスタートすることになりました。

今ではインターネットで売りに出ている山の情報を公開し、売買を仲介してくれるサイトがあります。

私もいくつかのサイトをのぞいてみましたが近場の物件を見つけることはできませんでした。私が山を買いたい理由は自分で木を育てて、伐採して、加工して誰かに届けることなので自宅から簡単に行ける距離でなければなりません。

これらのサイトは、一般的に流動性が低いとされる山の「売りたい人」と「買いたい人」をマッチングしてくれる画期的な仕組みだと思いますが、ここから理想の物件を見つけることはできなかったので、別の方法を考えることにしました。

 

先祖代々の山問題

僕は普段の仕事の関係上、地域の山主さんと関わる機会があるので色々な方にお話しを伺ってみることにしました。その中でとても印象的だったお話しがあります。それは、「先祖代々大事に守ってきた山を自分の代で簡単に手放したらお墓に入れてもらえなくなる。今、山を所有していても得することは滅多にないかもしれないが、特段損もしないのであれば誰かに売るという選択肢はない。」という内容のご意見でした。

そのような価値観で山を所有している方がいることを全然知らなかったので私は純粋に驚きました。なるほど、確かに山を活用して稼いでいくのは簡単なことではないけれど、税金等の維持費はほかの地目から見れば比較的安く済むわけだから、どうしても処分したいという山主さんはそう多くはないようなのです。

それに、山という資産はその人達が地域の中で暮らしてきた長い歴史を反映するものでもあるので愛着が湧くのも当然のことだと思いました。そのあたりの価値観は山主さんによって個々別々なので、一人ずつお話を伺っていても時間がかかりすぎてしまいます。何より、他人の心情がかかわっている領域に立ち入り続けることに対して私の精神的な負担が大きいと感じたため、また別の方法を考えることにしました。

 

ついに山主になる

次に考えたのは不動産屋さんです。宅地や建物は扱っているかもしれませんが、山の物件なんて期待できないだろうと思っていました。ところが、結論から言うとこれが正解でした。

ある不動産屋さんを訪ねて自分がやりたいことを一通りお話ししてみたところ、一件の山を紹介していただくことができました。そこは、十分私の生活圏内にあり、伐った木の搬出もまあまあしやすく、倒木やツル、雑草等の有象無象がはびこっていて非常にやりがいがありそうなボサボサの山でした(苦笑)。

面積は、約1ヘクタール。売主さんは遺産相続の関係で不在村者となり遠くのまちに住んでいて、とても管理しきれずどうしても処分したかったのか、比較的安い金額が提示されました。僕は、何度か現地を見に行ってから、こんなことはまたとないチャンスだと思ったので、あまり躊躇することもなく買い付けの申し込みをしました。経済活動をするための山としては目も当てられないほど荒れてしまっていた山でしたが、難しい作業を強いられる方が俄然やる気も湧いてくるものです。

後日、すべての準備が整ったところで不動産屋さんの事務所で売主さんと初めて対面し、取引が行われました。その時のおおまかな進行は以下の通りになります。

①売主さんとご対面
 ②不動産屋さんより重要事項の説明を受ける
 ③売買金額を売主さんに現金で支払う
 ④売買契約書を交わす
 ⑤売主買主双方が仲介手数料を不動産屋さんに現金で支払う
 ⑥あとからやってきた司法書士さんに、不動産登記代行の実費および手数料を現金で支払う
 ⑦雑談

物理的に自分史上最も巨大な買い物だったので、正直お金を払うときは一瞬だけ不安になりましたが取引を終えた後は大きな荷物を背負った感覚はなく、むしろ精神的に解放された感じがありました。

山主になることを思い立ってからここまででかなりの時間がかかっていましたし、いろいろな方法を試してもうまくいかず歯がゆい思いをしてきたからでしょう。そして、「これで自分のやりたいことが始められる!」という前向きな展望が開けました。

(経験してみて気づいたのですが、今回のように不在村者が土地を処分したがっているケースは、それが目に見えてこないだけで少なくないようです。これから土地を管理する世代が代わるにつれてそのような物件はどんどん増えてくるかもしれません。)

というわけで、私はものの30分で山主になってしまいました。そしてこの瞬間から林業家としての歩みは始まりました。

(つづく)

28歳のきこり斧/山主。神奈川県の水源地域、山北町で取得したボサ山を自力で整備しながら副業自立型の小さな林業を実践・発信していきます。林業、気安くオススメはしませんが格好いいところ見せたいとは思います。