モヤモヤの日々

第1回 高級な蜜柑

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

日々の生活や仕事で起こった出来事、考えたこと、なんとなく抱いたモヤモヤ。そんなものを短文で、平日毎日連載したいという企画をずっとあたためてきた。そんな折、文筆家の吉川浩満さんから連絡があった。ご自身の文筆業のほかに、晶文社で編集のお仕事をはじめるとのことだった。僕の腹案を吉川さんに話すと、それは面白いですねと二つ返事で快諾してくれ、この連載がはじまることになった。吉川さんと言えば、以前、別の仕事でご一緒したとき、愛媛の高級蜜柑「紅まどんな」をプレゼントしたのだった。これが利いたのだろうか。

「紅まどんな」はただの蜜柑ではない。高級な蜜柑である。そして、ご当地食品によくあるように、東京で買うと高いが、生産地で買うと少し安く手に入れることができる。亡くなった僕の父は愛媛出身で、今でも法事などの用事があるたびに足を運んでいる。吉川さんと会う前々日まで愛媛にいた僕は、たまたま直売店で安く「紅まどんな」を入手したのだった。

この高級な蜜柑は、とにかく美味しい。食べた瞬間、それまで抱いていた蜜柑の常識がひっくり返るほど旨い。瑞々しいのだ。まるでゼリーを食べているかのようである。

それでいて、「これを食べたら普通の蜜柑なんて食べることができない」となるようなお高くとまったところがないのもいい。「紅まどんな」は、普通の素朴な蜜柑を圧倒するほど、舌触りも甘味度も洗練されている。しかし、だからこそ、普通の素朴な蜜柑の味わい深さを思い出させてくれる。蜜柑界を牽引いつつ、全体の底上げに貢献するブランド蜜柑なのだ。

ところで、何も包装せず、袋にも入れないまま手渡したあの「紅まどんな」の味は、どうだったのだろうか。吉川さんに会うたびに感想を聞こうと思うが、寸前になっていつも忘れてしまう。しかし、専門性も体力もない、しがないフリーライターに連載の場を与えてくれたのだから、吉川さんも「紅まどんな」の味に惚れ込んでくれたに違いないと思っている。

そういえば、この連載の打ち合わせでも、「紅まどんな」の感想を聞くのを忘れてしまっていた。よくよく思い出してみると、吉川さんは蜜柑を食べたそうな顔をしていたように思う。渋谷駅で別れるときも、「あれ、今日はあの蜜柑はないの?」という顔をしていた気がする。

今すぐ、蜜柑を用意し、持って行かなければならない。なぜ、気が回らなかったのか。社会人を何年もやっていて、そんなことにも気がつかなかったとは。呑気に連載の開始を喜んでいる場合ではなかった。大切なのは、蜜柑だったのだ。そして持っていくなら、やっぱり高級なほうでなければダメだろうか。僕の社会人力が、今、まさに試されようとしている。

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid