モヤモヤの日々

第16回 僕は断固として

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

いつから、こんなに時間に急かされるようになったのだろうか。僕が20代だった2000年代までは、まだ今よりも時間に対するゆるさが残されていたような気がしている。もっと昔に遡れば、待ち合わせに遅れた友人のために、駅の伝言板にメッセージを残していたものだ。当時、どのような時間の感覚を持っていたのか、今となっては思い出すことができない。

携帯電話が普及してからも、しばらくは今より時間におおらかな雰囲気が残っていた。待ち合わせ相手が少し時間に遅れようと、近くの書店や喫茶店に入って暇をつぶしていたものである。しかし、スマートフォンが普及してからはそうはいかない。乗り換え案内と地図アプリを使えば、ほぼ正確な時間に目的地にたどり着くことができるようになったからだ。

まったく、便利な世の中になってしまったものである。テクノロジーは、僕たちに利便性をもたらすが、一方でそれが人口に膾炙すると、ある種の選択を強制されるという側面がある。「できる/できない」で「できる」が増えることは望ましいことだ。しかし、「できる」が当たり前になってしまった結果、「する/しない」で、「しない」を選択することが難しくなってしまう世の中は息苦しい。「しない」ことへの説明が求められるのも厄介な現象だ。

「できる」が増えることによって、救われる人もたくさんいる。ところが、この「できる」が日常レベルに浸透して当たり前になったとき、「『できる』はずなのに、なぜ『しない』のか」というストレスが生まれる。そんななか、「『できる』けど『しない』」というスタンスを取り続けるのには胆力がいるし、余計に面倒なので「する」を選択せざるを得ない。

そんな見えにくい強制力に対して、僕は断固として抵抗しない。だって、無駄な軋轢を生みたくないないじゃないですか。ただ、一つだけ言いたいのは、僕は地図アプリが苦手なのだ。三半規管が弱くて、画面を見ていると酔ってしまう。言いたいのは、ただそれだけである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid