第8回 強くはなれない

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

1年前には想像もしなかった世の中を、今、私たちは生きている。

生きている。生活している。ただそれだけで、すごいことなのだと、思わずにはいられない社会に暮らしている。どれだけタフだったら、この世界をちゃんと進んでいけるんだろう…と思ってしまう。

私は、「強い人」と言われることが、時々ある。病気の絶望から這い上がってきた日記を本(『私の脳で起こったこと』ブックマン社。2015年)にしたからだろう。でも、多くの病人は、診断のショックからいつか抜け出していく。病気になっても生活は続いていくし、人の心持ちは時間とともに移り変わっていくものだ。

若いころからずっと疑問だった。「強い人」って、どこが、どう強いのだろう。意志だけは強いと自覚してきたが、それも度を越せば、ボキリと折れる。壊れるまで続ける強情さなんて、強さじゃない。自在にしなる柔らかさこそが強さだろうと思ったが、柔軟性のあるはずの若いころでも、私はいつもゴツゴツとしていた。

「この著者は、強い人だ」と書かれているのを見かけるたびに、なんだか嘘をついているような、どこかに隠れたいような気持ちになる。

ひどいニュースしか流れない最近は、意識的に情報をあまり取り込まないようにしている。

人が亡くなるニュースは、苦手だ。孫ができてからは、乳幼児が命を奪われた事件をニュースが伝え始めると、慌ててテレビを消してしまう。亡くなった子に申し訳ないと思いつつ、どうしても最後まで観ることができない。

東日本大震災が起こったとき、津波の映像を観ながら、毎日ただベソベソと泣いていた。息子から「テレビなんか観るな!」と言われたが、そのときは逆にテレビから目をそらすことができずにいた。精神状態が少しおかしかった。「知っている人が被害に遭ったの?」と人に聞かれて、首を振ったら不思議な顔をされた。親しい人が被害に遭っていたら、私は、いったいどんなことになっていたのだろう。

もしも裁判員に選ばれて、殺人事件の状況など聞かされたら、私は、泣き出すか、外に飛び出すか、その場に倒れてしまうだろうと思う。なんの役にも立たないことは、最初からわかっている。

そういう自分を捨てられるなら、とうの昔に捨てている。捨てることも変わることもできないまま還暦近くなってしまったので、もうずっとこのままいくんだなと諦めている。

「なにか起こったときは、いちいち泣くんじゃなくて、怒ったら?」

若いころ、友人に言われたことがある。怒るべきときには、怒らなければいけない。「私を怒らせたコワイよ…」とドスの効いた声で言いたい。でも大抵は、怒るより早く、衝撃波が全身を貫いていく。悲しいとか、ひど過ぎるとか感じる前に、身体がダメージを受けてうずくまる。

10人ほどの子どもたちが、教師らしき人に連れられて買い物をしているところを見たことがある。体験学習の授業だろうか。それぞれに好きなお菓子を選んでいて、とても楽しそうだ。その姿は微笑ましく、ああいう体験はとてもいいなぁと思いながらちょっと離れた所から見ていた。

そのとき、私のすぐ後ろにいた人が、「あんな子が——」と、ここに書くこともはばかれる言葉を連れの人に言うのが聞こえた。子どもたちには、全員知的障害があった。私は、何かを感じたり考えたりする前に、凍りついてしまった。タンポポに見とれているとき、ふいに現れた大人が「こんな雑草」と踏み潰すのを見てしまった幼児のように。

「そんなことはありませんよ。失礼じゃありませんか」と、即座にその人の目を見て冷静に伝えることは、私には絶対にできない。カッと怒って、その人を睨みつけることもできない。そうすべきだし、そうできる人が心底羨ましい。

世の中には、怒らなければいけないことが、毎日毎日起こり続ける。それはあんまりだろう、これはひどすぎるだろうということだけで世界ができているんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。

そのひとつひとつにちゃんと怒らなければいけないと思う。でもそれが、あまりにも多過ぎて、大き過ぎて、私は波に呑まれたように感じてしまう。

SNSを開いて、ある事件に対しての怒りやののしりの言葉ばかりが並んでいるのを見ると、息が苦しくなってくる。自分の中のエネルギーが足りないんだと自覚して、それ以上のダメージを受けないようにそのまま閉じる。逃げるのだ。

これを書いている今も、ちょっとエネルギーが足りていない。

 

20代のころ(1980年代)、東京で人身事故は滅多になかった。当時、携帯電話はなく、電車が人身事故で遅れていることは、駅に着いてから知った。「人身事故」という言葉に、血の気が引いたことをはっきりと覚えている。人が一人、苦しみの果てに自らの命を絶ったというリアルな事実は重すぎて、私は、とても怖かった。

今、人身事故は、珍しいことではない。電車内でも何度か遭った。突然止まる電車。他駅で起こった人身事故の影響でいつ動き始めるかわからないというアナウンスが流れる。

そのとき、遅刻する時間のことだけを考えていて、亡くなった人や遺族のことが一瞬も頭に浮かばないときがある。繰り返される出来事に、すでに心が麻痺しているのだ。

麻痺した心は、ショックを受けない。怖さも苦しさも感じない。何事もなかったかのように、日常が継続される。

でも私は、そんな自分が怖くなる。人の死をなんとも思わない自分が……。それなら、私はどうすればいいのだろう?

結局、「ちょうどいいところ」というのが、私にはないみたいだ。適当なところにバランスよく納まるということが、昔からできない。なににつけてもそうだから、何者にもなれないし、いつもはみ出している。

ただ、それでも許されるときもある。

若いころ、一緒に働いていた先輩のお母様が亡くなられた。事故だった。ずっと母一人子一人で暮らし、人一倍母親思いであることはよく知っていた。

彼女が職場に戻ってきたとき、私は、何と言えばいいのかわからなかった。どんな言葉もそぐわない気がした。私は泣いてしまいそうだったが、そんな他人の涙はさらに失礼に思えて、私はただ押し黙っていた。

「この度は、ご愁傷様でした」

同僚たちは、そう言って、彼女に深くお辞儀をした。

「ご愁傷様」。意味のない言葉に聞こえた。どんな言葉なら少しでも慰めになるのだろうかと考えたが、何ひとつ思い浮かばなかった。自分が情けなかった。

ずっと後になって、彼女がぽつりと言った。

「あのとき、あなたは、ずっと黙ってた。それが、一番ありがたかった」

言葉がいらない場面がある。若く、無知だった私は、そのとき、初めて知った。でも私は、なにも学んでいなかったのだ。

悩みを人から相談されると、私は、黙っていられなくなる。なんとかしてその問題を解決しなければと、必死で解決策を考える。「こうしてみたら?」「それならこれは?」と、次から次へとアドバイスを全力で投げつける。そして失敗する。

「もういい。ただ聞いて欲しかっただけなのに…」と言われたことがある。

私は、相談に向かないと、そのとき思った。

それでも、以前、レビー小体型認知症の介護家族からの相談に乗っていた時期がある。「認知症はみんな一緒」と思われているが、抱える問題は、病気によってかなり異なる。レビー小体型認知症は「全身病」なので、身体的な問題[1]が大きい。加えて、薬が効き過ぎる体質になるので、薬の悩みも深刻だ。一度バランスが崩れると、簡単には解決しないので、家族も追い詰められて、死に物狂いになっている。

素人が、溺れている人を助けようと飛び込んだら、必ず溺れる。私も相談に乗るたびに、精魂尽き果てて、体調が悪くなっていた。一患者でしかない私に問題を解決する方法などわかるはずもない。もちろん治療の相談になど乗れない。悩みを聞くだけでも、話した人は楽になるかもしれないが、私は胃の中に大きな石を抱えたようになる。夜、布団に入ると、その人の苦悩の表情や言葉が、洪水のようにあふれて渦を巻き始める。

『カウンセラーは何を見ているか』(信田さよ子著。医学書院 シリーズ ケアをひらく)を読んだとき、「カウンセリング・ルームから一歩出たら、クライエント(相談者)のことは一切忘れる」と書かれていて、これこそがプロだと思った。私には、人の悩みの相談に乗る資質がない。相談者の悩みに取り憑かれて、自分の生気を抜き取られてしまうようなタイプの人間に、相談は向かない。

人のために、できた方がいいと思うことをできない自分をいつも不甲斐なく思う。でも、人は誰でも向くこと、向かないことがある。向かないことを「弱さ」と思うことはやめようと思う。自分はそういうふうにできているのだから、自分に向かないことは、しない方がいい。自分が壊れるようなことを避けるのは、自分を守るために必要な手段なのだ。

そう思えるようになったのは、治らない脳の病気になってからだ。もう少し早く気づけたらよかったが、仕方がない。今は、人からどう思われても、「自分の体(脳)は、自分で守るしかない」と自分に言い聞かせるようになった。だから知らない人からの相談は受けていない。

「樋口さんは、どうして認知症カフェ(相談)をやらないんですか?」

最近、また聞かれた。これで何度目だろう。若年性アルツハイマー病と診断された本人が主催する集まりが、全国にできて、素晴らしい効果を上げているからだ。

「そんなことしたら、死んじゃいますよ〜」

私は笑って本音を言う。そして、いつもきょとんとされる。

 

[1] レビー小体型認知症では、身体的な問題が起こりやすい。①自律神経が障害されるために、立ちくらみや失神、体温調節の困難、頭痛、不眠など、多種多様な体調不良が起こりやすい。②8割近い人に、パーキンソン症状(パーキンソン病とよく似た運動障害)が現れ、歩き方が小刻みになったり、転倒が頻繁に起こる。③8割近い人に、レム睡眠行動障害(レム睡眠行動異常症)が起こり、夢の通りに大声で話したり、叫んだり、激しく動いて怪我をする場合もある。 出典【小田陽彦:血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症. 臨床と研究 Vol.95, 238-244, 2018】

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。