モヤモヤの日々

第57回 「愛犬家はみんな、うちの犬が一番可愛いと思っている説」

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

犬を飼っている友人と、「愛犬家はみんな、うちの犬が一番可愛いと思っている説」について話し合ったことがある。あくまで説なので全員ではないかもしれないけど、僕の周りの愛犬家には確かにそういう節があるし、なにより僕自身、ニコルが一番可愛いと思っている。

「それは自分が飼っている犬なんだから当たり前だろう」と思うかもしれないが、僕が知る限りその度合いは、犬に興味がない人にとっては想像以上のものだ。愛犬家はそもそも犬が好きなわけだから、すべての犬を可愛いと思っている。個体をきちんと識別して、その犬なりの可愛さがあると思っている。だから、ビジュアルがもの凄く美しい犬がいることも知っているし、最近はYouTubeやInstagramでそうした犬を見かける機会が増えた。しかし、それでもなお、個体ごとの可愛さや、もの凄く美しい犬がいるとわかっていてもなお、うちの犬が一番可愛いと思っている。どんな可愛い仕草をする犬がいてもうちの犬の仕草が一番可愛いし、「『もの凄く美しい犬』は美しいけど、うちの犬はうちの犬のよさがある」ではなく、素直に「『もの凄く美しい犬』よりも、うちの子のほうが美しくて一番可愛い」と思っている。

少なくとも、僕とその友人はそう思っているタイプだった。もちろんどんな犬も可愛いけど、一緒に過ごした年月や重ねてきたコミュニケーションの重みがそうさせているのだと思う。ニコルのためにいろいろ考えてはいるが、究極的には「他者」の気持ちを完全に理解することはできない。それは相手が犬でも人でも同じだ。でも、だからこそ、ふとした瞬間に愛情がとめどなく溢れ出てくる。YouTubeで見る犬の動画も可愛いのだけど、ニコルのなんでもない表情や仕草を見ると、「ああ、なんともニコルらしいな」と感じるときがある。「なんともニコルらしい」という感覚は、究極的には理解できないながらもずっと寄り添ってきた時間の重みである。だから、ニコルはニコルのままでいてほしい。しつけはもちろんするけれど。

そんな思いがあり、僕はツイッターなどにニコルの写真や動画を挙げる際、「なにかやらせていて可愛いもの」ではなく、「ニコルが可愛い仕草や表情をした瞬間、慌ててiPhoneを準備して撮影したもの」を投稿するポリシーを持っている。あとは、ニコルを撮ったわけではないのに写り込んでいて、その素の感じが可愛い写真。僕のツイッターアカウントでは、僕よりニコルのほうが人気がある。あくまで主役はニコルなのである。なにかやらせて撮影するのでは、ニコルの可愛さは十分に伝えきれない。なんでもない瞬間のニコルを切り取って残したい。ニコルの可愛さを生かしてあげたい。その可愛さを、できれば誰かと共有したい。

しかし、そんなポリシーを掲げているせいで、だいたいの写真がブレていたり、解像度が低かったりするのだ。ニコルが可愛い挙動をしたその瞬間に、慌ててiPhoneを取り出してシャッターを押す。だが、犬はずっと同じ表情、行動をしてくれるわけではないので間に合わないのである。だから、ニコルはあんな可愛いのに、そういう部分も含めて可愛いと思ってくれる一部の好事家(僕のフォロワー)にしかウケない。バズらないのだ。犬なのにバズらない。そんなところも可愛くて仕方がない。うちのニコルは世界で一番可愛いくて、絶対にバズらない犬なのである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid