モヤモヤの日々

第64回 桜ばな

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

東京は、桜が満開を迎えている。ここ一週間ほどドタバタが続いていた僕は、まだ今年の桜をまともに見ていない。今日は天気がいいから、愛犬ニコルと桜並木のある目黒川沿いを散歩してみようと思う。桜が咲くと、またこの季節がやってきたのかと、毎年のように感じる。

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり(岡本かの子、歌集『欲身』より)

桜を眺めていると、「あと何度、桜の咲く季節を過ごせるだろうか」なんて、妙に感傷的な気分になる瞬間がある。まだ若いとはいえそこそこの年齢になったからそう思うようになったのではなく、16歳くらいの僕も同じことを思っていた。蕾が膨らみ、花が咲き、満開を迎えたと思ったら、あっけなくも儚く散っていく。毎年、繰り返し積み重ねられる満開の桜に対峙したときの気持ちは、自然の美しさと同時に、人間の生の有限さを改めて思い出させる。

だから、引用した岡本かの子の歌を知ったときから、僕も桜を生命(いのち)をかけて眺めることに決めた。仮に、これで最期の桜になっても後悔しないように生命をかけて眺める。

一方、徐々に暖かくなるにつれて膨らみが増し、生命の息吹とともに開花する桜を見ていると明るい気持ちになってくる。厳しい冬が終わり、暖かで朗らかな季節がやってくる。陽気な気持ちになって、外出したくなる。桜を見ながら、日向ぼっこしたくなる。別れと出会いの季節でもある。ちょっと浮き足だった気分になり、たまにはハメを外したくなる。桜はさまざまな感情を人に引き起こす。そういう意味で、桜には名状しがたい危うい魅力がある。

まだ今年は一度も見ていないのに、桜のコラムを堂々と書いている自分がなんとも頼もしい。ちなみに、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、場所によっては公園の利用制限や、宴会自粛の呼びかけが行われている。他方、人間の想像力は大したものだと思ったのが、オンラインでの花見や、桜の名所をめぐるリモート観光、AR(拡張現実)の技術を使って現実には目の前にない桜をスマートフォン越しで楽しむ企画などが組まれていることだった。やっぱり桜は、危うい花である。人間をどこまで連れて行くのかわかったものではない。そして僕は、オンラインだろうが、ARだろうが桜は桜。生命をかけて眺めるつもりだ。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid