第10回 おしゃべりな植物

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

毎年春と秋が、ちょっと怖い。乱気流のなかのグライダーのように、気温と気圧の乱高下が続く。そのたびに私の体は、一緒にブンブン振り回されて、伸びたなめくじ状態になる[1]

外は最高に華やかな季節なのに、一人布団をかぶって、唸【うな】る時間が増える。頭が痛い。気持ちが悪い。体が重すぎて動けない。「こんな体、いらない」と、毎回思うが、幽体離脱もできない。

体調は、気分と思考を道連れにする。体と脳は、ひとつながりなのだ。

布団の中にいると、思い出したくないことばかりが亡霊のように現れては、そのまま居座る。

年を取ると解決の難しい問題ばかりだ。楽しいことはなにもない…と勝手に断定するころには、ネガティブ思考の天下だ。

コロナで誰にも会わずにいると、自分一人だけ島流しにあっているような気がしてくる。根拠のない疎外感は、にぶい痛みとなり、消えることなくダラダラと続いていく。

でも、私は慌てない。私は知っている。これは、「性格」とか「心」とか「精神」の問題じゃない。私の脳の「うつ気分スイッチ」が、オンになってしまっているだけだ。私自身には、なんの問題もない。すべての原因は、スイッチの不具合にある。

「メンタル(心) が弱い」だなんて、実態のない言葉を信じちゃいけない。これは、単純な脳のバグなのだ。私の場合、少し時間が経てば自然にスイッチは切り替わる。切り替わればちゃんと元にもどる。心配ない。

それでも、スイッチは早めに替わった方が楽なので、それを助けるために、脳にエサをやる。人によって違うだろうが、新しいこと、わくわくすることが、私の脳の好物だ。絵や芸術もだが、今はコロナで、美術館にも気楽に行けない。

そこである日、思い立ってニラの種をまくことにした。「放っておいても雑草のように育ち、何年も収穫できる」という情報が、主婦心をくすぐる。土も一緒に買ってきて、プランターに艶のある小さな黒い種をまく。

ふかふかの土を触るのは心地好い。途端に気持ちが柔らかくなっていくのがわかる。先祖はきっと代々お百姓さんだったに違いない。それとも古代から続く人類共通の遺伝子なのだろうか?

「土を触ると、体が整えられる」と、昔、鍼灸の名人から伺った。そういえば、晩年までおいしい野菜をつくってくれた父方の祖母は、亡くなる寸前まで元気だった。陽に焼けた、少女のような笑顔を思い出す。じっくり話したこともなかったけれど、心のきれいな人だったんだなと、今になってわかる。土は、体の奥に埋もれた遠い記憶まで掘り起こしてくれるのかもしれない。

翌朝から、目覚めるとまず外に出てプランターを見る。「おはよう」と見えない種に声を掛け、水をやる。ニラの種は、私と同じ水を飲む。「芽を出すよ〜!」というエネルギーが伝わって来る気がする。1つぶの種はとても小さいが、なにしろ大勢だから力がある。芽に会う日が毎日の楽しみになる。

種をまいて10日目の朝、ニラは、つやつやした若草色の芽をいっせいに出した。小さな芽は、なぜかヘアピンのように半分に折れ曲がっている。どっちが頭で、どっちが根なんだ? この一番高い部分は、お腹か?

「そんな格好で、苦しくないの?」ニラに聞く。

翌日もその翌日も、ニラは、黙ってその前屈姿勢のまま伸びていく。我慢大会みたいに見えるが、ニラは、どうも平気みたいだ。

やがて種のある方をぐいっと持ち上げ始め、先端に種を付けたまま極細の「く」の字を書いた。

「すごいね!」しゃがみこんで、一人で感動する。ニラは、毎日がんばっている。ニラと一緒に、いつの間にか私の気分も持ち上がり、「うつ気分スイッチ」はオフになった。

 

私は、犬や猫に話しかけるように、植物にも話しかける。昔、『動物は言葉を理解するのか?』みたいなタイトルの本を見て、「へ?」となった。「動物に言葉は通じない」と考える人が、この世にいることを初めて知った。

先日、家庭菜園をAIが指導をするというニュースを観た。水やりも肥料をやるタイミングも、すべてAIが判断して教えてくれるという。「これは便利ですね。これなら失敗がない」とアナウンサーが言っている。私は、また「へ?」となった。……植物との対話は……?

植物は、声帯はないけれども、おしゃべりだ。「喉が渇いたよ」「ちょっと暑いよ」「今日は元気だよ」「お日様が大好き」「日陰の方がいいな」。プランターや植木鉢から、毎日話しかけてくる。そんな植物と対話をするのが、植物を育てる楽しみじゃなかったのか!?

「それって……、目で見て、想像するわけ?」と友人に聞かれたことがある。う〜ん。人間の赤ちゃんと同じじゃないだろうか。赤ちゃんも言語で話すわけじゃないが、全身でたくさんのことを伝え、同時に受け取ってもいる。赤ちゃんも植物も同じ「生き物」だ。植物とも双方向でコミュニケーションをしていると、私は感じている。

たくさん対話をしているあいだ、植物は、ぐんぐん育つ。でも、相手への関心が薄れて声をかけなくなると、とたんに元気がなくなってくる。水をあげていても枯れていく。

新生児でも、優しい声かけや手で触れられることが、生命力を保つために欠かせないという研究があったと昔読んだ。危機にある病人や怪我人、超高齢者もきっと同じだろう。

以前、息子からカーネーションの鉢をもらったことがあった。その少し前まで反抗期で、悪態をついていた息子だ。急いで一番大きなプランターに植え替えて、毎日たくさん話しかけた。

満開のカーネーションは、その勢いで夏に突入した。猛暑にもじっと耐え、秋になっても少しづつ咲き続けた。真冬には、半分枯れた姿になりながらも、まるで約束したかのように必ず1つの花をつけていた。うっすら積もった雪のなかで咲く、その小さな赤い花を見て、私は震えた。

結局、一度も花を絶やすことなく1年間咲き続けたカーネーションは、翌年の春、寿命を全うしたかのように静かに枯れていった。

それ以降、そんなに長く咲き続けたカーネーションはないから、特別に強い株だったのだと思う。1年間咲き続けた話は、園芸ショップの店員さんにも驚かれた。コツを聞かれたが、育て方を調べたことはない。花も野菜も知識なしで育てている。失敗することもあるが、マニュアルを読んで、その通りにするより、植物に直に聞く方が楽しい。植物と対話しながら、一つひとつ彼らから教えてもらっている。

育て方を検索しない代わりに、植物の名前は、よく調べる。葉っぱや花の色や形から検索できる。そんなサイトもあるし、厚い植物図鑑も持っている。今は、写真を撮ると瞬時に名前が出るアプリもあるらしい。

いろいろ調べて名前にたどり着くと興奮する。通学のバスで見かける憧れの人の名前を密かに調べて突き止めた女子中学生の気分だ。

名前を知ると、一気に距離が縮まる。新しい友人が1人増えたのだ。雑踏のなかでも友人ならすぐ見つけられるように、名前を覚えた植物は、その日から出会う頻度が急増する。「なんだ、こんなところにもいたのか!」と、よく通る道で見つけてびっくりする。友人を見つけるのは、うれしい。

近所の家の庭の木も、そんなふうに一つひとつ名前を覚えていった。花をつける時期も長年の散歩のあいだに自然に身に付き、その時期になると毎年その花を見に行くようになった。

年が明けて、最初に花をつける木は、蝋梅【ろうばい】だ。ろう細工のように透ける小さな黄色い花は、控えめだが可愛く、甘い香りがする。毎年その香りに、「春はもう少しだよ」とささやかれている気がした。

その匂いがわからなくなって、もうずいぶん経つ。鼻炎でもウイルスでもなく、これもレビー小体病の症状だ。満開の金木犀の前に立っても、その香りはない。匂いのないコーヒーや食べ物にはすっかり慣れて平然としているのに、花には、毎年心が揺れる。金木犀や沈丁花を目で見つけるたびに、いったんはその前に立つが、すぐに立ち去ってしまう。でも花から逃げても、SNSには、その花の写真と匂いの投稿がいくつも流れている。花の香りは、人の気持ちを動かすのだ。

それにしても、なぜ沈丁花や金木犀だけが、遠くまで漂うほどの芳香を身に付けたのだろう。植物は、とんでもなく個性的だ。昔から見慣れたはずの植物でさえ、常に新しい姿を見せる。芽の形、つぼみの形、葉の開き方、種のつけかた、冬を越す姿、どの植物もみんな違う。その多様さの理由を科学は説明できるだろうか? きっとできない。

染色と機織りで人間国宝の志村ふくみさん[2]が、NHK「日曜美術館」のなかで藍染について語っていらした(藍染は、植物である藍を発酵させた液で糸を染める)。

「新月に仕込み、満月に染めると美しく染め上がることを見つけた。染色が、自然と共にあることを確信した。」

そう。1本の草や樹の向こうに宇宙がある。どんなに小さないのちも、大きなものにつながり、守られている。そう植物が教えてくれるとき、私は、温かい羊水に浮かぶ胎児のような気持ちになる。そのつながりのなかにいるのなら、こんな私でも、きっと大丈夫だと思える。

私が生まれる前も、死んだ後も、それは、途切れることなく続いていく。私は、ただそこに身を委ねて、たんぽぽのように微笑んでいよう。

 

 

[1] 私の持病のレビー小体病では、自律神経が障害されるので自律神経失調症のような症状がある。
[2] 志村ふくみさんは、随筆家でもある。著書『一色一生』は大佛次郎賞受賞。

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。