第86回 気圧のせい

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)の随筆「早春の一日」(『獨樂園』収録)は、「読書にも倦きたので、庭におりて日向ぼつこをする」という、なんともほのぼのとした一文から始まる。きらきらする光を両肩から背中に受けていると、身体が日向臭くなってきて、泣菫はとろとろ居眠りでもしたい気持ちになってくる。だが、白雲のちぎれが陽の面を掠めて通ると、肌を刺すような冷たさがやってきて、「その度にだらけようとする気持ちはひき緊められて、『春もまだ浅いな。』と、おぼえず口のなかで呟かれようというものだ」と書いている。

さすがは、新聞の短文コラムとして名高い『茶話』を連載した泣菫である。ほんのわずかな自然の変化を文章で綴る筆致には、鋭い観察眼と軽妙洒脱なユーモアが満ちている。しかし、ほんのわずかな自然の変化を文章で綴る泣菫がすごいからといって、それを語る僕もすごいのかというと、やっぱりそうではない。このままでは泣菫の随筆を紹介しただけになってしまうので、自分の身の回りについても話すと、つい先日、そろそろ暖かくなってきたなと思って半袖で寝たところ、朝方に寒くなって起きてしまった経験があったばかりだから、泣菫のこの随筆を思い出したのだ。あらためて読み返してみると、自然と季節の移り変わりの美しさを愛でつつも、「春もまだ浅いな」と自然に対して文句を言っているのがいい。

ある種の諦念とともに、「春もまだ浅いな」と毒づく感覚は、とても軽やかで慈しみに満ちている。僕も自然が好きだけど、自然はしばしば人間にとって脅威になるし、完全にコントロールはできない。だから僕も泣菫を見習って、堂々と毒づこうと思う。僕が調子が悪いときは、だいたいが気圧のせいである。気圧のせいで頭痛その他の不定愁訴が気になり、せっかくのだらけた気持ちに水を差される。不安定な気圧には、「まだまだ修練が足りないな」と呟きたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid