9 もうひとつの現実世界──ポスト・トゥルース時代の共同幻想(前編)

Netflixオリジナルドキュメンタリー『事件現場から: セシルホテル失踪事件』は、2013年に起きたエリサ・ラム事件を題材としている。21歳のカナダ人女性エリサ・ラムが、旅行先のホテルで失踪し、その後ホテルの貯水槽から遺体となって発見された事件である。

現場となったセシル・ホテルは、ロサンゼルスの犯罪多発地区スキッド・ロウに程近い場所に位置し、過去に幾度も凄惨な事件がこのホテルで発生したことからも悪名高い。1964年には、元電話交換手の女性ゴールディー・オズグッドの他殺死体がこのホテルの一室で発見されている。オズグッドは、近くのパーシング広場で鳩に餌をやっていたことから、ピジョン・ゴールディーというニックネームで近隣住民の間で知られていた。彼女の遺体のそばには、彼女がいつもかぶっていたロサンゼルス・ドジャースのキャップと、鳥の餌が詰まった紙袋があった。彼女は強姦されていた。犯人はいまも捕まっていない。他、拳銃自殺、飛び降り自殺、薬物のオーバードーズによる事故死、等々、少なくとも16の突然死や原因不明の死がこのホテルに関わっている[1]。1984年から1985年にかけては、「ナイトストーカー」の異名で呼ばれる、13人の殺害に関与した連続殺人鬼リチャード・ラミレスがこのホテルの最上階に滞在していた。

エリサ・ラムが最後に目撃されたのは2013年1月31日だった。ホテルの監視カメラには、彼女の姿が捉えられていた。失踪から二週間が経過しても手がかりが掴めず痺れを切らしたロス市警は、その映像の公開に踏み切った。目的は市民の協力を仰ぐためだったが、事態はロス市警の思いもよらぬ方向へと捻れていくこととなる。

そのエレベーターの映像は奇妙で不可解なものだった。カメラに映るエリサ・ラムは、落ち着きなくエレベーターのパネルを執拗に操作するなど、まるでその挙動は見えない何者かの追跡から逃れようとしているように映った。彼女がカメラから消える直前、その手は存在しない何かに触れようとするかのように中空をゆっくりと彷徨っていた。それはさながら、この世ならぬ霊を呼び寄せているようでもあった。この奇怪なエレベーターの映像がYouTubeに転載されると、すぐさまネット上を駆け巡り、それと同時にインターネット探偵たちによる推理合戦がはじまった。

英語圏のネットには、行方不明や未解決の犯罪に焦点を当て、ユーザー同士の集合知によって事件の解決を目指すフォーラム形式のコミュニティが存在する。たとえばそのうちのひとつ、Websleuthsというフォーラムは、1999年に設立されて以降、2018年の時点で13万人以上の登録ユーザーを擁する[2]。このフォーラムには、エリサ・ラム関連のスレッドが今も数多く残されたままになっている。こうしたコミュニティはRedditや掲示板を含め、ネット上に広く存在する。たとえば2009年には、宝くじで数百万ドルを当てたフロリダ州の労働者、エイブラハム・シェイクスピアの殺人事件の解決にネット探偵たちが寄与している。ゾディアック・キラーが当時メディアや警察に送りつけた暗号文を今も解読すべく奮闘しているコミュニティも存在する[3]

頭脳を結集し、皆で協力し合えば、この事件を解決できるはずだ。エレベーターの映像を見た、現代の安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)たるネット探偵たちはそう確信していた。彼らはただちに不可解な映像の解析を試みた。すると、映像に付されたタイムスタンプに加工が施されて読み取れないようになっている、映像の速度がわずかに落とされている、明らかに数秒間のカットされたシークエンスがある等々、映像自体に意図的な編集を施された箇所が複数存在することが判明した。この点を不信に思ったネット探偵たちは、カットされた空白の数秒間に、映ってしまっては都合の悪い人物が映っていたのだと推理した。彼女が逃れようとしていた見えない追跡者の存在、それが俄然リアリティを帯びて立ち上がってくる。ホテル側が警察に映像を引き渡す前に編集したのだろうか。ホテル内で隠蔽工作があった、とでも言うのか。謎はかえって深まっていくかのようだった。

2月19日、事態は思わぬ形で最悪の局面を辿る。蛇口の水が黒く変色していると苦情を受けたホテルの従業員が屋上の貯水槽のひとつを確認したところ、その中に浮くエリサ・ラムの遺体を発見したのだった。

異様な形での遺体の発見に、ネットではすぐさま他殺説が唱えられた。ホテルに対するネットの関心はこの時点ですでに頂点に達していた。軽薄なYouTuber、それとネット探偵たちが捜査のために、さながら聖地巡礼のようにセシル・ホテルに詰めかけた。

一方、警察の捜査が難航するにつれて、ネット探偵たちの推理もまた熱を帯びてきた。遺体発見からすでに4ヶ月が経とうとしていたが、警察による検死報告書は未だに公開されていなかった。このことも、ネット探偵たちを苛立たせた。報告書が遅れているのには、それなりの理由(ただし明かすことのできない)があるに違いない。彼らの間にそのような疑念が生まれた。ホテル従業員犯人説を採るネット探偵は、ホテルは大掛かりな隠蔽工作に手を委ねていると推理していた。だが今や、そこに市警による隠蔽という新たな段階の仮説が生まれる。

そんな中、エリサ・ラムの失踪事件は、映画『ダーク・ウォーター』(邦画『仄暗い水の底から』のアメリカリメイク作品)の筋を巧妙になぞったものではないか、という説を唱える者が現れ出た。蛇口から出る変色した水、登場人物とエリサの服装の類似、等々。だが何よりの類似点は、少女が屋上の貯水槽に落ちて死ぬというくだりだ。倒錯した快楽殺人者が、エリサを利用して映画のプロットを再現しようとしてみせた、とでもいうのだろうか。それとも単なる偶然に過ぎないのか。

やがてネット探偵たちは、立ち現れるいくつものシンクロニシティ(共時性)に魅入られていく。たとえば、エリサの滞在中、スキッド・ロウで結核の流行が起きていた。結核の流行がはじまったのは、遺体発見の数日後だった。だがそのうち奇妙なことに気づいたネット探偵がいた。開発中の結核の新検査法が、LAM−ELISA法と名付けられているのだった。この不気味な符号を前にして、ネット探偵コミュニティの間では、エリサ・ラムは化学兵器だったとする陰謀論をまことしやかに唱える者が現れはじめた。彼女はスキッド・ロウの路上生活者を駆逐するために連邦政府から派遣されたのか? そして、知りすぎた彼女は消された――。他にもあるネット探偵たちは、彼女が失踪当日に目撃された書店について調べだした。彼らはその書店のドメイン情報をデータベースで検索した。驚くべきことに、割り出した登録業者の郵便番号をグーグルマップに入力すると、エリサの眠る墓地があるバーナビーにピンが表示されることが判明した。――これらはすべて偶然でしかないのか? いや、偶然のはずがない。すべては繋がっている。かくして、解釈が解釈を、謎が謎を呼び、コミュニティは政府機関による陰謀説、儀式殺人説、オカルト説、等々が入り乱れて紛糾していった。

エリサ・ラム事件を追うネット探偵たちは、いわば現実の犯罪を対象とした代替現実ゲーム(alternate reality game:ARG)に意識せずに参加していた、とはいえないだろうか。

代替現実ゲームは、現実と仮想を意図的に交叉(alternate)させることを大きな特徴とする。代替現実ゲームの元祖と見なされているのは、2001年の映画『A.I.』のプロモーション用に企画制作された「ザ・ビースト」というゲームである。このゲームの参加者たちは、ワーナー・ブラザーズが用意した数十のウェブサイト、プロモーションポスター、企業情報、映画スクリプト、FLASH動画、さらには実際にかかってくる電話やFAXなどに断片的に仕込まれたナラティブを集めていく。それらの断片を正確に繋ぎ合わせると、徐々に巨大な陰謀の存在が明らかになっていく仕掛けだ。図らずも、「ザ・ビースト」は架空の登場人物エヴァン・チャンという女性の不可解な死とその犯人探しを軸にストーリーが展開していく、というものだった。このゲームで提示されたパズルは個人で立ち向かうにはあまりにも難解だったので、Yahoo!グループなどに「ザ・ビースト」を解くための情報交換を目的としたコミュニティが出現した。

代替現実ゲームの立役者のひとりによると、代替現実ゲームは次のように定義されるという。「オンラインと現実の世界空間で行われる双方向的ドラマで、数週間から数ヶ月かけて起こり、そこでは数十名、数百名、数千名のプレイヤーがオンラインに集い、協働的なソーシャルネットワークを形成し、ひとりでは全く解決できないようなミステリや問題を一緒に解決する」[4]。代替現実ゲームは、現実と仮想の境界を切り崩す。代替現実ゲームは、現実世界にもうひとつの現実を重ねることで、世界を巨大な謎解きゲームの空間へと変容させる。2007年には、映画『ダークナイト』のプロモーション用ARG「Why So Serious?」が世界的にも大きな注目を集め、その参加者数は全世界で1千万人以上といわれた。同ARGはカンヌライオンズのサイバー部門で金賞を獲得している[5]

 

「ザ・ビースト」とは別に、代替現実ゲームにはもうひとつの先祖とでも呼ぶべきものが存在する。それは「オングズハット(Ong's Hat)」と呼ばれる初期の参加型インターネット都市伝説/陰謀論である。以下では、Jed OelbaumがGIZMOTOに寄稿した記事「Ong's Hat: The Early Internet Conspiracy Game That Got Too Real」[6]を参照しながら、この奇妙でボルヘス的なプロトARGについて少し見ていこうと思う。

オングズハットとは、ニュージャージー州はパイン・バレンズの森の奥深くに実在したゴーストタウンの名前である。そこがどのような村だったのかは定かでない。言い伝えによれば、17世紀に入植したジェイコブ・オングという人物が、痴話喧嘩のすえ、怒って自分の帽子を木に投げつけたという逸話からこの名前がついたという。現在までに、村は完全に森に飲み込まれてしまったが、付近を通るオングズハット・ロードにその名をかろうじて残している。

だがあるときを堺に、そこではかつて何か異様なことが起こったという噂が渦巻きはじめた。神秘主義に彩られた科学と超常現象の交叉によって現実そのものが歪められ、この世とは異なるもうひとつの世界への扉が開かれた、というのだ。

きっかけは、80年代後半に忽然と出回りはじめたパンフレット「オングズハット:多次元へのゲートウェイ、カオス研究所とムーア人科学僧院のフルカラーパンフレット」の存在だった。それによれば、かつてオングズハットは、量子力学者ドブス兄弟の秘密実験のための場だった。付近には、神秘主義者ワリ・ファードが、ムーア人科学僧院を設立していた。やがて、科学者と神秘主義者が出会い、瞑想、物理学、錬金術、そして遠隔透視を含む形而上学的な領域をこれまでにない方法で融合させ、未踏の実験のための境地を開拓した。パンフレットには、彼らが複雑怪奇な実験を繰り返した末、ついに並行世界間のベールを突き破り、異次元への移動を可能にするポッド「エッグ」を完成させた、と記述されている。しかし、付近の軍事基地で起きた不信な原発事故により、放射能汚染の危険に曝されると、彼らはエッグのテクノロジーを用いて住民たちと僧院を丸ごと並行世界の地球に転送させ、ゲートウェイのための建物だけをそこに残した。パンフレットの末尾では、オングズハットへの招待と、そこで超次元コミュニティを発見してくれるよう読者へ呼びかけているが、それがさほど容易でないことも補足している。

インターネットが普及しはじめると、「オングズハット」についての断片的かつ暗号的な投稿が散見されるようになる。ニュージャージー州での兵器級プルトニウムの流出、政府による隠蔽工作、等々。「オングズハット」のパンフレットが、ひそかにオンライ上の陰謀論サークルの間を回遊しはじめたのもこの頃である。というのも、90年頃に現れた、特定の稀覯本を集めた「インキュナブラ」と呼ばれるカタログに、例のパンフレットが収録されていたからだ。

このカタログは、エモリー・クランストンという人物が編集したとされており、その序文によると、このカタログに掲載されている作品を体系的に読んでいくと、並行宇宙探査にまつわる秘密の科学史が浮上してくるという。「インキュナブラ」には、例のパンフレットと一緒に、様々な極彩色の書籍や小冊子――科学、瞑想、スーフィー神秘主義、オカルト、等々――が並んでおり、中には実在を確認することが不可能な書籍も巧妙に含まれていた(たとえばエヴェレットの多世界解釈とスーフィーや密教における輪廻概念を統合させたといわれる、Kamadev Sohrawardi博士による『Pholgiston & the Quantum Aether』なる書物)。

カタログにはニック・ハーバートという(実在する)物理学者の書籍も含まれている。彼は70年代にローレンス・バークレー国立研究所のFundamental Fysiksグループに所属し、そこでの共同研究が現代における量子情報科学の基礎を形成したと言われるが、そこでは同時に量子神秘主義に繋がる研究もなされるなど、当時のカウンターカルチャー的な空気を色濃く身に纏うものでもあった。「インキュナブラ」にはハーバートの代表的な著作に混じって、Harper & Row社が出版を差し止めたとされる『Alternate Dimensions』という著作の未修正ゲラが収録されていた。この書物には、世界間の移動に関する最も正確で厳密な情報が記されているとのことだった(奇しくも、ハーバートは自身の個人サイトで、「量子タントラ」と呼ばれる概念に言及し、「扉」を発見したこと、シャーマニズムの概念と現代物理学を結びつけたことなどについて記述していた)。

90年代から2000年代初頭にかけて、ウェブフォーラムや個人のブログサイトで「オングズハット」はインターネット探偵たちの耳目を集め、それらにまつわる考察、理論、調査報告が急速に増殖する。それはまさしく集団的ストーリーテリングの実験だった。このナラティヴに参加する者の多くは、ニュージャージー州の森のどこかにオカルト科学者集団の僧院が実在すると本気で信じていたわけではなかった。この共同フィクションの試みは、創始者であるアーティストのジョセフ・マシーニーと彼の友人たち(その中の一人に『T.A.Z.―一時的自律ゾーン 』で知られるハキム・ベイがいた)が80年代からメディア越境的に積み上げてきたものだった(たとえばマシーニーは何年もの間、オンライン上で「オングズハット」の真相を探るインターネット探偵の仲間を装い、自分の調査で明らかになったことをコミュニティに伝えていた)。だが、その現実とフィクションの境界を曖昧にさせていく性格上、「オングズハット」にまつわる伝説や文献が増加するのと並行して、それを真に受ける人々が増えていくのも時間の問題だった。遂にはマシーニー本人の身にまで危害が及ぶに至って、彼は実験を中止せざるを得なくなった。2001年、マシーニーは「オングズハット」が自身の創作物であることを明かしたが、彼の告白を真に受けようとしない者も多く、「オングズハット」の捜索は現在もなお続いている。

 

『パラノイア合衆国』の著者ジェシー・ウォーカーは、こうした現実と虚構の境界を曖昧にする代替現実ゲームに見られる構造と陰謀論に没入するパラノイア性との親和性について、次のように指摘している。

 プレイヤーは現実世界とゲームの世界を同時に生きるため、代替現実ゲームはアイロニスト・スタイルが求める複数の視点を必要とする。[……]「ザ・ビースト」の場合は、現実世界と仮想世界の境界があまりにあいまいになるため、テロリストが世界貿易センタービルに突っこんだとき、ゲームを解くフォーラムは9・11の謎を「解く」計画について話しあいはじめた。ある典型的な発言はこうだった。「これはわれわれのやり口に似ている。物をばらばらにして、その意味を探るんだ」。ほどなく、グループの主宰者は注意を喚起する必要を感じ、「われわれのために隠された手がかり」と実際の事件で残された手がかりの違いを指摘した[7]

次回以降より詳しく見ていくように、代替現実ゲームに見られるような集団的ストーリーテリングは、往々にしてエコーチェンバー(集団極性化)効果を招来しやすく、そこでの閉じたナラティヴは共同幻想と区別を付けることが困難となる。そこにおいては、一部の参加者が過激化する傾向も少なくない。2021年1月6日に起きた、アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件をひとつのピークとするQアノン陰謀論について考える際にも、代替現実ゲームは有用な視座を与えてくれるだろう。Qアノンの信奉者たちもまた、ひとつの集団的ストーリーテリングを生成する過程で、現実と虚構を交叉(alternate)させ、もうひとつの別の(alternative)現実世界を創造しようと試みたのだ。

 

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_deaths_and_violence_at_the_Cecil_Hotel
[2] https://en.wikipedia.org/wiki/Websleuths
[3] https://www.oxygen.com/crime-time/who-is-todd-matthews-how-did-internet-sleuthing-start
[4] ヘンリー・ジェンキンズ『コンヴァージェンス・カルチャー: ファンとメディアがつくる参加型文化』 渡部宏樹、北村紗衣、阿部康人訳、晶文社、2021、233頁
[5] https://realsound.jp/tech/2020/11/post-649414.html
[6] https://gizmodo.com/ongs-hat-the-early-internet-conspiracy-game-that-got-t-1832229488
[7] ジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国:陰謀論で読み解く《アメリカ史》』鍛原多惠子訳、河出書房新社 、2015、408〜409頁