第1回 この文を読んだら私に連絡してくれ

アーティスト、イ・ランによる世界初(?)のAI翻訳日記。韓国語で書いた日記をPapago翻訳機で日本語に翻訳する。誰かに会えなくなってしまうきっかけは日常に溢れている。今すぐ会えない誰かとつながるために「あまり役に立たないチング(友達)」を使ってつづられる、人間とAIの二人三脚連載。

作業室に新しいメンバーが来た。 ジヒョンという人だ。 今日ジヒョンに作業室とトイレ掃除のやり方を教えたが、とても喜びながら聞いて、説明する私も一緒に嬉しかった。 この作業室史上初めて掃除を喜びながらできる人ができたようだ。

これまで作業室のメンバーたちと掃除問題でつらい時間を過ごした。 元々、毎週1人ずつ順番に掃除をするシステムだったが(やらないと罰金を払って、掃除)何人かのメンバーが特に掃除を後回しにしたため、1ヵ月以上罰金だけが溜まり、掃除はできなかった時も多い。 一番頭に来たのは、自分の家は本当にきれいに飾る人たちが作業室だけ汚く使うことだった。 「どうせここは家のようにきれいにはならないはずだから」というのが理由だった。 結果的に掃除を嫌わず、むしろ掃除をすれば気が楽になる自分が、掃除したくないメンバーから掃除費を受け取って、代わりに掃除するシステムを作った。 おかげで私は作業室の家賃負担が軽くなり、掃除を最初からしたくないメンバーはどうせ払う罰金を払って気楽に使うことができるようになった。 それでもこれからは掃除メンバーがもう1人できて、その人は掃除するのが好きだというからとても嬉しい知らせだ。

 

昨日は家でインタビューをした。 4月に新たに就航したある国内航空会社からの依頼だった。 パイロット、乗務員、整備士が全員ズボンのユニホームを着る、韓国初のジェンダーレスユニホームと性別に関係ない外見、化粧ガイドラインで就航前から大きな話題になった。 家庭の月である5月[*1]を迎え、航空会社がいろいろな姿の家族インタビューシリーズを準備していると言って、私に選択家族を紹介するインタビューを提案した。 「選択家族」とは、生まれる前に決まった家族ではなく、自由意志を持って家族構成員を選択して形成した家族を意味する言葉だ。 一昨年私は『選択家族エッセイ』という題名で連載をした。私の選択家族を……何と説明すればいいだろうか。 クィア、外国人、動物構成員の多い、約10人の人間動物と約8匹の非人間動物で構成された家族である。 そのうち人間動物家族1人と非人間動物家族1匹が昨年病気で死亡した。 そして昨年コロナウイルスが猛威を振るって以来、外国人家族やパートナーたちも大変悩んでいる。 国内に滞在できる適当なビザを見つけることができず(韓国で20年以上暮らしたのに)ランゲージ・スクールに通い始め、短期学生ビザを取ったり、(米国人だけに該当する)Job Seekingビザを取ったりもするが、短期ビザまで終われば、これ以上手立てがなく、急いで結婚し、配偶者ビザを取得する計画も立てている。 しかし、国内で同性結婚が合法化されていないため、結婚選択肢を選ぶことができない国際+クィアカップルが最も苦しい状況だ。 相次ぐ苦しい問題をどう解決してよいのか分からない。

 

2012年から日本で活動を始め、2020年2月まで数十回を行き来しながら親しくなった日本の友人とも徐々に仲が遠くなっている。 今も持っている鍵でいつでもドアを開けて入ることができる東京明大前のユキとナリタの家に行けなくなったのももう1年半近く経った。 来月は行けるのか、季節が変われば行けるのか、来年は行けるのか。 すぐにまた会えると思っていたが、予定できない日々が長くなっている。 まだ理由は分からないが日本で付き合ったいろんな友達の中でミュージシャンたちとの連絡が特に少なくなった。 一緒に公演をする機会がなくなったからかな? 連絡が途絶えた日本の友達と職業の相関関係について正確な統計を出したくなる。

 

昨日、インタビューを終え、航空会社側が要請した写真を探すため、「グーグルフォト」を開き、数年間の写真に目を通した。 2019年12月に最後に東京に行った時の写真を見た。 渋谷でピーポー(マヒトゥ・ザ・ピーポー)とショッピングをして、サンタ人形の前で撮った写真をツイッターにアップしたら、ピーポーに片思いしている方から、苦しい心情を吐露するDMをもらった。 その方に返事はしなかったが、恋人と友達の間を区別せずに同じ気持ちで愛すれば心がもっと楽になると話したかった。 私は16年間一緒に暮して来た非人間動物家族であるジュンイチを除いた残りの人間・非人間は皆同じ心で好きで愛している。 そのように選択家族も作り上げている。

しかし私は昨年契約書を書いた「選択家族エッセイ」単行本契約を破棄しようかと考えている。 最近(と言ってもここ数年の間)、韓国では誰かを特定できる知人との私的対話を小説に借用した何人かの作家が告発を受けた。 告発したケースを見れば、クィアのアイデンティティを強制的にアウティングしたり、個人的な性的趣向や性経験についての私的な会話内容を書いたのが大きな問題だった。 「私は△△小説に出てくる〇〇です」で始まるいくつかの告発文を読みながら、他人の話を作品に借用することがいかに危険かを改めて思い知らされた。 私のエッセイにも小説にも私と友達の話がよく登場する。 この日記にも友達の何人かの名前が登場するようにだ。 小説もエッセイも私の主観的な記憶に依存して書かれているので、エッセイの登場人物や小説の中の人物のモデルとなる当事者が読んだ後、十分に気分を害したり、怒りを感じることがあると思う。

 

大学の映画科卒業作品として25分の短編映画を発表した後、こんなことがあった。 私と個人的な話を全くしたことのない他学科の大学院生が、私の映画を見た後、自分の話を無断で映画化したとし、非常に憤っているという話を聞いたのだ。 その人は、各種映画関係者や学校の人々に電話をかけて、この映画の発表を中断しなければならないと主張した。 その人は主人公のストーリーはもちろん、話し方や行動、習慣まですべて自分をモデルにしたと主張したが、その人と個人的な親交が全くない私としては根拠が分からなかった。 それでもその人の怒りはものすごかったし、私の映画発表を止めようとする試みに対して私の知人を通じてずっと知らせが入ってきた。

 

今もそうだし、いつも文を書いているけど、これからどんな文を書けばいいのか本当に分からない。 日記は幼い頃からずっと書いてて、 私の日記にはいつもいろんな名前が溢れてるんだけど。 自分の名前が徐々に知られるようになってから、もはや自分の日記に自分の名前以外の名前を書くことは難しくなった。 それでみんなイニシャルを使うのかと思うんですが……イニシャルも正解ではない。 私がもし「選択家族エッセイ」を本を出すとした時、本を見た人が私のインスタにざっと目を通しても誰が誰なのかすべて分かるが、本にイニシャルを書くとして何が変わるだろうか。 どうやって皆の安全を守りながら、文章を書いていくことができるだろうか。

 


[*1]韓国では 5 月 5 日「こどもの日」、5 月 8 日「両親の日」、5 月第 3 月曜日「成人の日」、5 月 21 日「夫婦の日」など家族にかんする記念日が多くあるため、5月は「家庭の月」と呼ばれている。
(このページはPapago翻訳で翻訳されました。機械翻訳は完璧性が保障されていないので、翻訳者の翻訳の代わりにはなりません)

1986年ソウル生まれ。ミュージシャン、エッセイスト、作家、イラストレーター、映像作家。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。2ndアルバム『神様ごっこ』(国内盤はスウィート・ドリームス・プレスより)で、2017年韓国大衆音楽賞「最優秀フォーク楽曲賞」を受賞。3rdアルバム『オオカミが現れた』で2022年韓国大衆音楽賞「今年のアルバム賞」を受賞。最新著作はいがらしみきお氏との往復書簡『何卒よろしくお願いいたします』(甘栗舎訳、タバブックス)。そのほかの著作に『話し足りなかった日』(呉永雅訳、リトル・モア)、『アヒル命名会議』(斎藤真理子訳、河出書房新社)、『悲しくてかっこいい人』(呉永雅訳、リトル・モア)、『私が30代になった』(中村友紀/廣川毅訳、タバブックス)。ストリート出身17歳の猫、ジュンイチの保護者でもある。