第1回 胸に刻み続ける“官設”話法

「『空気』が支配する国」だった日本の病状がさらに進み、いまや誰もが「気配」を率先して察することで自縛・自爆する時代に? 「事のまずさを感知しない『空気』」を悪用して突き進む政治家たちと、そのメッセージを先取りした「気配」に身をゆだねることに違和感を覚えなくなってしまった私たち。「日本の心情」を“なんとなく”稼働させてしまう「気配」の危うさをめぐる、『紋切型社会』の著者・武田砂鉄さんによるフィールドワーク。

私たちはなぜ「慣らされてしまう」のか

大阪府高槻市で中学1年生の男女が消息を絶ち、そのうちの女児が遺体となって発見されたという報が流れる。もう1人の男児は依然消息不明、という時分に夕刊を開くと、その両者の卒業文集が並列している。「たのしかった卒業旅行」というタイトルが1人、「思い出」というタイトルが1人。その名前も、笑顔の写真も、作文の冒頭部分も、同じレイアウトで掲載されている。扱いは均一だ。

見出しには、依然行方不明の男児に向けて「『早く見つかって』 同級生ら無事祈る」とある。どの気持ちにも、どの事実にも、誤りはない。でも、卒業文集が並んだこの紙面構成は、どこまでも誤っているのではないか。若き男女2人のうち、1人が亡くなってしまった。そうすると私たちは、冷静な腹心で、もう1人もすでに亡くなってしまったのではないかと思う。なぜならば、男児は女児と同じ環境下に置かれていたと繰り返し知らされているから。しかし、そんな腹心は、間違っても表には出さない。おそらくそうなのかもしれない、という心持ちを隠しながら、そうであって欲しくないと口に出す。どちらも本心である。

ワイドショーでは、この2つの本心のうち一方だけを使い、最悪の結果を想起させるような報道を仕立てる。この人たちは、自分たちの無責任な推察が、あくまでもこの瞬間だけで消えると知っているからこそ、最悪の結果を漂わせる。とっても不安定な状況にある生徒の卒業文集を開示するスタンスも同様なのか。こういう状況にありますが、2人はこういう感じだったんですよ、と拡散する。何とかして悲しみや苦悩を引っ張り出そうとする安直さの中で、彼の人となりが軽視されていく。

そもそも私たちはなぜ、死亡した女児と行方不明の男児の卒業文集を、平気で与えられてしまうのだろうか。この手の悪癖は考察を怠ると、「悪」が外れて、ただの「癖」になる。常習化する。結果、逮捕された男は40代の男だった。その数日前、取り調べ歴ウン十年の識者は豪語していた。犯人像は「顔見知りで2人と同年代〜10代後半」だと。やがて男児も遺体で発見されてしまった。その男児の卒業文集を、私たちは事前に読まされている。私たちはなぜ、慣らされているのだろう。こういう空気は誰が作り、どうしてすっかり嗜まれてしまっているのだろう。

安倍談話と西野カナ談話

戦後70年に際して発表された安倍談話は、ただひたすら間接話法に徹していた。直接話法を避けることで、全方位的に空気を読んでみせた。「植民地支配」「侵略」「おわび」「反省」というチェックリストを画面脇に用意しながら、この談話の立ち位置がいかなるものかチェックしようと働きかけたテレビ番組もあったようだが、キーワードの有無だけではこの談話の意図は掴めまい。談話を通読して、思わずチェックしたのは「胸に刻み」という言葉である。その数6回。安倍談話は、6回も胸に刻んでいたのである。

該当部分を抜いてみる。

「隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました」

「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく」

「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます」

「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」

安倍談話はかつての談話と比べても数倍の長さになっているが、これだけ頻繁に「歴史」や「過去」を胸に刻み続けたことからも分かるように、対外的にアピールするための積極的な言葉を出来る限り抑え、とにかく諸々を受け止めまくって、ただただ胸に刻み続けているようなのである。

西野カナという流行りのシンガーには片想いソングが多く、歌詞でしょっちゅう「会いたい」と連呼するものだから、いつになったら会えるんだ、早く会いに行けよ、と揶揄されたりもしている。しかし、その想い自体は実直ではある。西野談話が毎度募る想いを切実に吐露しているのに対し、安倍談話はとにかく受け止める姿勢だけをいたずらに貫き通す。その姿勢は、果たして実直だろうか。

過去の見解を受け止めているんですという消極性を連呼することでそれを成果として強引に押し出し、肝心の真意、政権としての主観をはぐらかす手法をとった。これだけ胸に刻まれると「私たち、とにかく胸に刻みましたので」と議論を滞留させながらも、あたかも一歩踏み込んだかのような空気を作り出すことができるのだ。

こちらが判断することだ

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と安倍首相は言った。

この言葉に、あの戦争には関わりのない子の世代にあたるこちらは頷かない。あの戦争に関わりのないこちらは、あの戦争に「何ら」関わりがないのかについて、即答しようと思わない。継続して、或いは新たに、考えなければいけない責務がある。ましてや人様から、オレたちが謝っておくから、もう謝罪はしなくていいよ、と決めつけられる筋合いはない。責務を感知したならば、まだまだ謝罪が必要になるかもしれない。もういいかと思うかもしれない。いずれにせよ、こちらが判断することだ。「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」を持つ人は、タイミングを身勝手に設けて「何ら」とは言わない。何でもかんでも胸に刻んで済まそうとする人は、このように、一人ひとりが向き合うプロセスを裁ち切っていることに気付いていないのである。

山本七平『「空気」の研究』は、とりわけ3.11以降、決定に至るプロセスを曖昧にしたまま、万事を空気で稼働させてきた日本社会を突つく際に、頻繁に持ち出されている文献である。世間が空気を読みすぎたあまりにあちこちで芽を出してしまった原発がいよいよボカンと爆発すると、「空気の読めない人にはなりたくないという空気」が辺りに撒き散らかされ、諸々を悟っている自分であろうとする「空気」が生じた。どの「空気」に所属しようかと思いあぐねるという、「空気」の見本市のような状態にあった。そこから何年か経ってみれば、あの日から作られた「空気」が、目新しい「空気」に切り替わったわけではなかったのだと気付かされた。少なくとも中枢は気にしてはいなかった。川内原発再稼働という判断は、残念ながらその結果報告となった。

間接話法が“官説”話法に

安倍政権に向かう世相を「今なお『空気』に支配される国」(『新潮45』2015年9月号)と分析したのは社会思想家の佐伯啓思である。安保法案は「衆議院の安保法制に関する憲法審査会での憲法学者の発言によって、『空気』が変わってしまった」とし、この空気を醸成したのはマスコミであり、「『空気商売』に取り囲まれた政治の方も、何を相手に言葉を発し説得しているのかわからなくもなるでしょう」と指摘する。

そうだろうか。憲法学者の発言は空気を奪うためものではなかった。その判断はやがて確かな空気を作り上げたが、姿を現し始めた空気を必死に薄めようとした政権側は、「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいらっしゃる」とひとまず応戦した挙句、数名しか挙げられないことに気付き、「私は数じゃないと思いますよ」と漏らし(いずれも菅官房長官)、適当すぎるアプローチを露呈させてしまった。

違憲という主張の勢いに対して合憲という主張では押さえつけられないと気付くと、何とかの一つ覚えのように「対案を出せ!」と凄み、ねじ伏せようとする。「数じゃないと思います」と言いながら、いつだって数に頼って国会審議を進めていく。でも、その矛盾は検討されない。あらゆる矛盾を胸に刻むのだろう。

福田恆存が「『大衆』とは何か」と題してこんなことを書いている。

「本当に、大衆とは何か。そのことを人々は考へてみたことがあるのか。その意味がよく解つてゐて、その言葉を用ゐてゐるのか。おそらくさうではあるまい。(中略)目に見える集まりは、大衆ではなくて群衆である。では、大衆と群衆はどう違ふのか。さういふことすら一度も考へてみたこともない人間が、大衆を信じないといふ私の言葉に機械のやうに機械的な反撥を示す。考へてみたこともないからだ。無条件に大衆といふ言葉を信じ、それをただ言葉として押しつけてくる風潮を信じてゐるのである」。

これはかつての安保デモに向けられた苦言であるのだが、このご時世、その苦言が似合うのは「人々」ではなく、「私が総理大臣ですから」と持論を疾走させる人や中枢の皆々様ではないか。群衆には目をつむり、数値から編み出される大衆にすがり、もう既に完成されている風潮だけを活用していく戦略が見え透ける。安保法案を「選挙時に公約として掲げ、国民から支持をいただいていた」と繰り返す安倍首相だが、昨年の衆議院選挙の自民党公約で安保法案について記したのは「全296項目の中で、271番目の1項目にすぎない」(8月24日・東京新聞)という。これを「支持をいただいていた」に変換できる態度。空気という間接話法が、“官設”話法として機能していく。

「気配」はどこで生まれているのか

この連載タイトルを、“日本の「気配」”としてみた。いずれ書籍化するときにこのタイトルがそのまま採用されるのかは分からない。なぜ、空気ではなく、気配なのか。政治を動かす面々は、もはや「空気」を怖がらなくなったのでないか、次に踏み出そうとしているのは「気配」の管轄ではないか、と感ずるからだ。そして、その思考回路は、政治だけに留まらないのではないか、とも思う。まったくベタな手口だが、辞書を引く(大辞林)。

「空気=その場の状態や気分。雰囲気。また、社会や人々の間にみられるある傾向」

「気配=周囲の状況から何となく感じられるようす」

その場に流れている状態や気分を、個人も国家もメディアも丁寧に見つめて踏み外さないように心がける。踏み外したときの夥しい突っ込みを知っているからこそ、空気を感知し、整える作業をいとわない。とにかく入念だ。辞書が示すように、空気が「その場」ならば、気配は「周囲」である。日本の閉塞感、というありきたりな表現が「その場」だけを指す言葉ではなくなってきた。その場だけではなく「周囲」にも広がり、あらゆる芽生えから摘み取られて、あるいは忖度されて、収縮しているのではないか。

70年談話とは距離のある話なのだが、亡くなった女児と、亡くなっているかどうか分からない男児の卒業文集を並列で読まされることの平然がどこに依拠しているのかを考えたとき、それは空気ではなく気配、つまり、その場ではなく周囲に依拠している感触を覚える。

なんらかについて議題がある。その議題に、賛成する立場でも反対する立場でも、「その場」に近い人且つ耳を傾けてくれる人が多い意見ばかりがまかり通り、それが空気を作る。これがいわゆる日本の「空気」だった。しかしながら、3.11以降、(スケールが大きすぎるが)「日本の心情」を再稼働させたのは、「空気」ではなく「気配」なのではないかという疑いがある。

漠然としているけれど、日本の「気配」を追いたい。政治の場には限らない。ありとあらゆるところに顔を出す「気配」。この国が自信満々に流した「間接」話法、胸に刻み続ける「官設」話法は、議論の軸足を見えにくくさせる。胸に刻みまくった胸中から本音を取り出すことは難義だ。安倍談話は、この時代の空気を察知した、テクニカルなテキストだったと言える。では、この談話を受け入れる気配とは何だろう。いったい、「気配=周囲の状況から何となく感じられるようす」とはどこで芽生えているのだろう。行方不明になっている男児の卒業文集を眼前に突きつけくることに違和感を覚えない私たち。単なる鈍化と呆れるだけではいけない。この国に漂う「気配」の在り処を見つめていく。

SIGN_06TAKEDA1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」「LITERA」「マイナビ」などで連載。雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」「TRASH UP!!」などで執筆中。インタヴュー・書籍構成も手掛ける。2015年4月に刊行した『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。http://www.t-satetsu.com/