モヤモヤの日々

第100回 目出度い

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

この連載も、今日で100回目になる。「平日、毎日17時公開」というコンセプトで昨年12月22日からスタートし、おおよそ半年が経った。これまでの人生において100回も連続で約束を守ったことがかつてあったのかと過去をたどってみたが、あったような、なかったような記憶がおぼろげだ。なんとも心許ない人生だと改めて思う。いずれにしても目出度いことである。目出度いついでに言うと、昨日5月20日は赤子(息子)の1歳の誕生日だった。

「一升餅」という言葉をご存知だろうか。1歳の誕生日を祝う伝統行事で、一升の餅を背負わせると、食べ物に一生困らなくなると言い伝えられているらしい。一升と一生をかけているわけだ。こういった時勢なので大したお祝いもできないと残念がっていたところ、妻からの提案でこの「一升餅」を家でやってみることにした。恥ずかしながら僕はこの風習を知らなかったのだけど、周りの友人に聞いてみたら、「ああ、あの餅を背負うやつね」という反応が返ってきた。わりと有名らしい。しかし、問題は一升の餅は2キロ近くあるとのことで、赤子が背負えるのか、終わった後に食べきれるのかという懸念が僕たち夫婦にはあった。

そこで妻が見つけてきてくれたのは、一升餅の代わりとして用いられる「一升パン」である。なるほど、パンなら餅よりは腹にたまらず食べきれそうだ。早速、インターネットで注文し、誕生日の数日前に届いた「一升パン」には、「1」の文字とローマ字で赤子の名前が書いてあった。そして、思ったより巨大だった。赤子と見比べてみたのだけど、明らかに大きい。本当に背負えるのだろうかと思いつつ、お互い忙しい時期だったので考えるのを先送りにし、説明書に書いてあったとおり冷凍庫で保存した。大きすぎるので無理やり押し込んだ。

さて、いよいよ赤子の誕生日である。ささやかながらリビングを飾り付けし、東京の郊外に住む僕の母と甥をMacBook Pro、大阪に住む妻の両親をiPadでつないで、夕方から誕生日パーティーを始めた。しかし、三つの場所をリモートでつなぎながらパーティーをするのは、意外と難しかった。会話は混線するし、こっちには赤子と犬という予測不可能な生き物がいる。それでもバースデーソングをみんなで歌い(ネットの関係で遅延してバラバラだった)、蝋燭を(僕がかわりに)消した。その後しばし談笑し、実家から送られてきた誕生日プレゼントを開けて、みんなでわいわい楽しんだ。とても穏やかで平和なムードが漂っていた。

赤子が少しだけ飽きてきた頃、僕たち夫婦は思い出した。そうだ。「一升パン」があるのだった。僕たちは冷凍庫から「一升パン」を取り出して、これからやることを説明した。妻の両親はこの風習を知っていて、「風呂敷みたいなので包んで背負わせるといいよ」と助言してくれたが、僕の母はまったく知らなかったようで「そんな伝統があるんだね。面白いね」と興味深そうに笑顔を見せていた。愛犬ニコルも巨大なパンが珍しいらしく、ジタバタして騒ぎ始めた。問題は、そのやりとりが画面越しと我が家で同時に行われ、しかも「一升パン」を背負わせようとしても、パンが大き過ぎるのか、赤子がムチムチし過ぎているのかはわからないが、とにかく風呂敷で包んだパンを体にくくりつけることができない。次第にぐずり始める赤子と、はしゃぎ回る犬と、やんややんやと画面越しに騒ぎ立てる親たち。混沌が場を覆うなか、僕は床をずり這いする赤子を追っかけて「一升パン」を載せ、「背負った!」と高らかに宣言した。

さて、そんな目出度い話題を記念すべき第100回目に書こうと思いながらその日は疲れて床に就いた。翌日は午前11時から美容室の予約があり、それまでには原稿を提出しようと思っていたのだが、はたして起きたのは午前10時30分だった。急いで美容室に行き、編集担当の吉川浩満さんに連絡して、帰宅したらすぐ書く旨を伝えた。「いつも原稿の提出が遅くなって申し訳ないです」と。それはまぎれもない事実なのだが、ひとつだけ吉川さんに言っていないことがある。僕が原稿のことを思い出したのは、美容師さんが僕の左の髪のインナーにしこたまブリーチを塗りながら、「今日は金曜日で……」と何気なく話し始めたときだった。無事に100回を迎えられて目出度い限りである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid