モヤモヤの日々

第106回 心のなかの仄暗い場所

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

週末にかけて、気分が落ち込んでいた。別に嫌なことがあったわけではないし、仕事もそれなりに進めていた。しかし、どうも心の調子がすぐれない。外出する気も起きないし、こういう時はゆっくり休むに限るのだが、かといってすぐ昼寝が出来るわけではない。僕は寝つきが悪いのだ。

なにか楽しいことをしよう。そう考えて積読している本を読もうとしたけど、文字に集中できない。ならばオンラインサービスで映画を観ようと思い、インターネットにつなげたテレビをつけた。観たかった映画がいくつも見つかった。だが、その時の僕には2時間、映像に没頭できる自信がなかった。

赤子と犬と遊び、いよいよ体も疲れてきた。この状態なら仮眠できるかもしれないと思ってベッドに横になった。眠れないし、心が休まらない。さて、どうしたものか。ぼーっとしながら「なんか調子が悪いんだよな」と思い続けているのも辛いだけなので、本棚から画集と写真集を取り出した。すると、パラパラとページをめくっているだけでその世界に入っていくことができた。集中できなくなったらいつでもページを閉じ、ほかの作品集に手を伸ばせるのもいい。

僕は日常に埋没しながら生きるのが好きである。しかし、その一方で、ただ単に美しいだけのものに強烈に引かれてしまう側面が自分にあることも知っている。今回の謎の気分の落ち込みには、仄暗く、物悲しい、愁いを帯びた作品が、僕の心の深い場所に沁み込んできた。そういえば若い頃、失恋をした際には明るい音楽ではなく、暗い音楽を聴くほうが慰めになったものだ。暗い心は、暗い心が癒してくれる。不完全な人間らしい、なんとも妙な特性である。だが、これは僕に限った話ではないのではないか。久しぶりにそんなことを思い出していたら、徐々にいつもの調子を取り戻してきた。

ちなみに、失恋したときに聴く音楽として、僕は中島みゆきをお勧めしたい。どうなんだろう。歌詞を引用すると怒られるのだろうか。僕は怒られることが大嫌いなので引用はやめておくが、「わかれうた」の冒頭のフレーズだけでも聴いてほしい。「さすがにその経験はありません!」となって、少しは気持ちが癒されるはずだ。その経験があるのなら、あなたはなかなかの人物である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid