モヤモヤの日々

第110回 雨のことば

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

「私がいないと私を求め、私がいると私の前から逃げる」。急に何を言い出したのかと思うかもしれないが、これはポーランドのなぞなぞで、答えは「雨」。日本には「雨の降る日は天気が悪い」ということわざがあるそうだ。意味は「わかりきったこと」。身も蓋もない感じが、僕の好みである。

これらは講談社学術文庫の『雨のことば辞典』(編者:倉嶋厚、原田稔)で紹介されている内容だ。同書には、日本における四季折々の「雨のことば」が約1200語も収録されているほか、なぞなぞやことわざ、言い伝えなど、雨にまつわるコラムが掲載されている。枕元に置いて気が向いたときに読んでいるのだが、まだすべては目を通せていない。数が多いからというよりも、すべて読んでしまうのがもったいないからだ。今日のような雨の日にはうってつけの本である。

同書は五十音順に「雨のことば」を紹介している。この手の本は冒頭から順に読むよりは、適当にぱっと開いて目についたページを楽しむに限る。さ行には「桜ながし」という言葉が載っている。「桜ながし」と言えば、宇多田ヒカルが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のために書き下ろした名曲を思い出させる。宇多田の曲のタイトルは「桜流し」という表記である。てっきり宇多田の類稀なる感性で生みだされた造語かと思っていたのだが、「桜ながし」は鹿児島県肝属地方の言葉で、「桜の花に降りかかり散らしてしまう雨」の意だという。「なぜかあわれ深いひびきがある」と解説されている。宇多田はこの言葉を知っていたのかもしれない。

「身を知る雨」なんて言葉もある。意味は「わが身の上を思い知らせるように降る雨」。涙に懸けて使われる場合が多く、『後拾遺和歌集』に、「忘らるゝ身を知る雨はふらねども袖ばかりこそ乾かざりけれ」という読み人しらずの和歌がある。「夕立」には、「夕立つ」という動詞の用法があることも知った。本の内容を紹介し出したらキリがなく、このまま日が暮れてしまいそうだ。

さて、それにしても今日の雨は酷すぎる。我が家はマンションの8階にあるため、風で窓がぶっ叩かれたような音がする。外で誰かが窓を叩いているのではないかと疑うほどだ。そんな雨を表現した言葉はないかとパラパラとページをめくっていたところ、「かんざさーめ」という言葉が目についた。秋田県地方の言葉で、「風をともなった吹き降りの雨」の意味だという。「かんざさーめ」という語感がなんともよく、何度も復誦したくなってくる。しかし、今日の天気はそれどころではない。まるで嵐である。

今、また家の窓が「ドン!」という大きい音とともにぶん殴られた。なんという不躾な雨だろう。原稿の締め切りギリギリまで同書を必死に調べたが、意味としては当てはまっても、僕の今の心境まで表してくれる言葉がなかなか見つからない。僕は今日、夕方に用事があって外出しなければいけないのだ。

「雨の降る日は天気が悪い」。結局はこの一言に尽きることに、僕はようやく思い至った。やはり昔の人のつくったことわざには含蓄がある。雨の降る日は天気が悪くて、本当に困ったものである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid