第5回 5月3日/5月12日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

5月3日

「連休って最初は長い感じがするけど、半分過ぎるとすごく短く感じる」


連休って最初は長い感じがするけど、半分過ぎるとすごく短く感じる。これは旅行もいっしょ。5月で天気がよくて、夕方も明るくて、このくらいのが続いたらええのになあ、と思って本とか読んでいる。曜日とか関係ない働き方をしてるけども、仕事の相手である出版社は土日や連休は休みなんであり、締め切りや連絡がないんでゆっくりできて、年末年始とかゴールデンウィークとかお盆休みとかそういう時期に集中して仕事するというのが20年今の仕事をしてきてのスタイルとなっており、たいていは休み明けに締め切りが何個かあるのでひたすら仕事やけども気持ち的には普段より落ち着く。フリーランスの人が何人かツイートしてはったけど、休み明け締め切りっていうのは休み中に働けってことなんですかね、とまあ、そういうことになるよなー、でもわたしは平日遊びに行けるし、などと思いつつ、ともかく仕事。

わたしの母は美容師で自営業で、休日は月曜日であり(東京に来てから東京は理美容は火曜休みと知った! 今は年中無休とかいろんなとこが多いけど、以前は地域の理美容組合で定休日が決まってて、大阪は月曜で、東京は火曜。ほかのとこは何曜日やってんやろ)、それゆえに土日が休日、家族で出かける、という感覚がわたしにはあまりなく、連休も年末年始も母はずっと仕事、むしろ忙しい時期であり、そうすると家族も仕事モードであり、テレビのニュースなんかでみなさんおやすみはどう過ごしますか、連休は楽しまれましたか、的な呼びかけをずっと遠いもののように聞いてて、でも平日と土日では出かけた先の人の多さは全然ちゃうし、いろんなとこの営業時間とか受付時間とか土日休みを基準に世の中は回っていて、それがいつまでもなんかちょっと不思議というか、ずっとなじめないでいる。

大勢の人が土日に遊びに行くってことは、そこまで行く電車は動いてるのであり、お店も開いているのであり、ということは働いている人もようさんいるのやけど、そして年中無休な店はわたしが子供のころから比べても格段に増えたから働いてる人もそれだけ増えたんやけども、さらには夜遅い時間に働いてる人も増えたのやけど、平日9時5時で働いて土日休みでっていう前提のまま動いてること多いというか、そのイメージの刷り込み大きいなあ、と思う。それでときどき、土日が休みじゃない人ようさんいてるのにそれ困るやん、てことがちょいちょいあるねんけど、ごめん今ちょうどいい例が思いつかへん。それに、平日仕事の人は病院なかなか行かれへんかったり、連休は旅行代金も高いよね。

混雑してるとこが苦手やから平日に自由がきく仕事は自分には向いてるとは思う。

ところで何年か前に、こんなような静かにひたすら仕事の連休の最終日にお昼の短いニュースを見てたら定番の成田空港で帰国した家族連れとして担当の編集さんがインタビューに答えており、どちらに行かれましたか? マレーシアです、と真っ黒に日焼けしていて、わたしは仕事してたのにマレーシアかよ、などということはまったく思わず、ほんまに連休に海外行くんや、成田でインタビューに答えることあるんや、となんや感心して見ておりました。あとで編集さんに聞いたら、週刊誌記者の経験もあるので、ああいうときに答えてくれる人がなかなかいないつらさがわかるので答えました、とのことで、街頭インタビューに答えてる人の中にはそんな事情がある人もおるんかも知らんな、と、ほんま人にはいろいろ事情があるよね。

ということをつらつら書いたのは、まあなかなか世の中、現実は多様で複雑なのに、イメージとしてはわかりやすくステレオタイプな事象が流通する根強さは動かしがたいものがあり、でもなんかわたしはその多様で複雑でわかりにくいほうのことを考えたいし書きたい気持ちがあるねんな。

去年の連休のあたりの記憶はわりと鮮明で、緊急事態宣言で飲食店の営業は難しかってんけど、店頭でテイクアウトを販売したりしていて、連休に遠出できない家族とかが商店街にはすごくたくさん歩いてて、なんかちょっとしたお祭り感のようなものがあり、というのは、これが終わったら状況がよくなるというような期待感もあったんやなと、1年後はもっとみんな疲れてて、先が見えなくて、こんな感じやとはあのときは予想してなかったもんな、などと考えながら1年前と同じ道を歩く。

と書きつつ、実はわたしは去年のちょうどいまごろ、連休の時は10年以上懸案であった下の親不知2本をこの機会にと思って口腔外科で骨をちょびっと削り歯を砕いて取り出したのやけど、2本目のほうが抜いたあとがうまく塞がらず(気になる方は「ドライソケット」で検索)、連休で病院開いてないから激痛で死にそうになっていたのでした。

7年前の連休明けには尿道結石で救急車に乗ることになったし、この爽やかな季節の青空と激痛が結びついてしまってるなあ。痛さの種類が違うけど、人生痛い経験の1位と2位、甲乙つけがたいです。今年は平和に過ごせてよかった。

わたしは偏頭痛があり、他にも痛いことがちょいちょいある身体で、ちょっと出かけるにも鎮痛剤を持ってないと不安になるくらいやねんけども、痛いときは痛くないときのことが不思議で、痛くないときは痛いときのほうが不思議やなと思う。痛いときは痛くない感覚をうまく思い出せないし、痛くないときは痛いときの感覚をうまく思い出せない。鎮痛剤で痛みが収まってきたときに、痛くないって幸せやなあ、と心底思って、その短い時間が、痛いのと痛くないのの両方を思い出せてるときな感じがする。

痛くない、というだけで、一日は穏やかやな。

 

5月12日

「このあいだのキャロットラペ作りやすそうなスライサーの話の続き、にんじん買ってきてやってみてんけど、にんじんって円錐型してるやん?」


このあいだのキャロットラペ作りやすそうなスライサーの話の続き、にんじん買ってきてやってみてんけど、にんじんって円錐型してるやん? ごぼうのときはほぼ一定の太さでまっすぐですごいやりやすかってんけど、円錐型やとはたして太いほうからやったほうがええのか細いほうからやったらええのか、どっちにしても不均衡になるしなかなか難しい。いや、普通に包丁で千切りするよりは全然速いしきれいにできるねんけどさ。

わたし、料理自体は苦手ではないねんけど、物事が全般に雑で、高校の調理実習で千切りしてたら友達が「しばちゃん、それは千切りじゃなくて拍子切りやで」って。なのでスライサーとか、そういう便利な道具はなんでもありがとう、作ってくれた人すごいなあ、って思いながらやってんねんけど、こないだも「ぶんぶんチョッパー」ってやつを入手して、これは小型で手動のフードプロセッサーっちゅうか、ボウル部分に食材を入れて蓋に仕込まれてる紐を引っ張ったら刃が回転してみじん切りできるという代物で、これで玉ねぎのみじん切りで泣かんでええやんという便利な道具。大変助かってるねんけど、こないだ洗うときに刃に指がかすったら結構鋭く切れまして、見た目よりも切り裂き能力あるねんな、だって一瞬でみじん切りなるもんな、と感心しつつ、指先はちょっと切れただけでも痛いし不便やし、こういうときはすぐキズパワーパッドやね。

キズパワーパッドを初めて知ったのはもう15年以上前、子育て中の友達が授乳してると赤ちゃんに噛まれてその傷にちょうどいいこういうものがあると教えてくれたのやけど、それまでは防水のバンドエイドでもやっぱり水仕事したらふやけるし水はいるしやったのが、すごいやんこれ貼りっぱなしで2、3日いけるし、全然水入らへんし。以来、特に指先の怪我には重宝してるのですが、そうかあの「画期的や!」から15年も経つのか、もっとかも、と思ったり。

こういう細々した便利なものを日々研究開発して製造販売してくれる人々がいるおかげで、わたしたちの生活はとても快適になっているのであり、わたしはそういう新製品とか電化製品とかが大好きで、カタログ見たり別になにを買う予定もないのにビックカメラとかヨドバシカメラとか行って調理家電を見比べたりしてしまう。

2016年にアメリカのアイオワ大学のプログラムに参加してたとき、2泊3日のシカゴ旅行があって、ホテルの近くに朝ごはん食べに行った帰りに(脱線するけど、アメリカのホテルって朝ごはんないか、あっても大変に貧弱でこんなそこそこ高級そうなホテルでもお菓子みたいなシリアルがセルフであるだけ? みたいなこと多くて、その分、だいたい朝ごはんが名物みたいなダイナーやカフェをホテルのフロントの人に聞いたら陽気に教えてくれてそこに食べに行くことになるねんけど、あの文化はなんか不思議やな。このシカゴのときに行ったダイナーは老舗の人気店らしくて、2日連続で行ってパンケーキもエッグベネディクトもおいしかった)、よくいっしょにいた香港のヴァージニアとスーパーマーケットに寄って、大きめのちょっとおしゃれ高級スーパーやってんけど、野菜の専用カッター、アボカド用、にんじん用、りんご用などが何十種類と並んでて、ヴァージニアが、こんなにたくさんあるのってアメリカはキッチンが広いからだよね、香港の狭いキッチンじゃ置くところない、と言って、せやね、日本でも難しいわ、と答えたんやけど、こういうのはほんま家にモノが増える原因やんな。

あと数年で生きてきて半世紀という、それなりの時代の変化を目撃してきた身からすると、とにかくなんでも種類が増えたよな。昔は今みたいにいろんな調味料なかったし、野菜も最初は物珍しかったようなんが普通に売ってるもんな。わたしはアボカドを初めて食べたのって25歳ぐらいでそのときの友達との会話もはっきり覚えてて、向田邦子の料理本見たら1980年ぐらいやのにアボカドもパクチーも使ってて、これは場所的なことなのか文化的なことなのかと非常に驚いたものやけど、ともかく、和洋中エスニック、食べもの関係だけでも種類がとにかく増えてる。

そこからここで導くことは2つあり、1つはモノが増えすぎて家の中が片付かへんの当然やで、と2つめは日本の人いろんなもの食べ過ぎと思う。

片付かへんほうは、たぶんこの日誌の通奏低音になるのでここでは置いといて、日本の人いろんなモノ食べ過ぎ問題について今回は書いとこう。って、去年の「てきとうに暮らす日記」でもたぶんちょっと書いてるねんけどな。外国に何回か行ったり、文化を知ったりして思うのは、日本の食卓は1回分も種類多いし、毎回違うもの食べなあかん観念が強すぎでは、と思う。アメリカとかたいていの家は朝はシリアルに牛乳だけやろうし、ドイツ行ったときは、朝と夜はパンだけで、火を通したおかずはお昼だけみたいなこと言うてはった(もしくは、夜にがっつり食べるときは昼はパンだけ)。「朝から温かいものを食べるのは変な感じがします」て大学院で日本文学勉強してる女子が言うてて、1月やったらこんなに寒いのに! って思ったけど。前にラジオで中米のどこかの国にしばらく住んでた人が一般家庭の晩ごはんはだいたい2種類しかなくて交替でそれが出てくる、みたいなはなしをしててへえーと思ったんやけど、昔の日本もみそ汁と魚や漬物ぐらいやったしね。

ほんでなんの話かというと、料理が好きで楽しくて苦にもならない人は作っておいしくて家族がよろこんでたらそれでとてもいいことで、そうでなくて献立考えるのしんどいなーという人はそんなにプレッシャー感じへんでいいのでは、本来は、という話。雑誌とかにワーキングママの一日のスケジュールが載ってて、5時に起きてお弁当と朝ごはん、え、白ごはん炊いたりみそ汁作ったりするん? すごくない? って思うのは、わたしは育った家が、どちらかというと「朝から温かいものを食べるのは変」に近い、変ではないけど、ない家で、小学生の時から基本各自セルフ、食パン焼いて、わたしはティーバッグの紅茶入れる、それだけやったので、朝からそんないろいろ作ってるのめちゃめちゃすごすぎるで、と思うのよね。

コロナで家族が在宅のことが多くなったら、三食全部作らなあかんくて大変とか、中には夫がオンライン飲み会のときにつまみを作るのが面倒っていうのをラジオに来たエピソードで聞いて、え、そんなことまで? と、めっちゃびっくりしたこともあってんけど、それは大変やで、しんどいで、って思う。わたし、会社を辞めて実家にいた4年間、家事を全部やっててんけど、ごはんはなにがめんどくさいって作るのよりも何作るか考えることで、晩ごはんだけでも3か月で飽きてしんどなったのに、三食全部、しかも毎日違うもん作らなあかんかったらそれはしんどいし、毎日毎食違うのは当たり前じゃないで、と思う。

今の状況になってから、かえって売れるようになったものみたいな記事がよくあって、それこそ家電とか、料理をするようになった人も増えてるみたいで、そこにはたいてい「巣ごもり需要」という見出しがついてて、たぶんそういう感じで家の生活を楽しんだり、ゆっくり時間が取れて家族と話せたとか自分の暮らしを見直せたという人もたくさんいて、それはいいことと思う。でも、生活が変わってしんどい人も、家にいる人数が増えて逆に自分のための時間がなくなったという人もようさんいて、それはDVが増えたという統計にも出てて、「巣ごもり」「おうち時間」みたいなやさしくてやわらかい表現は、そのしんどいほうの現実を見えにくくしてしまう面があると思ってて、自分では使わない。前向きに楽しもう、と思って楽しめることもあるし、全然そんな問題じゃないことようさんある。全然そうじゃないほうのことを、「気の持ちよう」な言葉で覆いたくない。

もっと大変な人がたくさんいるから、自分はなにも言わずにがんばらないとという気持ちもよくわかる。だけど、自分がこれだけ大変なんやから、大変な人はどんだけ大変なんやろう、と考えることもできるし、誰かのじわじわと長く続く大変さも、別の誰かのもうほんとうにぎりぎりな大変さも、優先順位はあるかもしれないけど、どれもしんどさで、しんどいと言ってよくて、そこから、できることがあると思う。

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。