モヤモヤの日々

第118回 ためらい

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今まで積極的には触れていなかったことについて書きたいと思う。と言っても、この連載をずっと読んでくれている読者の方はすでにお気づきだろうけど、僕は現在、極端に外出を制限した生活を続けている。それは、新型コロナウイルスへの感染を警戒しているからである。

もともと在宅勤務が可能な文筆業だし、コロナ以降はリモートで取材やイベント出演もできるようになった。僕は自分の体が弱い自覚があり、それに加えて2009年〜2010年に流行した新型インフルエンザに罹患したという苦い経験もあるため、かなり早い段階から対策していた。その警戒を今でも解いていないのだ。もちろん犬の散歩や生活に必要な最低限の外出はしているものの、普段の行動範囲はせいぜい半径3、4キロといったところだろうか。

そして、これはもしかしたら驚かれるかもしれないが、新型コロナウイルスが流行し始めた昨年の2月後半あたりから、僕は在来線に一度も乗っていない。タクシーを使っている。仕事でどうしても外出しなければいけない用事はせいぜい月2回程度なので、頻繁に外出していた時期と比べると、月に使う交通費は安くなっている。そんな状態でも生活をなんとか続けていけるのは仕事の特性(文筆業を一括りにはできないが)と、アクセスのいい都心に住んでいるからである。対策したくてもどうしても外出したり、人と接触したりしなければいけない人が多いなか、僕はとても恵まれている。

なぜそこまで警戒するのか。いろいろな理由はあるのだけど、個人的に不安に思っている大きな要素のひとつは僕が喘息を持っているからだ。先日、別の用事で病院に行ったところ、医師から「喘息はあまくみてはいけないので、基礎疾患として申請し、ワクチンを優先接種したらどうか」と助言された。そのことについては、親族の間でも話にあがっていた。しかし、僕の中で少しのためらいがあった。

というのも、僕は「喘息」という診断書を今までもらった覚えがないのだ。診断書? と呼ぶのだろうか、喘息を持っているのにもかかわらず、そのへんの知識が曖昧だったのである。幼い頃は喘息の症状がひどかった。母の話によると、医師から医療費助成の申請をするように勧められたのだが、当時はあまり情報がなく、「もしかしたら将来、就職などに響くのではないか」と考えて申請しなかったという(このことについて母に責任はないと思っている)。

そして、中学生、高校生と成長していくにつれ身長が伸び、部活動のおかげで体力もついてきた。徐々に喘息の症状が出ることも少なくなっていった。大人になってからは、年に2、3回ほど症状が出る程度になった。とはいえ症状がまったく出なくはならないので、旅行に行く時なども常に喘息の薬は持って歩いている。薬がなくなったり、なくなりそうになったタイミングで病院にかかったりする際に処方してもらっている。そんな状態でしのいでいたため、自分の喘息が優先接種できる「基礎疾患」にあたるほど慢性的で重いものなのか判断し兼ねていたのである。

ここ数年は何故か喘息の症状が出ることが以前より増えているが、症状の重さにグラデーションがあるので、絶対に増えている、悪化しているとは自分では判断が難しい。ただ、医師が言うには基礎疾患の申請に診断書は必要ないという。自治体の窓口に問い合わせても同じことを言われた。まずは基礎疾患を届け出て接種券をもらい、接種前の医師による予診で状況を確認してから、接種するかどうか判断される。

人間とは不思議なもので、不安ならまずは申請してみればいいではないかと思うかもしれないが、自分の喘息の状態について正確に把握せずその時々の対処でしのいでいたうえ、65歳以上の母がまだ接種できていないのに僕が申請していいのかといった後ろめたさから申請をためらっていた。ワクチンについての知識も乏しかった。しかし、親族や知識のある友人に相談したところ、やはり申請したほうがいいという結論になった。とくに母は、「昔から肺が弱くて、何度も肺炎になりかけたんだよ。絶対に申請して。なんでしないの?」と強く勧めてきた。

重い話を急にし出して申し訳なく思う。だが、ずっとモヤモヤしていたことなので、日々の生活を綴るこの連載で書かないのは不誠実な気がしていた。コロナ以後、世界の複雑さを前に僕は目眩を起こし、逡巡してばかりいる。申請はすでに済んでいる。自治体によると6月25日以降、順次、接種券が送られてくるそうだ。最終的な判断は、接種前の医師による予診で決まる。専門家に判断をゆだねる。ただ、コロナ以後に経験したためらいの数々を考えると、ゆだねることができる問題であるだけ、複雑ではないとも言える。そんな世界を、僕は生きている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid