第13回 死語と記憶とビンテージ

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

コロナ生活の終わりが見えない。気持ちが晴れない。空も晴れない。木の芽時(どき)や梅雨の天候は、私の自律神経を容赦なくいたぶる。気圧が急降下する日は動けず、なめくじになった気分だ。

そんなとき、寝転んだまま薄い本を開いた。図書館で偶然見つけたコミックエッセイ『大家さんと僕』(矢部太郎、2017年)だ。声を出して笑う。なめくじが、人間に戻っていく。

ほのぼのして、笑って、しんみりして、ほっとする本だ。刺々しい言葉が毎日ネット上に飛び交うけれど、こんな穏やかな世界があって、(何年も前だけれど)それが評判になる世の中だと思うと、うれしい。

きっと、世の中のほとんどの人は、穏やかな善人なのだ。人の幸せを「よかった、よかった」と喜び、人の不幸を「気の毒に」と心痛める人たちなのだ。

主人公の「僕」は、内気で、あまり売れていない芸人。借りた部屋の階下に一人で住む87歳の上品な女性「大家さん」との交流が淡々と描かれている。

大家さんは、よく昔話をする。サラリと語られる話に、私もびっくりする。

「僕」は、大家さんが「たまに使う昔の言葉がとても好き」だ。

「逢い引き、アベック、5勺、ハレンチ」。自分では使わないけれど、勺(しゃく)以外の言葉は、子どものころによく聞いた。一番最後まで使われていたと思う「アベック」は、その後「カップル」となり、う〜ん、今はなんと呼ぶんだろう?(息子にLINEで聞いたら、「カップル」でいいらしい。)

Wi-Fiの出始めの頃、「ハイファイ」と言って、学生だった息子に大笑いされた。自分の子どもにバカにされた最も古い記憶の1つだ。

「昔、『ハイファイセット』っていう素敵なコーラスグループがいたの!」と教えてやろうかと思ったが、さらにバカにされそうなので止めた。今では、電化製品の名前に聞こえる。

CDが出始めたころの母との会話を思い出した。

「ねえ、ねえ。CDって、なんなの?」

母は、昔から好奇心で目を輝かせながら私にいろいろ質問した。

「このくらい小さくて高性能の…薄いレコードみたいなものだよ」

「ふ〜ん。レコードなのか…。なんの略なの?」

「なんだと思う?」

「小さい……。う〜ん。…コンパクト……デスク!」

ひーひー大笑いしたことを後悔している。今、考えれば、「ディズニーランド」を高齢者が「デズニーランド」というのと同じ理屈だったんだろう。

「セブンイレブン」を「セブンエレブン」と呼ぶ知人がいる。elevenの発音は、確かに「エレブン」の方が近い。私もマネーをマニーと言ってしまう。mainは、メインと発音するが、日本語では「メーン」と「メイン」のどちらが正しいのかわからない。辞書を引いて確認すると、どちらでもいいらしい。

日本語が流暢で、読み書きも完璧な外国人の友人に「日本語のなにが一番難しい?」と以前聞いたら「外来語!」と即答された。

英語では、「アプー」とか「エプー」と聞こえるのに「アップル」。「マッダナー」と聞こえるのに、英語ネイティブには絶対に発音できない「マクドナルド」。多くの外来語が元の発音とかけ離れているので、全然わからないそうだ。

最近、ラジオを聴いていて、頭が混乱するときがある。「では次の曲は、… 」と、長い英語のタイトルを抑揚なしに日本式で読まれると、脳が言語と判断しない。英語なら英語、日本語なら日本語と思って聞かないと、なにを言っているのかわからない。

謎の綴りをしげしげと見つめた末に、日本語(ローマ字)とわかったときは、「漢字で書いてよ!」と叫びたくなる。昔、アメリカ人に「ミセス・ハイガッチャイ(Higuchi)」と呼ばれたことがある。英語読みしたらそうなってしまう。

意味のわからないカタカナ言葉も増える一方だ。政策名でも経済用語でも英語を乱用する。私の80代の親は、このニュースを聞いても理解できないだろうなと思う。50代の私にも理解できない。理不尽だ。

笑われないためには、どんどん新語を追いかけ、追いついていかなければいけない。でも、もう走れない。新しい単語を覚えるのは、とても難しいのだ。意味がわかっても、ニュアンスがよくわからないから使えない。結局、置いていかれる。

ニュースだけじゃない。毎日着る服の名前も変わった。ズボンはパンツに。とっくりは、タートルネック、さらにハイネックに変わった。ジーパンはジーンズ。スパッツはレギンス。キュロットスカートは、変形してガウチョパンツ。姪っ子に教えてもらってやっと覚えても、今は既に変わっているかもしれないと思うと気楽に口にすることもできない。

異世代と一緒に生活していれば、そんな名前の変遷にも若者文化にも自然に触れるだろうが、還暦前後の2人で地味な生活を送っていると、家のなかは昭和のままだ。紅白歌合戦で「今年流行りましたね〜!」と紹介される歌のどれもが初めて聴く歌だ。

「おぉ!令和っぽい歌だね〜」と興奮している私の横で、「この歌のなにがいいんだ」と夫。夫の歌う歌は、何十年も変わっていない。

まあ、この令和の歌を歌えと言われても歌えないし、歌詞に出てくる名前も絶対覚えられないなと思っていると、3歳の孫が、その歌を歌う動画が送られてきた。

「きみのド〜ルチェ、ア〜ンド、ガッパ〜ナ」と歌う孫を見て、世代の違いを実感した。ドルチェって、イタリア料理のデザートじゃないのか? いつか「ドルチェとなんとかっていう歌、上手だったね」と言って、孫にヒーヒー笑われるんだろう。

歌が更新されない夫からは、昭和の流行語も抜けない。「それは死語だから、人前で言ったらまずいよ」と何度か伝えたが、気にする様子もない。

そうやってずるずると時代からずれた老人になっていく。気づかないうちに、私も少しずつずれているのだろう。いや、すでに相当ずれているのに、自分で気付いていないだけかも知れない。

 

昔を懐かしむなんて、若いころには、理解できなかった。最近、頭に浮かぶのは、「これから」のことではなく「遠い過去」のことばかりだ。紛れもない老化の兆候。でも、「これから」なんて、考えたくもない。これから、いったい何回喪服を着るだろう。私自身だってどうなっていくか、想像もつかない。想像したくない。

それよりも子どもが幼児だったときのことをふっと思い出す瞬間の方が、遥かに元気が出る。ありありと蘇るその感覚には、「思い出す」というよりも、脳がタイムスリップを起こして、その時間に立ち戻ってしまったような異様な現実感がある。

親に老いを見た30代のころ、親は、私に幼い私の姿を重ねていただろうか?

今、電話のたびに、「たんぱく質も摂って」「毎日歩いて」と指導ばかりされている親は、「わかった、わかった」と生返事をしながら、私の幼児時代を思い出すのだろうか? 高い高いをしたときの重みや手の感触を蘇らせるのだろうか?

自分が老いるとともに、親や祖父母のことを振り返ることも増えた。

若い女性だった母は、あのとき、どんな気持ちでいたのだろう…。父は…。

当時、理解できなかったことを、今になって考える。どうでもいいことかもしれないが、自分にとっては大事なことに思えて、無性に確かめたくなる。

一人の人間としての父や母が、なにを考え、なにを望み、なにを諦めてきたのか、私はほとんどなにも知らない。18歳まで一緒に生活していても、私が見ていたのは、一面でしかない。

10歳くらいまでの記憶も断片的だ。頭の中にスナップ写真のような画像がバラバラにあるだけで、その意味すらよくわからないものが多い。実際の写真も少なく、今と違って動画もない。

人生の最初の10年間は、その後の人生の土台だろうに、どんな10年だったのか、よくわからないままだということを今になって自覚している。

それを覚えている人がいなくなれば、永遠に完成しないジグゾーパズルのままじゃないか。あるとき、「今しかない!」と思って、親にいろいろ質問してみたが、遅かった。なにを聞いても「そんな昔のことは忘れた」「覚えてない」と答える。すでに謎を解く鍵のほとんどは失われている。

亡き祖父母もそうだ。生きているうちに彼らが、一人の人間として、どんな人生をどう送ったのか、もっともっと聞いておけばよかったと年々強く思う。戦前の暮らし、戦中の暮らし、戦後の暮らしを詳しく聞きたかった。老いること、病むこと、死んでいくこと、いろいろなことを質問すればよかった。

戦前から看護師として働き、患者さんと、当時は珍しい恋愛結婚をしたという曽祖母の話も聞きたかった。物心ついたときからしわの深かった曽祖母の若い日々なんて、想像したこともなかった。もう二度と聞けない、知る術もないと思うと、本当に残念だ。

みんな歳をとり、恩師の一人は、90を超えた。以前、一緒に食事をしたとき、「外套(がいとう)は、どこかな?」と言われ、なんだかとてもカッコイイと思った。凛とした恩師の口から出ると、それは艶やかなビンテージのように美しい言葉となる。

私は、恩師のようにはなれないだろう。でももしも、昔のことを知りたいと思ったら、私の記憶が確かなうちに、私がいなくなる前に聞いてくれたら、とてもうれしい。

 

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。