第14回 まあい〜わ

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

急速に、ずぼらになってきている。

いや。仕事で手を抜いたことは一度もない。そこは、病前と変わらぬこだわりとしつこさを貫いている。原稿は、自分で納得するまで、どこまででも書き直す。

でも、仕事から一歩離れたら、すべてのことは、「まあい〜わ」だ。

「なんだか床が汚いなぁ。掃除機をかけたのは、いつだっけ?」

「いつ?」という質問にまったく答えられないのが、私の脳だ。

「わかるわけないだろ。まあ、後でい〜わ」

「あれっ? そういえば、誰かが、”後で資料を送ります”って言った? 誰だっけ? 何か来た? わからない…。困ってないし、まあい〜わ」

ありとあらゆることが、そんな調子になりつつある。「お前、それで大丈夫なのか〜?!」と、もう一人の私が、私の胸ぐらを掴んで叫んでいる。

もっと若く、健康な脳と体で、なんでもテキパキできたころ、老いに片足を突っ込んだ親のいい加減さに毎回イライラしていた。

「病院? 保険証、持った?」

「保険証? そんなものないな」

「えっ?! ちゃんと探したの? なかったら大変だよ!」

「まあ、いい」

なにがいいのか、まったくわからない。どんな不備も「まあ、いい」で済ますので、いちいちいきり立っていたが、今は、私がその境地だ。

病気でなかったころは、なんだって苦もなく記憶して、カチャカチャと自在に出し入れしていた気がする。どうやってそんな魔法使いみたいなことができていたのか、もう、思い出すことすらできない。

毎日、思うことは思う。あっ、あれも大事。わっ、これも大事。ああ、これもメモしておかないと…。

でもそう思いつつ、すべては、小川に浮かぶ笹船のようにどんどん遠去かっていく。「あっ。待って。」「あっ」「あっ」とつぶやいている間に全部見えなくなる。私は、一人惚(ほう)けてつっ立っている。

これはいくらなんでも忘れるわけがないと思ってメモしなかったり、メモしようと思ってペンを持つと思い出せなかったり、メモしてもメモ自体が見つからなかったり、メモしたこと自体を忘れたり…。いろんなことが、以前のようにはいかなくなりつつある。

「あれ? そういえば、あのZoomセミナーって、いつだっけ? 申し込んだんだっけ?」

慌てて探しても、もう見つからない。

「どこで見たんだっけ? 誰が出る? …あれ?」

こうして、またひとつ「まあい〜わ案件」の穴にずり落ちていく。

私は、際限なくいい加減になり、世界は把握できないまだら模様に変わっていく。勤め人ならすぐクビだ。でも、勤め人でもなく、書く以外の予定がない私に、天変地異は、起こらない。今日も陽は昇り、沈んでいく。

《できないことはできない》

日常の家事・雑事のすべてを「きっちりやれ」と言われたところで、もうできない。やらなければと思うだけで、疲れる。できないことはできないのだ。

自分がそうなって初めて、親のいい加減さを理解し、疲れた顔で座り込んでいた姿を理解する。若く、健康なときには、ひとかけらもわかっていなかった。健康は、人を残酷にする。

できないことを無理やりやって、「混乱→自滅→自信喪失」ルートにはまるほどアホらしいことはない。自分にできること、できないことを見極めて、できないことに無駄なエネルギーは注がない。手持ちのエネルギーは、限られている。すっぱり諦めたり、人の助けを借りながら、省エネモードで賢くいくのだ。

すっかり老いた親など、すでに省エネモードの達人と化している。

役所から届いた税金や保険の書類もワクチン接種券も「どっか行ったなぁ」と、どこ吹く風だ。

「大丈夫だ。すぐ再発行してくれる」

「…もう、再発行常連者のブラックリストに載ってるよ……」

超高齢者の思考は、非高齢者には理解しがたい時が多々ある。

入退院を繰り返す、晩年の祖父を見舞った時、お粥の上に粉薬を振りかけて食べていた。老後も多趣味で、盆栽を育てたり、釣ったボラを美味しいボラ味噌にして持ってきてくれたあの祖父が…と、喉が詰まった。

でも、あれも祖父なりの工夫だったのだと思う。食後の薬を飲み忘れないためだったのかもしれないし、薬が嫌なので食事として取り込んでしまいたかったのかもしれない。よくわからないが、祖父には祖父なりの考えが、きっとあったのだと、何十年も経った今、思う。自分のやり方と違うからといって、いちいち目くじらを立てる必要などなかった。

とはいえ、今も頭を抱えるのは、実家のものの多さだ。理解できない量の衣類が、タンスから溢れて山を成している。「安い」というだけで、着るあてもない古着を買い続けているらしい。「こんな服、一生着ないでしょ!」とゴミ袋に入れると、「着る!」と言ってゴミ袋から出す。なにを死守しているのかわからなかった。

「私の実家もそうだよ。ものだらけ。実家にあるものの9割は、ゴミだね。戦争を経験した人って、ものがなくて苦労したから、捨てるっていうことが、どうしてもできないんだろうね。必要か必要じゃないかじゃなくて、とにかく溜め込んでさえおけば、安心できるのかも知れないね」

友人の言葉に救われた。子ども時代の戦争体験の影響と仮定すると、ゴミ袋片手に親とバトルを繰り返したことが悔やまれる。

理由なくとる行動なんてないんだ。本人が意識していようといまいと、そうする、どうしてもそうなってしまう理由は、きっとどこかにあるのだろう。

夫の実家では、先日、ひ孫にと電車のおもちゃを出してきた。60年前の夫のおもちゃだ。タイムマシンがあるのかと驚いた。収納場所が多いので、なんでもしまってあるらしい。

運転免許を返納した後も「思い出があるから」と、長年、車を処分しなかった。一軒家は、思い出を無尽蔵に溜め込み、増殖を続ける生き物のようだ。

《断捨離できるか》

「あなたが死んだら、あなたの持ち物は、すべてゴミになる」

最近、目にし、これ以上ない衝撃を受けた言葉だ。なにより、深く納得してしまった。

私の持つどんな大切な宝物も、私以外の人には、価値がない。昔、お祝いでもらって、しまったままの立派な食器だって、何度も使われないままゴミになるのだ。(それは耐え難いと、桐の箱から出して食器棚に入れたが、もったいなくてまだ使えずにいる。)

親からもらった着物も、もう何十年も着ていない。額に入れて飾りたいような美しい柄なのに、売れば二束三文だと聞く。泣きそうになる。

かろうじて体力の残っている今のうちに、持ち物を減らそう! ゴミを残して死ぬわけにはいけない。「断捨離ブーム」には乗らなかったのに、突然、生前整理に目覚めた。

でもそれは、想像よりもはるかに難しい作業だとすぐに気づいた。このたくさんのアルバムをいったいどう処分しろというのか。あちこち線を引いた本だって1冊も手放したくない。子どもが幼稚園の時に作ってくれたブローチだって、中学生の時にくれた首飾りだって、捨てられるわけがない。

結局、老親と一緒なのだ。理屈じゃない。論理的でない。でも、人は、他人にとってゴミでしかない「宝物」に支えられながら生きている。もののなかにある記憶を手放したくないのだ。

記憶さえあれば、ものはいらないんじゃないかと、もう一人の私は考える。でもその「もの」に触れるとき、それを手にしたときの気持ちが蘇る。

病気で記憶が消えていくときでも、ものは、記憶を取り戻すきっかけとなるだろうか?

がんが脳に転移した人を2度見舞ったことがある。

「あなたのことは、覚えていないけど、あなたが持っているその動物の柄の布カバンは、見覚えがある」と言われた。

《家族の顔を忘れるのか》

「認知症は、家族の顔も忘れる」とよくいうが、私は、疑っている。顔認識機能がうまく働くなっていて、「不一致」と、脳が誤って判断している可能性がある。今の顔の記憶は消えていても、30年前の顔ならわかるかも知れない。50年間つけていた結婚指輪は覚えていて、「この指輪をしている人なら私の夫だ」とわかるかも知れない。一人ひとり違うだろうが、家族を忘れるわけではないだろうと想像している。

レビー小体型認知症では、(アルツハイマー病を併発していなければ)記憶障害は軽く、最期まで家族がわかると、介護家族から聞いた。それでも視覚情報の処理に問題が起こるので、時には、別人の顔に見えてしまうこともあるようだ。

反対に、顔は同じなのに中身が別人に入れ替わったと感じる「カプグラ症候群」もレビー小体型認知症では起きやすい。「脳の機能障害によって、感じるはずの親しみの感情を感じられないから、別人と判断する」という解説を読んだ。どんなに不可解に見える症状にも、それを起こしている背景は、必ずある。

私もいつか、自分の子どもの顔を間違えるだろうか。そのときは、「・・だよ」と名前を言って、そっとハグしてもらおう。幼児のころ、いつもそうしてくれたように。私は、きっとうっとりと微笑んで、その幼名を正しく呼ぶだろう。

 

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。