モヤモヤの日々

第154回 ある夏の思い出

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

新型コロナウイルスのワクチン接種(2回目)による副反応だったのか、先週は熱が出ていたが週末にはなんとかおさまり、腰痛だけが残っている。以前から腰痛はあったのだが、それにしても痛い。痛みがおさまらなければ、病院に行こうと思っている。歯医者もまだ通わなければいけないのに、やれやれだ。まだ39歳なのだけど、この連載で僕の体は痛み過ぎている。

今日の東京は暑いらしい。天気予報によると38度まで気温があがるそうだ。先週の僕の体温と同じである。先ほど、朝顔に水をやろうとバルコニーの窓をあけただけで禍々しい熱気を感じとった。とりあえず腰の医者は明日以降にしよう。この気温での外出はきっと体によくない。

大学2年生の頃、実家がまだ駅前に引っ越しておらず、東京の西の果てにある福生市の多摩川沿いに住んでいた頃、実家から武蔵五日市線の最寄り駅までは徒歩20分以上かかった。熊川駅は当時としても珍しい無人改札駅で、電車の本数も極端に少なかった。僕は夏、大学に行くために35度以上の気温の中、熊川駅まで歩いていた。雑草が生い茂った急勾配の階段を登っていた。草木の匂いが強く、日差しが網膜に突き刺さって痛かった。僕は手で日差しを遮りながら、その時、この瞬間をこれからの人生で何度も思い返すことになるだろうなと、なんとなく直感した。

この直感は的中して、実際にあの瞬間のことを、その後の人生で何度も思い返すのだった。とくに寒さにへこたれて不平を漏らしたくなるとき、あの瞬間のことが脳裏に浮かび、「どうせ夏になったら、暑さに不平を漏らしているんだよな」と、辛さを少しだけ慰めることができた。

そして今日、腰痛を患った39歳の僕は、冷房の効いたマンションの一室であの夏の日のあの瞬間を思い出しているのだった。あの時、19歳の僕は家を出たことを心から後悔した。今日は家にいよう。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid