モヤモヤの日々

第157回 父と中原中也

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

亡くなった父は読書家で、大学は文学部を希望したが、祖父の反対にあい工学部に進学した。そんな祖父も社会科の教員をしながら小説家を志していたのだから、人間は複雑である。超のつく進学高校で挫折感を覚えた父は、僕に勉強を強要することは一度もなかった。学校の勉強をまったくやらない僕に対して父が見つけてくれた教育法は、詩を暗唱することだった。

父は、中原中也の詩を愛した。「サーカス」の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬音に戯けた抑揚をつけて私に聴かせてくれた。それが耳に残り、何度も朗読をせがんだものだ。父自身は「含羞」という詩が好きで、「なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ」と噛み締めるように諳んじていた。そんな感じの幼少期を過ごしたおかげで、僕にとって文学とは、「父との楽しい時間」である。いまだに眉間にしわをよせてやるようなイメージがないのである。

1999年5月22日、17歳の僕は父に誘われて渋谷にいた。翌年には閉店が決まってしまっていた小劇場「渋谷ジァン・ジァン」にいた。中也の実弟で、ハーモニカ奏者の伊藤拾郎氏によるライブを観るためである。僕はそのとき、進路に迷っていた。迷っていたというか、あまりにも勉強をしなさすぎて行き詰まっていたのだ。このままでは入れる大学がほとんどない。かといってやりたいことがあるわけでもないので、就職や専門学校も選べない。

店内は狭くて暗かった。今は伝説となったアンダーグラウンド芸術の聖地。今思えば、もっと詳細に覚えておけばよかったと少し残念な気持ちがある。そして小柄な伊藤拾郎氏が現れてハーモニカを吹いた。ライブは圧巻そのものだった。叙情的な演奏と存在感。なにもかもが衝撃だった。興奮がおさまらない父は、「渋谷ジァン・ジァン」から渋谷駅まで歩く途中で、「俺はあの中原中也の弟の隣で小便したんだぜ」と子どものように自慢していた。どうやら途中休憩の折に、拾郎氏とトイレで鉢合わせしたらしい。何度も笑顔で自慢していた。

その後、僕は猛勉強して大学の文学部に入り、中原中也で卒業論文を書いた。こんな大切な思い出を、生前の父と語り合わなかったことに悔いが残る。僕の父はほかでもない、「中原中也の弟の隣で小便した」男なのである。うらやましいいんだか、そうでないのかはよくわからないけど、僕はあの日、17歳にしては背伸びして入った小劇場「渋谷ジァン・ジァン」の雰囲気や、伊藤拾郎氏の存在感、そして子どものようにはしゃいでいた父の笑顔を生涯忘ることができない。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid