第16回 永遠の初心者

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

初めての育児は、すべてが初めて体験だ。体力だけには自信のある20代だったが、退院した日から毎晩1時間ごとに起こされ、1週間で7キロ痩せた。一日中眠くて、歩くと地面がゆらゆら揺れた。夜泣きは、2年間続いた。

年月とともに、「ベテラン余裕楽勝母」になれたかといえば、そうでもない。おむつ替えには熟達したが、初めての1歳児も、初めての2歳児も、その後の4年間も、初めての小学生も、やっぱりどうすればいいのかわからないことのほうが多かった。「げっ!なんでそれ、するの!?」が日々繰り返され、「樋口家の事件簿」は、着々と厚みを増した。2人の子を抱えて何度病院に走っただろう…。

気質が似た、穏やかな親子同士なら多少違うのかも知れないが、性格も違う、エネルギーの塊みたいな子どもは、異星人だ。育児は、常に体力勝負だった。私の体から出てきたとはいえ、別人格の生き物(人間、時々動物)だし、行動の予測もできず、てんやわんやの日々だった。

中学生になると、体力はいらなくなるが、すべてがもっとわからなくなった。すぐに「バタ〜ン!」と扉を閉めて自室に引きこもる。ほとんど無言の高校生もなにを考えているのか、さっぱりわからない。学校の三者面談で初めて成績を知り驚愕とした。(考えてみれば、私も親に成績表は見せなかった。)

加えて、子どもたちが中高生だった6年間、私は「うつ病」患者という、まったくもって頼りにならない幽霊のような母親であった。(それからずっと後になって、うつ病ではなくレビー小体病だったとわかった。薬の影響で悪化していた。)

子は子で、自分の思春期の悩みやら葛藤でいっぱいいっぱいの上に、母親の健康問題まで被せられて、やってられない日々だったと思うが、私は私で余裕ゼロだった。思い出したくない暗黒時代だ。

でも、どんなに苦しいときにも、時間だけは過ぎる。どんな親を持っても、子どもは、大人になる。凄いことだと思う。凄い力を持って、子どもは生まれてくるのだと思う。それをただ深く信じてあげればよかったと、今は思う。

 <子どもは社会で育てる>

前回の『育児がつらかったころ』を読んで、スウェーデンに住む日本人の友人が、感想を送ってくれた。

「スウェーデンでは、子どもは、社会で育てようっていう意識が高いんだよね。日本では、母親が責任者になっちゃうけど、可愛い時期の育児に関われないお父さんたちも可哀想だよね。もっと子どもと接したいって思っている男性は多いだろうに…」

確かに、今の日本に「社会で子どもを育てよう」という意識は見えない。幼稚園や保育園から聞こえてくる子どもの声がうるさいとクレームが来るというニュースを見たのは、いつだったろう。混んだ電車にベビカーで乗るなとか、子育て中のお母さんたちが泣きたくなるような話は、次々と出てくる。

昭和に田舎で育った私は、困っていそうな人を見かけたら、子どもでも高齢者でも、とにかく声を掛けるようにはしている。(母も叔母もそうだったし、勤め人でない私には時間の余裕がある。)

でも最近、声を掛けた途端に一目散に逃げていく子どもが増えた。不思議に思っていたら、「知らない人から声を掛けられたら、すぐ逃げましょう」と学校で教えているのだとニュースで知った。性的な目的で小さな子どもに優しく声を掛けて、巧みな嘘で連れ去る犯罪があるのだという。

膝から力が抜けていく。不信を基盤にした社会で、どうしたら人は、助け合うことができるんだろう。社会で子どもを育てるなんて、夢のまた夢だ。

 <みんなつらかった>

30年前も今も、日本で子どもを育てるのは、並々ならぬことなのだ。

前回の『育児がつらかったころ』には、「私もそうだった」という声が予想外に多かった。「私が書いたのかと思った」という感想まであった。(あの…すみません…書いたのは私です。)

自分では、勇気と覚悟を持って、体の一部を引きちぎるようにして書いた過去の子育ては、実は誰の身にも起こりえた、いわば、ありふれた経験だったと知った。

「え? 今ごろ知ったの?」と言われそうだが、私は、自分と同じ平凡な主婦の子育ての苦悩を書いた本を(どこかにはあるのだろうが)これまで読んだことがなかった。

子育てにまつわる後悔なんて、そもそも人は、口外しない。ごく親しい友人にだけは愚痴れても、家族や親戚にも言いにくい。それは、心の奥深くにグイと押し込まれ、重い蓋をされる。だから消化も風化もすることなく何十年経っても消えることがない。時間と共に硬く変質し、チクチクと永遠に痛み続ける。

実際には、大量の人が経験しているというのに、なぜ自分一人が失敗したかのように、密かに罪悪感を抱え続けなければいけないのだろう。私がまさにその一人なのだが、考えてみれば、おかしな話だ。

そんなに多くの人が経験しているなら、自然災害とほとんど同じじゃないか。母親一人の資質で起こることではないし、まして個人が責任を負うべきものでもない。大量の「被災者」を生み出す巨大な仕組みがあったわけだ。大きな見えない手が、性別で居場所を切り分けていた。

友人が言ったように、育児にほとんど関わらず、家庭を顧みない戦士生活が、多くの男性をしあわせにしたかと言えば、そんなことはないだろう。

20年間単身赴任だった夫が帰ってきたという知人が言った。

「お父さんがいない生活が、もう出来上がっているんだよね。子どもたちにも、私にも。そこに急に入って来られてもね…」

災害に呑みこまれていたのは、母親と子どもだけではなかった。家族を養うためにと、頑張ってきたはずなのに。みんなそれぞれにたくさんのことを我慢して、精一杯頑張ってきたはずなのに、1つのチームには、なれなかった。私たちは、どうしたら災害から逃れられたんだろう…。

 <「頑張れ」の害>

そんなことを考えていたころ、コロナの非常事態宣言の下、オリンピック・パラリンピックが開催された。「ええ!? 選手とスタッフの安全は?」と思ったが、始まってしまえば、トップアスリートの動きは美しいし、観れば自然に感動する。勝って喜ぶ選手を観れば、私も親戚のおばさんのようにうれしい。ああ、人がしあわせそうにしている姿って、こんなにも気持ちが良いものなんだなぁと思い、暗いニュースばかりのなかで心が塞いでいたことにあらためて気づかされた。

でも、オリンピックの放送を通して、もっとはっきり自覚できたことがあった。

「全力で頑張れば、夢は叶う」「努力は、報われる」「強い心を持って、諦めずに続ければ、困難は乗り越えられる」

そうだ。私も長年、そう固く信じていた。何が起ころうと「頑張る」一択。ただがむしゃらに突き進む。人から「だめだ」と阻止されても、諦めはしなかった。諦めなければ、道は開けたのだ。健康であったときは。

できなくなったことに焦り、頑張れば頑張るほど、泥沼に沈み、息ができなくなる。そのことを、私は、病気になって知った。

もちろん、誰にも踏ん張り所はある。病人にだってある。火事場の馬鹿力を出さなければ切り抜けられないことも、子育てや介護をしているなかでは、たびたび起こる。

それでも、固く握り締めた「頑張らなければ」という思いに、自分自身で鉈(なた)を振り下ろさなければいけないときがある。困難には、種類があるのだ。

「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと

変えられるものを変える勇気と

その両者を見分ける英知を我に与え給え」

有名な「ニーバーの祈り」だ。[1]

自分一人の力だけでは、変えられないものがある。例えば、病気でできなくなったことは、忍耐や努力ではどうにもならない。どんなに頑張ったところで、できなくなったことは、もうできない。

「認知症」と付く病気を診断された人が、歯を食いしばって苦手になった計算ドリルをしたり、させられたりすることがある。記憶障害が主症状のアルツハイマー病の人が、覚えられないことを必死に覚えようとしたり、周囲から「思い出して!」と言われたりする。それは、苦痛でしかないし、悪いストレスは、脳には猛毒だと私は実感している。

「頑張ることの素晴らしさ」だけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でも、それと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。

思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は、弱い。そして脆(もろ)い。そのことを、もう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。

 <大事なのは自分>

きらびやかな祭典が過ぎれば、また厳しい現実に引き戻され、悲痛なニュースが続いていく。命がまた失われていく。

学校でも会社でも育児でも介護でも、一人で耐えて頑張り続けたらどうなるだろう? 病気になる。最悪の場合は、死んでしまう。それだけはダメだ。絶対にダメだ。

毎日苦しくて、笑うこともできなくなったら、もう頑張る必要なんてない。そんなときに、頑張り続けることは、害悪だ。「こうあるべき」なんて言葉とか、「正しさ」なんて、どうでもいい。

一番大事なのは、自分だよ。会社より、学校より、家族より、何よりも、まず自分だよ。つらいニュースを見るたびに、私は、そう叫びたくなる。

大事なのは、「しんどい」「苦しい」と口に出すこと、黙って聞いてくれる人に愚痴をたくさん言うこと、「手伝って」「助けて」と、人の手を可能な限り借りること。そんなことは、学校でも家でも、誰も教えてくれなかった。でも今は、それができる心の柔らかさを持っていることこそが、人が持てる強さなんだと思っている。「自己責任」なんて呪いの言葉に操られてはいけない。

 <うまくはいかない>

元々柔らかさに欠ける私が、うまくいかなかったのは、子育てだけじゃない。私は、何をやっても長く続けることができなかった。社会人としての常識も身に付かないまま、この歳になった。恥ずかしい。

でも考えてみれば、育児だけでなく、人生で起こるすべてのことは、初心者マークだ。治らない病気の診断で始まった「初めての50代」も、真っ暗闇からスタートして、なにもわからないまま夢中で来て、来年には終わる。健康だったら、もっとたくさんのことができたと思うが、まあ、仕方がない。これが私の精一杯だ。こんな私に、書く場が与えられているだけでありがたい。

もしもあと11年生き延びて、70代になれたらなれたで「70代初心者マーク」を胸に付け、気持ちと体がちぐはぐなまま、危なっかしい足取りで行くんだろう。そして生まれて初めて迎える最晩年を「あっちが痛い。こっちが苦しい」とか言いながら、みっともなく生きていくとしか思えない。なにごとも理想通りにはいかないのだ。

死ぬまで初心者なんだから、あれもこれもうまくいかないのは、当たり前だなと思う。周りを見渡すと、自分だけがうまくいっていないように見えるけれど、きっと、それこそは、妄想。


[1] ラインホールド・ニーバー(米国の神学者)が作者と言われている祈りの言葉の一部分。

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。