モヤモヤの日々

第199回 狭い街

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕の幼馴染みにY君という男がいる。かれこれ33年の付き合いになる。おそらく家族以外で一番多くの時間を一緒に過ごしてきたのは、このY君ではないか。いや、もしかしたら家族よりも長い時間を共にしているかもしれない。その時間のほとんどが、素晴らしく不毛なものだった。

Y君は人間の愚かさを凝縮したような人間で、つまり僕とまったく同じなのである。実はこの連載にもすでに何度か登場していて、Y君と最初に出会ったのは、彼がサッカーのゴールネットに絡まって動けなくなっていたときだし、「好きな人と一緒にいられるのが一番でモテる必要はない」と言う僕に、「『モテる人が好きな人』を好きになった場合はどうするんだ?」と訊いてきたのもY君だった。Y君の愚かさは身も蓋もない部分があり、前述のような質問をされたとき、僕は頭をフル回転させる。ときにはY君を説得しようと、多様な比喩や隠喩、例え話を繰り出して臨むが、なかなかY君の首を縦に振らせることができない。

Y君は僕の鏡であり、Y君の愚かさは僕の愚かさでもあるため、Y君を説得するという営みは、自分を説得するという営みでもある。それによって、僕の語彙力は格段にアップした。文章を書くときも、「これではYは納得しないだろう」とY君にまったく関係ないにもかかわらず、僕の中のY君チェックが勝手に入って、愚か者の僕とY君でも肯けるように書き直したりする。僕はなにをしているのだろうか。

そんなY君の有名なエピソードに、「It's a small town(イッツ ア スモール タウン)」というものがある。20代前半のある日、僕はY君と一緒に飲んでいた。その店は東京の奥の奥、僕たちの故郷である東京都福生市にあって、美味しいお酒が飲めるうえに、手作りの定食まで出してくれる。しかも木材を基調とした店内には和風のアンティーク感が漂っており、それはそれはとてもお洒落な店なのである。

この店を教え、その日はじめて来店したY君は、ご機嫌そのものだった。「いい店を教えてくれてありがとうな!」と顔をほころばせていた。僕らは千鳥足になりながら笑顔でその日は早い時間に別れた。

翌日、僕はまたその店の定食が食べたくなり、二日連続で通った。晩酌がてら、「白身魚のフライ定食」を食べていると、ドアが勢いよく開く音が聞こえた。そして入り口からY君が颯爽と入ってきた。女性が一緒だった。僕の知らない女性である。Y君は「ここ俺ちゃんの行きつけなんだ」みたいな雰囲気を漂わせて、女性を案内していた。ここで声をかけるのも野暮だというものだが、なにせ、店内はそんなに広くない。気づかないふりをするのは無理がありすぎる狭さである。僕は手を軽く上げて、「おお、Yじゃないか」と声を掛けた。

その瞬間の凍りついたY君の表情を、僕は生涯忘れることができない。Y君の隣にいた女性が「友達?」とY君に訊いた。するとY君は欧米の人がするような、手のひらを上にあげる「やれやれ」のジェスチャーをしながら、「狭い街だからね」と言った。僕は、「やれやれ」のジェスチャーをリアルでしている人間を、このとき初めて見た。その後、Y君はペースを乱したのか、常にそわそわしながら女性と食事しており、僕より先にお会計を済ませてしまった。そして最後に僕のところに来て、「おい、たまには飲もうぜ」と言ったのだった。

これが「It's a small town」のすべてである。ちなみに、僕のせいではないと思うが、Y君はその女性とうまくいかなかったらしい。それにしても仮にうまくいったとして、その後、僕のことを女性にどう紹介するつもりだったのだろうか。とりあえず対症療法で乗り切ろうと画策する愚かさが、僕そっくりである。

先ほど、このコラムを書きたくて、Y君に許可を取ろうとLINEで連絡した。「まったく問題ない。好きなように書いてくれ」とのことだった。げに潔い愚か者である。愚かだけど、なぜだか愛おしい。

 

Back Number

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid