モヤモヤの日々

第204回 小さな一歩、大きな一歩

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今日は朝から、赤坂の書店「双子のライオン堂」の店主・竹田信弥さんがパーソナリティーを務める「渋谷のラジオ」の番組「渋谷で読書会」に、久しぶりに出演した。ダンゴムシを見つける達人で、僕が「竹田のライオン堂」の双子さんと間違えてしまいがちな、あの竹田さんである。

放送では、「双子のライオン堂」発行の文芸誌『しししし』第4号の情報公開があり、今号は詩人の中原中也を特集することが発表された。実は僕も25枚の論考を寄せる。思い入れのある詩人について書くことの葛藤やそれを乗り越えた楽しさを語った。そして野々上慶一が昭和6(1931)年、東大本郷正門前に21歳で開店した文圃(ぶんぽ)堂が、二階の四畳半を編集室にして、まだ無名だった宮沢賢治の全集、中原中也の詩集『山羊の歌』、そして一時期は文芸誌『文學界』の発行を引き受けていたことなどを話した。あとは、僕が最近ハマっているSKY-HIさんプロデュースのボーイズグループ「BE:FIRST」、新人作家・牧野楠葉さんによる短編集『フェイク広告の巨匠』について早口で喋った。朝から喉がカラカラになった。

僕の喉がカラカラだったのには、ただ単に喋りまくっただけだからではなく、放送後にある一歩を踏み出そうとしていたからという理由があった。以前にもこの連載で書いたが、コロナ禍になって以来、僕はまだ在来線に乗っていない。ちょうど一度目の緊急事態宣言時に、妻が大阪への里帰り出産で赤子を産み、病院では立ち合いも面会もできず、その後も妻と赤子と合流するまでに時間を要した。東京の奥の奥の郊外に住む僕の母に会わせるのには、その後に亡くなってしまった高齢の祖母への配慮もあり、もっと時間がかかった。さらに僕は体が弱い。そんなこんなのなかで決まっていったのが「僕は在来線を避ける」というルールだった。

はじめはある程度は意味のあるルールだったが、まだ油断はできないものの、現在はその制約を解いていい状況になっていると思っていた。しかし、コロナ以降、取材も打ち合わせもラジオ出演もリモートが増え、仕事の用事で外出するのは、月2回程度になった。交通の便がいい場所に住んでいるので、タクシーを使ってもコロナ以前より毎月の交通費は減っていた。そんな事情があり、一度つくったルールを変更するタイミングを逃してしまっていたのだ。

しかし、今日、「渋谷のラジオ」のスタジオに行ったように、少しずつ外出する機会が増えてきたし、金銭的にも現実の生活的にも「僕は在来線を避ける」というルールをいつまでも自分に課すことが難しくなっていた。それを今日の帰りに在来線に乗ることで終わりにしようと思ったのである。

そう話すと、竹田さんは僕を改札口まで送ってくれると言ってくれた。「何線ですか?」と訊かれ、「半蔵門線、いや田園都市線だったはず」と電車のことをまるっきり忘れてしまっていた僕は答えた。「最寄り駅は?」とさらに訊かれたので池尻大橋と答えた。交通系ICカードをなくしてしまった僕のために、竹田さんは路線図をチェックしてくれて「130円ですね」と切符の値段を教えてくれた。なんて優しい人なんだ。僕は恐る恐る券売機に1000円を入れた。ところが、何度入れても戻ってきてしまう。鞄の中で飲み物をこぼし、札が濡れていたからだ。財布の中には濡れた札と、105円しか入っていなかった。

「あの、すみません。30円借りていいですか?」と僕は訊いた。竹田さんは「もちろんです」と言って30円を出してくれた。僕は「必ず返しますから」と言って切符を買い、自動改札機を通過した。竹田さんは心配そうに見送ってくれた。そして、僕は意を決して電車に乗ったのだった。

すっかり忘れていたのだが、渋谷から池尻大橋はたった1駅で、わずか3分しか乗車しなくていいのだった。特に緊張も感慨もわかないまま、僕は下車した。感想はまさに「普通」だった。その「普通」をするのに、こんなにも時間がかかるとは、自分でも初めは思っていなかった。しかし、小さな一歩でも僕にとっては大きな一歩になった気がする。今度会ったとき、竹田さんにお礼を言って30円を返さなければいけない。すごく忘れそうで、今から不安である。

 

Back Number

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid