モヤモヤの日々

第234回 風船トレーニング

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

コロナ禍で生じた身体変化のひとつとして、表情筋の衰えがある。単純に人と会って話す機会が減ったからだ。この連載の吉川浩満さんと原則、毎週土曜日に配信しているTwitterスペースで1時間話すと、表情筋が痛くなる。僕は自分の声があまり好きではない。ライターという職業は、ICレコーダーに録音したインタビューの音源を聴く機会が多いので、結構なストレスになる。そういったこともあり、真面目な僕は以前から滑舌トレーニングに取り組んでいた。

はじめはオーソドックスに、早口言葉に挑戦した。とくにサ行が苦手なことがわかった。しかし、慣れてきてしまうとおざなりになって、一音一音を意識しなくなってきてしまった。そして、これは僕が悪いのだけど、あまり面白くない。つまらないのだ。これなら僕の唯一の特技である詩の暗唱や、赤子(1歳6か月、息子)への読み聞かせを増やしたほうが楽しく取り組める。でも、なにかトレーニングをしたい。なにかに立ち向かっている感覚がほしい。そんなとき、僕は出会ってしまった。「風船トレーニング」である。

風船トレーニングとは、有名ボイストレーナーの佐藤涼子さん(通称:りょんりょん先生)が「情熱大陸」の公式YouTubeで紹介していたもので、風船を膨らませた状態で小刻みに息をしたり、発声したり、歌ったりするトレーニングである。しかも、りょんりょん先生は、僕が好きなボーイズグループ「BE:FIRST」のトレーニングを手掛けている。よし、決めた。僕は風船トレーニングをする。

早速、風船を購入した僕は、まずは小刻みに息をしてみた。思ったよりつらい。というか、つらすぎる。りょんりょん先生もやりすぎたら危険だと言っていた。しかし、珍しく根気強く続けたところ、だんだんと苦しさがなくなってきた。滑舌トレーニングとは少し違うかもしれないが、心肺機能を高める効果が望めるため、虚弱体質の僕に悪いはずがない。そして、いよいよ歌唱のステージへと進んでいった。

りょんりょん先生がお勧めしていた童謡「七つの子」(からすのうた)を、風船を膨らませながら歌った。最初は苦しかったものの、トレーニングのかいがあってか、一番の歌詞を歌い切れるようになった。もっと楽しめる曲はないだろうか。たまたまYouTubeで流れていた「DISH//」の「猫」という曲(作詞作曲 あいみょん)が、歌うと気持ちよくなりそうだった。滑舌トレーニングをするはずが、いつのまにか気持ちよくなることを優先するようになっていた。我ながら危なっかしい奴である。

その「猫」も苦心を重ねた結果、一番の歌詞を歌えるようになった。ところがその後、体調を崩してしまったのを機に、長らく風船トレーニングをサボってしまっていた。昨日、僕は一念発起して、もう一度、風船トレーニングを再開する決意をした。あの歌うと気持ちがいい「猫」をもう一度。

当たり前だが、一番を歌い切るどころか、一連目で僕は爆発してしまった。歌詞に猫が出てくる前に大爆発し、口から風船が吹っ飛んだ。赤子はゲラゲラ笑いながら拍手をしてくれた。家ではいつも寝てばかりいる愛犬ニコルは、突然、野生が目覚めたように、見たこともない速さで机の下に逃げていった。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid