第9回 「バニチー」に焦がれる夫人 中編

真珠夫人、感傷夫人に黄昏夫人……明治以来、数多く発表されてきた「夫人小説」。はたして「夫人」とは誰のことか? そして私たちにとって「夫人」とは? 夫人像から浮かび上がる近代日本の姿!

作品名:『伯爵夫人』田口掬汀 1905(明治38)~1910(明治43)年

前回は、田口掬汀『伯爵夫人』のあらすじを追いつつ、男性のメインキャラが清廉潔白なのに対し、主人公である槙原伯爵夫人延代や郷田子爵夫人などの女性キャラがやたらと財産に目がくらむことに違和感を覚えると書いた。

いったい、これら女性キャラを読者たちはどう受け止めていたのか、今回はその謎を追ってみたい。

興味深いことに、国会図書館近代デジタルライブラリーでデジタル化された『伯爵夫人 前編』には元の持ち主のマルジナリア(余白への書き込み)が多数ある。

薄くて読めないものも多いが、拾ってみると(〓は判読不能文字)
「親父は馬鹿」(p.206)、「延代なぐりたし」(p.207)、「ひや/\/\」(p.208)、「親の遺言をたてにとって虚栄にあこがるゝ薄情の女よ! 僕は汝の〓をききたい!!」(p.209)、「昌造生意気だナグレ」(p.296)などなど……
ここで確認できます。ページ数はコマ数ではないので注意。

書き込みは、それぞれ本文に対応しており、
本文「これには色々と事情〈わけ〉があるのですから、何卒〈どうか〉悪く思わないようにね」→書き込み「いや私は悪く思わずには居られない」(p.245)
本文「私に汚い慾があってしたようにばかり仰在るけども、それは貴下の邪推ですわ」→書き込み「yes. 邪推だ、数馬男らしくない」(p.254)
本文「(延代の父の臨終の言葉に対し悪役の昌造が)なァ之から一同〈みんな〉情好〈なかよ〉くして、面白可笑しく暮らそうじゃないか」→書き込み「何を云やがるんだ」(p.303)
というように逐一合いの手を入れ、まるで登場人物たちと会話をしているように読んでいることがよくわかる。

たじろぐほどに素直である。

では、連載時の読者はどうだろう。

当時の「万朝報」紙はとくに投書欄を設けてはいないが、掬汀が連載の末尾に、感想や正誤を指摘する投書家の名を列記して謝している回がいくつかある(以下、読みやすいよう適宜句読点を入れ、旧字旧かな使いは直した。〓は判読不能文字)。

そんななか、珍しく内容をそのまま紹介した気になる投書があった。

「●小説「伯爵夫人」毎日待って居ります。されど延代は数馬さんを殺そうとするのでしょうか、何という不人情な女であろうと私毎日心配で此頃は神経病らしく相成り二三日前より御飯も味がありませぬ。此上延代と数馬が添われぬようになったら、私死ぬより外ありません、医者は新聞を読まぬ方が可かろうと申しますけれど、見ねば尚お気に障ります、家内の者も一同心配致居〓〓〓お助け下さると思召して、二人そうようにして下さいお願いです(越前福井の一女子) 右の投書家に答えます。拙作に対して左程の苦痛を感じられるのは同情の深い為で作者は嬉しくもあり又お気の毒にも存じます。併し今より趣向を申し上げ難ねますから如何斯〈どうこ〉うするとは申されませんが結末に至って愉快に感じられる丈けは確信して居りますから御安心を願います。尚芝三田の梁南生、信州の駒林、岩代の飯沼白牛三君に対して同情ある寄書されたるを謝します 作者」(7月31日付)

なんと、主人公の延代が幼馴染の数馬と結ばれなければ死ぬとまで思い詰めた読者がいたのだ!

こうなると医者は無力、作者の掬汀から宥めてもらうより策がない。

また、男子からのものとして

「●後編第二章の一まで拝見して私は平素の野心愚痴不平等をさらりと忘れました、同時に今後醜き我糟糠の妻を深く愛し遣ろうと決心しました(在佐世保鎮守府TH生)●僕は皓潔なる数馬の心事を採って自分の模範とすべく考えて居る(千葉の一男子) 右の外大坂の石村君、出征梅澤旅団の島川君、長野県中島義一君、陸中花泉村佐藤隆三郎君、日本橋の中村滋雄君等より評言注意等寄せられたるを以て茲に謝意を表す」(9月14日付)

というものもある(どうでもいいが在佐世保鎮守府のTH生よ、愚痴や不平を忘れるのはいいとして「醜き我糟糠の妻を深く愛し遣ろうと決心」とはなんという物言い……)。

採用された手紙だけを見ると、圧倒的に男性率が高い。

折りしも日露戦争真っ最中のこと、第四師団、出征梅澤旅団など兵士からの便りも目に付く。

軍事郵便制度が発達していたおかげで、戦地にあっても内地からさまざまなものを送ってもらえたが、なかでも新聞は一兵卒が戦況を確認するのにもっとも尊ばれた。

数日分がまとめて届けば小説の筋も把握できて、日々の無聊を慰めつつもつい肩入れしてしまうのは理解できる。

ともあれ、これらの投稿、掬汀によれば後編が終わった時点で「四百通を接取した」(明治38年11月23日付)という。

マルジナリアや投書から見えてくるのは、裏読みなどはせずに書かれたものをそのまま受け止め、一喜一憂する読者像だ。

主人公の延代の俗っぽさ、軽薄さに憤る一方で、数馬と結ばれるよう他愛もなく応援している。

さらに、聖人君子の数馬を「自分の模範」としようとする者もいる。

これは前々回見てきたように、家庭小説という概念が生まれたときから背負わされていた啓蒙の精神を掬汀が強く意識して書いたためで、読者も従順にトレースしているのだろう。

新聞小説の読者は、芝居でも観るような至極単純な感性で味わっていたことをあらためて思い知らされるのである。

それにしても、愛か家か、または愛か金か、の煩悶は、尾崎紅葉『金色夜叉』をはじめ家庭小説にとてもよく見られるパターンである。

このように近似した物語はどこから来たのか、というもうひとつの謎に次回は迫ってみる。


〈おもな参考文献〉
関肇『新聞小説の時代 メディア・読者・メロドラマ』(新曜社、平成19年)
『近代文学研究叢書 第51巻』昭和女子大学
金子明雄「戦う家庭小説『女夫波』●田口掬汀」(『国文学 解釈と教材の研究』42(12)學燈社、平成9年)
浜田雄介「大衆文学の近代」(『岩波講座 日本文学史 13巻』岩波書店、平成8年)
森英一『明治三十年代文学の研究』(桜楓社、昭和63年)
秋田県総務部秘書広報課 編『秋田の先覚:近代秋田をつちかった人びと 第3』(秋田県、昭和45年)
浅井清「付章2 大衆文学の〈近代〉と〈現代〉」(三好行雄 編『近代日本文学史』有斐閣双書、昭和50年)
牟田和恵『戦略としての家族』(新曜社、平成8年)
新井勝紘「軍事郵便の基礎的研究(序)」(『国立歴史民俗博物館研究報告』126、平成18年)
茂沢祐作『ある歩兵の日露戦争従軍日記』(草思社、平成17年)

 

兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社)、近刊に『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。2022年3月に『明治大正昭和 不良少女伝』がちくま文庫となる。唄のユニット「2525稼業」所属。
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