第5回 あいつがテロリストかもしれないよね

「『空気』が支配する国」だった日本の病状がさらに進み、いまや誰もが「気配」を率先して察することで自縛・自爆する時代に? 「事のまずさを感知しない『空気』」を悪用して突き進む政治家たちと、そのメッセージを先取りした「気配」に身をゆだねることに違和感を覚えなくなってしまった私たち。「日本の心情」を“なんとなく”稼働させてしまう「気配」の危うさをめぐる、『紋切型社会』の著者・武田砂鉄さんによるフィールドワーク、その第5回は、同時多発テロで揺れるパリの街を訪れた体験からの考察。

フランス国有鉄道のジングル

パリの南東部にあるリヨン駅は、リヨン方面に向かう始点となる駅。つまり、「そっちへ向かう列車だから」という理由で都内に名古屋駅が存在しているような煩わしさがある。フォンテーヌブローに住む知人の元へ行くことになったのだが、指定の列車が発車する30分も前に着いたので、構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」に入ってみる。フラスコ画がいたるところに飾られたこの場所は映画『ニキータ』の撮影でも使用されたそうだが、映画のセットにも使われるくらいの格調を維持しようとしている態度がむしろ映画のセットみたいで逆にチープ、と、同行者の旅情を瞬時に剥ぎ取るようなことを吐き出して反感を買っていると、聞き覚えのある「3音」が耳に入る。フランス国有鉄道(SNCF)のジングルだ。

ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアは、昨年リリースした新作『飛翔』の「ラトル・ザット・ロック〜自由への飛翔」のイントロに、SNCFのジングルを使っている。乗車を促すテンションとは到底思えない、どことなく人を不穏な心地にさせる、冷気が舞い込むような3音。エクス・サン・プロヴァンス駅でこの音を聞いたギルモアはたいそう気に入り、旧型のiPhone を取り出し、5分ほどスピーカーにそれを向けて、アナウンス音を録音したという。このジングルを作ったミシェル・ブーメンディルは、シャルル・ド・ゴール空港やミシュラン、ソシエテ・ジェネラルなどのオーディオ・アイデンティティ(その場所やブランドが展開する音作りをプロデュース)を担う、短い音をつかさどる才気。フランスの隠れた国民的音楽家といえる。

楽曲は、ギルモアの妻であるポリー・サムソンが作詞している。「錠を揺さぶり お前を縛るものから逃れろ」と繰り返し歌うその背景には、2010年、ポリーの連れ子が学費値上げ反対デモに参加し逮捕された経験が反映されている。ロンドンの戦没者記念碑の国旗にぶら下がって逮捕された息子。ギルモアはこのアルバムについて、政治的な面もあると言及し、「イギリスやその他の多くの国」と前置きしつつ、「政府にあまりにもコントロールされている。(中略)自分の意見を声高に言ったり、何かに対して抗議したりとか、今までは許可されていて、これからも許可されるべきものに対して(中略)人々に立ち上がる勇気を与えようとする歌」だと位置づけた(『rockin’on』2015年11月号)。

「Je suis en terrasse」

1月下旬にパリへ行ってきた。昨年刊行した本がBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞し、その本家である、パリのカフェ「ドゥマゴ」に顔を出すことになったのだ。選考会の模様を皆で見届け、近くに待機している受賞者をカフェに呼び込む。その出迎え方がなかなか洒落ている。オーナーや選考委員が一斉にカフェのテラスに並び、横断歩道の向こうからやってくる受賞者を待ち構えるのだ。

昨年11月の同時多発テロでは、多くのカフェやレストランが標的となったが、テロリスト達が「パリの日常」を恥辱するために、これが効果的だと選び抜いたターゲットがテラスに佇む人々だった。パリの人々は、その意図に憤怒しながらも、テロ直後からカフェのテラス席にわざわざ集い、SNSを通じて「Je suis en terrasse(私はテラスにいる)」と訴えた。カフェでの語らいを取り戻すことは、恐怖におののいているわけではありません、という態度表明となった。オランド大統領は「テロが標的にしたのはフランスの理念、自由だ。だが、フランスは『自由の国』であり続ける。恐れに屈しない」と述べて(どこかの国の宰相も「屈しない」が好きだ)、令状なしの家宅捜索を可能とする国家非常事態法を改正し(どこかの国の政府はこれに倣うように「緊急事態条項」を憲法に盛り込みたがっている)、2500件の捜索を行い、300人近くの身柄を拘束した。

この釣果は、中枢なりの「恐れに屈しない」の体現なのだろうが、「自由の国」であり続けるために市民たちの街頭行動を規制し、テレビは空爆へ向かう戦闘機ばかりを放送し、「視聴者に『戦争酔い』と『イスラムフォビア(イスラム嫌い)』をまき散らし」ているのである(東京新聞・2016年2月2日朝刊)。「Je suis en terrasse」は、そういう“フォビア”とは、異なる自由を確かに希求していた。

「屈しない」という態度は崩れる

パリへ降り立った日の夜、早速街へ繰り出すと、このすぐ近くにテロ現場があるという。「凶悪事件の容疑者が移送されてきた警察署の前でカメラに向かってピースをしてはしゃぐ若者たち」って最近さすがに見かけなくなったが、「そうか近くにテロ現場があるのか」とデジカメを片手にスタスタ出かけていくこちらの動機は、実際のところ、アレとそんなに変わらない。

バスティーユから程近いシャロンヌ通りに、ビストロ「ベレキップ」がある。店舗はさすがにベニヤ板で封鎖されていたが、その隣にある、中華料理屋の要素をインテリアに混ぜ込んでしまった寿司屋には、ポツポツと人が入っている。この店先に車を寄せたテロリストは100発ほど乱射し、19人もの死者が生じた。今でも沢山の花束が置かれているが、ただただ人気がないだけのように見える寿司屋を除けば、わざわざ「近くで食事をしてやろう」と意気込んでいるかのようにどの店も漏れなく混み合っている。「テロに屈しない」という態度を、持っていきたい方向へ運ぶための手段に使うのは仏日に共通しているが、敢えてテラスに戻ってやろうじゃないかという連帯は、確かにテロに屈してはいない。

街中では、銃をぶら下げた兵士がそこらじゅうを歩いている。早朝のエッフェル塔を歩けば、向こうから3人の軍人が均等間隔で横並びに歩いてくる。こちらからは修学旅行の学生達が整列して歩いていく。とっても違和感のあるクロスが、観光名所で繰り広げられている。

テロ直後の映像もさることながら、その数日後、犠牲者を追悼するミサが行なわれている最中に街中で爆発音らしき音がしたとの情報(結局誤報だった)を受けて、逃げ惑うパリの人々の映像、あれが頭に焼き付いている。「屈しない」という態度は、緊張感によって保たれ、やっぱり突発的な事象で崩れる。これまでと比べてどれほど張り詰めているのかは、初めてパリを訪れた自分には判別できないが、在仏者はポロリと「変わってしまった」とつぶやいていた。帰国する日、パリ郊外にあるディズニーランド・パリのホテルで拳銃2丁とコーランのコピーを持った男が逮捕された。「護身用に持っていた」という供述は納得できるものではないが、その手の一報で空気は変わる。空気が引き締まる。帰国後、同時多発テロの首謀者の居場所を通報したとされる女性の証言として、「首謀者から仲間約90人がパリ周辺にいると聞いている」と、仏メディアが報じたことを知る。テロから3ヵ月が経過したが、こうして緊張は引き延ばされるのだろう。

「見知らぬ人に冷たくしてはいけない、変装した天使かもしれないから」

セーヌ左岸、ノートルダム寺院と向かい合う場所にあるのが、シェイクスピア&カンパニー書店。現店舗は2代目だが、元祖は「反骨の書店」と知られ、今もその意志を引き継いでいる。創業者のシルヴィア・ビーチは「ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の草稿がスキャンダラスで煽情的であるとして次々に出版社から拒否されたとき、親しかったジョイスのために出版資金を調達した」という(ジェレミー・マーサー『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』)。ナチスがパリを占領した1941年に閉店したとき、ナチの将校に『フィネガンズ・ウェイク』の最後の一冊を売ることを拒否した、というエピソードもある。

この閉店した書店を1951年に改めてオープンさせたのが、はみ出し者のアメリカ人、ジョージ・ホイットマンである。単なる書店の機能だけではなく、売れない物書きや旅人達を受け入れて、食事や寝床を提供する場として開放した。結果として、自分と同じ臭いがするはみ出し者たちがこぞって住みつく書店となった。前出書は、犯罪記者として大成することができず、カナダからパリに流れ着いたジャーナリストがこの書店で過ごす日々を記した一冊だが、それを読むとジョージは、とにかく誰でも彼でも引き受けている。原書が刊行されたのは2005年、書かれた当時から少々雰囲気は変わっていたのだろうと思いつつも店内を覗くと迷路のように入り組んでおり、隠し小部屋のような執筆スペースもあり、2階の奥にはひっそりと図書館が広がっている。

ふと見上げると、この店のスローガンが目に入る。「BE NOT INHOSPITABLE TO STRANGERS LEST THEY BE ANGELS IN DISGUISE」。見知らぬ人に冷たくしてはいけない、変装した天使かもしれないから……ジョージがこの書店の立場を明確にするために掲げた一言である。とにかく誰だって受け入れるという姿勢が、この書店を、作り出す文化を、豊穣にしてきた。

国の行方を大きな情感で動かそうとする

見知らぬ人は変装したテロリストかもしれない、という風土は、じわじわ広がっているのだろうか。1週間足らずの滞在にもかかわらず、この辺りは移民が多い地域だからあまり行かないほうが……という言葉を何度か耳にする。古くからのユダヤ人街が広がる、マレ地区にあるロジエ通りを歩く。明らかに、銃をぶら下げた兵士の数が増える。街の学校の前では、屈強な兵士が常駐している。その向かいにある流行りのエクレア屋の前からは、食べ歩きを始めようとする観光客が吐き出されてくるが、その模様を兵士が凝視している。この辺りでは、テロの準備をしている人たちがうろついている、という根拠に乏しい噂も立ったという。人は、話題のエクレアを食べにくる。エクレアを食べにくるけれど、向かいでは、ユダヤ街にある学校という理由で、厳しい警備をしている。日常を取り戻した、とは言えないだろう。

別の日、地下鉄のホームへ向かおうと自動改札を過ぎた辺りで、怒声が聞こえる。周囲の人が瞬間的に体を引いているのが見える。ある一人がカバンから落としたガムテープを、浮浪者のような出で立ちの男が拾い上げて逃げようとしたのだ。大きな声を上げられたことに驚いたのか、その場にガムテープを置いて逃げていった。街中で生じる不測に対して、瞬間で緊張が走る。たいして治安の良くない地下鉄に揺られていると、乗り込んでくる人を見ながら付け焼き刃の警戒心を稼働させて、適当に判別して、この人たちはもしかしたらもしかするのではないかという雑念を用意したままになる。

移民を受け入れるなんて当然だろう、そもそも現在の荒れた中東情勢を作り上げたのはアメリカおよび欧州の結託が元凶なんだからという、借りてきた持論は、いざパリの地下鉄に飲み込まると、あいつがテロリストかもしれないよね、という安手の思い込みに負ける。テロ直後、地下鉄駅の監視カメラには、主犯格アブデルハミド・アバウド容疑者が映っていた。見知らぬ人に冷たくしてはいけない、変装した天使かもしれないから、というジョージ・ホイットマンの精神は「それどころではない」というムードにかき消されている。相対する人をそれぞれ小さく疑い続けた自分は、そういうムードにしっかり加担してきたということにもなる。その加担は、国の行方を大きな情感で動かそうとする側にとっての潤滑油にもなる。ならばその加担はもはや“フォビア”の一種と言っていい。ギルモアの言う「あまりにもコントロールされている」状態は、こうして小さな餌撒きによっても強化されていく。

 

SIGN_06TAKEDA1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」「LITERA」「マイナビ」などで連載。雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」「TRASH UP!!」などで執筆中。インタヴュー・書籍構成も手掛ける。2015年4月に刊行した『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。http://www.t-satetsu.com/