第6回 悲しみをとどめる

「『空気』が支配する国」だった日本の病状がさらに進み、いまや誰もが「気配」を率先して察することで自縛・自爆する時代に? 「事のまずさを感知しない『空気』」を悪用して突き進む政治家たちと、そのメッセージを先取りした「気配」に身をゆだねることに違和感を覚えなくなってしまった私たち。「日本の心情」を“なんとなく”稼働させてしまう「気配」の危うさをめぐる、『紋切型社会』の著者・武田砂鉄さんによるフィールドワーク、その第6回は、東日本大震災発生から丸5年が経過する3月11日に放たれたさまざまな言葉と、その日に起きた小さな出来事から考えたこと。

14時46分に掃除機をかけ始める

東日本大震災の発生から丸5年が経過するその日、地震発生時刻14時46分の5分ほど前に、自宅マンション近くにある児童館から「そろそろじゃねー?」「だねー!」と子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。この児童館からこぼれてくる声には時折、軽妙なやりとりが含まれている。昨年末だったか、「オレ、もう死にたいよー」「えーどうして?」という物騒なやり取りに続く返答が「だってオレ、すぐにお腹いっぱいになっちゃうんだもん」だった時には、思わず部屋の中で声を上げて笑い転げた。彼らの弾ける会話は、いっつもとんでもないところへ飛んでいくから面白い。

だからこの日も彼らは、普段とは異なる「黙祷」というコンテンツを、興奮しながら今か今かと待ち構えている。箸が転がっても面白い年齢は、1分間じっと目を閉じることもまた、特別な体験なのだろう。とにかく黙祷に積極的。45分になると、地域全体に向けての放送が始まる。「間もなく、東日本大震災の発生から、5年が経過します。多くの方々が亡くなられたことを追悼し、46分からの1分間、黙祷を捧げましょう」。あちこちで動きが止まり、静まっていくのが分かる。

目を閉じてから20秒ほどだろうか、近くの部屋の掃除機がけたたましく動き始めた。床用ノズルで細かいゴミを吸い取っているのだろうか、部屋の隅にノズルをゴリゴリ押し当てているような音が聞こえてくる。普段は聞こえない音かもしれないが、静寂の中ではとりわけ響く。しばらく掃除機の音が続き、かぶさるようにして「黙祷を終わります」とのアナウンスが流れた。

「小さな声を、聴く力。」

掃除機の音が止んだのは48分くらいのこと。隣室には来客がやってきたようだ。すぐに要件が終わったようなので何かの売り込みかもしれないと構えていたら、やっぱり続いて我が家にやってきた。近くに住んでいる公明党の支持者で、今、アンケートを配布しているのでご協力願いたいという。黙祷を終えて、わずか数分後のことだ。

その場で答えさせようとしたが、ひとまず受け取りますね、とドアを閉め、アンケート用紙を読む。「国民の皆さまの声を政治に反映し、『軽減税率』『携帯電話』『高額療養費制度』など、生活に密着した政策を公明党は実現してきました」。この党のことを「ひとまず自民党を牽制して最後に譲歩することを繰り返している党」との判断を下している自分には「生活に密着」の部分にちっとも賛同できないけれど、とにかく「皆さまのご意見をぜひお聞かせください」とのこと。アンケート用紙に記されている公明党のスローガンはこうだ。「小さな声を、聴く力。」。アンケートを配布する人にも事情があったとは思うが、とはいえ、14時46分から3分過ぎた49分に、「小さな声を、聴く力。」と掲げたチラシを配っても説得力には欠ける。シュールですらある。

瞬く間に非道な人

街中のおおよそが黙祷しているにもかかわらず、14時46分20秒から掃除機をかけてしまう住民を、咎める気にはならない。黙祷してもいいし、しなくてもいい。その時に黙祷しなかったからといって、追悼する気持ちがないわけでもないし、黙祷した人のほうが、黙祷しなかった人よりも、といった比較はナンセンスで……という気持ちが芽生えたのは、実は後々になってから。黙祷している最中に聞こえ始めた掃除機の音に対して、なんでこんな時に掃除機かけんだよ、馬鹿やろう、空気読め、恥知らずと、脳内でなかなか乱暴な言葉をいくつも並べていた。充満した乱暴な言葉に感情を持っていかれて、黙祷を途中で止めてしまった。

毎年、「この日だけ震災を思い出すなんて都合が良すぎやしないか」という意見を、「この日だけ」見かける。付け焼き刃だと思われるのが嫌な人は、敢えて徹底的に言及しないという判断をする。その一方で、こういう日に何も言及しないほうが失礼だと主張する人もいる。どちらが正解、というわけではない。人は色々なことを覚えては忘れていく生き物なのだから、誰かに与えられたきっかけで記憶を蘇らせることを恥じらうべきではない。人の頭は都合良くできている。あれだけの惨事でも事故でも、すっかり忘れようとする。今日で丸5年という事実を忘れたままにしている掃除機の住民は決して非道な人間ではないはずだが、こっちが押し並べて黙祷を始めている時に掃除を開始した住民は、どうしても瞬く間に非道な人と思われてしまう。

簡易的な「忘れない」に吸い寄せられる

福島原発はコントロールできている、という大ボラを吹いて東京五輪を呼び寄せた宰相などはその言動を繰り返し問われるべきだと思うが、もう間もなく震災から5年という事実をすっかり忘れて掃除機をかけ始める人は、その行動を許容されるべきだ。一方で、14時48分の政治活動(と言って構わないと思う)としてアンケートを配る行為は、やっぱり慎むべきだと思う。

いくつもの媒体を見ても、「5年」「今でも」「ようやく」「あの日」といった言葉だけが用意され、主語が不明瞭なまま「忘れない」で締めくくられるフレーズに溢れた1日だった。極端に言えば、「忘れてしまっても仕方がない」も含めてバリエーションを提出することが「忘れない」の主語や範囲や強度を維持することに繋がると思うのだが、どうしても簡易的な「忘れない」に吸い寄せられていく。

2割の悲しみしか伝わってこない

3月11日の夜、糸井重里氏がNHKの生放送番組『特集 明日へ』に出演、その番組内での発言が喝采を浴びている。津波の被害に遭った地域でウニの栽培をしている様子を、おとなしい曲調のピアノのメロディーで紹介。そこに「ウニの子供、稚ウニの栽培施設が全壊、600万個が流出しました。その栽培施設は、いち早く復旧。ウニの漁獲量も震災前の8割程度まで回復しています」とのナレーションが入った。

番組を観ていたものの、録画していたわけではないので、発言部分はハフィントンポストの記事から引用するが、その映像とナレーションを受けて、糸井氏はこのように言った。

「変なことを言うようだけど、この音楽で、8割が復興したという話をされても、2割の悲しみしか伝わってこない。悪いけど、こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている。ナレーションにしても、(暗いトーンではなく)普通に言えることがあると思う」

「5年経って、(町の人が)この街を撮ってくれって言ったときに、こうはならないと思うんですよね。もちろん、悲しい部分は残っている。まだまだの部分は残っているんだけど。3月11日の追悼の日だから祈る気持ちがあるけれど、全部をその文脈に入れてしまったら、『ここまで来た』と喜んでいる人たちの表情が見えてこないんじゃないかな」

SNSを覗くと、多くの人がこの発言を「よくぞ言ってくれた」と絶賛し、こんな時だけ被災地に思いを寄せるマスコミの姿勢に憤っていた。あらゆる報道には思惑があり、その思惑に持ち込むために、BGMやナレーションの方向性を定める。曇り空の映像にボサノバをかぶせるのと、デスメタルをかぶせるのでは、曇り空への印象が変わる。あの音楽にあのナレーションだったのは、特別なこの日をどう感じてもらうかを考慮した結果だったのだろう。姑息だとは思うけれど、この姑息を排すのは難しいとも思う。

「忘れない」に主語を用意する

批評家・若松英輔氏が同じ日にこのようなツイートをしている。何度か繰り返し読んだ。

「泣いてばかりいないで顔をあげろなどと言う者の言葉を信用してはならない。人は、自ら歩く道を舌で舐めるような辛酸のなかに長年探しているものを見出すことがある。悲しみは、情愛の泉である。そればかりか、叡知の門でもある。人生には、悲しみを通じてしか知り得ない幾つかの重大なことがらがある」

地域の人を一色にするように悲しいBGMを使い、喜んでいる表情を消してはいけない。そう思う。それと同じように、「こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている」と一色にしてもいけない。報道は常に持っていきたい方向に話を持っていく。最適解を探す。どういうテンションが、どういう内容がウケるかを探してしまう。特にマスコミへの不信感があちこちで高まっている今、「当事者の気持ちを考えようよ」という当事者周辺の言質は、非当事者たちの集まりのなかで信頼される。糸井氏が何度も被災地へ行き、具体的な取り組みを重ねていることもその信頼を高めるのだろう。

被災地に限らず、どんな括りで人を集めても、元気だ、という人がいれば、元気じゃない、という人がいる。その割合を正確に把握することは絶対にできない。あらゆる集団は常にぐらついているのだから、そのなかをハッピーの一色に仕上げると、ハッピーではない人もいるのだからと叩かれる。アンハッピーの一色に仕上げると、ハッピーな人もいるのだからと叩かれる。どちらも間違っていない。

叩かれるのが嫌だから、シリアスに仕上げる。あのNHKの映像の作られ方は、そういう安全パイを選びとっているように思えた。だから糸井氏の指摘自体には納得する。でも、「こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている」もまた、それなりに危険だと思う。なかなか可視化されない2割の悲しみに、この日くらいはシリアスに寄り添ってみようという好都合な感情は、この日以外忘れている「忘れない」の主語として「私」を用意し直す手段になり得るのではないか、と思った。

プレッシャーに転化する言葉

震災復興と原発問題を同義にするなという突っ込みを先んじて予測しておくが、「東日本大震災五周年追悼式」で天皇陛下と安倍首相は、それぞれ「原発」をどのように語ったか。

天皇陛下はこう述べられた。

「地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます」

安倍首相はこう述べた。

「被災地では、未だに、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために、住み慣れた土地に戻れない方々も数多くおられます。被災地に足を運ぶ度、『まだ災害は続いている』、そのことを実感いたします。その中で、一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています」

前者からは悲しみをとどめる意識を感じ、後者からは前を向く意識を感じる。どちらもとっても大切だし、決して相反するものではない。というか、入り混じっている。この5年間、個々人がその双方を同居させながら、バランスを模索し、正しいバランスなんて見出せずに、頭のなかをぐるんぐるんさせてきた。当事者だけではなく、非当事者も同じようにぐるんぐるんさせてきた。そういう時に、ポジティブな方向付けは力を持ちやすい。でも、被災直後がそうだったように、「立ち上がろう」とか「前を向こう」というポジティブは単なるプレッシャーにも転化する。

「僕はこう思う」の精査は必要か

年が経つにつれ、「立ち上がった」や「前を向いている」という状況が知らぬ間にデフォルトになってきた。マスコミが暗めの伝え方をすると、“マスゴミ”が風評被害を作り出すといった声が寄り集まる。メディアは恒例行事のようにこの時期だけ被災地に入り、「まだまだそうはいっても」の声を拾い上げて、暗めの編集で興味を惹き付けるが、「こういうときだけ」という声がかぶさる。

一つの最適解を探そうとすること自体が健全だと思えない。震災から5年の日、一日中パソコンの前で原稿と向き合っていたが、あの数分だけを引っこ抜いても、児童館から聞こえる子どもたちが黙祷に興奮している様子を微笑ましく思い、追悼中に掃除機をかけ始めた住民に対して憤り、その後理解し、直後に家にやってきた公明党のアンケートに気分を害した。その夜には、「帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます」と「復興は確実に前進しています」を比べ、テレビを見て、皆に絶賛されていた「こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている」にどうも納得がいかなかった。半日で頭がこれだけ揺さぶられているわけだ。

「こういう態度で臨むべきではないか」というサンプルが、影響力を持つ人から提示されると、どうしてもそっちに列を成してしまう。前を向いている人もいれば、前を向けない人もいる。楽しそうに黙祷する子供がいれば、いつも通り掃除機をかける人がいる。この選択肢、それぞれが正しい。「これはおかしい、僕はこう思う」の精度や地力が、「うーん、それはどうかな?」と問われるようなムードを、歓待すべきではないと思う。悲しみをとどめるために、戸惑ったままではいけないのだろうか。その戸惑いは「小さな声を、聴く力。」にも繋がると思っている。

 

SIGN_06TAKEDA1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」「LITERA」「マイナビ」などで連載。雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」「TRASH UP!!」などで執筆中。インタヴュー・書籍構成も手掛ける。2015年4月に刊行した『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。http://www.t-satetsu.com/