第14回 着回さない

『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

以前より服を買わなくなった。

きっかけは去年末にWEBである記事を読んだことだった。1年間に新しい服やアクセサリーなどは5つしか買わないというチャレンジをしたイギリスの女性編集者の記事だった。記事では2022年のHot or Cool Institute(ドイツのシンクタンク)のレポートが引用され、新しい服の購入を年間で5着に抑えることができれば、世界平均の気温上昇を1.5°C以内に抑えられるという。下着や帽子、靴下などの小物はカウントされないが、バッグや靴は5点に含まれる。

世界中のすべての人が年間のファッション消費量をこの数字にまで減らすというのがどのくらい現実的なのかわからなかったが、とりあえず新しくものを買わなければ温室効果ガスの排出量は減るのは確かだろうと思い、やってみることにした。

 

試したところ、それは自分にとってはチャレンジというより快適なルールだった。物欲に左右されずに暮らせる。ECサイトのメルマガが来ても「すみません、わたし5点までなので!」とさっと素通りし、毎回心を乱されるルミネの10%オフの案内も静かに見送ることもできた。

もっともそれはライフスタイルの変化によるところが大きい。コロナ禍以降、リモートワークによって会社に行く回数が大きく減った。そして出勤の回数が減ると、「着回し」という言葉の魅力が減じた。

「着回し」は魔法の言葉だと思う。ファッション誌においては「着回しダイアリー」は鉄板の企画で、これまで数々の女性誌で「甘め派/カジュアル派」「スカート派/パンツ派」などに分かれて新歓コンパから結婚前の顔合わせ、会社でのプレゼンテーションなどさまざまシチュエーションに合わせてコーディネートが紹介され、1枚のトップスがインナーになり、羽織になり、肩に巻けばストールにも、とあれこれ変身していた。わたし自身、お店で試着をすると「これ、着回しに便利ですよ」「カジュアルにもきれいめにも使えます」「1つあると便利です」といったマジックワードに惹かれることが少なくなかった。

 

が、会社に行く回数が減り「着回し」から離れるとふと思った。どうして今までそんなに必死に着回そうとしていたのだろう。手持ちの服は既にいくつもあるのに、なぜ1枚の服を七変化ばりに活用してあらゆる局面を乗り切ろうとしていたのか。というか会社に毎日行っても行かなくても、毎回似たような恰好をしていて何が問題なのだ。気に入った服は洗濯が間に合うなら何回着てもいいし、そんなに似合う服、快適な服があるのは割と幸運なことだ。もしも会社で「いつも似た服だね」と言う人が現れたら、「こちとら仕事だ、遊びに来てんじゃねえ」と返せばいい。

あと「1つあると便利」ってなんだ。チーズおろし器だってココナッツ削りマシーンだって1つあれば便利だが、使用する頻度やキッチンの収納容積を考えれば買わないという選択をすることもできるのに(もちろん十分考えた結果買うという選択もある)、どうして洋服において自分は「1つあると便利」という言葉に踊らされていたのか。というか大抵のものは1つあれば便利だ。

そう思うようになってから、今年の出社日は割と同じ服を着るようになった。夏は去年買って気に入っていたリネンのワンピースを繰り返し着て、心が無になるタイプの会議がある日は(残念ながらときどきある)、無の気持ちを黒の巨大なシルエットのワンピースに託し、冠婚葬祭用のパールのネックレスをつけた。映画や演劇を観に行くときは、演目に合わせてネイルの色を変える。その日の行動や感情に合わせて装いを考えるのは楽しい。

これからの季節はアウターもある。かつての軍用の名残を残し、手榴弾をつけるためのDリングがついたトレンチコートを何年か前に買ったので、秋の出社時は積極的に着て行こうと思う。手ではなく、心に手榴弾を携えて世界に臨みたい。

 

そうして服を選ぶようになり10月を迎えた今、今年の買い物はすべて終了した。内訳はアクセサリー2点、スカート1点、ブラウス1点、ジャケット1点。5点のうち2点がアクセサリーというのは今までの自分だったらしない選択だったが、取材やイベントなどで写真を撮られるときは細かな柄の洋服が着にくく(あまり細いストライプや密度の高いドットだと印刷が荒れる)、シンプルな服にアクセサリーを合わせるようになったことによる。特に指輪やバングルは自分の視界に入りやすく、緊張したときに気に入ったものを見ると和む。

あと購入する点数を絞ってよかったこととして、アイテム1点あたりの予算が少し上がった。今までも厳密な予算があったわけではないが、「スカートならこのくらい」といったなんとなくの相場が自分の中にあり、いいなと思うものでも勝手に諦めていた。が、5点までしか買わないと決めた上で全体の予算を考えると、それまであった根拠のない相場に縛られなくてよいことがわかった。これまで手が届かなかったものを買うことを自分に許せるようになり、結果的に満足感が高くなった。

「おしゃれの秋」という言葉を以前より耳にしなくなった気がするものの(そもそも秋が絶滅しつつある)、楽しく健やかに着てこの季節を生きていきたい所存です。

 

 

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。2024年『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞を受賞。