第16回 10月の日記(後半)

『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

10月16日(水)

小説を書く。明日からの荷造りをする。

 

10月17日(木)

旅行で松本市へ。が、新宿駅を出発して早々、特急列車が1時間ほど停まる。人身事故を知らせるアナウンスとともに多くの乗客がため息をつき、お弁当を開けたり車内販売でおつまみを追加購入したりと車内が「食」モードになる中、斜め前の席の人はパックのお寿司を半分食べた状態で一度ふたをし、特急が再び走り出してからご自身が降りる駅の少し前で残りの半分を食べていた。自制心!

松本市はコンパクトな街ながら楽器店や画材店もあり、見ていて飽きない。松本市美術館に行ってから、市内を歩く。

旅行中はいつも猫に留守番をしてもらい、ペットシッターさんに来ていただいている。留守番をする猫には申し訳ないのだが、ペットシッターさんから送ってもらう猫の報告が楽しみになっている。「ちゅーるみたいなおやつをあげたら、嬉しそうに食べました」「おもちゃにはそんなに夢中でなく、まあじゃれますかくらいな感じでした」

 

10月18日(金)

夫の運転で周辺の街を観光する。景色の良い高原に行ってみたり、湖を見ながらパンを食べたりする。

自分は旅行が苦手だと思う。普段見ないものを見たり、おいしいものを食べるのは楽しいし嬉しい。しかしこんなに楽しくて、嬉しくて大丈夫なんだろうかと心配になる。これらの一つ一つの欲望を叶える価値が自分にあるのだろうか、取り返しのつかないことが起きるのではないかと考えてしまう。不幸になりたいとわざわざ思っているわけでもないのに、自罰的な自分に気づく。「したい」を素直に叶える家族や友人との旅行は、そうした自己否定をほぐし、楽しみを許す練習でもある。

ペットシッターさんからその日の報告を送ってもらう。「おもちゃには更に乗り気でないようでしたが、窓の外に何か見えたのか立ち上がって左右に走っていました。私には何も見えませんでした」

 

10月19日(土)

会社の同僚に勧められたお店を訪れ、そのお店の方に勧められたカレー屋さんに寄って松本を発つ。途中でペットシッターさんの報告を読む。「おもちゃには更に乗り気でないようでしたが、窓を開けたら熱心に見ていました」

帰宅し、猫を撫でる。『インディアナ、インディアナ』(レアード・ハント著、柴田元幸訳)を読み終える。本を読み終えるのは帰るべき星がなくなったようで、いつも少しさびしい。

 

10月20日(日)

この数日分を取り戻そうと小説を書く。

 

10月21日(月)

小説を書き、会社の仕事をするといういつもの日だけど、そういえば中高の部活の同期の誕生日。

思い返せば中学や高校のときは、どうして友だちの誕生日を祝うことにあんなに精を出していたのだろう。いつも他の友だちと少しずつお金を出し合ってプレゼントを買い、教室や校門の前でハッピーバースデートゥーユー!と叫ぶように歌いながら渡していた。毎回が山火事のような騒ぎだった。そのせいか、大学以降に出会った友人の誕生日はほとんど頭に残っていないのに、中高の友だちの誕生日はまだ結構覚えている。寄り道禁止の校則のもと、何人かで隠れるように吉祥寺のロフトでプレゼントを買っていた名残りで、大人になってからもロフトに行くと無暗に興奮してしまう。あとどうしてあの頃はやたらとマグカップを贈りたがったのだろう。もはや一生分のマグカップをあの6年でもらった気がするのに、割った記憶も捨てた記憶もないのに、どうして今それらが一つも手元にないのだろう。

かつて誕生日プレゼントとして贈られたマグカップたちが吉祥寺のロフトに集う同窓会を夢想する。

 

10月22日(火)

上司への忖度が高度化し過ぎて身振りだけですべてのコミュニケーションが完結する企業、という小説をしばらく考えるが、それは小説よりも映像の方が良いと気づいてやめる。

 

10月23日(水)

並行して読み進めていた『木曜の男』(G・K・チェスタトン著、吉田健一訳)、『家庭用安心坑夫』(小砂川チト著)、『シュレディンガーの猫を追って』(フィリップ・フォレスト著、澤田直・小黒昌文訳)、『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著、中嶋浩郎訳)を同日に読み終える。

夜中、隣で夫が寝言を言う。「眠れない!」 いや、寝てるよ。

 

10月24日(木)

夕方、小説の資料を借りるために区内の少し遠くの図書館に歩いて行く。片道40分。

暗くて人通りのない道を歩いていると、一人で暮らしていたときのことを思い出す。まずは家具を揃えようとはじめてIKEAに行き、その巨大さに圧倒されるうちに帰りが思いのほか遅くなり、両手いっぱいのブルーバックを引きずるように歩いて帰ったこと。会社の仕事が終わらなくて23時まで営業のスーパーも閉まってしまい、夕食どうしようかなと思いながら最寄りの地下鉄の駅でぐったりと階段を見上げていたこと。疲れていたけれど、不思議と嫌いにはならない。孤独がきちんと自分のものだった時期のこと。

 

10月25日(金)

この秋はじめてタイツを履く。もう後戻りはできない。

仕事を終え、吉澤嘉代子さんのライブを観にキリスト品川教会へ行く。吉澤さんが歌っている姿を見ると、それだけでいつも少し泣いてしまう。

 

10月26日(土)

期日前投票へ。どんな政治もまずは手順を踏むのだ、というようなあの形式的な雰囲気が好きで立会人をやってみたいとずっと思っている。どうやら自治体によってはアルバイトを募集しているらしい。ただし、若い世代に関心を持ってほしいとのことで対象が20代までのケースが多い。まだ間に合う方はぜひ応募し、感想を聞かせてください。

 

10月27日(日)

渋谷に『画家と泥棒』を観に行く。自分の作品を盗まれた画家が、盗んだ泥棒に会いに行き、その泥棒をモデルに絵を描き始めたというノルウェーのドキュメンタリー映画。画家と泥棒の2人のやりとりはもちろん、ノルウェーの刑務所がとても清潔そうなのが印象的だった。

帰りに家電量販店でイヤホンを買う。はじめてのワイヤレス。

 

10月28日(月)

ピラティスからの帰り道、買ったばかりのワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら帰る。嬉しい、もうイヤホンが絡まらない!と喜びながらも、もしも自分が宇宙人だったらきっとあの細い線を通して音楽を聴いていた人間の姿の方がいじらしく見えるだろうと考える。

 

10月29日(火)

半期に一度ある、事業所の全社員参加のイベントに参加するため、会社の近くの貸しホールに行く。業績と連動しているのか、参加者数に対して会場のキャパシティがどんどん小さくなっていく。

『月曜か火曜』(ヴァージニア・ウルフ著、ヴァネッサ・ベル画、片山亜紀訳)を読み終える。

 

10月30日(水)

ルイーズ・ブルジョワ展へ。作家自身の言葉である「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」という展覧会の副題を目にしたときから、ずっと楽しみにしていた。もちろん名前負けしない、痛々しいまでに良い展示だった。

フルーツサンドの一番おいしい部分は、こだわりのパンでもみずみずしいフルーツでもまっ白な生クリームでもなく、よく切れる包丁によってのみ作られる直角。

 

10月31日(木)

2作目の自著の英語版の表紙を見せてもらう。前作同様、とても凝ったデザイン。

中高の吹奏楽部の後輩の誕生日。もう会えないかもしれない人たちが、わたしが知りようのない場所で、わたしが知りようのない誰かに祝われ、温かな日だと感じていることをわたしはただ祈りたい。

 

 

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。2024年『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞を受賞。