第17回 モーニング娘。が苦手だった

『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

最初に彼女たちを見たのは小学生のときだった。

彼女たちは毎日のようにテレビに出ていた。歌番組に、バラエティに、ときに朝の子ども向けの番組に。学校の休み時間には彼女たちのマネをして歌ったり踊ったりする同級生もいて、授業の開始を告げるチャイムが鳴ってから先生が来るまでの短い時間は、どのメンバーが好きかという話題が前後の席の子たちとの定番だった。

が、わたしは正直なところあまり興味がなかった。彼女たちの「明るさ」は自分と遠すぎた。ぼーっとしていて流行にも疎い自分には、金髪にしている中学生のメンバーは異世界の存在だったし(当時住んでいた地域では「髪を染めている」人を見ることがなかった)、教室で彼女たちのマネをしているクラスの中心的な子たちともそれほど仲良くなかった。とにかく家に早く帰って本を読んだり飼っているハムスターと遊びたかった。

正直に認めれば、わたしは彼女たちが苦手だった。自分にはそういう資格がないと思っていた。その明るさに近づく資格が。

ところが、である。わたしは今、彼女たちに夢中である。モーニング娘。に。

きっかけは学生時代の友人が彼女たちのファンだったことだ。MVやライブの感想を綴った彼女のSNSの熱量がすさまじく、興味を持つうちにライブに連れて行ってもらった。7列目のセンターという素晴らしい席だった。「ちょっとすごい人たちが周りにいるかもしれないけど気にしないでね!」と友人は言った。どういうことだろう、と思いながらも楽しみにしていた。わたしは自身がオーケストラに入っていたこともあり、それまでクラシックの演奏会にしか行ったことがなかった。

そしてライブ当日、座席に着くとわたしは困惑した。昔と比べて女性のファンが多いというのは知っていたけれど、周りの席の人々がなぜか屈伸やアキレス腱伸ばしといった準備運動をしていた。中でも熱心に股関節のストレッチをしていたのがちょうどわたしの前の席の男性で、こちらを振り向くと「誰推しですか?」と聞かれた。わたしがそのとき気になっていたメンバー(佐藤優樹さん)の名前を挙げると「じゃあ、まーちゃん(佐藤優樹さんの愛称)のソロのときは跳ばないようにするね!」と爽やかに答え、またストレッチに戻った。

なぜ準備運動? そして「跳ぶ」とは? いろいろと理解できていなかった。

が、ライブが始まると同時に理解した。彼らもまた、モーニング娘。だった。彼らは舞台上のメンバーと同じように精緻に踊り、そして推しの見せ場になるとその名前を叫びながら跳んでいた。準備運動はこのためだったのだ(ただし、他の観客の迷惑となるような「お客様自身の派手なパフォーマンス」「継続的な歌唱や声援」などは公式で禁止されている)。どんな変拍子にも動じることなくサイリウムを振り、合いの手を入れ続けていく器用さにも驚いた。

彼らを従え、舞台に立つ彼女たちは本当に素晴らしかった。最初に驚いたのは、彼女たちの足元だった。ずらりと並んだ彼女たちのふくらはぎは細いだけではなく、一朝一夕のものではない確かな筋肉がついていて、そして信じられないくらい高いヒールの上に立っていた。アスリートだ、と歌う前の彼女たちを見てまず思った。

そして彼女たちはひたすら歌い続けた。ハンドマイクを片手に、全力で踊りながら。MCはあまり長くはなく、2時間近くずっとパフォーマンスをし続ける。プロフェッショナルだ、と思った。歌う彼女たちは格好良かった。彼女たちはニコニコとしていても、決してヘラヘラとはしていない。ときには汗だくに、ときに肩で息をしながらパフォーマンスをする彼女はまぶしかった。祝福のような時間だった。

そんな最初のライブから早8年。今ではすっかりライブに通い(ちなみに踊らずに穏やかにライブを楽しんでいる人もたくさんいます)日々ブログや動画を漁る生活を送っている。布教した成果か、気づけば家族や友人もファンクラブに加入している。

そう話すとよく「どの曲がおすすめ?」と聞かれるがとても迷ってしまう。なにせ1998年のメジャーデビュー以来、出したシングルは74枚。そしてどの曲もパワーフレーズに満ちている。例えば新しい道に踏み出すために発破をかけてほしいという友人に送るなら『Swing Swing Paradise』。

 

Paradise 君の幸せを Paradise 芯から願ってる

Paradise But 君が望んでなきゃ Paradise 何も始まんない

 

あるいは、本来ならば負わずによい責任まで会社で押し付けられている知人には『A gonna』を勧めるだろう。

 

責任者が無いならば 組織である意味がない

勇気と知恵を絞り出して 美学ある生き方でGO

 

他にも心配するふりをしてやたらと他人に干渉してくる人には「HEY HEYニキビが増えたって ストレスなんかないよ だいたいなんで私の事 決め込まないで」(『わがまま 気のまま 愛のジョーク』)、ハラスメントの訴えがなされて取締役と面談をすることになり、それまでと態度を一変させた上司には「あの時のセリフとニュアンス全然違うね 恥ずかしくないのが 不思議だよ」(『自由な国だから』)などさまざまなシチュエーションにぴったりな曲があり、また「かぼちゃの馬車を正面に回して!」(『Fantasyが始まる』)をはじめ人生で一回くらい声に出して言ってみたいフレーズにも事欠かないのはグループの歴史の長さによるところも大きいが、根底にあるのは「自分の人生を全力楽しむ」態度だろう。

モーニング娘。はいつも全力だ。恋愛が不本意な形で終わったときも「恋をするなら この次は あんた名義の恋をしな」(『シャボン玉』)と厳しくも自分を鼓舞し、夢のために慣れ親しんだ場所を離れるときは「胸が痛い (…)それでも行く 私行く」(『HEAVY GATE』)とたくましい。「終わりなきMy Vision 楽しむ事は人間の義務なんだよ」(『The Vision』)に代表されるように、自分の人生は自分で生きる、楽しむ。そうした楽曲を、10代や20代の時間をアイドルとして過ごすことを決めた彼女たちが全力で歌い、踊る姿を目にすると、その誇り高さにわたしはいつも少しだけ泣いてしまう。

もっとも、彼女たちはその誇り高さを自分たちだけのものにしない。思えば以前のわたしは、どうして彼女たちの明るさを自分に縁のないものだと撥ねつけていたんだろう。彼女たちはいつも誘ってくれていたのだ。

 

さぼってないで すねてないで

こもってないで こっちにおいで GO GO(『ブレインストーミング』)

 

ちっぽけでも高らか 「うちら最KIYOU」

時代進めんのはいつも娘たち 君も さ、行こう(『最KIYOU』)

 

勝手に諦めていたのはわたしの方だった。彼女たちはいつだって誘ってくれていた。その優しさは「夜の底で朝を待つ誰かの心 私が照らしてあげる」(『Wake-up Call~目覚めるとき~』)というように特定の人ではなく「誰か」と広く向けられたもので、だからこそ差し伸べられた手に触れた人たちは自分もモーニング娘。になってしまうのだ。ライブ前に念入りに準備体操をして。

 

 

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。2024年『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞を受賞。