第4回 ハバナのアルセニオス

いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。

アルセニオスは突如として漆黒の表情を浮かべて静かに語り始めた。「先月に彼女は死んだんだ」と。予想もしない話に僕は「え...?」と言ったきり何も言えなくなる。

コーンロウスタイルの黒髪と褐色の肌を持つアルセニオスは、たった1時間前にハバナのホテル街の外れで出会ったばかりの青年だ。オレンジの花が描かれた黒いTシャツを着ている。もし彼に日本で出会っていたら、遊び人風情の若者だと思っただろう。そういう軽さが彼にはある。

アルセニオスの恋人はトーカという名前の日本人だった。4年前、彼女は友人とともにハバナを訪れ、ビーチ沿いのカフェでアルセニオスと出会った。彼女の親たちの反対で結婚は1年、2年と延期され、その間にトーカは交通事故で命を落としてしまった。どこで事故に遭ったのか尋ねると、彼は少し考えた後に「シブヤ...」と答える。まだ2週間前のことで、彼女の両親は電話越しに「早くあなたと結婚させてあげたらよかった」と言って泣いていたという。

アルセニオスが奢ってくれた苦々しいコーヒーを啜りながら、彼の話は本当だろうかと考える。しかし、嘘としては一線を越えている。だってトーカは死んでしまっているんだから。でもここで気を取り直す。人を信じるということは、その人の言葉を真に受けてみることから始まるんだから。僕は、キューバと日本という離れた土地のふたりの間に儚い心のやりとりがあったことを想像してみる。

「信じる」ということについて前日の会話を思い出す。僕の滞在先のホテル、ナシオナル・デ・クーバにハバナ大のマリア・テレジア教授を招いて話を聞かせてもらった。彼女は中学卒業後、仕事を持って育児をしながらも30年以上にわたって学校への出入りを繰り返しながら研究を続け、現在はハバナ大の経済学部で教鞭をとっている。

僕がある質問をしたときにマリアは言った。「外国から来た方、特に資本主義国から来た作家やジャーナリストの方から感じられるのは、端(はな)からキューバという国のこと、そして私のことを信頼していないということです。失礼ながら、鳥羽先生の質問の中にも私はそのニュアンスを感じました。あなたはおそらく社会主義の中には民主主義がないと錯覚していらっしゃるし、革命が過去の出来事ではなく、いまも革命のための努力が続けられている最中(さなか)であるということを理解していらっしゃらない。アメリカの制裁の影響はあまりに大きく、経済状況は芳しくありません。しかし、不断の努力があってこそ、この国の大義は守られてきました。だから、特に医療や教育といった人々の命を支える事業については最優先に取り組まれてきたのです。」

このとき僕が質問したのは「大学の会議や講義の中で、国の政策についての批判をすることはできるのか。また、それは一般的に行われていることか」というものだった。このとき、通訳の西原さんは明らかに顔を曇らせていて、申し訳なかったと思う。この質問自体はおかしいものではないかもしれないが、最低限の共通了解があって成立する質問というのは確かに存在する。その点について僕は敬意を欠いていて、それを見透かされたのだと思う。

 

アルセニオスと入ったカフェのカウンターには、チェ・ゲバラの大きなイラストとキューバの国旗が掲げられている。「ゲバラがいま生きていたら何と言うだろうか、と考える人はたくさんいます。」昨日のマリアの言葉を思い出す。「資本主義的価値観の下では、競争に勝つことがイコール豊かさであるという思い違いが横行しています。直接的にそう表現しなくても、現実的に社会がそう構築されており、そのことに疑問を持たずに生きている人が多いことに懸念を持っています。私たちに必要なのは物質的豊かさではありません。求めるべきは身の丈にあった発展であり、そのための努力を続けていかなくてはなりません。」

それにしても、キューバの革命家たちの見栄えのよさといったらない。町の至るところにある彼らのイメージを繰り返し見ているだけで、好きになってしまいそうだ。特にゲバラは、素朴な正義感、自己犠牲を惜しまない勇敢さ、類いまれなき知性、さらに男らしさを兼ね備えたアイコンとして、いまも多くの国民から敬愛されている。

「男らしさ」と言えば、僕はハバナの地では何度か迫害を受けた。前日はホテルでマリアとのツーショット写真を撮ってもらったのだが、「あなたは男性なんだから、笑ってないでもっとしかめっ面をして男性らしくしないと!」とホテルマンから言われた。何を余計なことを。隣のマリアは何も言わずに笑っていた。中肉の男性から発せられたmore like a man!という言葉がしばらく頭から離れなかった。勘弁してくれと思った。

カフェの入口側の二面の壁にはコンパイ・セグンドやオマーラ・ポルトゥオンド、ルベーン・ゴンザレスといったブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの巨人たちのポスターがデカデカと貼ってある。ポスターの四隅には何度か破れて付け替えられたあとがあり、彼らがこの店で長く愛されてきたことが伝わってくる。

「ブエナビスタがアメリカのグラミーという権威的なコンペティションで評価されたことについて、複雑な思いはありますか?」そんな質問が頭に浮かんだが、意地悪と受け取られるかもしれないのでしまっておく。

店の外から失われた夢のような音楽が聞こえてくると思ったら、3人の男たちが歌いながら店内に入ってきた。3人はそれぞれにギター、マラカス、ボンゴを持っている。アルセニオスがピュィィーっと口笛を鳴らして彼らを歓迎する。3人は長い夢から覚めたような表情で明るい歌を歌い出す。

「これはキューバ人なら誰でも知っている男が女を愛する歌だ。」そう言っていっしょに歌っていたアルセニオスは、次に見たときには携帯を取り出して誰かと話している。スペイン語は分からないが「ハポン(=日本人)」と聞こえたから僕のことを話しているんだろう。カフェでは誘われるままに、バーカウンターに入ってカクテルを作ってみたり、ボンゴを叩いて皆でいっしょに踊ったりした。

次にアルセニオスは近くのマーケットに行くと言う。「さっき、君を連れて行くって友達に話したんだ」。すっかり彼のガイドで街歩きをする格好になったが、彼から「日本人?」と最初に声を掛けられたときに、僕はちょっとくらいボラれてもいいから彼と楽しい時間を過ごそうと決めていたわけだ。「日本のどこ出身なの?」と尋ねられて僕が「福岡」と答えると、アルセニオスは「福岡、よく知ってるよ!」と勢いよく答えたものの、その直後に「はい、ひょっこりはん!」と謎の日本語ネタを披露し始めたので、福岡の何を知っているかはわからなかった。

タンクトップ姿の友達はアントニーという名で、肉体労働者たる逞しい躯体を汗で光らせていた。彼は靴や雑貨から電化製品まで雑多なものをそこで売っていて、何かないかなと物色してみるもののめぼしいものはない。

アルセニオスは僕が何も買いそうにないことを察すると、「次に行こう」と言って市場の出口に向かっていく。「お腹すいてないかい?」と聞くので「まあ、そろそろ食べてもいいよね」と答える。そのときすでに13時を回っていて、ふだん昼食をほとんど取らない僕はどっちでもよかったが、彼と一緒にローカルフードを食べるのも悪くないかなと思った。

市場を出る直前に一人の豊満な女性とすれ違って、アルセニオスが判別のつかない奇声を上げる。そして、「いい女だろ、あれ」「ほら、あのデカい尻(ケツ)を見てみろよ」「カズも女は好きだろ?」「オレが女を誂えてやろうか?」と畳み掛ける。酔っぱらったカエルみたいな顔をしやがって。

このときとっさにアルセニオスと話を合わせれば同志になれたのかもしれないが、僕が芳しい反応を示さないので「え? 女が好きじゃないのか?」といかにも面白くなさそうに言って、そのまま市場を出てすぐの角を曲がる。

しばらくして、アルセニオスは唐突に立ち止まってしゃがみ込む。「ここはwifiが繋がるんだ」。目の前の店には「coffee shop」と書かれた看板があって、つまり彼はこの店のwifiを拝借しているんだろう。

「このマンガ、知ってる?」と尋ねられて彼の黒い携帯(おそらく中国製のガラケーだ)の画面を覗き込むと、「七つの大罪」と書いてある。「聞いたことはあるけど知らない」と答える。「じゃあこれは?」と言って別のマンガを指差す。今度は「東京喰種」と書いてある。「僕は知らない...ていうか、これなんて読むんだろう...」と呟いていると、「トーキヨ、グールだよ」とちょっとガッカリしたように言う。日本人だったら誰でもマンガに詳しいと思ったら大間違いだと呟きながら、それを控えめな英語で伝える。

「キューバでは日本のマンガが人気なの?」と聞くと、「めちゃくちゃ人気、最近携帯を持ち始めた若い人はだいたい読んでるよ」とのこと。マンガのセリフは全てスペイン語で書かれていて、提供しているのは中国系のサイトだ。いわゆる違法ダウンロードである。国際的な秩序を破っているわけだが、これがキューバ流の国際社会に対する適応であり、この国ではこういう類いのことがライフハック的に行われているようだ。

パッションピンク色のドアから中に入ると、こぢんまりとしたレストランだ。エメラルドグリーンのテーブルに座ると真っ赤なメニュー表にはスペイン語表記しかなく、アルセニオスがこれはこういう料理だと粗雑な英語で説明をしてくれる。「これは焼き魚で、甘いソースがかかっている」と言うのでそれにする。「ここのレストランのシェフは腕がいいんだ」そう言いながら携帯で注文を伝えている。彼はおそらくシェフと同じコミュニティで生活しているのだ。ふとイヤな予感がした。

しばらくすると、店の外から全長50㎝はあると思われる大きな魚を抱えた男性が入ってくる。この店には他に誰もいないし、もしやあれを調理したものを食べるのかと思うと、なんだか怖ろしいことに巻き込まれたような気分になる。

その2、3分後に、一人の女性が店内に入ってくる。アルセニオスはまたもや尻に目が釘付けで、「このデカい尻、ほら、お前の尻デカいんだよ」と言いながら女性の尻を平手で2、3度叩く。なんで叩くのか理解できずに少し嫌な気持ちになる。彼はプルンとした尻の肉の跳ね返りを楽しんでいることがわかる。女性は一言だけ「何よ、あんた」と言って店の奥に入っていく。

「カズは日本で何の仕事をしてるの?」アルセニオスが尋ねる。「十代の生徒たちに勉強を教えたり、書店をやったり、そして文章を書く仕事をしたりしてる」。アルセニオスはとたんに未知の花弁を見つけたような表情になって「オレのことも書いてくれるかい?」と聞いてくる。「うん、書くよ。デカい尻が大好きなアルセニオスの日常について」。アルセニオスはその日一番の明るい声で笑う。

「アントニオの仕事は?」と尋ねると、「何だと思う?」とじらしてくる。じらしているだけだと思ったら何も言わない。そして携帯でまた誰かにメッセージを送っている。もしかして、僕がイメージしている仕事と、この国の仕事のあり方は根本的に違うところがあるのかもしれない。また前日の会話を思い出す。

 

「マリア先生のように子育てをしたあとに大学に進学する人は、日本では極めて限られています。」

彼女は難解なパズルの前に立つような表情をして答える。

「なぜ限られているのか理解に苦しみます。それはとても自然なことですから。この国では全く珍しいことではありません。」

彼女の「とても自然なこと」という言葉に大きく頷く。

「日本では中学、高校、大学とストレートに進んだあと、そのまま就職すべきという規範がとても強いのです。それがもっとも生産的(プロダクティヴィティー)であると過去と現在の社会が判断した帰結かもしれませんが。」

「生産的」という言葉を聞いたときに、マリアの右眉の隅がはっきりとつり上がったのがわかる。マリアは少し考えた後、言葉を選ぶようにして言う。

「研究(スタディー)への出会いのタイミングは個人によって異なります。自分のタイミングで学ばないと研究は発動しません。そうではないですか?」

「そうだと思います。日本では学校の学び(ラーニング)がすっかりキャリアを目的としたコンペティションになっていて、研究の面白さに出会う機会が失われています。」

マリアは無表情にコーヒーを口に含む。そして「ほら、マリポーサが水に濡れてきれい」と中庭を指しながら、まるで花と一体になったような表情で西原さんに話しかける。西原さんも満面の笑みで「きれいですね」と応じる。

「鳥羽先生、この国では学歴がキャリアに直結しません。医者や大学教授がホテルや観光地で通訳のアルバイトなどをしているのを見ると、海外の方は滑稽だと思われるでしょう。実際、月に何日か観光客相手に仕事をするだけで、定職の何倍もの収入を得られるのです。そして多くの友人たちが海外の知人や親戚からの送金に生活を支えられています。このような経済状況は他国から見たら不思議に思われるでしょうが、そういう国だからこそ、教育や研究の神聖さが守られているとも言えます。」

日本での学びは、受験勉強だけでなく大人の「学び直し」も含めて全てキャリアアップという目的に回収される。しかし、学ぶことがキャリアと結びつかないこの国では、学びたいから学ぶという純粋な動機のままに学んでいる人、研究している人たちが大勢いるということだろうか。うらやましいと思う。一方でその経済について疑問も生じる。

「多くの人が外貨に頼る生活の中で、労働者は仕事に熱心になることができるでしょうか。」

「熱心というのがどのような状態と程度を表すかによりますが、熱心な人もいれば、そうでない人もいます。でも、だから何だと言うのですか? やはり生産性を問題にしたいのでしょうか。それよりも大切なことは「生産手段としての人間」から解放された人間であることです。例えば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に人間らしさを回復するために芸術やスポーツに没頭するようなあり方は、決して人間的とは言えません。日本では学校さえも「生産手段としての人間」を育成する場になっているのですよね。それは悍ましいことです。」

 

満を持してテーブルに持ち込まれた魚料理は思った以上にデカい。アルセニオスは初めからいっしょに食べるつもりだったらしく、鎧のような魚の表皮をビリッと破ってふわふわの白身にフォークを刺す。「ほら、カズも食べなよ」と誘われて、湯気が立った部分の左側の表皮をめくって白身を掻き出す。

ほくほくの白身を口に入れたとたんに奥からシェフがやってきて「美味しいかい?」と尋ねてくる。客が口にものを入れているときに話しかけるのはやめてほしい。僕はとりあえずうんうんと頷く。「魚が新鮮で、しかもロドリゲスが調理したんだから美味しいにきまってる」。アルセニオスは満足げに言う。実際のところ、とても美味しい。さっきは気づかなかったが、シェフのロドリゲスはキュートな垂れ目顔で、人のよさそうな笑みを顔に浮かべている。体格もよく、いかにも頼れる好男子という感じだ。「彼は素敵だね」と言うと、アルセニオスは「あいつは女にモテるんだよ」と言いながら腰を振り始めた。

魚とサラダとパンをもう食べきれないほど食べて店を出る。アルセニオスが払っておくと言うので彼が店から出てくるのを外で待つ。店の前ではペーソスの化石のような老人が座ってギターを弾いている。チップ入れがあって小銭が入っている。よく見ると弦が1本足りないが、巧みな技術でそれを補っている。

「それにしても昼からよく食べたよ」と店から出てきたアルセニオスに声を掛けると、「キューバ人はランチがメインだから、夜はあまり食べない。だからアメリカのトランプみたいに太ったやつは少ないし、いたら後ろ指を指される」と言う。彼は少し差別的なことを口走ることに対して躊躇がない。

しばらく歩いた後に、「さっきの会計は?」と金額を尋ねると、アルセニオスが急に改まった顔になって「80ドル。米ドルで払ってほしい」と言う。仰天する。80ドルはあまりに高すぎる。最初に来たときにテーブルに置いてあったメニュー表には15ドル(15CUC)以上のメニューはひとつも載っていなかったんだから。

こいつはオレからボルつもりだな、と瞬間的に戦闘モードになるものの、ちょっと冷静になって考えてみる。80ドルは確かに高い。キューバの平均月給の約3か月分にあたる額で、あまりに高すぎる。しかし、あの魚は確かにデカいし旨かった。そもそもあんなデカい魚は要らなかったんだけど、でもあの魚料理はフロリダで食べたら同じ海の魚なのに80ドルでは済まないだろう。今朝オンラインで見た市内観光ガイドツアー(英語)は半日で60ドルだった。アルセニオスは女性の尻ばかり追っかけていたが、でもこの半日は僕なりに十分に楽しんだのでは…? 魚だけでなく、スープにサラダ、少し硬いパン、そしてロゼワインも2杯飲んだしな。

「50ドルなら払うよ」と交渉してみる。彼は「いや、ロドリゲスに払わないといけないからダメだよ…」と答えた後、うーんと考える。「あの魚は特別に仕入れたもので、誰でも手に入れられるものじゃないんだ」。そう真剣な顔で言った後「じゃあ、70ドルね」と続ける。

アルセニオスは日本人のカモが捕まったぜ、しめしめ……と思いながらこの半日、僕と一緒にいたんだろうな……寂しいな……という思いが急に胸を駆け巡る。トーコはやっぱり嘘なんだろうか。もう別になんでもいいやと思って70ドル支払う。

別れ際はろくな挨拶もしないまま、歩いてホテルに向かう。後味が悪いけどしょうがない。ああ、これがアルセニオス流のライフハックかと思い至る。通貨も社会資本も脆弱で、国家が機能不全にあるときには、自然発生的にアナキズムが勃興する。彼のこの日の振る舞いも、日本人の僕という資源を活用した仲間内でのアナキズムの実践と言えまいか。キューバはいまだに革命の途中なのだ。それが感覚としてわかった。そんな気分になって、ふわふわと面白い気分になってくる。キューバに観光に行く外国人たちは、多かれ少なかれ彼らのアナキズム的ライフハックの手伝いをしているわけだ。

ああ、それにしても疲れた。ホテルに着くと、フロントに立つ大柄の女性が声を上げて笑ったり歌ったりしながらチェックイン作業をこなしている。なんて楽しそうなんだろう。作業効率は極めて悪い。でも、そんなことはたいした問題ではないのだろう。

確かに彼らは生きるために働くというより、生きるように働いている。アナキズム万歳である。

店に入って歌い始める3人組

1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)、『「推し」の文化論』(晶文社)など。連載に「ぼくらはこうして大人になった」(だいわblog)、「こども歳時記」「それがやさしさじゃ困る」(西日本新聞)など。朝日新聞EduA相談員。

第3回 スリランカの教会にて

いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。

コタヘナに位置する聖アントニオ教会(St. Anthony's Shrine)は、コロンボで最も古い歴史を持つカトリック教会のひとつ。スリランカで少数派にあたるカトリック信徒たちは海岸沿いの地区に住んでいる人が多く、この教会もかつては海辺に建っていたそうだ。だが、現在は周囲が埋め立てられて当時の面影はない。教会の入り口にある聖アントニオ像の下には、聖人の舌の欠片が聖遺物としてガラスの箱の中に大切に保管され、多くの巡礼者を集めている。

スリランカではすでに5世紀には古代キリスト教の集落が形成されていた。現在に直接繋がるカトリックの信仰は16世紀前半のイエズス会の布教によるもので、宣教師の到達は日本より30年ほど早い。1510年にゴアを占領したポルトガルは、7年後には隣国のコロンボを攻略した。

教会があるコタヘナ地区は、この時期にカトリック集落が形成された土地で、その昔から漁師町だった。ここから北に50㎞ほどの町ネゴンボには大きなラグーンがあり、現在はリゾート地として有名だが、リトル・ローマと呼ばれるこの町にはスリランカ最大規模のカトリックコミュニティがある。そして、この地もいまだに漁業を生業とする人が多い。

僕は潜伏キリシタン時代からの信仰を受け継ぐカトリックの家庭で育ち、東シナ海の海上で命が尽きた祖父をはじめ、親族には漁師が何人もいる。だから、スリランカのカトリックにシンパシーを感じていて、それが教会訪問の理由になった。

灼熱の太陽に晒されて聖アントニオ教会に辿り着いたが、聖堂の中に入ると案外涼しい。日曜日のミサの真っ最中で、多くの信者たちが礼拝をしている(200人くらいだろうか)。

僕も後方でミサの列に加わる。3つ前の席で母親にくっついて座っている女の子が、落ち着きなく体を動かしている。5歳くらいだろうか。リネンの赤いワンピースを着ていて、漆黒の髪の毛は肩の下まで垂れている。何度も後ろを振り返るから、彼女の大きな目が自然と僕の目を捉える。少し微笑みかけようとすると、僕には目もくれずにくいっとお母さんの顔を見上げる。そしてその小さい右手を真っすぐ上に伸ばしてお母さんのあごに指を触れさせる。お母さんは、何するのよとその手をすぐに払いのける。

ミサの後に2階に上って聖パトリックの資料展示をひと通り見る。すぐに見終わってそそくさと帰ろうとすると、「食べていきなさい」と急に後ろから声がする。声の主は白いベールを被った細身の中年女性で、階段右手の椅子に座って片肘をついたままじっと僕を見ている。

彼女は椅子の後方にある木箱に入った白いビニール袋を指さしながら「食べていきなさい」と僕に伝えてくれたのだが、僕の方はお腹がへっていなかったので、「結構です」と丁寧に断る。しかし、彼女は予想に反して引き下がらない。僕が遠慮しているのだと思ったのだろう。「食べていきなさい。無料だから」と2度、3度と言われ、こうなるともう、いただくのが正しい作法かもしれないと思って、木箱の中の生温かい塊を一つ受け取る。そして、彼女が指をさした方のテーブルに座って、風呂敷を広げるようにしてビニール袋を開く。

ビニールにベタリと張り付いてひと固まりになっているカレーを見て、これは食べても大丈夫なやつなんだろうかと不安になる。お腹を壊したりしないだろうか。ビーツのアチャール由来と思われる赤い色素が血しぶきのようにカレーの表面に飛び散っていて不気味だ。

いや、でもこれが食べてみたら意外と美味しいんだよ。気を奮い立たせて食べようとするが、肝心のスプーンがない。辺りを見渡すがそれらしきものはない。さっきの彼女と目が合って、「何?」と顔で尋ねられるがすぐに目を逸らして、そうか、これを素手で食べるのか……と、もう一度目の前のビニール袋入りカレーと対峙する。

そのとき初老の瘦せた男性がやってきて、手洗い場でゴシゴシと手を洗った後、躊躇なく木箱の中のビニール袋を手に取って、僕から一番離れたテーブル席に座った。そして、ニワトリがエサをついばむときのような作業的な指の動きで、次々とカレーを口の中に放り込む。

僕が彼の様子を窺っていることに気づいた女性は、「あなたも手を洗って食べなさい」と僕に言う。よく聞き取れなかったが、たぶん彼女はそう言ったのだと思う。

僕は手洗い場でふだんよりずっと熱心に手を洗った後、再び席につく。さっきより気が大きくなって、右手の指先をカレーの中にグニュッと差し込む。慣れない生々しい感触。指でつまんでそのまま口の中に入れる。ほら、食べてみたら美味しい。決して上等なカレーではないが、これなら十分にイケる。

手で食べることで、食べるという行為の意味が変質する。食べることは、もともとは得体の知れない物に触れ、においを嗅ぐところから始まっていたんだろうという強い確信が、熱いスープのように胸を駆け上る。だって、食べ物は人間を生かすと同時に殺すこともあるんだから。食べる前にできるだけの情報を仕入れた上で、体内に入れるのが当たり前じゃないか。キャラメルコーンみたいに全ての個体の質が均一ということはないから、口に入れるたびに各個体の確認が必要なのだ。

指先で触れるだけで、いま口に入ろうとしている物体のことがよく分かるようになる。生き物を食べているというネチャネチャした感覚があまりに生々しくてゾッとするが、味覚の方も同時に鋭くなるのか、美味しさはむしろ強調されるようだ。

それにしても、日ごろ自分がいかに食べるという行為をないがしろにしているかということに、否応にも気づかされてしまう。箸やスプーンといった道具を介して物に接することは、物との関係を決定的に変える。知らず知らずのうちに、道具の使い手としての思考の型が形成されるのだ。道具を使うことで、忘却の彼方に追いやられた思考や感覚が、きっとたくさんあるのだろう。そして、道具を使うことがデフォルトになった後にはそれを取り戻すことはできない。おそらく僕ら人間は、これからもずっとずっと失い続ける。

その後も聖堂の2Fには男性たちが階段を上ってくる。義務のように手を洗った後、手慣れた様子でビニール袋を広げてカレーを食べる。彼らの中に今日食べるものに困っている人たちが混じっていることは、その身なりからうかがい知ることができた。こうして、当然のように教会が困窮者を助ける役割を果たしており、そしてそれが日常の風景として存在しているこの町が愛おしく感じられると同時に、僕はここで食べる資格がないのに食べていると思った。

帰り際に彼女に尋ねた。
「カレーを食べに来るのは、カトリック信徒の方たちですか?」
彼女はゆっくり首を振りながら答えた。
「いいえ、違うわ。どんな民族や宗教の人も、ここでは誰でも無料(タダ)でカレーを食べていいの。神がそんなふうに人を区別すると思う? だから、信仰が判らないあなたに、私はカレーを食べていくように言った。ここはそういう場所なの」

 

この日の午後、僕はコロンボ在住で建設業を営む日本人男性に紹介されて、現地の有名な「社長」に会った。会った場所はブレンドコーヒーが1杯600円もする外資系のカフェ。このカフェは周りの町の様子から明らかに浮いていて外国みたいだ。社長はアフリカ系の顔立ちで、いかにも社長らしい威厳を持って僕の前にやってきた。日焼けした巨漢の彼の前では、自分の身体がとても小さく頼りなく思える。

社長の家系はスリランカの政治界の大物を多数輩出していて、さらには東京で10以上の飲食店を経営している。彼のかつての遊び仲間には安室奈美恵やフジモンらがいるそうで、社長は携帯をパカっと開いて、オレにとってはフツウのことだよといった風情で、かつて彼らと豪遊したときのツーショット写真を見せてくれた。写真を見せることで社長がどんな効果を狙ったのかは知らないが、このせいで僕は彼のことを俗物じゃんと思った。現在の彼は、ネゴンボに高級日本料理を出すホテルを建設中である。

社長は日本での経営はまあまあだが、とにかくスリランカの事業で苦労しているらしい。
「スリランカでは医療も教育も無料、生きるだけなら衣食住にもほとんどお金が必要ないから、働く意欲がない人が多い。仕事で嫌なことをさせたらまず次の日から来ない。クレームをつけたら、謝罪とフォローどころか、二度と連絡がつかなくなり、途中で仕事が投げ出されてしまう。時間、約束、契約の概念がない。平気で嘘をついて、何でも先延ばしにするからビジネスが全く進まない。ネゴンボのホテル開業の準備も、まともなスタッフがいないせいで本当に大変なんだ。」

僕はさっきカレーを食べているときに見た男性たちを思い出す。僕は彼らのことを「食べるものに困っている人たち」だと決めつけたが、彼らは単に食べるために働くということを選んでいない人たちなのかもしれない。つまり、「困っている」という憐れみ自体が的外れの可能性がある。相手を弱者として見ることは容易く、その人自体として見ることはずっと難しい。

社長は続けて話す。
「スリランカに外資系がなかなか進出できない理由を知ってる? 人間が全く使えないからだよ。嘘を嘘だと思っていない人間に話が通じると思うかい? オレはできるだけいい車に乗りたいといつも思っているけど、周りには自転車からさえ降りたがっている人が多い。」

2つの国で人を雇用する彼はため息混じりにそう言う。チッと舌打ちする音さえ聞こえた気がする。でも僕は「自転車からさえ降りたがっている」という彼の喩えが面白いと思って、顔をホクホクさせていたかもしれない。彼への共感が全然足りない。
「いまの話は興味深いね。でも、日本人だっていいところばかりじゃないんじゃないかな。だって、日本人は始まりの時間は守っても、終わりの時間は守らないし。僕にはかえってスリランカの自転車を降りたがる人たちは正直な生き方に見えてしまう。それが悪いことだとは思えない。」

僕の言葉は社長にとって、かなり的外れだったようだ。彼は首を激しく横に振りながら言う。
「鳥羽さん、それは全然違うよ。鳥羽さんは日本の経営者だからそんなことが言えるんだ。当たり前すぎて日本のシステムの良さが感じられないだけさ。日本人が終業の時間を守らないことなんて、オレだったら泣きながら神様に感謝するところだ。まあオレは神を信じてないけどね。君はもっと自分が置かれた環境に感謝しないと。日本にはその環境を作った先代がいるわけじゃない。この国は医者や弁護士さえ信用ならないんだ。自分の狭いコミュニティだけが得することだけを考えて生きてるからね。日本人が日本を卑下していいところなんて何もない。日本のシステムは完璧なんだから。スリランカはとにかく人間がダメなんだ。この国のことを変に肯定的に見てくれなくていい。」

社長の声のトーンは鋭かった。彼が現場でスリランカの人間に憤っていることがありありと伝わる。僕は確かに日本のシステムに助けられている。その土台があるから商売ができている。彼の言うように、そのシステムを作ってくれた先代たちに感謝しなければならないのかもしれない。

でも僕は、僕らの社会が時間や契約を守ることを自明としたとき、同時に失われた関係性や、振り返られなくなった知恵や慣習のことを知りたいし、そのことを知らないと怖いと思う。でなければ、いつか復讐されるような気がする。スリランカの人たちの気質は、失われたものを知るヒントそのものだと思う。

「ネゴンボは漁業がさかんで、カトリックが多い。」
僕は唐突に話し始めた。
「あなたは人間をとる漁師になる、という言葉がルカ福音書の中にある。ガリラヤ湖の漁師だったシモン・ペトロにイエスが呼び掛けた言葉。あなたが人間をとる漁師になったらいい。」

社長はよく分からないという顔をしている。
「聖書のことは知らないけど、カトリックの人たちは他に比べたらまだ勤勉だよ。もともとカトリックの人たちは英語ができるし、学問ができる人たちが多かったんだ。植民地時代からの恩恵で、少数派である彼らが優遇された時代もある。でも、いまは違う。政治的に多数派のシンハラ人が強くなったから、少数派はいろいろと苦労している。だから、オレが知っているカトリックの人たちは貧しいし、やっぱり嘘をつく。」

嘘をつくのは仕方がない。僕はそう思った。ペトロも3回嘘をついた。でもペトロは鶏が鳴いたときに気づいた。自分はすでに赦されていたと。だから彼は激しく泣いたのである。自分の弱さが認められる場所であれば、人は嘘が必要じゃなくなる。

「まあ、嘘はオレもつくけどね。それがビジネスだから。」

社長はそこでニヤリと笑う。いかにも悪そうで僕はフフフと笑ってしまう。彼は現実的な人間だけど、ある意味で真っ当だ。厳密に言って嘘がないビジネスなんておそらくない。ビジネスにおいて、嘘が嘘だと分かってやっているということが、ビジネスをやりくりすることの核心にある、というのは言い過ぎだろうか。

僕がいまの日本のシステムに限界を感じるのは、それが嘘や誤謬を認めないという類いの不寛容さの方向に進んでいる点である。そういう過剰な潔白さは人間をダメにする。その結果、システムが機能しなくなって効率がかえって悪くなる。そのことがわかっていない人が多い。この意味で、現代のシステムに抵抗することは、単に管理社会からの自由を担保するためにあるのではない。逆説的になるが、システムを生かす知恵としての抵抗がそこにある場合があるのだ。

 

コタヘナの聖アントニオ教会は、僕が訪れた半年後の復活祭の日曜日に爆破された。ちょうどミサの最中を狙った自爆テロであったため、死者は50名を超える多数に上った。この日、スリランカでは複数の高級ホテルやキリスト教会など計8カ所が無差別テロのターゲットとされ、その中にはやはり復活祭のミサの最中であったネゴンボの聖セバスティアン教会も含まれていた。この教会だけで死者数は100名を超えており、あまりに悲惨で無念極まりない。[i]

あの赤いワンピースの女の子は無事だっただろうか。そして、女の子のお母さんは。あの日、日曜日のミサに参列していた親子が、復活祭の日にミサをすっぽかすわけがない。どうか無事でありますように。聖アントニオは子どもの守護聖人だから、あの親子を守らなければいけないはずだ。

僕はあの日曜日に教会にいたひとりひとりの無事を祈ることはできない。あの日脳裏に焼き付いたという身勝手な理由で、あの親子の安寧を願っている。僕はいまだに世界平和を祈るということについて、そういう細い糸をたどるような祈り方しか知らないようだ。

なぜあの素朴な祈りの場所が破壊されなければならなかったのか。なぜイスラム過激主義が、少なくとも国内ではその対立が先鋭化していなかったスリランカのキリスト教施設を標的にしたのか。僕なりにいろいろな文献をあたって学び、考えたことがあるが、旅の主題から逸脱するのでここには詳しく書かない。[ii]

しかし、学んだことを踏まえて一つ言えることは、個人の祈りが集う教会を素朴と呼ぶことは感想としては間違ってはいないとしても、それを国内、国外を含む歴史的文脈の中で捉えたときに、教会はある政治的立場(イデオロギー)の象徴的施設であることは紛れもない事実であるということである。そして、個人が民族や宗教といった集団に参入することは、そのまま個人を政治的存在にするという事実も同時に認めなければならない。

 

スリランカの教会は概して規模が小さい。毎週その教会に集まる人たちは全員が顔見知りという程度の人数しかいないはずで、そのごく小さなコミュニティがある日突然に破壊されたという事実は、僕自身が教会に育てられた過去があってその規模感が分かるだけに衝撃が大きい。

このとき失われたのは人の命だけではない。そのコミュニティの中で、身近な人たちを介して引き継がれてきた大切な祈りと知恵が失われたのだ。これは、時間が経って元通りになったように見えても二度と回復しない。失われたものは、ずっと失われたままだ。そしてそれは、損なわれてしまったあとには、そこに何があったのかもわからないようなものである。人の命が失われるというのはそういうことだ。

今日も世界の片隅で何か大切なものが失われていて、そしてそれはもう二度と取り戻せないことについて考える。世界は途切れながらまた生まれて、なんとなく繋がっているように見える。途切れ途切れの中に繋がりを見出して、僕たちはなんとか生き延びていく。

スリランカの教会に花束を。

 

言(ことば)に絶えたる日は始まる。

見せつけらるるおのが弱さよ、

見失いたる神のさびしさ。 藤井武「羔の婚姻」

 

ビニールを開いて手でカレーを食べる。聖アントニオ教会にて。


[i] :Sri Lanka Attacks: What We Know And Don't Know  New York Times April 24. 2019

[ii] :日本語で読めるものとしては、川島耕司による論文(国士舘大学政治研究)や著書『スリランカと民族』、澁谷利雄『スリランカ現代誌』などが参考になる。

1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)、『「推し」の文化論』(晶文社)など。連載に「ぼくらはこうして大人になった」(だいわblog)、「こども歳時記」「それがやさしさじゃ困る」(西日本新聞)など。朝日新聞EduA相談員。