第5回 アシジと僕の不完全さ

いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。

ローマから列車で約2時間かけて到着したアシジ駅。駅前は閑散としていて何もないし誰もいないので、そのうち観光バスくらい来るはずだけど……、と思いながらも4km離れているという旧市街に向けて歩き始める。

暑い日差しの中、視界の開けた幅の広い砂利道を歩く。青い空には雲ひとつない。この心細さが旅なのだと思う。右にも左にもオリーブ畑が見える。

15分ほど歩くと、丘の上に広がるアシジの町並みがその全貌が姿を現す。町の左側にはサクロ・コンヴェントの白い回廊が細長くはっきりと見えて、ゾクゾクする。僕はこのアシジという町に特別な思い入れがあったんだっけ。

その年の冬、大刀洗の実家に帰省したときに、父がアシジには行ったほうがいいよと言った。それを聞いて僕はなんとなくアシジに行くのは必然として決まってるんだと思った。そして僕は実際にアシジにやってきた。人間は偶然に身を委ねるなんてことがほんとうにできるかどうか疑わしい。その点僕は、むしろ必然に身を重ねるという快楽を知ってしまったらしいのだ。

その日は旅程14日ぶんの大きな荷物を持って歩いていた。30分以上歩いても町に着く気配がないので、大変なことになったと思った。夏休みの陸上部みたいに全身汗まみれだ。そしていつの間にか、オリーブ畑に代わってブドウ畑に包囲されている。

町は丘の上だから行程の後半は当然坂道で、フィアット500に乗った家族連れが汗だくの僕を尻目にビューンと通り過ぎていく。テディベアを胸に抱えた女の子と目が合う。後部座席に座る涼しげな彼女と、炎天下を汗だくで歩く僕の人生はいまここですれ違って、そしてまたたく間に離れていく。僕が8年後のある朝に、知床の森の中で絶望して死んでも、彼女の人生には1ミリも影響を与えないし、彼女が12年後の夏の夕方に、モハーの断崖で恋人を突き落としても、僕はいつもどおりに生徒たちの前で質量保存の話をするだろう。それでも、僕と彼女の人生は一度この場所で交錯した。そのことに意味を与えることができるのは僕だけだ。

坂を上って右に曲がると急に目抜き通りに出て、目の前に町が現れた。ついに到着したらしいのだ。町の表玄関と思われる路地の角には庶民的な聖母像のタイル画で飾られた建物があり、そこの半地下に居座っているトラットリアに入る。「喉が渇いているからまずはスティル・ウォーターをください」とお願いしてごくごくと一気飲みした後、甘口のスパークリングワインがあるというのでそれを頼んで、さらに、タリアテッレ・アラ・ボロネーゼを注文する。

店の奥にはひとり黒髪の女性が座っていて、ふと目を向けると親しみのこもった笑みを返してくれるので、僕もにこりと笑みを返す。僕のにこりはうまくいったのだろうか。

料理はあっという間にやってきた。太陽のようなオレンジ色のパスタ。日本のパスタよりずっと堂々としている。店独自のアレンジらしきものが見当たらず、素材の風味だけしかしないのに、本当に美味しいのだ。

ワインの追加を尋ねてくれたスタッフに「地震は大丈夫でしたか?」と尋ねる。アシジといえば、1997年の震災被害が知られるが、僕がこの地を訪れた数か月前にもイタリア中部で大きな地震が起きたばかりだった。「揺れたけど、この町はほとんど被害がなかったの」と彼女は言った。彼女の喋り方には異国人に伝わりやすいようにという穏やかな配慮を感じる。「あなたはどちらから来たの?」と尋ねられたので、「日本です。福岡という都市」と答える。「まあ、フクシマ…」「いいえ、フクオカです。日本には4つ主要な島があって、その中で一番南の九州島にある最大の都市」

彼女はわかったと小さく頷いて厨房に戻っていく。水分と食料が次第に体に染み込んで、体内に熱いエネルギーを作ってくれていることを実感する。そうだ、この店を出たらそこはアシジの町なのだ。そろそろ出ようかなと思って会計をする。

黒髪の女性が近づいてきた。彼女は20年ぶりの友人との再会を祝うように親しげに僕の目の前の席につく。肩の下に優雅に垂れる黒髪にはわずかに白髪が混じっている。ほっそりとした顎のラインには、最近までそこにぜい肉があった痕跡がある。

「私はあなたがここに来るのを待っていました」

彼女はそう明るい声で言う。彼女の日本語には澱みがない。

「トバカズヒサさんは福岡からローマに来て、そしていまはウンブリアをひとりで旅しています。」

僕が面喰って「なぜ僕の名前を…」と言いかけると彼女は遮るように話し続ける。

「あなたは若者を助ける仕事をしています。ふだんは学問を教えているけれど、時に若者たちの命を守ることもあります。神に授けられた仕事をしていらっしゃいます。」

「え? 僕は別に助けているわけではなくて……」

彼女は平坦な声でまた僕の言葉を遮る。「私は、私の意志で話しているのではなく、神のおぼしめしのままに話しています。だから、少し静かに聞いていただけますか。」

「私はある方からトバカズヒサさんのお話しを聞きました。ある方とはフルノミノルさんです。ミノルさんは私が大切な記憶を失くしていることを知っています。だから、記憶が戻ったときに私が困らないように、頼っていい方を私に教えてくれました。その頼っていい方がトバカズヒサさんです。トバカズヒサさんは、ミノルさんにとって大切な人です。ミノルさんは、トバカズヒサさんのことを尊敬し、愛しています。だから私にトバカズヒサさんの名前を教えた上で、「トバカズヒサさんはきっとあなたの力になってくれますよ」と励ましてくれました。残念ながら、私はトバカズヒサさんのことを知りませんでした。でも、ミノルさんはトバカズヒサさんについて少しの情報を伝えてくれました。トバカズヒサさんは、数年後に鳥の本を出して名が知られるようになります。あなたはここウンブリアでただ時機が来るのを待っていたらよいのです。そうすればなすべきことはわかります、と」

僕はもう何も言うまいと思って、彼女が望む通りに黙って聞いていた。彼女は恍惚の表情を浮かべて、興奮気味に話す。

「ミノルさんは司祭ではありませんが、神に仕える方です。アシジに毎日通い、いくつかの聖堂、特にサン・ダミアーノ教会でお祈りしているようすをたびたび見かけます。カトリックの教理に精通していて、聖職者たちにも一目置かれているようです。私はトバカズヒサさんがキアーラと話し始めたとき、今日、私はトバカズヒサさんを待つためにここにいることに気づきました。」

「でも、僕はミノルさんを知りません。」

僕はたまらずに言った。黒髪の女性は嬉々とした顔色を一転させ、苦しみの表情が顔を覆う。

「トバさんはそのようにおっしゃるだろう…と、そのように言うしかないのだと、わかっていました。」

「いや、そうではなく、本当に僕はミノルさんのことを知らないのです。それに、鳥の本なんて、僕は書かないだろうと思います。」

「……そうですか。すみません……。私はとんでもない勘違いをしてしまったようです。ミノルさんが教えてくださったトバカズヒサさんと、鳥羽和久さんを私は混同してしまったようです。無礼をお赦しください。」

黒髪の女性は急に涙ぐんで答える。

「いいえ。僕がミノルさんのことを知らないというのは、さして重要ではないのかもしれません。だいたい僕の記憶も定かではありませんし。とにかく何かのご縁ですから、またお会いする機会があれば、そのときにお話ししましょう。」

僕はそう言ってそそくさと店を出る。会計を済ませてすでに33分が経過していた。

もう14時を回っていて、僕は明日の朝にはこの町を出るんだから、旅行者らしくできるだけ多くの場所を回らなくてはいけない。サクロ・コンヴェント前の広場に出たあと、サン・フランチェスコ聖堂でジョットのフレスコ画を見る。あの有名な「小鳥への説教」もある。僕がもし本を出版することになったら、表紙は鳥の絵がいいと思った。

僕が名だたる聖人の中でもフランチェスコのことを信頼しているのは、彼がいわゆる改革者ではないところだ。フランチェスコ会はやることが極端だったから危うく異端扱いを受けることがあったけど、あくまで彼らはカトリック教会の規範の中で動いた。必要なのは改革ではなくて、もっとシンプルにカトリックの深化、徹底が足りないのだと、百折不撓の精神で父なる神と向き合う道を選んだ。

当時、教会には腐敗した司祭たちが多くいたが、フランチェスコは「どんな司祭だろうと、自分の主人としておそれ、愛し、尊敬するだろう」と言い、さらに「彼らの罪を見ないつもりである、彼らを神の子と思うから」という言葉を残している。そのわけは、司祭はキリストからその体と血を受け、それを他に分け与える神秘の存在であり、この世でそれ以上に崇め尊ぶべきものは他にないからである。つまり、腐敗した司祭たちのパーソナルで人間的な罪を咎めて糾弾することよりも、彼は聖職者の職能こそを重要視したのである。フランチェスコは「小さき者(ミノレース)」として生きることを選び、自身が司祭になることを注意深く斥けながら、生涯にわたって教会と聖職者が持つ機能と職能を重んじることを徹底した。

彼が改革ではなくむしろ旧態依然の方法を徹底するというやり方で、組織の内部に極めてラディカルな思考を生み出すに至ったことは示唆的である。

僕たちがあらゆる専門家、例えば裁判官や検察官、政治家、医者や博士たちを批判するとき、専門性という地層に対する敬意を失っていないか。単に人間を批判するよりも、専門家の専門家たる所以を守る、そういう「保守」の在り方こそが改革よりずっとラディカルなのではないか。彼の姿勢からは、そんなことを考えさせられる。

地下の聖堂に寄った後はぐんぐん歩いてコムーネ広場に出て、ローマ神殿の柱を持つサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に立ち寄る。そしてそのままルフィーノ聖堂へ。さらに小さな坂道を下って、サンタ・キアラ聖堂に辿り着く。ここから見下ろすと、ウンブリアの土地がどこまでも広がっていて、先の方はぼやけて見えない。「あっちがペルージャ? いや、ペルージャはこっちだよ」と老夫婦が左や右を指差しながら喋るのが聞こえる。

泊まる予定のホテルからは遠のくけど、この際どこまでも下ってやるんだと思って駆け足で辿り着いた先にあったのがサン・ダミアーノ教会。窓に飾られた赤いバラの花が鮮やかだ。ここは、例のフルノミノルさんがよくお祈りをしているという教会だ。もしかして彼はいまここにいるのだろうか。いたとしたら僕に気づくだろうか。

入ったとたん、僕はここに来たかったんだなと思う。体がすっぽりとその空間に収まる感じがする。母胎みたいだと思う。教会ではたった30人ほどの信者を前にミサが行われていて、僕が教会のオルガンの傍に跪くとすぐに、腰が曲がった丸眼鏡の神父が説教を始めた。

「今日は、アウグスティヌスのパラドックスのお話しをいたしましょう。」

神父がこのとき話し始めたのは、自己の存在証明についての話だった。

皆さんは、「私自身は存在している」そのことを疑ってはいないかもしれません。しかし、自身の存在を論理的に説明することは、非常に困難な作業を伴います。私たち人間の存在は、それを明らかにしようとしたとたんに、はじめから矛盾を含んでいるということに気づかされます。

私たちは、自分のことをAはAであると言い表すことができません。それは、同語反復以外の何ものでもないのです。これはつまり時間についての話です。実際、人は自分のことをAである、と表明している矢先に、変質してAではなくなるのです。人が死ぬことは、その変質に由来しています。人がたったいま、この瞬間も死に向かっているということは、変質してAでなくなっている証拠です。ほら、まさにあなたもこの瞬間に、死に向かって変質している。それほどに人間は不完全な存在です。

だから、私たちは決してAはAである、と自分を定立することはできません。AはAであった、とか、AはAでありうる、とは辛うじて言うことができます。しかしながら、AはAである、とは決して私たちは言い得ることがないのです。

まさに僕もこの瞬間に、死に向かって変質している。僕は自分の両手の骨が開いたり閉じたりするのを見ながら、そのことを考える。

この世において己をAはAであると表明できるのは、唯一、神のみです。ヨハネの福音書の18章を思い起こしてください。ここには、イエスが「私は私である」と言ったとたんに、イエスを捕らえようとした人々が後ずさりして、しまいには地に倒れてしまいます。人々は「私は私である」と言う神の子イエスの全能性に圧倒され、自分の非力を全身で思い知らされるのです。そこでは「私は私である」という言明さえも適わない人間存在の本質的な脆弱さが露わになります。

一方で、神は完全であり損なわれることがありません。神は、「AはAである」と言うことができるがゆえに、完全な存在です。

僕は、神はなにゆえに完全な存在であるのか、と問うてみる。あくまで、僕たちが不完全であることの対照物としての完全さなのであろうか。

ですから、神のようにAはAである、ということを定立することができない人間は、それが不可能である以上、AはA´(Aダッシュ)であるという形、つまりAに非ざるものによって自身の同一性を回復するしか術はありません。

だから、そこで考え出されたのが「関係」です。他者と相互に類比関係を結び、他者との交わりの中で、他者から与えられた眼差しの交錯によって、自身の実存を取り戻すのです。イエスが福音書で述べた掟、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」は、ここにおいて意味を成します。

もしあなたたちが、自分の存在を疑っておらず、しかも私は私である、というふうにそれを証明することができるなら、互いに愛し合う必要はないのです。そうではなく、私たちはそもそも、いずれ死に至る不完全な存在であるがために、不完全な存在としての孤独が宿命づけられているがゆえに、神はお互いに愛し合うことを人間に命じているのです。イエスは、自身の実存さえもままならない私たちの生を見抜き、これを掟としたのです。ですからあなた方も、他者と交わり、愛し合いなさい。アーメン。

実存さえもままならない、不完全な存在としての孤独。このことが僕たちの「原罪」なのだ。そう思うと、これまで僕を苦しめてきた罪のひとつをほどいてもらったような気持ちにもなった。

僕は幼いときから「罪」に苦しめられてきたのだと思う。カトリックには「告白」という制度があって、自分が犯した罪を定期的に神父の前で詳らかにしなければならない。告白という制度は、自らの罪を常に問い続けなければならなくなるという理由でとても厄介な代物だ。四六時中、これは罪だろうか、また罪を犯してしまった、そういうことを考えながら、いつでも頭の隅に罪悪感を抱えたまま生活をすることになる。自分が一日に何回嘘をついたのか、その数を勘定しながら日々を暮らすのである。

しかし、どれだけ「告白」をしたところで、自分の罪はなくなることがない。告白を終えたとたんに別の罪が蘇生する。あれも罪だったのではないかと思い起こされる。告白をして赦されることで、新たな罪が呼び覚まされるのだ。罪は目に見える行為だけでなく内面にも存するものなので、心が罪を犯すことは避けがたく、いつでも罪悪感が心を絞めつける。そして、その罪悪感は鋭い自己否定に繋がる。

質素な聖堂の中で幼いころの罪の意識を思い出していたとき、突然に、ああ、これは自分にとって案外苦しいことだったのだな、と気づかされた。そのときまでは、こんなものだと思っていたことが、こんなに苦しいことだったなんて。僕はいままで、苦しいことを認めることができる、という可能性自体に気づいていなかった。

「原罪」が不完全な存在としてこの世に生まれおちる僕たちの宿命を示すならば、一方で「罪」とは不完全さを満たそうとする僕たちが、そのための行為を誤ることを指すのかもしれない。その行為を誤ると決して満たされることはないから、たやすく自己否定のループに陥ってしまうのではないか。

僕は罪という実体を恐れ、それに苦しめられてきた。しかし、罪というのは必ずしも実体を伴うものでなく、自らの不完全さに対する対処を誤るということなのではないか。自らの孤独を深めることをせずに、一時の享楽に甘んじるということなのではないか。

行為を誤ることで満たされない。これを繰り返して神を遠ざけることは不幸だ。そうやって僕たちに不幸を呼び込むものを「罪」と呼ぶ。

一方で、僕たちの不完全さは、それ自体は罪ではなかった。僕たちの不完全さは、僕たちを愛で満たすための器(うつわ)そのものだった。

 

駅からしばらく歩くと、アシジの町が見え始めた


●参考文献
若松英輔、山本芳久『キリスト教講義』(文春学藝ライブラリー)
J.J. ヨルゲンセン/永野藤夫訳『アシジの聖フランシスコ』(平凡社ライブラリー)

 

 

1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)、『「推し」の文化論』(晶文社)など。連載に「ぼくらはこうして大人になった」(だいわblog)、「こども歳時記」「それがやさしさじゃ困る」(西日本新聞)など。朝日新聞EduA相談員。

第4回 ハバナのアルセニオス

いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。

アルセニオスは突如として漆黒の表情を浮かべて静かに語り始めた。「先月に彼女は死んだんだ」と。予想もしない話に僕は「え...?」と言ったきり何も言えなくなる。

コーンロウスタイルの黒髪と褐色の肌を持つアルセニオスは、たった1時間前にハバナのホテル街の外れで出会ったばかりの青年だ。オレンジの花が描かれた黒いTシャツを着ている。もし彼に日本で出会っていたら、遊び人風情の若者だと思っただろう。そういう軽さが彼にはある。

アルセニオスの恋人はトーカという名前の日本人だった。4年前、彼女は友人とともにハバナを訪れ、ビーチ沿いのカフェでアルセニオスと出会った。彼女の親たちの反対で結婚は1年、2年と延期され、その間にトーカは交通事故で命を落としてしまった。どこで事故に遭ったのか尋ねると、彼は少し考えた後に「シブヤ...」と答える。まだ2週間前のことで、彼女の両親は電話越しに「早くあなたと結婚させてあげたらよかった」と言って泣いていたという。

アルセニオスが奢ってくれた苦々しいコーヒーを啜りながら、彼の話は本当だろうかと考える。しかし、嘘としては一線を越えている。だってトーカは死んでしまっているんだから。でもここで気を取り直す。人を信じるということは、その人の言葉を真に受けてみることから始まるんだから。僕は、キューバと日本という離れた土地のふたりの間に儚い心のやりとりがあったことを想像してみる。

「信じる」ということについて前日の会話を思い出す。僕の滞在先のホテル、ナシオナル・デ・クーバにハバナ大のマリア・テレジア教授を招いて話を聞かせてもらった。彼女は中学卒業後、仕事を持って育児をしながらも30年以上にわたって学校への出入りを繰り返しながら研究を続け、現在はハバナ大の経済学部で教鞭をとっている。

僕がある質問をしたときにマリアは言った。「外国から来た方、特に資本主義国から来た作家やジャーナリストの方から感じられるのは、端(はな)からキューバという国のこと、そして私のことを信頼していないということです。失礼ながら、鳥羽先生の質問の中にも私はそのニュアンスを感じました。あなたはおそらく社会主義の中には民主主義がないと錯覚していらっしゃるし、革命が過去の出来事ではなく、いまも革命のための努力が続けられている最中(さなか)であるということを理解していらっしゃらない。アメリカの制裁の影響はあまりに大きく、経済状況は芳しくありません。しかし、不断の努力があってこそ、この国の大義は守られてきました。だから、特に医療や教育といった人々の命を支える事業については最優先に取り組まれてきたのです。」

このとき僕が質問したのは「大学の会議や講義の中で、国の政策についての批判をすることはできるのか。また、それは一般的に行われていることか」というものだった。このとき、通訳の西原さんは明らかに顔を曇らせていて、申し訳なかったと思う。この質問自体はおかしいものではないかもしれないが、最低限の共通了解があって成立する質問というのは確かに存在する。その点について僕は敬意を欠いていて、それを見透かされたのだと思う。

 

アルセニオスと入ったカフェのカウンターには、チェ・ゲバラの大きなイラストとキューバの国旗が掲げられている。「ゲバラがいま生きていたら何と言うだろうか、と考える人はたくさんいます。」昨日のマリアの言葉を思い出す。「資本主義的価値観の下では、競争に勝つことがイコール豊かさであるという思い違いが横行しています。直接的にそう表現しなくても、現実的に社会がそう構築されており、そのことに疑問を持たずに生きている人が多いことに懸念を持っています。私たちに必要なのは物質的豊かさではありません。求めるべきは身の丈にあった発展であり、そのための努力を続けていかなくてはなりません。」

それにしても、キューバの革命家たちの見栄えのよさといったらない。町の至るところにある彼らのイメージを繰り返し見ているだけで、好きになってしまいそうだ。特にゲバラは、素朴な正義感、自己犠牲を惜しまない勇敢さ、類いまれなき知性、さらに男らしさを兼ね備えたアイコンとして、いまも多くの国民から敬愛されている。

「男らしさ」と言えば、僕はハバナの地では何度か迫害を受けた。前日はホテルでマリアとのツーショット写真を撮ってもらったのだが、「あなたは男性なんだから、笑ってないでもっとしかめっ面をして男性らしくしないと!」とホテルマンから言われた。何を余計なことを。隣のマリアは何も言わずに笑っていた。中肉の男性から発せられたmore like a man!という言葉がしばらく頭から離れなかった。勘弁してくれと思った。

カフェの入口側の二面の壁にはコンパイ・セグンドやオマーラ・ポルトゥオンド、ルベーン・ゴンザレスといったブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの巨人たちのポスターがデカデカと貼ってある。ポスターの四隅には何度か破れて付け替えられたあとがあり、彼らがこの店で長く愛されてきたことが伝わってくる。

「ブエナビスタがアメリカのグラミーという権威的なコンペティションで評価されたことについて、複雑な思いはありますか?」そんな質問が頭に浮かんだが、意地悪と受け取られるかもしれないのでしまっておく。

店の外から失われた夢のような音楽が聞こえてくると思ったら、3人の男たちが歌いながら店内に入ってきた。3人はそれぞれにギター、マラカス、ボンゴを持っている。アルセニオスがピュィィーっと口笛を鳴らして彼らを歓迎する。3人は長い夢から覚めたような表情で明るい歌を歌い出す。

「これはキューバ人なら誰でも知っている男が女を愛する歌だ。」そう言っていっしょに歌っていたアルセニオスは、次に見たときには携帯を取り出して誰かと話している。スペイン語は分からないが「ハポン(=日本人)」と聞こえたから僕のことを話しているんだろう。カフェでは誘われるままに、バーカウンターに入ってカクテルを作ってみたり、ボンゴを叩いて皆でいっしょに踊ったりした。

次にアルセニオスは近くのマーケットに行くと言う。「さっき、君を連れて行くって友達に話したんだ」。すっかり彼のガイドで街歩きをする格好になったが、彼から「日本人?」と最初に声を掛けられたときに、僕はちょっとくらいボラれてもいいから彼と楽しい時間を過ごそうと決めていたわけだ。「日本のどこ出身なの?」と尋ねられて僕が「福岡」と答えると、アルセニオスは「福岡、よく知ってるよ!」と勢いよく答えたものの、その直後に「はい、ひょっこりはん!」と謎の日本語ネタを披露し始めたので、福岡の何を知っているかはわからなかった。

タンクトップ姿の友達はアントニーという名で、肉体労働者たる逞しい躯体を汗で光らせていた。彼は靴や雑貨から電化製品まで雑多なものをそこで売っていて、何かないかなと物色してみるもののめぼしいものはない。

アルセニオスは僕が何も買いそうにないことを察すると、「次に行こう」と言って市場の出口に向かっていく。「お腹すいてないかい?」と聞くので「まあ、そろそろ食べてもいいよね」と答える。そのときすでに13時を回っていて、ふだん昼食をほとんど取らない僕はどっちでもよかったが、彼と一緒にローカルフードを食べるのも悪くないかなと思った。

市場を出る直前に一人の豊満な女性とすれ違って、アルセニオスが判別のつかない奇声を上げる。そして、「いい女だろ、あれ」「ほら、あのデカい尻(ケツ)を見てみろよ」「カズも女は好きだろ?」「オレが女を誂えてやろうか?」と畳み掛ける。酔っぱらったカエルみたいな顔をしやがって。

このときとっさにアルセニオスと話を合わせれば同志になれたのかもしれないが、僕が芳しい反応を示さないので「え? 女が好きじゃないのか?」といかにも面白くなさそうに言って、そのまま市場を出てすぐの角を曲がる。

しばらくして、アルセニオスは唐突に立ち止まってしゃがみ込む。「ここはwifiが繋がるんだ」。目の前の店には「coffee shop」と書かれた看板があって、つまり彼はこの店のwifiを拝借しているんだろう。

「このマンガ、知ってる?」と尋ねられて彼の黒い携帯(おそらく中国製のガラケーだ)の画面を覗き込むと、「七つの大罪」と書いてある。「聞いたことはあるけど知らない」と答える。「じゃあこれは?」と言って別のマンガを指差す。今度は「東京喰種」と書いてある。「僕は知らない...ていうか、これなんて読むんだろう...」と呟いていると、「トーキヨ、グールだよ」とちょっとガッカリしたように言う。日本人だったら誰でもマンガに詳しいと思ったら大間違いだと呟きながら、それを控えめな英語で伝える。

「キューバでは日本のマンガが人気なの?」と聞くと、「めちゃくちゃ人気、最近携帯を持ち始めた若い人はだいたい読んでるよ」とのこと。マンガのセリフは全てスペイン語で書かれていて、提供しているのは中国系のサイトだ。いわゆる違法ダウンロードである。国際的な秩序を破っているわけだが、これがキューバ流の国際社会に対する適応であり、この国ではこういう類いのことがライフハック的に行われているようだ。

パッションピンク色のドアから中に入ると、こぢんまりとしたレストランだ。エメラルドグリーンのテーブルに座ると真っ赤なメニュー表にはスペイン語表記しかなく、アルセニオスがこれはこういう料理だと粗雑な英語で説明をしてくれる。「これは焼き魚で、甘いソースがかかっている」と言うのでそれにする。「ここのレストランのシェフは腕がいいんだ」そう言いながら携帯で注文を伝えている。彼はおそらくシェフと同じコミュニティで生活しているのだ。ふとイヤな予感がした。

しばらくすると、店の外から全長50㎝はあると思われる大きな魚を抱えた男性が入ってくる。この店には他に誰もいないし、もしやあれを調理したものを食べるのかと思うと、なんだか怖ろしいことに巻き込まれたような気分になる。

その2、3分後に、一人の女性が店内に入ってくる。アルセニオスはまたもや尻に目が釘付けで、「このデカい尻、ほら、お前の尻デカいんだよ」と言いながら女性の尻を平手で2、3度叩く。なんで叩くのか理解できずに少し嫌な気持ちになる。彼はプルンとした尻の肉の跳ね返りを楽しんでいることがわかる。女性は一言だけ「何よ、あんた」と言って店の奥に入っていく。

「カズは日本で何の仕事をしてるの?」アルセニオスが尋ねる。「十代の生徒たちに勉強を教えたり、書店をやったり、そして文章を書く仕事をしたりしてる」。アルセニオスはとたんに未知の花弁を見つけたような表情になって「オレのことも書いてくれるかい?」と聞いてくる。「うん、書くよ。デカい尻が大好きなアルセニオスの日常について」。アルセニオスはその日一番の明るい声で笑う。

「アントニオの仕事は?」と尋ねると、「何だと思う?」とじらしてくる。じらしているだけだと思ったら何も言わない。そして携帯でまた誰かにメッセージを送っている。もしかして、僕がイメージしている仕事と、この国の仕事のあり方は根本的に違うところがあるのかもしれない。また前日の会話を思い出す。

 

「マリア先生のように子育てをしたあとに大学に進学する人は、日本では極めて限られています。」

彼女は難解なパズルの前に立つような表情をして答える。

「なぜ限られているのか理解に苦しみます。それはとても自然なことですから。この国では全く珍しいことではありません。」

彼女の「とても自然なこと」という言葉に大きく頷く。

「日本では中学、高校、大学とストレートに進んだあと、そのまま就職すべきという規範がとても強いのです。それがもっとも生産的(プロダクティヴィティー)であると過去と現在の社会が判断した帰結かもしれませんが。」

「生産的」という言葉を聞いたときに、マリアの右眉の隅がはっきりとつり上がったのがわかる。マリアは少し考えた後、言葉を選ぶようにして言う。

「研究(スタディー)への出会いのタイミングは個人によって異なります。自分のタイミングで学ばないと研究は発動しません。そうではないですか?」

「そうだと思います。日本では学校の学び(ラーニング)がすっかりキャリアを目的としたコンペティションになっていて、研究の面白さに出会う機会が失われています。」

マリアは無表情にコーヒーを口に含む。そして「ほら、マリポーサが水に濡れてきれい」と中庭を指しながら、まるで花と一体になったような表情で西原さんに話しかける。西原さんも満面の笑みで「きれいですね」と応じる。

「鳥羽先生、この国では学歴がキャリアに直結しません。医者や大学教授がホテルや観光地で通訳のアルバイトなどをしているのを見ると、海外の方は滑稽だと思われるでしょう。実際、月に何日か観光客相手に仕事をするだけで、定職の何倍もの収入を得られるのです。そして多くの友人たちが海外の知人や親戚からの送金に生活を支えられています。このような経済状況は他国から見たら不思議に思われるでしょうが、そういう国だからこそ、教育や研究の神聖さが守られているとも言えます。」

日本での学びは、受験勉強だけでなく大人の「学び直し」も含めて全てキャリアアップという目的に回収される。しかし、学ぶことがキャリアと結びつかないこの国では、学びたいから学ぶという純粋な動機のままに学んでいる人、研究している人たちが大勢いるということだろうか。うらやましいと思う。一方でその経済について疑問も生じる。

「多くの人が外貨に頼る生活の中で、労働者は仕事に熱心になることができるでしょうか。」

「熱心というのがどのような状態と程度を表すかによりますが、熱心な人もいれば、そうでない人もいます。でも、だから何だと言うのですか? やはり生産性を問題にしたいのでしょうか。それよりも大切なことは「生産手段としての人間」から解放された人間であることです。例えば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に人間らしさを回復するために芸術やスポーツに没頭するようなあり方は、決して人間的とは言えません。日本では学校さえも「生産手段としての人間」を育成する場になっているのですよね。それは悍ましいことです。」

 

満を持してテーブルに持ち込まれた魚料理は思った以上にデカい。アルセニオスは初めからいっしょに食べるつもりだったらしく、鎧のような魚の表皮をビリッと破ってふわふわの白身にフォークを刺す。「ほら、カズも食べなよ」と誘われて、湯気が立った部分の左側の表皮をめくって白身を掻き出す。

ほくほくの白身を口に入れたとたんに奥からシェフがやってきて「美味しいかい?」と尋ねてくる。客が口にものを入れているときに話しかけるのはやめてほしい。僕はとりあえずうんうんと頷く。「魚が新鮮で、しかもロドリゲスが調理したんだから美味しいにきまってる」。アルセニオスは満足げに言う。実際のところ、とても美味しい。さっきは気づかなかったが、シェフのロドリゲスはキュートな垂れ目顔で、人のよさそうな笑みを顔に浮かべている。体格もよく、いかにも頼れる好男子という感じだ。「彼は素敵だね」と言うと、アルセニオスは「あいつは女にモテるんだよ」と言いながら腰を振り始めた。

魚とサラダとパンをもう食べきれないほど食べて店を出る。アルセニオスが払っておくと言うので彼が店から出てくるのを外で待つ。店の前ではペーソスの化石のような老人が座ってギターを弾いている。チップ入れがあって小銭が入っている。よく見ると弦が1本足りないが、巧みな技術でそれを補っている。

「それにしても昼からよく食べたよ」と店から出てきたアルセニオスに声を掛けると、「キューバ人はランチがメインだから、夜はあまり食べない。だからアメリカのトランプみたいに太ったやつは少ないし、いたら後ろ指を指される」と言う。彼は少し差別的なことを口走ることに対して躊躇がない。

しばらく歩いた後に、「さっきの会計は?」と金額を尋ねると、アルセニオスが急に改まった顔になって「80ドル。米ドルで払ってほしい」と言う。仰天する。80ドルはあまりに高すぎる。最初に来たときにテーブルに置いてあったメニュー表には15ドル(15CUC)以上のメニューはひとつも載っていなかったんだから。

こいつはオレからボルつもりだな、と瞬間的に戦闘モードになるものの、ちょっと冷静になって考えてみる。80ドルは確かに高い。キューバの平均月給の約3か月分にあたる額で、あまりに高すぎる。しかし、あの魚は確かにデカいし旨かった。そもそもあんなデカい魚は要らなかったんだけど、でもあの魚料理はフロリダで食べたら同じ海の魚なのに80ドルでは済まないだろう。今朝オンラインで見た市内観光ガイドツアー(英語)は半日で60ドルだった。アルセニオスは女性の尻ばかり追っかけていたが、でもこの半日は僕なりに十分に楽しんだのでは…? 魚だけでなく、スープにサラダ、少し硬いパン、そしてロゼワインも2杯飲んだしな。

「50ドルなら払うよ」と交渉してみる。彼は「いや、ロドリゲスに払わないといけないからダメだよ…」と答えた後、うーんと考える。「あの魚は特別に仕入れたもので、誰でも手に入れられるものじゃないんだ」。そう真剣な顔で言った後「じゃあ、70ドルね」と続ける。

アルセニオスは日本人のカモが捕まったぜ、しめしめ……と思いながらこの半日、僕と一緒にいたんだろうな……寂しいな……という思いが急に胸を駆け巡る。トーコはやっぱり嘘なんだろうか。もう別になんでもいいやと思って70ドル支払う。

別れ際はろくな挨拶もしないまま、歩いてホテルに向かう。後味が悪いけどしょうがない。ああ、これがアルセニオス流のライフハックかと思い至る。通貨も社会資本も脆弱で、国家が機能不全にあるときには、自然発生的にアナキズムが勃興する。彼のこの日の振る舞いも、日本人の僕という資源を活用した仲間内でのアナキズムの実践と言えまいか。キューバはいまだに革命の途中なのだ。それが感覚としてわかった。そんな気分になって、ふわふわと面白い気分になってくる。キューバに観光に行く外国人たちは、多かれ少なかれ彼らのアナキズム的ライフハックの手伝いをしているわけだ。

ああ、それにしても疲れた。ホテルに着くと、フロントに立つ大柄の女性が声を上げて笑ったり歌ったりしながらチェックイン作業をこなしている。なんて楽しそうなんだろう。作業効率は極めて悪い。でも、そんなことはたいした問題ではないのだろう。

確かに彼らは生きるために働くというより、生きるように働いている。アナキズム万歳である。

店に入って歌い始める3人組

1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)、『「推し」の文化論』(晶文社)など。連載に「ぼくらはこうして大人になった」(だいわblog)、「こども歳時記」「それがやさしさじゃ困る」(西日本新聞)など。朝日新聞EduA相談員。