第2回 会いたい。会いたい。会いたい。

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

コロナ時間(自粛要請期間)の真っただ中にやって来たのは、身内が緊急入院したという知らせだった。

「今、検査中。手術をすることになるだろう。最悪の場合は……」

文字になった医師の説明は、表情や声のニュアンスがない分、より冷酷に見え、全身がすーっと冷えていくのを感じた。

今すぐ新幹線に飛び乗って行きたい。即座にそう思ったが、それはコロナ時間が許さない。自粛ルールを破って行ったところで、面会も全面的に禁止になっているという。

最悪の場合……? そのときには、お葬式にすら出られないのかと思ったら胃のあたりが重く苦しくなって動けなくなった。この前会った時の笑顔が浮かぶ。それが消えていく。

大丈夫だ! 私は、自分を怒鳴り付ける。医師はいつだって最悪の場合を言うじゃないか。今までだって、親戚も家族もみんな「死ぬかもしれない」と言われながら生き延びた。最悪のことなんて、起こりはしない。「大丈夫だ。大丈夫だ」。お経のように唱え続けたが、その日から眠れなくなった。

暗闇の中で考える。ビデオ通話なんて、病院はやってくれないんだろうな……。今、医療現場は、それどころじゃない。たとえつながったとしても、私はここからいったいどんな言葉をかけられるだろうか。「大丈夫」じゃない。「がんばれ」でもない。「つらいね……」と言ったら、画面からは、いったい何が伝わるのだろうか? 電気信号に変換され、電波で運ばれた思いは、平らなスクリーンの向こうに横たわる人に、どれだけ届くのだろう?

だめだ。私は、ベッドの脇に座りたい。ただ手を握りたい。それがダメなら、肩でも足でも爪でもいいから、手袋ごしにでも触れていたい。ただ黙って祈りながら、ただ涙を流しながら、そばに居たいと願った。でもコロナ時間に人の思いは通じない。

 

SNSでは知人が、アルツハイマー病で施設にいる妻に会えない気持ちを綴っていた。妻は、若年性アルツハイマー病と診断されて14年以上になるが、毎日訪ねてくる夫の顔を忘れたことはなかった。少しずつ言葉が少なくなり、笑顔が少なくなっているとは書かれていた。それでも会えば「お父さん(夫のこと)」と呼んでくれるという最近の投稿を読んでほっとしていたのに、今、面会禁止となって会うすべがないという。

このまま会えない時間が続いたら、妻は、自分のことを思い出せなくなってしまうのではないか。

そんな不安と葛藤が書かれていた。同じ気持ちでいた人が、全国にいったい何人いたのだろう。見えない声が、きっと日本中に、世界中にひしめいていたはずだ。

会いたい。

会いたい。

会いたい。

それが許されない。いつまで続くのかもわからない……。

そんな家族の苦しみを見かねた施設職員たちは、ビデオ電話を使ったバーチャル面会をあちこちで試み始めた。今までになかった挑戦だ。

技術的には難しくない。ただ相互の時間の調整など、手間暇がかかる。介護現場もギリギリの人数で仕事をしていて余裕がない。介護される人たちが日常的にパソコンやタブレットに触れられる介護施設もほぼなかったと思う。

バーチャル面会が始まる! 子や孫世代には朗報だ。とはいえ、老老介護をしてきた80代の人たちの多くは、スマホもタブレットも使えない。横に座って使い方を教えてくれる子どもも親戚も近くにはいない。40年、50年、60年と連れ添い、一緒に山も谷も越えてきたかけがえのない人なのに、バーチャルですら会えないのだ。

ネットは生活を劇的に便利にしたけれども、それを使えない人たちを自動的にマイノリティにしてしまった。必要な情報にも手が届かず、便利なサービスも使えない。それを周囲から呆れた目で見られる。何十年か前まではなかった新種の差別だ。今はもう誰もおばあちゃんに知恵なんて求めない。黒豆の煮方もぬか床の作り方も検索すれば出てくる。

そんな社会の中で、私も歳をとっていく。ビデオ電話はできるとはいえ、次々と出てくる新しいサービスに、私はもう付いていけない。パスワードは全部手帳に書いてあるのに、それを見ながら打ち込むと「間違っています」と出てきて震え上がる。上半身に汗が噴き出す。どうして何かしようとするたびに、こんな脅しに遭わなければいけないのだろう。私は人間で、お前は機械だろ。

 

コロナ時間が明けた6月、スマホが使えなくても可能なコミュニケーション方法を友人の佐藤(佐久間)りかさんに教えてもらった。新聞に投稿したのだという。私は、すぐにその内容を要約してツイッターに投稿した。同じように困っている人がいたら、きっと役立つと思ったからだ。

〈不安になり泣いて電話をかけてくる認知症の母に「お母さんテレビつけて」と伝え、それぞれ電話を片手に違う場所で同じ番組を見る。料理番組を見て「美味しそうね」と言い合い、動物番組を見て「可愛いね」と言い合う。オンライン通話ができない親にもできるし、精神安定にもなってお勧めと知人が紹介。〉(2020年6月10日のツイート)

字数制限の140字ぴったり。珍しく反応が良かったので、そのコメント欄で彼女が事務局長を務める認定NPO法人「健康と病いの語り ディペックス・ジャパン」のサイトを紹介した。がんや認知症や難病などと生きる本人や家族が、体験と気持ちを語る動画を無料で公開している。ディペックス(DIPEx)という覚えにくい名前は、Database of Individual Patient Experience(一人ひとりの患者の体験のデータベース)の頭文字で、英国発祥の組織だ。

私も2014年に「協力したい」と自分から連絡して、ビデオカメラの前で語った。当時は本に書いてある通り、自分の病気は進行が早いと信じていた。何かができる時間は限られていると思っていたので、きちんと話せる内に撮影でき、それがこれから誰かの役に立っていくと思うとたまらなくうれしかった。「こんなポンコツにもまだできることがあった。あぁ、もういつダメになってもいいや」と、心は秋の空のようにスコーンと澄み渡っていた。

その後、事務局長の彼女とも親しくなり、彼女のお母様ともご一緒する機会があった。

このツイート(投稿)は、今まで経験したことのない規模で拡散していった。(8月10日時点で、99万7千人に読まれている。)それなら私の要約なんかよりもオリジナルの素晴らしい文章を読んでもらわなくてはと思い、彼女に連絡して新聞投稿の写真をもらい、コメント欄に貼り付けた。強い記憶障害のある彼女のお母様が、今でもとても知的で上品な女性であること、不安からパニックを起こしても、気持ちが落ち着けば、思いやりの言葉をかけてくれることも書き添えた。

 

人生初の大拡散は、いろいろなことを考えさせる。まず、このツイートが、そんなに多くの人の目にとまったのはなぜだろう? ただ役立つとか、新鮮でおもしろいとかいうことではないと思う。

自分の親と真正面から見つめ合って会話をすることは、多くの人の望んでいることとは、ちょっと違うのだ。私たちが求めているのは、顔でもなく、会話でもなく、ただ一緒にいてくつろげる、柔らかな空気なのかもしれない。

「今日は暑いね〜」と言えば「暑いね〜」と答える(「エアコンつけろよ!」でも、地球温暖化の話でもなく)。「雨、よく降るね〜」と言えば「よく降るね〜」と一緒に黙って窓の外の雨を眺める(降水量の前年比の話ではなく)。話す内容なんてどうでもいいのだ。ただそばに寄り添っていてくれることを感じられる。そんな名前もないようなふんわり温かい空気に、私たちは、意識すらしないところで強く憧れているのかもしれない。

コロナ時間で帰れない実家に電話をする私。

「元気? ちゃんとマスクしてる? 外から帰ったら石鹸で手を洗ってる? うがいはしてるの?」

ここにはまだ感染者がいないと、そのどれもがいい加減で、そもそもしようという気すらない親。

「いいんだ。人間、歳をとったらみんな死ぬんだ」

「コロナで死ぬのは苦しいよ! 息ができないんだよ! 苦しみながら一人で死にたいの?」

そんな脅しと命令ばかりの電話に誰が出たいだろう。そう思いながら「必ず手を洗って!」と鬼のように繰り返している。

頭に描く理想と目の前の現実は、いつだって違っている。こんなはずじゃなかったと思う日々が積み重なって、いつのまにかそれが自分の半生になっている。

実家の居間に座って、庭の柿の木の鮮やかな若葉を一緒に眺めながら、ただお茶を飲んでいる方が、千倍万倍いいと思う。でもそれが許されないのが、コロナ時間(自粛要請期間)だったのだ。

緊急入院した身内は、手術も免れ、順調に回復した。家族が撮った動画が届いた。スマホの向こうに笑顔がある。痩せてはいるが、この前会った時と同じ笑顔だ。私は、何度も動画を再生した。変わらないということが、こんなにうれしく、ありがたいと思ったのは、初めてだった。

 

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と誤って診断され、治療で悪化していた6年間があった。
多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。
『私の脳で起こったこと』(ブックマン社。2015年度日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)。最新刊『誤作動する脳』(医学書院 シリーズケアをひらく)。