第10回 「バニチー」に焦がれる夫人 後編

真珠夫人、感傷夫人に黄昏夫人……明治以来、数多く発表されてきた「夫人小説」。はたして「夫人」とは誰のことか? そして私たちにとって「夫人」とは? 夫人像から浮かび上がる近代日本の姿!

作品名:『伯爵夫人』田口掬汀 1905(明治38)~1910(明治43)年

田口掬汀『伯爵夫人』をはじめ、明治30年代に流行した家庭小説には、愛か家か、または愛か金か、の煩悶がよく見られる。

家庭小説の代表といわれる尾崎紅葉『金色夜叉』をはじめ、菊池幽芳『己が罪』『乳姉妹〈ちきょうだい〉』、徳富蘆花『不如帰〈ほととぎす〉』、小杉天外『新夫人』も、上昇婚(玉の輿、身分違い)、障害(義親族やライバルによる嫌がらせ、勘違い、すれ違いなど)、愛の勝利(犠牲という勝利も含む)のパターンに則っている。

そして登場する夫人たちは身体的、精神的に脆弱で、運命に翻弄されながら悩み悶え、薄氷を踏む思いで毎日をおくっている。

こんなにも紋切り型に陥るには理由がなければならぬ。

一体これらの物語はどこからやってきたのか、考えられる要因を三つほど挙げてみたい。

ひとつの大きな要素は、当たり前のようだが当時の社会環境にある。

浅井清は家庭小説について「明治期の新教育制度の普及の成果として新しい読者層が形成されたこと、資本主義体制の確立による表面的な経済的安定下での平凡で貧しい家庭生活の営為、また日清戦争後のナショナリズムの昂揚や自我の解放の気運とはうらはらな実生活での自我の閉塞状態など」を背景に「個人的モラルの模索とその苦悩の反映」として生まれたと、端的に説明している(「付章2 大衆文学の〈近代〉と〈現代〉」)。

「平凡で貧しい家庭生活」をおくる「新しい読者層」とはどんな人々かというと、『伯爵夫人』が連載されていた「万朝報」で言えば、学生、知識人、職工、車夫、商人、奉公人などである(山本武利「明治三十年代前半の新聞読者層」)。

とくにブルーワーカーが多いのが特徴だが、その理由は1部1銭(「東京朝日新聞」は2銭、「報知新聞」は1.5銭)という破格の安値だったこと、華族や財閥、官僚の暴露記事を掲載して強きを挫く「勇肌」の新聞として徹底的に庶民に受ける記事作りをしていたためだ。

モットーは「眼無王侯 手有斧鍼(王侯といえど容赦せず、手に悪を打擲する鉞〈まさかり〉あり)」。

また、社主の黒岩周六はアイディアマンで、それまでなかった五目並べの棋譜や大相撲を記事にしたり、涙香の名で『巌窟王』『鉄仮面』『噫無情〈ああむじょう〉』などの翻案小説を連載、著名な思想家の内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦らを入社させて論考も充実させた。

おかげで、明治30年代前半には東京一の推定発行部数5万部を誇り、34年頃には販路を拡充して地方の知識人(教員、学生、官吏など)をも取り込んだ。

一時、日露戦争前夜に非戦論から開戦論に転向したことで内村、幸徳、堺らが抜けて勢いを落としたが、それでも「報知新聞」、「国民新聞」に次ぐ三番手としてその座を保っていた。

「都下のみにても上は紳士紳商と称せらるるものより下は車夫馬丁の類に至るまで、多少の文字あるものにして殆ど之を読まざるものなし」(「中央公論」明治34年6月号)という「万朝報」の読者たちは、まさに大衆の代表として名望家の畜妾(妾を持つこと)に憤り、小説のなかの夫人の身の上に同情することで、日々の鬱憤を晴らしていたのだ。

二つめに指摘したいのは、この頃、日本史上類を見ない世紀の「玉の輿」婚が実際に誕生していたことである。

アメリカの大富豪ジョージ・デニソン・モルガン(アメリカ五大財閥のひとつ「モルガン財閥」の創始者であるJ・P・モルガンの甥)に見初められた祇園の芸妓雪香が落籍されて「モルガンお雪」となったのは明治37年1月20日、「伯爵夫人」連載の約1年3カ月前のこと。

当時のモルガンを現代の富豪に例えることは難しいが、まごうことなき世界的億万長者である。

しかも、芸者が妾になるのは当時ではよくある話だったが、お雪は堂々の正妻であることも人々の度肝を抜いた。

落籍(芸者が抱え主に負っている負債や身代金を代わりに支払って籍を抜かせること)の際の金額も常識外で、新橋の超一流の芸者を大臣や富豪がひくときでも7、8千円だった時代に、お雪は4万円(今の金額で8億円)だった。

彼女自身は結婚に乗り気ではなく断られたくて金額を吹っ掛けたともいわれるが、結果的に言い値が通ってしまったことで、メディアはこぞって「日本のシンデレラ」「4万円芸者」と書き立てた。

実はお雪、アメリカに渡っても排日の憂目に遭って帰化が許されなかったり、夫が早世したことで夫の親族と財産権で争ったりと外から見るより苦労も多かったのだが、とにもかくにも、一夜にしてアメリカの大富豪の奥様になるということを目の当たりにした庶民が心を揺るがされないわけがない。

「わたしだって何かの偶然が重なって、アメリカの大富豪とまではいかなくても伯爵や政治家の奥様に収まるかもしれない」と新聞読者が夢見たとして、誰が責められようか。

まさに夢物語が現実味を帯びたのが、明治37、8年という時代だったのである。

三つめに、当時の日本の文壇の特異な風潮がある。

上昇婚、妨害、愛の勝利の雛形をつくったとも言える、初期の家庭小説、尾崎紅葉『金色夜叉』(明治30~35年「読売新聞」)を例に見てみよう。

『金色夜叉』の藍本はよく知られているようにバーサ・M・クレー(Bertha M.Clay)の『Weaker than a Woman(女より弱きもの)』(1880年代。初出年不明)である。

作者のバーサ・M・クレーとはイギリス人女性作家シャーロット・メアリー・ブレイム(Charlotte Mary Brame)のhouse name(人気作家にのみ与えられる名前)で、実際には複数の人物が名乗っていたという。

そのため、バーサ名義の作品は1500以上にのぼり、どれがシャーロットが書いたものか今ではわからない。

これらはcheap editionsとよばれ、小型廉価本のペーパーバックとして出版され、ニューヨークの出版社ビードル社のものには「ダイム・ノヴェル(Dime Novels)」(10セント小説)というシリーズ名が付いていた。

この本のおもなターゲットは、少年、兵士、船員、旅行者、主婦、女工などで、それまでの単行本の10分の1の値段とすることで小説を娯楽として大量消費する層を生み出した。

安価な本は海を渡って日本にもやってくる。

連載小説というプレッシャーを抱えていた日本の作家たちはダイム・ノヴェルに飛びつき、これらを下敷きに独自の物語を紡ぐ「翻案」という方法を用いた(判明しているだけでも菊池幽芳『乳姉妹』『己が罪』や尾崎紅葉『不言不語』、黒岩涙香『妾の罪』ほか4作品などがある)。

その際、元ネタがあることを明記しないことも多く、登場人物を日本名としたり、作家の目的と好みに沿って大きく書き換えられたりした。

例えば『金色夜叉』の場合、許嫁の貫一との婚約を破棄して財産家と結婚する女主人公の宮は、そのことを貫一から責められて「私が悪いのだから堪忍して下さい」と泣いて許しを求める。

しかし、バーサの作品のなかではヒロインのヴァイオレットが恋人フィリックスに「きみは僕を見捨てる、なぜなら僕が充分な財産をもっていないからだね?」と聞かれて肯定し、「私はお金とぜいたくが好きだし,豪華なものを愛するの」と言い切る。

金銭的には自立していないが、少なくとも自分の意志を伝えることができる程度には成熟した女性として描かれている。

また、菊池幽芳『己が罪』では、原作『谷間の姫百合(Dora Thorne)』にはない「女の道」「家庭」「愛情」といった文言が盛り込まれている。

これは、健全な社会のための健全な家庭を小説によって啓蒙するという「家庭小説」の責務を思えば不思議はないが、女性である原作者と男性である翻案著者の女性観の違いという気がしてならない。

女性の社会的地位にしても、人々の自我にしてもアメリカに比してずいぶん立ち遅れていたということがよくわかる。

それにしても、アメリカでは1860年代(日本の明治初年頃)にすでにダイム・ノヴェルが誕生し、数十万部の本が印刷され、流通、販売、消費されていたのだから、驚くしかない。

日本で同じように数十万部単位の単行本が売れるようになったのは昭和5年の「円本」ブーム(改造社が始めた、一冊一円、全巻予約制、月一冊配本の全集の総称)まで待たなければならない。

女性作家が大ヒット作を生み出し、工場などで働く女性たちが片手間に読書するアメリカと、男性作家が文壇のほとんどを占めて「夫人たるもの、夫たるもの」といった訓示まがいの新聞小説をものして悦に入り、それに涙する善男善女の日本、こう単純化してみると知的レベルの圧倒的な差に愕然とする。

国会図書館所蔵の田口掬汀『伯爵夫人 終編』の最終ページで、主人公の伯爵夫人延代は、夫の非嫡出子アルマンの手を取り誓う。

何うなっても関〈かま〉わない、死ぬも生きるも此子と一緒だ。延代は心の中で斯う叫んだ。

この最後の一行に、本の前の所有者の男性は線を引き、力強く「美!」と書き込んでいる。

掬汀は自然主義文学にあてこするように「考えさせる小説が必要だと云う者がある。成程夫も必要には違いないが考えねば解らぬものでは読者が迷惑だ。又作家にしても人に迷惑させてまで無理に読ますべき権利はない。人生は苦痛の世界だの悲哀の陳列場だのと云うけれど、無間断に眉を顰め、年中渋い顔のみして居られるものでない」(明治42年7月17日付『大阪毎日新聞』)として娯楽小説を擁護するが、ジェットコースターに身を任せているだけの人間を少し離れてみると、やはりどことなく間抜けに見えるのである。

 


 

〈おもな参考文献〉
関肇『新聞小説の時代――メディア・読者・メロドラマ』(新曜社、平成19年)
金子明雄「戦う家庭小説『女夫波』――田口掬汀」(『国文学 解釈と教材の研究』42(12)學燈社、平成9年)
浜田雄介「大衆文学の近代」(『岩波講座 日本文学史 13巻』岩波書店、平成8年)
森英一『明治三十年代文学の研究』(桜楓社、昭和63年)
秋田県総務部秘書広報課編『秋田の先覚――近代秋田をつちかった人びと 第3』(秋田県、昭和45年)
浅井清「付章2 大衆文学の〈近代〉と〈現代〉」(三好行雄編『近代日本文学史』有斐閣双書、昭和50年)
山口ヨシ子『ダイムノヴェルのアメリカ――大衆小説の文化史』(彩流社、平成25年)
進藤鈴子『アメリカ大衆小説の誕生』(彩流社、平成13年)
山本武利「明治三十年代前半の新聞読者層」(日本マス・コミュニケーション学会『新聞学評論 16(0)』昭和43年)
内川芳美『新聞史話――生態と興亡』(社会思想社、昭和42年)
金子明雄「明治30年代の読者と小説――「社会小説」論争とその後」(『東京大学新聞研究所紀要』(41)平成2年)
木村毅『ふぐ提灯――随筆集』(文章倶楽部社、昭和27年)
堀啓子「明治期の翻訳・翻案における米国廉価版小説の影響」(日本出版学会『出版研究』(38)、平成19年)
鬼頭七美「書き換えられた「女の道」――『谷間の姫百合』から『己が罪』へ」(日本女子大学『日本女子大学大学院文学研究科紀要』(17)平成23年)
中野記偉「『金色夜叉』の比較文学的一考察――バーサ・クレーに関連して」(上智大学英文学科・英語学科『英文学と英語学=English literature and language』(24)、昭和62年)
松井洋子「バーサ・クレー作品の日本大衆小説,家庭小説における受容について――黒岩涙香の『妾の罪』再考」(日本大学国際関係学部『国際関係学部研究年報(第23集)』平成15年)

 

兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社)、近刊に『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。2022年3月に『明治大正昭和 不良少女伝』がちくま文庫となる。唄のユニット「2525稼業」所属。
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第9回 「バニチー」に焦がれる夫人 中編

真珠夫人、感傷夫人に黄昏夫人……明治以来、数多く発表されてきた「夫人小説」。はたして「夫人」とは誰のことか? そして私たちにとって「夫人」とは? 夫人像から浮かび上がる近代日本の姿!

作品名:『伯爵夫人』田口掬汀 1905(明治38)~1910(明治43)年

前回は、田口掬汀『伯爵夫人』のあらすじを追いつつ、男性のメインキャラが清廉潔白なのに対し、主人公である槙原伯爵夫人延代や郷田子爵夫人などの女性キャラがやたらと財産に目がくらむことに違和感を覚えると書いた。

いったい、これら女性キャラを読者たちはどう受け止めていたのか、今回はその謎を追ってみたい。

興味深いことに、国会図書館近代デジタルライブラリーでデジタル化された『伯爵夫人 前編』には元の持ち主のマルジナリア(余白への書き込み)が多数ある。

薄くて読めないものも多いが、拾ってみると(〓は判読不能文字)
「親父は馬鹿」(p.206)、「延代なぐりたし」(p.207)、「ひや/\/\」(p.208)、「親の遺言をたてにとって虚栄にあこがるゝ薄情の女よ! 僕は汝の〓をききたい!!」(p.209)、「昌造生意気だナグレ」(p.296)などなど……
ここで確認できます。ページ数はコマ数ではないので注意。

書き込みは、それぞれ本文に対応しており、
本文「これには色々と事情〈わけ〉があるのですから、何卒〈どうか〉悪く思わないようにね」→書き込み「いや私は悪く思わずには居られない」(p.245)
本文「私に汚い慾があってしたようにばかり仰在るけども、それは貴下の邪推ですわ」→書き込み「yes. 邪推だ、数馬男らしくない」(p.254)
本文「(延代の父の臨終の言葉に対し悪役の昌造が)なァ之から一同〈みんな〉情好〈なかよ〉くして、面白可笑しく暮らそうじゃないか」→書き込み「何を云やがるんだ」(p.303)
というように逐一合いの手を入れ、まるで登場人物たちと会話をしているように読んでいることがよくわかる。

たじろぐほどに素直である。

では、連載時の読者はどうだろう。

当時の「万朝報」紙はとくに投書欄を設けてはいないが、掬汀が連載の末尾に、感想や正誤を指摘する投書家の名を列記して謝している回がいくつかある(以下、読みやすいよう適宜句読点を入れ、旧字旧かな使いは直した。〓は判読不能文字)。

そんななか、珍しく内容をそのまま紹介した気になる投書があった。

「●小説「伯爵夫人」毎日待って居ります。されど延代は数馬さんを殺そうとするのでしょうか、何という不人情な女であろうと私毎日心配で此頃は神経病らしく相成り二三日前より御飯も味がありませぬ。此上延代と数馬が添われぬようになったら、私死ぬより外ありません、医者は新聞を読まぬ方が可かろうと申しますけれど、見ねば尚お気に障ります、家内の者も一同心配致居〓〓〓お助け下さると思召して、二人そうようにして下さいお願いです(越前福井の一女子) 右の投書家に答えます。拙作に対して左程の苦痛を感じられるのは同情の深い為で作者は嬉しくもあり又お気の毒にも存じます。併し今より趣向を申し上げ難ねますから如何斯〈どうこ〉うするとは申されませんが結末に至って愉快に感じられる丈けは確信して居りますから御安心を願います。尚芝三田の梁南生、信州の駒林、岩代の飯沼白牛三君に対して同情ある寄書されたるを謝します 作者」(7月31日付)

なんと、主人公の延代が幼馴染の数馬と結ばれなければ死ぬとまで思い詰めた読者がいたのだ!

こうなると医者は無力、作者の掬汀から宥めてもらうより策がない。

また、男子からのものとして

「●後編第二章の一まで拝見して私は平素の野心愚痴不平等をさらりと忘れました、同時に今後醜き我糟糠の妻を深く愛し遣ろうと決心しました(在佐世保鎮守府TH生)●僕は皓潔なる数馬の心事を採って自分の模範とすべく考えて居る(千葉の一男子) 右の外大坂の石村君、出征梅澤旅団の島川君、長野県中島義一君、陸中花泉村佐藤隆三郎君、日本橋の中村滋雄君等より評言注意等寄せられたるを以て茲に謝意を表す」(9月14日付)

というものもある(どうでもいいが在佐世保鎮守府のTH生よ、愚痴や不平を忘れるのはいいとして「醜き我糟糠の妻を深く愛し遣ろうと決心」とはなんという物言い……)。

採用された手紙だけを見ると、圧倒的に男性率が高い。

折りしも日露戦争真っ最中のこと、第四師団、出征梅澤旅団など兵士からの便りも目に付く。

軍事郵便制度が発達していたおかげで、戦地にあっても内地からさまざまなものを送ってもらえたが、なかでも新聞は一兵卒が戦況を確認するのにもっとも尊ばれた。

数日分がまとめて届けば小説の筋も把握できて、日々の無聊を慰めつつもつい肩入れしてしまうのは理解できる。

ともあれ、これらの投稿、掬汀によれば後編が終わった時点で「四百通を接取した」(明治38年11月23日付)という。

マルジナリアや投書から見えてくるのは、裏読みなどはせずに書かれたものをそのまま受け止め、一喜一憂する読者像だ。

主人公の延代の俗っぽさ、軽薄さに憤る一方で、数馬と結ばれるよう他愛もなく応援している。

さらに、聖人君子の数馬を「自分の模範」としようとする者もいる。

これは前々回見てきたように、家庭小説という概念が生まれたときから背負わされていた啓蒙の精神を掬汀が強く意識して書いたためで、読者も従順にトレースしているのだろう。

新聞小説の読者は、芝居でも観るような至極単純な感性で味わっていたことをあらためて思い知らされるのである。

それにしても、愛か家か、または愛か金か、の煩悶は、尾崎紅葉『金色夜叉』をはじめ家庭小説にとてもよく見られるパターンである。

このように近似した物語はどこから来たのか、というもうひとつの謎に次回は迫ってみる。


〈おもな参考文献〉
関肇『新聞小説の時代 メディア・読者・メロドラマ』(新曜社、平成19年)
『近代文学研究叢書 第51巻』昭和女子大学
金子明雄「戦う家庭小説『女夫波』●田口掬汀」(『国文学 解釈と教材の研究』42(12)學燈社、平成9年)
浜田雄介「大衆文学の近代」(『岩波講座 日本文学史 13巻』岩波書店、平成8年)
森英一『明治三十年代文学の研究』(桜楓社、昭和63年)
秋田県総務部秘書広報課 編『秋田の先覚:近代秋田をつちかった人びと 第3』(秋田県、昭和45年)
浅井清「付章2 大衆文学の〈近代〉と〈現代〉」(三好行雄 編『近代日本文学史』有斐閣双書、昭和50年)
牟田和恵『戦略としての家族』(新曜社、平成8年)
新井勝紘「軍事郵便の基礎的研究(序)」(『国立歴史民俗博物館研究報告』126、平成18年)
茂沢祐作『ある歩兵の日露戦争従軍日記』(草思社、平成17年)

 

兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社)、近刊に『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。2022年3月に『明治大正昭和 不良少女伝』がちくま文庫となる。唄のユニット「2525稼業」所属。
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